東日本大震災・福島原発事故を忘れない! |
遠い復興への道 何処に住む?何処が変わった? 何処を復興の拠点にするか、英断が必要に思います。 名取市閖上日和山富士主姫神社の丘から 2012年11月7日撮影。 |
茂陽 畠山さんの震災地レポート 名取市閖上日和山富士主姫神社の丘 2011年3月20日撮影。 |
名取市閖上地区を2012年11月7日撮影。 移転?それとも?復興はいつになるんでしょうか。 |
東日本大震災・福島原発事故を忘れない!!! 2011年3月11日14時46分ごろ、三陸沖を震源とする国内観測史上最大のM9.0の巨大地震が発生しました。 この東日本大震災による津波や火災で多数の死傷者、行方不明者が出ました。 亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。 被災地・被災者の皆さんの復旧・復興が遅れています。 雇用、住宅、除染問題に一刻も早く取り組まれますように。 福島第一原子力発電所の事故に伴う放射能汚染問題は実に深刻です。 原発危機を考えるHPより(放射能汚染地図) 高濃度汚染区域について 俳優 山本太郎さんのYou Tube動画 山本太郎さんのオフィシャルホームページ みんな楽しくHappy♡がいい♪ 放射線衛生学 木村真三さん 福島原発事故による放射性物質の飛散が深刻になってきてます。本当のデータを公表して欲しいです。 また、水、土壌、葉物野菜、牧草、魚類等々様々な放射性物質の測定を国や県、自治体で実施して欲しい。 暫定基準値以下を「不検出」としないで測定結果をすべて公表すべきです。 人類史上初めてのセシウム汚染が安全かどうかは判断できないはずです。 「ただちに健康に影響ない」とか曖昧な表現は止めるべきと思います。 被ばくを少しでも減らす対策をただちに実施すべきです。 埼玉県小鹿野町に、食材の放射性物質濃度を有料で調べる民間測定所開設 チェルノブイリ原発事故時の対応は以下です。 想定年間被曝量が0.5ミリシーベルトを超える ⇒ 放射能管理強化地域 想定年間被曝量が1ミリシーベルトを超える ⇒ 移住権利地域 想定年間被曝量が5ミリシーベルトを超える ⇒ 義務(強制)移住地域 以下に東日本大震災関連の情報を掲載します。 |
うしさん、大阪から原チャリで被災地へ! ボランティア活動通信! |
うしさん、原チャリで被災地を目指し出発! 2011年5月10日朝7時に大阪を出発。今日は12時間走行、走行距離は402.9キロメートル。 今夜は清水港で泊ります。 |
うしさん、原チャリで被災地を目指す! 5月11日静岡を朝5時半に出発。雨・雨・雨、今日は冷たい雨にたたれました。 宇都宮の某健康ランドで冷えた身体を温めることにしました。身体が冷え過ぎました。 今日は予定を早めてここまでです。 本日の走行距離は284.29キロメートル。 |
うしさん、原チャリで被災地を目指す! 5月12日今朝は五時半スタート、 国道4号線は、街中を抜けると、原チャリ走行がOKな高速道路で、無料が嬉しいですね(^-^)v 朝の気温は12度でした。』 |
うしさん、原チャリで被災地に到着! 岩手県遠野市に午後6時前に到着。 5月12日到着しました。バイクのメーターは、22633.9kmです。体育館の床に、持参した 寝袋で、今晩から六泊予定です。 今、市営の温泉に、ボランティア特別料金150円で入り、ニラ南蛮ラーメンとご飯を戴いてます。 今日は霧雨程度でしたが、気温は日中でも16度ぐらいで、夕方は11度と、大阪の冬支度で 来て正解でした (^-^)v 明日朝7:30に役割が決まりますが、雨天時はキケンなので作業中止となるそうです。 ここまで来る途中、白や紅色のハナミズキがたくさん街中に映え、山々には萌え萌えの若芽が 盛り上がり、快調なドライブが楽しめました ('-^*)ok 写真は遠野市ボランティアセンターとなってる正面入口です。 本日の走行距離は436.5キロメートル。 |
うしさん、明日からボランティア! 5月12日夜。 添付写真が、これからの宿です。 ゴールデンウィークには五百人泊まり、今晩は百人程度だそうです。 おやすみなさい (^_-) |
うしさん、ボランティア1日目の早朝! 5月13日早朝。 昨晩は22時消灯だったので、三時半には目が覚めました。ボランティア受付のPCが利用可能なので書き込みます。 今日からが初めての作業ですが、雨ですから、中止かも? 7時半の集合まで分りません。 さて、バイクで出てきた主な理由は、遠野に入る前に、 相馬市から海岸沿いを北上して、海岸線の状況を我が目で確かめたいということでした。 出発してから二日目、宇都宮を発ち、福島県内に入ってから、昼下がりにコーヒータイムでマクドに寄りました。 そこの店員さんに当日夜に泊まれるような健康ランドの情報をたずねていましたら、 お客の男性が話しかけてくれ、ご本人は郵便局員だが、ボランティアで何度も福島県内の被災地に物資を 運んでいるとのこと。 そこで、私がバイクで入る予定と話したら、 1.TVに映像が流れている被災地には一般人は入れない。 2.例え何等かで入れたとしても、車のパンクは免れない。 3.その方が四駆の軽トラで物資を搬入する場合、スペアータイヤを二本は積み、必ず交換する結果となる。 4.バイクで、スペアータイヤを用意していますか? 以上、自分で被災地に入るのを諦め、予定を早めて遠野に入った次第です。 |
うしさん、ボランティア1日目終了! 5月13日ボランティア1日目。 一日目は、津波に襲われ加藤町長が亡くなったり、甚大な 被害となった岩手県大槌町でした。 『床下ペドロの掃き出し作業でした。 朝礼が7時半、班分けの後、マイクロバスに乗り、現地に9時着、作業スタート。 昼休みをはさんで3時に終了、バスに乗り、ボランティアセンターへ4時半着でした。 現地の写真を撮るのは原則禁止ということで、思うように撮れません。』 |
うしさん、ボランティア2日目の朝! 5月14日早朝。 その日の活動が終わり、宿泊場所でもある体育館で、毎夕、全体ミーティングが行われます。 各現場作業の状況、各避難所の賄補助、到着物資の仕分け、ボランティアセンター内の清掃や受付・運営作業、 等々の仕事結果についてをです。 この拠点は、遠野市が運営している総合福祉センンターで、その職員さんの事務所も館内にあるのですが、 ボランティアの集団は、『まごころネットワーク』という名称で、全員が個人参加のボランティアです。 昨晩の100名程のミーティングも、20歳代の男性が仕切り、その本人は一週間前に初めて参加して、リーダーとなり、 明日には帰宅するとのことで、次のリーダーの紹介がありました。 個人参加ができる、しかもピーク時には500名も受け入れ、宿泊場所(体育館で持参寝袋)を確保している拠点は 他にありません。この素晴らしい活動を裏で支えているのは、遠野市と岩手県ではあり、朝の出発前に朝礼で 注意事項を含めて挨拶される方は役所のエライさんでしょう(本人は個人名のみで、現職を言わない)。 上記の記載でもかなりの時間、受付のPCを独占して、いつ交代しなければならないかわかりませんので、 区切って送信します。 昨日も現場には、遠野市の三台のマイクロバスと参加企業のバスが動き、各バスには役所関係の人が 添乗しております。 但し、現場では4名以上の班で活動していますが、班長はボランティアの人が担っています。 さて、昨夕の全体ミーティングで最も時間がかかったのが、「写真撮影を禁止しているのに、今日も撮ってる人がいた」 という話です。 この問題、PCの占有が長いので、改めて掲載いたします。 |
うしさん、ボランティア2日目! ボランティア2日目の様子。 5月14日夜。 今日だけの参加のボランティアも含めて、160名以上となりました。 写真は出発前の朝礼です。 私達は、釜石市内の個人の商業ビルの地階の泥だしと清掃に行き、今は遠野市に帰るバスの中です。 快晴ながら春の嵐のような突風が吹きました。ほとんど室内での作業でしたから問題なしです。 周りの家屋はすごい状態で、写真で記録したいのですが、昨晩の全体ミーティングでも、写真は絶対禁止 ということで遠慮してます(=_=;) 22時消灯で寝てしまい、朝は4時には起きて、体操したり、受付のパソコンでネットを見たりで、体調は 絶好調です ('-^*)ok 遠野まごころネットワークでのボランティア活動は、7:30の朝礼から始まります。 昨日は180名、今日は200名程度の皆さんに向かって、毎朝必ず語られる注意事項の一つに、 現地での 携帯やカメラ、ビデオなどの撮影を厳禁ということです。 理由は、被災者の方にすれば、物見気分での手伝いならイリマセン、ということだそうです。 どこそこのボランティア達は被災現場で記念撮影ばかりしているという風評が立つのがこまると言います。 昨日の夕方ミーティングでも、何人か活動の合間で写真を撮っていた人がいたようで (その内のひとりは私)、 『被災者の気持ちを考えれば撮影なんかできるはずない!』とか、 『朝礼の時にもっと厳しく注意すべき』とか、厳しい意見ばかりです。 私は納得できませんが、老若男女が一生懸命やっているのは間違いなく、 ピラミッド型の組織でない 以上、画一的なルールもやむなしかと我慢しています。 例えば、『観光に来たわけではないのだから…』とボランティアの精神性を純化する傾向がありますが、 もしこの時期、海外でも国内でも旅行を考えてる人が、 『よっしゃ今回は被災地近くの泊まれる温泉に 行ってみよう』と旅行を楽しんで動いてくれたら、 どれだけ被災地の経済的貢献や前向きに仕事を 立て直す希望となることでしょうか。 ボランティアの目的は、崇高な犠牲的精神の発露ではないでしょう。 私が今回行動したのも、TVやメディア、ネットでの被災映像を見たから考えたことであり、 素人では あっても、いち個人として感じたものを写真として記録して、 個人的に仲間や身内へと語っていくことは、 意味のあることだと思っています。 |
5月19日夜。 フリーなったので、自由に動き、写真も撮れました。 ドコモの移動中継車を二台みましたよ。頼もしいですね(^-^)v 明日からは避難所にマッサージで回るボランティアチームと行動します。 『今日で遠野ボランティアを止め、朝一番に、遠野市立博物館を見学しました。 昔の生活用具が陳列されているだけでなく、映像や表示に工夫があり、なかなか楽しい内容です。 その後午前10時に遠野を発ち、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、越前高田市、の 被災現場を見学、撮影して、気仙沼市の唐桑半島の先端、半造地区のレストハウスに着き、 一週間ぶりに、畳の上、布団で寝ます(゜-゜) |
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うしさん、マッサージボランティア! 5月20日夜。 この写真は昨日の三陸町海岸沿いのものですが、明治時代にも今回と同様な津波がありながら、百年も 経たないうちに、津波想定内にびっしりと家が並んでいたのが信じられません。 パソコンがないので様々な被災写真が送れませんが、今日は気仙沼市の大きな避難所で、 マッサージの出前をしてきました。 ついでに、避難所前に自衛隊が設営してる、お風呂に入ることができました ('-^*)ok |
うしさん、マッサージボランティア! 5月21日夜。 『昨日は気仙沼市の避難所でマッサージ、その前に設営された自衛隊の風呂に入らせてもらいました。 今日は、唐桑半島にある被災した民宿でマッサージ、そこのお風呂に入られせてもらい、 その後に移ってマッサージした避難所では、夕飯を戴きました。 唐桑半島は漁民がほとんどで、マッサージした人達は、皆、高台に非難して、自宅が第二波、三波に 呑み込まれるのを、ただただ呆然として見ていたとのことです。 添付の写真は、今日の早朝撮った気仙沼市内での状況です。 私は一昨日より、岩手県遠野市を離れ、宮城県気仙沼の唐桑半島の半造という地区のレストハウスに 泊まり、出張マッサージをしているボランティアチームと一緒に行動してます。 元気です('-^*)ok』 |
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うしさん、ボランティア終了で帰阪の途へ! 5月24日夜。 先日、唐桑小学校の校庭で、朝七時半より、新潟から来たボランティアの中から、太鼓の演奏がありました。 ひと通り演奏した後には、子供達に太鼓を叩かせながら即興で演奏して、それは子供達に大うけしてました。 この小学校は、家を流された世帯の避難所ともなっているので、皆さんも喜んでいました。 さて、私も明日までで各避難所の出前マッサージを終えて、女川、石巻、仙台、名取を見ながら、 帰阪します。 パソコンを利用できる機会がなく、送り放しのメールで失礼してますf(^_^) |
うしさん、帰阪の途へ! 5月27日朝。 今、宇都宮市内のマクドで、写真の朝マック、イングリッシュマッフィンのチーズ〓、コーヒーセットで200円('-^*)ok、を戴いてます (*⌒▽⌒*) 一昨日で、各避難所への出張マッサージのボランティアを止め、昨朝、気仙沼から石巻、仙台、名取、 南三陸、相馬と被災現場を見学しながら、宇都宮まで戻って泊まりました。 今回のボランティアは終了です。後は、無事に大阪まで帰るまで、気を抜けません(^_-) 我が愛車のスーパーカブ号、今朝までで、走行2104.1km、全くのノントラブルです。 心配していたタイヤのパンクもありませんでした。 世界のホンダを創ったみなもと、スーパーカブ号は、たいしたものだと、つくづく感心します。 こんなすぐれものを造った人達もすごいと思いますが、マッサージしていた被災者は皆、自分の家が あっと言う間もなく波にさらわれるのを、見ていた人達でした。 その口から出る言葉は、 ナンモ ナクナッタケド 全国カラコウヤッテ ヒトやモノがトドイテ アリガタイコトデス。 モノはナクナッタケドモ、ヒトのココロをイタダイテ、ナントカナリマス、 とたびたび言われましたよ(゜-゜) |
うしさん、帰宅! (お疲れ様でした! by 芝桜@管理人) 皆さん、声援ありがとうございました。 今日(29日)の昼前に到着、往復の総走行2657.4kmでした。 無事到着・・・とはなりませんで、黒猫さんの心配通り、一昨日の夕方、雨の中の国道1号 三車線を浜松で走行中、歩行者の飛び出しを感じて急ブレーキをかけたところ、水溜りでスリップ、 横転してスライディングしました。右側のヒジ、脇腹、ヒザを打撲してしまい、そのまま昨日、今日と 走りましたが、少々痛みが残ってます。 明日は月曜なので病院へ行き、ボランティア保険の申請も予定してます。 写真は、避難所に慰問で来た山形からのヨサコイソーラン踊りを写すタイミングで撮った、 唯一の私の活動現場写真です。 私のスパーカブ号ですが、転倒した側の右ステップバー(足止り)が曲がっただけで、破損は 何もありませんでした。 今回の出発前にエンジンオイルの交換をして行きました。 途中、念の為にとオイル交換を考え、通りすがりのバイク屋で声をかけましたが、費用が2000円とか 言われ、普段は1000円なので、1100円のホンダ指定店を何件目かに見つけ、交換しました。 オイルは真っ黒で、シャブシャブでした。 今日か明日、オイルはまた交換して、愛車を労ります。 本日、病院へ行き、レントゲンでの検診結果、ヒザも脇腹もヒジも骨折はありませんでした。 ただ、軟骨などにヒビが入ってるのは撮影できないので、痛みが引くまで観察するしかない、 とのことでした。 写真は自衛隊設営の風呂内部です。 毎日を午前と午後に分け、男性専用、女性専用と順繰りに仕分けしてました。 6月1日からは、私も仕事スタートです。 |
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