高利貸し等に繰り返し行われてきた請願運動や個別交渉のなかで、郡役所、裁判所、警察署がけっして負債農民の味方でないことが
鮮明になる。
さらに、合法的請願運動にとどまる限り、借金延期や減租等の要求目的は達せられず、ここに及んでは高利貸しを打壊し、証書類の焼き捨
てを決行する以外に打開の道はないという方向に困民党は動き出す。
そして、10月26日の粟野山会議において、ついに11月1日の武装蜂起が決定される。
田代栄助や井上伝蔵による蜂起延期論の主張が、激論の末退けられ、「11月1日武装蜂起」の日取りが決定されることになる。
10月30日、小前耕地での最後の幹部会議でももめるが結局「11月1日決行」が再確認され最終決定となる。
(尚、自由党は、10月29日大阪で解党)
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