旅行記6月

2005年06月01日

疲れると足が

クライストチャーチでの宿は旅の途中で知り合った人から教えてもらったCharlie B's Backpackers宿泊者の大半は白人系で、他のユースホステルやバックパッカーズのように日本人がいない。3階建ての大きな所に日本人は自分だけのようだった。

長距離移動を連日した後は、夜寝ていると足に不快感がある。うまく表現できないがモモから下がムズムズとする。寝ていても何度か目が覚め、その都度足を伸ばしたり縮めたりストレッチをしないと眠れない。いったいなんでしょう?

この日は自転車には乗らず徒歩で出かけた。
クライストチャーチはその名の通り町の中心に大きな教会が建っている。

大聖堂前には大きな広場があり、皆思い思いに時間を過ごしている。

備え付けの5m四方もあるチェスを楽しむ人、読書する人、大道芸人、待合せ人、
そしてここにも出没、日本人団体旅行客。



2005年06月02日

寒くて動けません

Chalie B's BackpackersからクライストチャーチCITY YHAに移動した。Chalie B'sの部屋からの眺めは小さな窓がひとつでちょっと息苦しかった。前回宿泊したユースホステルにもう一度泊まってみたくてわざわざ移動してみた。

2階の部屋に入ることができ、そこからの眺めは窓も大きくこれなら息苦しくない。

昼間は雨が降ったり止んだりで気温は最高でも8度までしか上がらない。寒波がきているとのこと。寒すぎて外に出て街を見る気にもならないけど、思い切って昼過ぎから出かけ日本食大阪屋で昼食をとった後、Farmer's(デパート)で暖かいダウンジャケットを購入。その他に自転車屋で暖かいグローブとアジア食材店で調味料なども。

夕方からTABで競馬をした。TABとは公営の場外馬券売り場で、NZのいたるところにある。たとえ小さな町でもTABはBarに併設されていたり専用の建物があったりと見つけることができる。競馬新聞を持っていなかったので単勝でひたすら勝負した。$100位勝ったので夕食はリッチにタイ料理。ひとりタイ料理でいつものメニュープラスワインも。

もうちょっと毎日暖かくなってくれると助かるのだが。
こんなに凍える寒さを味わったのは小学生の時以来かも?!



2005年06月05日

ChCh→Rakaiaつまらない道

クライストチャーチには5泊したが、毎日凍える寒さと雨とでほとんど町の中心地しか見なかった。
これから目指す南方面はここよりもさらに寒くなることが予想される。大丈夫なのか?

クライストチャーチを出発して9kmの所でまたパンクした。ちょっとした都会の道は、田舎道とは違って割られたガラス瓶や様々なパンク原因となるものが落ちている。特に私のように薄いタイヤを使っていると簡単に突き刺さってしまう。

目的地のRakaiaまで60kmは坂は無くほぼ直線で到着できる。それがまたつまらない!坂があれば辛く感じ、無ければつまらなく感じ、まったく勝手なものである。

坂が無いばかりか、この国道1号は左右どこを見ても、どこまで進んでも全くといっていいほど同じ景色が続く。ひたすらこぎ続けるしかない。

Rakaiaに付き、ホリデーパークのキャビン1泊する。季節外れなのでテントを張る広場はガランとしている。夏はクライストチャーチから近いので賑わうんだろうな。


この町にある大きなサケと思われるオブジェ。海からRakaia Riverにのぼってくるのか?



2005年06月06日

景色はいいけど

5月に逢ったKaitaiaのユースホステルで働いている友達が、まもなくMethvenのバックパッカーズで働くことになっている。Methvenは今いるRakaiaから35km程。久しぶりの再開を楽しみに、ちょっと遠回りだけど景色のいい田舎道を進んだ。それにしてもしつこいようだけど寒い。

RakaiaからMethvenまでの高低差は、ほんの200mを35kmの距離をかけて徐々にのぼることになる。見た目は全く上り坂に見えないけど、緩やかな上りと強い向い風で前に進まない。

遠くには今後超える予定の雪をかぶった山脈が見える。そしていかにもニュージーランドらしい羊の大群にも会えた。

MethvenのバックパッカーズSkiwihouseに昼過ぎには到着。自転車で凍える寒さの中到着した自分を見てオーナーのおばちゃんはびっくりした表情。自分自身もこの寒さにびっくり。夜になると友達が車で到着!久しぶりの再開。

ちなみにMethvenという町はMt.Huttスキー場のベースタウンで、この時期はスキーシーズン。日本のスキーリゾートよりもこじんまりとしてきれいな所。アフタースキーを楽しむバーやレストランが数件と、札幌オリンピックに出場した元オリンピック選手のスキー用品店もある。いい人だった。



2005年06月07日

Methvenの1日

やはり疲れた後は足がムズムズする。朝起きて朝食を食べた後、疲れていたのか11時までまた寝てしまった。昼前に友人と町をブラブラしてスキーショップやスーパーマーケットに行き、ステーキを含めた食材を購入。


これからここMethvenで働く彼は、スキー場に近いこともありスキー用品一式を揃えていた。仕事がない時はスキーをするとのこと。新品などは高くて手が出ないのでリサイクル業者から超格安(確か$10くらい?)で仕入れた板とかブーツとか。唯一新品のストックを購入していた。ちなみにこの店が元札幌オリンピック選手Chris Womersleyの店で、写真奥に写っているのがその人。Wombat's Ski Shopです

昼食のステーキを食べた後彼の車でMt.Huttスキー場方面へドライブ。


標高は1000mを越えるのでやはり雪が積もっています。車にチェーンを取り付けなければスキー場まで進むことはできず、仕方なく途中で引き返した。そしていちばんメスベンから近い中規模の町Ashburton(30km先)までチェーンを買いにいった。



2005年06月08日

Methven→Geraldine約70km

無風で快晴の最高コンディションの中、今日はGeraldine(ジェラルディン)を目指す。
普段よりも移動距離が長い70kmの予定。


途中のMayfieldという、商店が1件だけの町(?)で昼食を食べていると、私が向かうGeraldine方面からひとりの自転車旅行者が走ってきた。ドイツからの旅行者Johanesヨハネスは、既にニュージーランドを6,000km走破したとのこと!1時間ほど一緒に食事をして情報を交換した。ヨハネスはとても明るく、いきなり踊り始めたりひとりでジョークを言う。そして真冬のこの季節に毎日テント生活をしている!気合たっぷりです。この時期出会える自転車旅行者は非常に貴重だ。



Geraldineへ到着しHolidayparkのキャビンに泊まった。小さい町だけどゴミひとつ落ちていなく、人も温かくて住んでみたいところだ。


かなり夜は気温が下がり水溜りは凍ってしまった。



2005年06月09日

ほとんどのぼりの1日

Geraldineの夜は凍える寒さで、夜中に何度も目が覚めてた。その都度暖房をいれても、1時間のタイマーが付いていて、あまり温まらないうちに切れてしまう。朝起きたらキャビン前の芝生はカチコチに凍っていた。こんな中、次の町へ移動するのか?

目的地のFairlieまではほぼ上り坂。
走っていると、時々小川の上を通過するのだがほとんど凍っている。太陽が出てくれれば少しは暖かいのに今日は曇りの様子。

だんだんと雪山が近づいてきた。

昼食はFairlieの10km手前にあるカフェで。急な坂を登りきったところにそのカフェはあり、看板が見えたときはホッとした。


そこには暖炉があり今までの寒さが信じられないくらい暖かかった。
カフェのおばちゃんと話しをして、この時期自転車旅行をしていることを話したら、変態扱いされた。

あと10km程でFairlieに到着。残りの道はずっと下り!

下り坂はうれしいけど、下っているときはほとんど自転車をこがないので体温はどんどん風に奪われていく。

町へ入り、すぐに宿探し。今日も昨日に引き続きキャンプ場のキャビンに1泊。ここの部屋にはタイマーが付いていない赤外線ヒーターがあって、朝まで快適に眠ることができた。

インターネットをやりたくて、Fairlieの町をウロウロして、小さな不動産屋のおばちゃんに、
「インターネットできるところはありませんか?」と尋ねたら、事務所にあるパソコンを使わせてくれた。しかしこの田舎町ではADSLなどの高速通信が発達していないらしく、昔ながらの56k電話回線でのインターネットだった。ひとつの画像を表示するまで大変時間がかかった!
その不動産屋のおばちゃん2人とおしゃべりをしてこれから先の情報を聞いた。



2005年06月10日

旅の目的地@

1997年自転車旅行は、Queens Townを出発してAucklandまで北上する予定で、途中自転車が盗まれ断念。今回の目的地はAucklandを出発してずっと南下し、Lake Tekapoまでを、とりあえずの目的地に設定した。そして間もなくその目的地に到着となる!目的地よりも先に進むつもりですが。

Lake Tekapoは標高700mに位置し、今日一日でそこまで進むつもり。それにはひとつの大きな峠を越えなくてはならず、大変な1日になりそうな予感。

スタートしてからしばらくするとだらだらとした緩やかな上り坂が続き曇りの寒空の中をひたすら走る。
下写真の左奥に目的地の湖がある。この山を越えなければ?!

のぼりが続いた為、たいした距離を走っていないのに時間ばかり過ぎていく。
途中Burkes Pass Villageの小さなレストランで高カロリーのSeafood Platter(白身魚のフライ、イカリング、カニカマ、フライドポテトなどをすべて揚げたもの)を食べ、またひたすらのぼる。Burkes Passというのは今日超える予定の峠の名前。
峠があるたびに〜Passとか〜Saddleという言葉が付く。


レストランのおばちゃんが言うには、今いる場所は常に雲が多いけど、BurkesPassを超えるとその雲はなくなるとのこと。このぶ厚い雲が本当に峠の向こうはなくなっているのか?このレストランは上り坂の中間地点にあり、そこよりも上はMackenzie Countryとよばれる高原地帯に入る。今までとは違う緑の少ない茶色の大地が広がってきた。

だらだらした上り坂は、徐々に急坂となり、ようやくBurkesPass頂上へ到着。頂上が見えたときは、あと半分くらい距離が残っているのに今日の目的地についてしまった気がした。急坂のあまり追い越していく車のエンジンも辛そうにうなっていた。大型トラックは急坂のあまり時速20km程度しかスピードが出ていない。もくもくと黒い煙を吐いたボロ車も何台か追い越していった。


旅の目的地Aへ続く



2005年06月10日

旅の目的地A

レストランのおばちゃんが言っていた通り、BurkesPassを越えると晴れ間が見えてきた!
車や人間がこの峠を越えるのが大変なように、雲も峠を越えるのは大変なのか?!


太陽が出てくると気温は上がり薄着でも移動できるようになる。峠を越えたとたん昨日までの冬が信じられないくらい気候が変わった。

ほとんど坂の無いMackenzie Countryをひたすら走る。遠くに目をやるとアルプスの山々が一面に広がるすばらしい景色。右を見ても左を見ても前を見ても高い山脈に囲まれていた。晴れて景色が良いと、ひとりで自転車をこいでいても飽きません。

Lake Tekapo直前には最後のひと踏ん張りと思われるちょっとした丘があり、そこを越えるのが大変しんどい!!ここを越えれば・・・湖が見えるかもしれない、と考えがんばってみました。そしたら看板が!!

よぅこそLake Tekapoへ!
看板が見えた瞬間は、まだ湖を見ていないのに感動しましたね〜

丘を越え、もう3km進むと下り坂になり、待望のLake Tekapoが見えてきた。


今夜の宿泊はユースホステル。ここのラウンジから見える景色はこんな感じです。

すごい眺めでしょ。これでも1泊2000円以内。

昼間は暖かく走りやすかったけど、夕方からは極寒の地に。標高が高いから当たり前です。それでもYHには暖かい暖炉が2つもありその周りでいろいろな国のひとが集まって、読書したりパズルをやったりおしゃべりしたりピアノを弾いたりチェスをやったり人生ゲームをやったり日記を書いたりと、思い思いのことをしている。

この日は団体のMagicBusが到着し、YHは満室でした。
ちょうどラグビー、ニュージーランド対イギリス連合チームのLions Cupという4年に1度の大きな試合があり、YH内にもイギリス、アイルランド、スコットランド、ウェールズからの応援団が混じっていた。彼らはおそろいの赤いユニフォームを着ている。夜遅くまでビール片手にテレビでラグビー観戦するのだ。



2005年06月11日

運悪く(運良く?)一日中雨(写真なし)

朝から雨が降り続く。歩いて外に出ることもできないくらい本格的な雨。
チェス相手を探して昼間からビールを飲む。
自転車で移動中に雨じゃなくて幸運だったけど、きれいなTekapoを楽しめないので運が悪い。

雨が弱くなってきたので早めの夕食。日本人の間でウワサになっている
Tekapoの和食レストラン「湖畔」へ食べに行った。メニューの中では
サーモン丼が有名で、Tekapoに来たら日本人はサーモン丼を食べることが
慣わしとなっている(らしい)。

そこで自分も「湖畔」レストランへ行き、席に座った。
ふと思ったのだが、日本人といえばサーモン丼という、型にはまったのが嫌になってきた!
はじめはサーモン丼を食べようとしたけど、注文は「カツ丼ください」だった。
これで個性派日本人になれた!?
レストランの従業員も「あ、日本人のお客さんだからサーモン丼を注文するわ」
と思っていたのだろうか?そこまで考えていないかもしれないけど、確実に従業員の
おばちゃんの顔つきがドキッとした感じだった。

そして面白かったのが、日本食レストランだから緑茶を持ってきてくれるんだけど、
その時に「お茶どうぞ」とか、「いらっしゃいませ」というのが一般的だろう。
しかしそこの日本人従業員の50歳くらいのおばちゃまは、お茶をテーブルに置くとき、
「YES」とひとこと言って去っていった。
はいどうぞの意味なのだろうか。



2005年06月12日

見たことがない眺めその@

昨日の雨がウソのような快晴!YH前にはMt. Johnという1031mの山がある。頂上まで自転車で登ることにした。クッキーと飲み物を持って。
このページはこれ以上言葉はいりません。
天国を想像させるような景色をどうぞ。









ここは標高約1,000mずいぶん高くまでのぼってきたものだ。寒かったけど頂上で1時間以上
ボケッとした時間を過ごした。見たこともない大パノラマで、空は青く澄み渡り、その青が湖に映って同じ色になる。そして眼下には雲がたなびく。足元には所々に雪が。



2005年06月12日

見たことがない眺めそのA

Mt.Johnをくだり始めた。

↓↓↓後から知ったのだがこの道を自転車で走ってはいけなかったのです。
↓↓↓本当にごめんなさい!

↓↓↓テカポといえば日本の旅行パンフレット表紙などにも使われている教会が有名。





Mackenzie Countryという高原地帯の名前の由来はこの犬が関係している。



2005年06月12日

格安サーモンはここで!

テカポを訪れる日本人は「湖畔」レストランで生サーモン丼を食べるのがならわし?のようになっているが、貧乏旅行者にとってサーモン丼の値段は決して安いものではない。確か$14。

そこでひとつ裏技を!

提供されているサーモン丼のサーモンは、テカポ近くの養殖所から運ばれてくる。だったらその養殖所に直接行けばもっと安く手に入るはず!と思い、テカポから約40km離れたSalmon Farmへ行ってみた。そこではサーモンの切り身を何種類か売っていて、皮付き、皮と骨抜き、スモーク、真空パックなどがあった。自分は皮と骨を抜いた刺身用を購入。なんと250gで$8。 250gといえば、サーモン丼大盛りで2人分の量だ!ひとり分のサーモン刺身は$4で手に入る!なんと店で食べる3分の1以下の値段で。白いご飯はひとり分ほんの数セント。

この日はYHで知り合った日本人男性が車で旅行していて、その人の車でサーモンファームまで行った。往復のガソリン代などを含めても安く新鮮なサーモンが手に入る。ユースホステルに戻ってから早速ご飯を炊き、買ってきたサーモンを刺身用にスライスする。他の宿泊客に韓国人がいて、やはり刺身が好きなようで購入できる場所を聞いてきた。
ご飯も炊きあがり、どんぶりの上にサーモンを大量に乗せ、しょう油とわさびで超贅沢な夕食!
忘れられない味です。

サーモンファームの場所

テカポを通っている国道8号を西(Mount Cook方面)へ
                 ↓
約2km進んだ所を左に曲がり、左右を木に囲まれた道を進む。
                 ↓
しばらく行くと広大な景色が広がり、テカポ湖→プカキ湖を結ぶ水路に出る。

                 ↓
水路脇左側の道をひたすら水路に沿って進む。
                 ↓
途中、国道8号線を横切る。なのでここから水路脇道に入ってもよい。
                 ↓

ひたすら水路を進むと突然1つだけ建物が見え、水路に大きな設備が見える。
                 ↓
建物の中で刺身用サーモンなどの販売と、水路の反対側では
養殖されているサーモンに餌付けや釣りができる!
残念ながらその場で食べることはできなさそうですが。

車でテカポを訪れた方は簡単にいけますので是非おすすめです。
自転車でテカポを訪れたかたは水路側道の風に注意。



2005年06月13日

Tekapo Hydro Canal & Mount Cook@

3泊したテカポを曇り空のなか出発。55km先のTwizelを目指して。
昨日まで晴れて暖かかったのにこの日はあいにくの曇りで極寒。
↓↓↓TekapoYHA入り口

テカポの町からしばらく進み国道をはずれると、Tekapo Hydro Canal Roadに出る。
Tekapo Hydro Canal というのはテカポ湖と隣のプカキ湖を結ぶ人口の川。その川沿いに舗装された広い道がひたすら続いている。普通、車の場合は国道8号を進むのだが、この水路沿いを進むと交通量もほとんど無く、景色もいいし、途中にサーモンファームもあり観光用ルートとして開放されている。

テカポの水は、氷河によって削られた土の成分が溶け出して青い色をしている。そしてこの水路もテカポの水がそのまま流れてきているため日光の加減によってはエメラルドグリーンに見える。

↓↓↓水路は写真左の大地よりも一段高い所に作られていて、常に高台を走ることになる。そのため強風が吹くポイントとして自転車乗りを悩ませる場所だ。運良くこの日は弱い風で助かった。

Canal Roadを終点まで走ると、水路の水は発電所に入っていく。そしてその水は写真に映るLake Pukakiへ流れ込む。この湖もテカポと同様に、氷河に削られた土の成分が溶け出し、写真のような神秘的な色をしている。この日はどんより曇り空だったにもかかわらずちゃんとその色を見ることができた。晴れていたら最高なんだろうな〜。

プカキ湖の色が雲に反射して、雲の色まで青色になる。湖の上だけ青色で、その他は灰色。

Canal Roadから国道8号へ合流し、プカキ湖を通過して10km進むと今日の目的地Twizelに到着。小さな町の中にはいくつかの宿があるが、そのなかでも一番見た目がよさそうなMountain Chalet Motelに泊まることにした。ここはモーテルが主だけど一部バックパッカー向けに格安の部屋を開放してくれている。




2005年06月13日

Tekapo Hydro Canal & Mount CookA

午後1時に到着したMountain Chalet Motelのバックパッカーユニットには、自分のほかにイスラエル人Pashaが先についていた。彼はオーストラリアで働いていて今は2週間ニュージーランドをレンタカーで旅行しているそうだ。

まだ日が暮れるまでかなりの時間があり、これからどうしようか二人で話した結果、Twizelから70km離れたMount Cookのふもとまで彼の車で行くことになった。
Mount Cookまで自転車で行ってみたかったけど、あまりにも季節外れということと、体力的にきつくて今回はあきらめていた。ところがPashaが連れて行ってくれるのでラッキー。

午後になると厚い雲もなくなり、晴天に変わった!!俺は曇り男でPashaは晴れ男か?


↓↓↓尖がった山がNZ一番高いMount Cook!!Pashaは時速140km以上でつっぱしるのであっという間に山が近づいてくる。毎日自転車で、早くても時速20kmくらいの世界なのに、車の時速140kmの世界に目が追いつかない!こんなに車が早いとは。

Mount Cook Villageに到着し、数あるトレッキングコースのうちHooker Valley Trackを歩くことにした。駐車場から片道1時間半の中級トレッキング。

歩きはじめて20分ほどの所でつり橋を通過。
写真ではうまく伝えられないけど、信じられないくらい迫力のある大きな山が、すぐ横まで迫っている。ときどき雪崩のゴーっという音が聞こえる。



↓↓NZ最高峰Mount Cook

Hooker Valley Trackは、氷河の侵食でできた湖まで歩いていけるのだが、この日は夕方近くになり暗くなってきたので途中のシェルターまで行き、4時に引き返した。歩き始めたときはまだ普通の水溜りだったところが、帰り道は凍りついていた。Pashaの鼻は寒くて真っ赤でした。

テカポからTwizelまで55km自転車で移動し、そのあと往復3時間のトレッキングをした。歩き終わったときはクタクタに疲れていた。Pashaは元気満点だった。この日は昼まで寝ていたらしい。
宿に戻ってからは温かい食事を作りイスラエルの車事情や、オーストラリアの話を聞かせてもらった。イスラエルの若者は兵役を終えた後、このような自由な旅行も楽しむことができるそうだ。彼自身も軍人だったが、ずっとオフィスワークだったとのこと。彼はものすごく私に気を使ってくれた。とても気があった。



2005年06月14日

Twizel→Otematata

昨日の午後から夜にかけて、月と星がクッキリ見えるほど晴れていたのに、今日はどんより曇り空。やはり自分は雨男までいかないけど曇り男だ。しかも極寒。
Twizelを出発して半分進んだ所にOmaramaという町がある。ちょっと早めのランチタイムをとる。しっかりと装備を身に付け、手袋までしているのに体は芯から冷え切っていた。暖かいメニューを食べているのに寒さは一向におさまらない。向かいのテーブルに座った長距離バスの運転手には、この時期自転車旅行をしていることに関してここでも変態扱いされた。確かにこの寒さの中自転車旅行はまずいだろう。

ここOmaramaで1泊しようかとも考えた。しかしまだ昼過ぎだし、30kmしか進んでいない。
次の町Otematataへ行くことにした。Otematataまでは残り25km。その間にAhuriri Passという標高500mの大きな峠を越えなければならない。

どんよりした曇りで、景色もいまいち。無心でペダルをこぎ続けてAhuriri Passまで到着した。ダラダラと長い坂が続いていつの間にか頂上へ着いた。
↓↓AhuririPassの頂上から、これから向かうOtematata方面を見る。
   青くきれいな人口の湖が小さく見える。

500mの峠を越えた後は当然下りが待っている!20kg近い荷物を搭載した自転車は、一度スピードに乗ると気持ちよく安定して坂を下ってくれる。寒いことを除けば最高の一瞬だ。

AhuririPassを気持ちよく下り終えると、すぐそこにはOtematataの看板があった。
ユースホステルが1件と、小さな商店があるだけの小さな村。一昔前はダム建設の人たちでにぎわったということだが、今は冬ということもあるのかシーンとしている。

すぐにユースホステルを発見し、受付を探した。しかし受付はなく、そこには電話がひとつ置いてあった。そしてホワイトボードにメモ書きが。
「御用の方はこの電話番号にお電話ください」とのこと。
電話を掛けるとおじさんがでた。
「実は今、YHのオーナーは緊急入院して誰もいないんだよ。でも泊まってもOKだよ。部屋はどれを使ってもいい」

早速荷物を運び込んで暖房を入れた。
夕方になるとオーストラリアからの旅行者がひとり到着。大変心強かった!なにしろひとりで大きな建物の中にいるとちょっと不気味なものがある。

夜にはカレーライスを作り、ビールとワインでラグビー観戦をした。彼は熱狂的なラグビーファンで到着したときからオーストラリアワラビーズのユニフォームを着ていた。

カレーライスはレトルトのあたためるだけのやつで、それにチーズとタバスコを入れて食べる。



2005年06月15日

がんばった95km終点!

次の目的地を、どこにしようか迷っていた。というのもOtematataからすぐ隣の宿泊施設がある町はたった28km先のKurow。その次になると95km先になる。Kurowにある宿は以前会った自転車旅行者に聞いたところ、最悪なバックパッカーだという。しかし95km先となると、かなりハード。
とりあえずどちらにするか決めずに走り始めた。

ここOtematataは標高300mで、これから向かう方向は目には見えないような緩やかな下りの道になっている。追い風と下り坂で順調な走り出しだ。出発して走り始めるといくつか人口の湖を通り過ぎた。たとえ人口の湖だとしてもきれい!

すぐにKurowまで到着してしまい、時間はまだ午前11時にもなっていない。もし次の町Oamaruまで進むとなるとあと70kmくらい走らなければならない!自転車旅行を始めてからずいぶん体力もついたみたいだし、時間もまだ午前なので次の町まで進むことに決めた。このまま追い風が続いてくれることを祈るのみ。

本格的な真冬に入り、昼前になっても写真のように道路脇は凍りついている。

この写真を撮った直後にガラスを踏んでパンクした。近くにあった農機具販売店の駐車場でパンク修理をするが、寒くて寒くて手が思うように動かなかった。修理し終わり走り始めようとしたら、昨日ユースホステルで一緒だったオーストラリア人が車で手を振りながら走り去っていった。さぞかし車の中は暖かいだろうな〜。

お腹がすいたので走りながら店を探したが、Kurowを出発してから結局1件もなかった。非常食用のスニッカーズとサラミのみで栄養補給して再出発。
午後3時頃、やっと目的地のOamaru(オマルと呼ぶ人とオアマルと呼ぶ人がいる)に到着!

今日の走行距離は95km。自転車旅行開始初日以来の長距離走行だった。荷物を自転車からおろして即座に遅めの昼食をとった。調理もめんどうなのでインスタントヌードルに玉子を落として即席昼食。
Oamaruは人口13,000人の中規模の町。暗くなる前に大型スーパーへ買い物。10日ぶりに大きなスーパーマーケットで買い物ができ、不必要と思われる食べ物や調味料まで購入。まぁ衝動買いというやつです。

今回の自転車旅行の最終目的地は数日前に通り過ぎたLake Tekapoだったが、もう少し走れそうなのでここまで来た。でも南へ下るにしたがって寒さは強烈になり正直言うと耐えられなくなってきている。スタートのオークランドからテカポまで走れ、しかもその先のOamaruまでこれたのだから本当に満足だ。進もうと思えばもうちょっと行けるのかもしれないけど、NZの残り滞在期間2ヶ月間は他にやりたいことがあるのでここOamaruで自転車旅行は終了することにした。

これから先は・・・・・!!



2005年06月16日

ゆっくり体力回復を

95km走った後はやはり疲れたらしく、朝9時半まで寝てしまった。朝食にクメラポテトフリッター(マクドナルドのハッシュドポテトみたいなもの)を食べた。クメラは日本のサツマイモのような形をし、味は甘い。甘いハッシュドポテトを朝から食べてちょっと胃もたれが。冷凍されていたので、袋から出すときに滑って2つ落としてしまった。

寒いので外に出ず暖炉の前のソファーで読書して過ごす。ビジターブックがあり、日本を含めたくさんの国々からの旅行者が書き込みをしている。旅のガイドブックを持ち歩かない自分にとってはこのようなビジターブックが旅行ガイドになることもある。


ここのユースホステルには1匹のネコがいてとても人なつこい。ソファーに座っていると猫はひざの上に乗ってくる。



OamaruYHのもうひとつの名前は「Red Kettle」赤いやかんだ。下写真に写っている赤いのがそのやかんで、ずっと昔だれかが拾ってきて、今は郵便受けとして使われているみたいだ。



2005年06月17日

レンタカー予約

今日もいまいち疲れが残っているが思い切って洗濯後外に出かけた。
町並みはOamaru Stoneと呼ばれる地元産の石でできた建物が点在する。

↓↓ビジターインフォメーションセンター




↓↓↓教会

OamaruStoneも有名だが、この町は野生のペンギンが上陸することでも有名。世界各国からペンギンを見に来る観光客がたくさんいる。2箇所のペンギンコロニーがあり、人間がこれ以上開発しないように、完全に管理されている。ブルーペンギンとイエローアイペンギン。私はペンギンに興味なかったので有料のコロニーには行かなかったが、有料コロニーでは毎日必ずブルーペンギンの上陸が見れる。

もう1箇所のコロニーは無料で、急坂を登り町のはずれにそれはある。
この急坂を自転車で登るのはとても大変でした。

登りきった所には町が一望できる展望台がある。冬のこの時期は家庭で薪を燃やして暖をとる。そのためこのOamaruのみならずNZ南島では煙による大気汚染が問題となり、新聞とテレビでは毎日、今日の汚染指数を発表している。写真でも分かるとおり、町には煙が立ち込めている。

イエローアイペンギンコロニーに到着。

髪切りたい。右足に巻いてあるものは、自転車のチェーンが当たらないようにするためです。普通は自転車から降りたときにはずすんだけど忘れていました。

この建物からそーっとペンギンを見ることになる。イエローアイペンギンは日が暮れてから陸に戻ってくるので、この時間帯はまだペンギンはいない。

高台からペンギンをみるので、たとえペンギンが陸に上がってきたとしても小さくしか見えないでしょう。やはりちゃんと自然のペンギンを見たければ有料のもう一箇所のコロニーへ行くしかないのか。夏場になるとペンギンが町の中を歩き、道を横断するとのこと!家の軒下に入り込んでしまい、そこで子育てをするペンギンも現れる。

↓↓↓The Last Post Pub

宿に戻りイエローページ(電話帳)でレンタカーを調べ、クライストチャーチの会社にいくつか電話してみた。AVISやHEARTZなど大手のレンタカーは1日あたり安くても40ドルくらいし、とても長い期間借りられない。NZ国内のみの比較的中小のレンタカー会社は1日23ドル〜25ドルが相場。
イエローページで番号を調べ、電話しまくった結果、一番安くて保障もしっかりしたGo Rentalsという会社を発見した。1日19ドルで保険からすべて込み!6月21日から借りることになった。



2005年06月18日

バスでChristChurchまで

朝9:30のインターシティーバスに乗り、3泊したOamaruを後にした。ラグビーライオンズカップの影響でバスは満席。私は体のほかに荷物と自転車をバスに積まなくてはならず、バスを予約した日に、もし満席で荷物室に余裕がない場合は9:30のバスにはなれないかもしれない。と言われていた。実際は荷物室はガラガラで問題なく自転車をバラさず積んでくれた。

土曜日の朝ということと、田舎町ということもあり車の数も人通りも少ない。
クライストチャーチを自転車で走り始めて以来の信号機です。

NZの車社会は日本とは逆の常に右側優先。日本と同じ左側通行だが優先順位が逆なので慣れるまで気をつけなければ。
右側優先とは、例えば交差点を自分は左に曲がりたいが、同じく対向車が右折したい場合、まずは自分の右前に見えている対向車を先に右折させてから、やっと自分が左折できる。大きな十字路の信号機は、まずはじめに右折矢印が青になってから直進が青になる。

右折優先の車社会だからこそ、この国にはラウンドアバウトという交差点が機能する。


バスは順調に進み途中のTimaru、Ashburtonを通り午後1時半にChristChurchに到着。予約しておいたChristChurchCityYHAにすぐチェックインして、昼食にパスタ料理を作った。





2005年06月19日

Mt.Pleasant(500m)そして夕食は・・・

隣で寝ている人は、昨日の夜自分と話した内容だと、今日は早朝に起きてバスでWellingtonまで行くといっていたはず。どうやら前日飲みすぎたらしく寝坊したそうだ。突然ベットからすごい勢いで起き上がり、時計を見て「SHIT!」と言いまた寝てしまった。

天気は最高によく、自転車でChristChurch市内にある山へ登ることにした。
ひたすら5kmは急坂の登り。体を鍛えているトライアスロンレースに出場しそうな人たちがたくさんいて、彼、彼女たちは必死で登っている自分を横目に「Hi!」と一声掛けて抜かしていく。こっちはHI!なんて気分じゃないよ〜。Mt.pleasant 頂上まで着くと、標高は500mだった。そりゃ疲れるよ。

500m級山の山頂に沿ってSummit Roadという舗装された道がある。周りに遮るものがなく最高の景色と強い風が吹く。追い風だったらすばらしいのに向かい風。

リトルトンの港。ここから南極探検隊が出発したそうです。


↓↓↓Sign of Kiwi

↓↓↓Sign of Takahe

Sign of KiwiとSign of Takaheは地球の歩き方などガイドブックに載るくらい有名な建造物だが、その本当の意味を知っている人は少ないだろう。ガイドブックには、「景色のよいサインオブタカヘで豪華な昼食!」とか「日本の有名人が結婚式を挙げた場所」とかいう案内が載っている。

クライストチャーチとアカロアという港町を結ぶ街道沿いにこれらの建物はあり、昔はこの500mくらいの山脈を越えなくてはならなかった。山を越える人たちのために造られた施設だということが本来の意味。この2つ以外にもいくつかSign of〜というのがある。

登りは大変だったけど当然下りは最高に気持ちいい!!長時間ダウンヒル。
ちょこっと自転車で走るつもりが、この日は気づいたら40km以上走っていた。

運動した後の夕食は、韓国焼肉店でユッケジャンスープ、ユッケ、そしてレバ刺し!!豪華です。



2005年06月20日

町をぶらぶらその後競馬

自転車での長距離移動をやめたとたん、毎日空は晴れ渡っている。どうして?
昨日に比べて、かなり気温は下がった。とは言ってもTekapoやOamaruといった南の町より暖かい気がする。手袋をし、ジャンパーを着て完全武装で町へくりだした。

5月にチェスを覚えてから、どうやらかなりはまってしまったみたいだ。いろんな場所でチェスを見つけては相手を見つけ、毎回負けて。何十回も勝負してきたのにまだ10回も勝っていない。やはりセンスがないのだろう。クライストチャーチ大聖堂前には写真のような大きなチェスが設置されている。希望者同士、無料で勝負できる。見ているだけでとても勉強になります。


チェスを見ていて、ふと右を眺めたら、出没!日本人団体旅行客!!俺もカメラを構えたけど、彼らもやはりカメラを構えている。パチっと撮った後はすぐバスに乗りどこかえ消えていく。これがパターンです。

日本名 追憶の橋
第1次世界大戦の時に、出兵する人たちがここをくぐっていきました。戦争はいけないと分かっていても、平和のためという名目でイラクに出兵する、時代遅れの大国があることを考え直さなければいけません。いつか大国は孤立してしまうでしょう。

クライストチャーチの街中をひととおりぶらぶらした後は今回もまたTAB(競馬)に夢中でした。



2005年06月21日

レンタカーの日

朝9時にレンタカー会社の人が、今泊まっているユースホステルまで迎えに来てくれる。カローラで迎えに来るということなので9時前からYH前で待っていたが、到着したのは9時15分だった。レンタカー会社のオフィスはすぐ近くなのだが・・・。数日前に電話でした予約がちゃんと伝わっていなかったのか、かなり不安な数分間だった。でも無事にGO RENTALのおにいさんが迎えに来てくれた。さすがNZ、時間に遅れてもおかまいなし。

ニュージーランドを1週間のみ旅行する日本人男性とユースホステルで知り合い、自分のレンタカーを数日間シェアすることになった。こちらもレンタカー・ガス代が安くなるし彼もバスで旅行するよりもかなり安上がりでまわれるので大変よい。

今まで自転車移動だったので食料を限られたものしか運ぶことができなかったが、今日からは車での移動。思う存分野菜でも調味料でも運ぶことができる!クライストチャーチのアジア食材店で大量に仕入れ、トランクに収納する。

クライストチャーチを出発し、途中に2週間前通り過ぎたMethvenに立ち寄った。
ここでは友達がまだ働いていて、彼に荷物の一部を預けていたので引き取りに。お礼にアジア食材店で購入した野菜とインスタントラーメンを。

時間は昼過ぎ。数日前に自転車で通ったのと全く同じ道を使いTekapoへ向かった。
自転車で苦労した峠も車では楽々!天気も最高で暖かい。

↓↓↓峠頂上にある1件のカフェ。6月9日に自転車で通過した時は凍える寒さでカフェの暖炉が最高に感じた。

TOYOTA COROLLA 1500ccAT 長距離を走る車ではなく、長時間の高速移動はかったるい。でもさすが日本車。燃費が最高によい!1リッターで18km走る。超激安レンタカーなので仕方はないが、オーディオが壊れていたり助手席側のスピーカーが鳴らなかった。何しろ安いからOKとした。

言うまでもないが車は本当に楽だ。自転車で5日くらいかかった道のりを、車はほんの数時間で走り抜けてしまう。あっという間に10日ほど前にいたTekapoへ到着した。
Tekapoにあるお土産屋さんの看板です。がんばって日本語書いたんだろうな〜。



2005年06月22日

再びMT.COOK Hooker Valley

TekapoYHAのオーナー女性は突然日本語をペラペラ話し始めることが判明。日本留学経験があるそうだ。それにしても突然日本語で話されるとびっくりする。

Tekapoを1泊だけして、自転車で通ったのと同じ水路沿いの道を使った。もちろん途中のサーモンファームで生サーモンを購入。今夜はサーモン丼です!

前回Mt.Cook Villageに行ったときは夕方で、急いで宿に戻った。リベンジというわけではないがもういちどHooker Valley Trackを歩こうと思った。ランチや水を持ち午前中からスタート。

↑↑↑写真奥から手前に向かって車で進んでくる。そしてこの谷がMt.Cookビレッジ
    感動を超えたすばらしい景観が360度広がる。

↑↑↑この時間帯、池の水は凍っていないが、前回来た夕方は凍っていた。

↓↓↓流れている川の色はエメラルド。これがプカキ湖へと流れていく。


↓↓↓ここがHooker Valley 氷河が解けてできた池がある。
    ちょっと分かりにくいけど池の奥に見える黒い塊は氷河の末端。

↓↓↓氷河が崩れて池には氷が浮いている。



2005年06月23日

Lindis Pass(965m)→Lake Wanaka

もし寒さに耐えることができたなら、自転車で越える予定であったLindis Passを車で通過。


宿泊していたTwizelから今日の目的地Wanakaまではたいした距離はなく、昼前には到着した。男2人で何をしようか考えた。結局WanakaにあるPUZZLING WORLDへ行くことにした。部屋が傾いていたり人間の目をだますような仕掛けがそこらじゅうにしてあって、ちょっと気持ち悪くなってしまった。


昼食は湖畔近くでチキンアンドチップスを食べた。フライドチキンとフライドポテトのセットである。こりゃ太るぞ。

午後になってからWanakaYHAにチェックインして車を置いて、車後部座席に積んであった自転車で湖畔を散策。とても小さな町で自転車を使ってすべてまわれる。スーパーで買い物したり湖畔のベンチでボケッとしたりゆったりした時間をすごした。

これからの時期はここWanakaはスキー客で賑わう。ユースホステルにもスノボ目的の20歳くらいの日本人少年がいて、夜は彼と、宿泊している韓国人4人とくだらないことを延々と話した。それを見ていたイギリス人のおじさんは、「君たちはなぜ英語で会話しているんだ?」と聞いてきた。
どうやらこちら2人は日本人で、他4人は韓国人なのだが、イギリス人にとっては見た目は同じ。自分たちはわざと英語で会話しているものと思っているらしい。それに日本と韓国は隣の国なので言葉が通じると本気で思っているようだ。
私たちは日本と韓国からの旅行者で、言葉が通じないことを説明し、イギリス人のおじさんも交えてどうしょうもない話を再開した。いわゆる下ネタというやつでした。彼ら韓国人は日本のAVが大好きで、自分と一緒にいた20歳の日本人はAVにやたら詳しかった。




2005年06月24日

映画撮影で使われた

Wanakaにもう1泊したいくらい居心地がよかったが隣町のQueens Townへ向かうことに。車でわずか1時間半の距離なのでゆっくり進み、途中のCromwellで休憩。日照時間が多くてフルーツやワイン葡萄畑が点在。道端の店で大量のオレンジを買い込んだ。


クイーンズタウンには昼前に到着してしまい、早すぎてまだ泊まる予定のユースホステルにチェックインもできない。町中心部から50km離れたGlenorchyまでドライブした。走り始めてすぐに車が横転事故を起こしていた。寒さのあまり路面が凍結して事故を起こしたらしい。
Glenorchyは映画ロードオブザリングの撮影で使われた場所とのこと。映画で使われるくらい最高の景色が広がる。

↑↑↑ワカティプ湖沿いの景観のよい道をひたすら進んだ。








2005年06月26日

雪降ってきちゃったよ

ここ1週間は日本語での話し相手がいたけど今日からはまた一人での移動になる。やっぱりひとりのほうが気楽でいいかも?!

これを書いている今(2005年12月14日)は日本全国大寒波で大雪になっているそうだ。東京でも初雪が降ったらしい。自宅付近も朝の最低気温が2度で最高が8度。ちょうどQueens Townにいたときもこれくらいの気温だった。
これくらいの気温になると夜中降る雨は雪になる。移動する今日は夜中に雪が降ったらしくまわりの山は白く変わっていた。


休憩したGarstonという、レストランが1件のみある町は10cmくらい雪が積もっている。道路に雪は積もっていないがタイヤチェーンを持っていない自分は慎重に運転した。

道がうっすらと凍っているのが分かります。


今日移動してきたところはTe Anauという、Milford Soundへの玄関口。観光拠点なのでレストランやみやげ物屋が点在し、不便はない。


↑↑↑左側の白い建物内で日本のふりかけが売っていた。日本の100円ショップで売ってそうなふりかけが8ドルくらいした。それでも久しぶりに食べたくて買ってしまった。
↓↓↓ユースホステルにチェックインしてから自転車を組み立て、町をぶらぶらした。

部屋から中庭の眺め。



2005年06月27日

Milford Sound @

ニュージーランド6度目にして、初のミルフォードサウンドへ行くことにした。昼12時20分の船を予約してあるので、それに間に合うようYHを出発する。Te AnauからMilford Soundまでの片道は120km。通常の道なら2時間でいける距離だけど、標高900mの峠を越えたり、凍結した道が予想されるので朝8時半に出発。8時半なのにまだ暗く、ところどころ凍結した道を気をつけながら進んだ。

途中でMirror Lakesという小さな池に立ち寄った。無風のときが多く、鏡のような水面に周囲の景色がそのまま写る。ここにある看板はわざと逆さに「Mirror Lakes」と書かれている。

標高が増すにつれて雪が増えてきた。出発前日、Te Anauのガソリンスタンドでタイヤチェーンを借りようとしたら、道は全線除雪済みだからチェーンはいらないと言われた。いざ周りに雪が増えてくると、安心の為やっぱり借りておけばよかったと感じた。結局必要なかったけど。

峠頂上に到着。Homer Tunnelという1200mくらいのトンネルがある。トンネルがスタートする峠頂上から、10%の急勾配の下りになる。道幅が狭くセンターラインも引いていない。しかもトンネル内にはほとんどライトがなく真っ暗。夏場の自転車旅行者向けに、なるべく公共交通を使ってトンネルを越えるように注意書きがあるくらいだ。


トンネルを越えるとひたすらミルフォードサウンドに向けて急な下り坂。テアナウからホーマートンネルまで100kmかけて徐々に登り、トンネルからミルフォードサウンドまでほんの10数キロで下る。極端なんだよ。

↓↓↓これがMilford Sound(入り江)氷河の侵食で出来上がった。これは湖ではなく海。そして写真中央左に写っている切り立つ山はMitre Peak(標高1692m)。水面から一直線に1692mの絶壁が!すごい迫力です。

船が出るまであと1時間弱あるので1箇所だけあるカフェで超高いコーヒーとチキンパイを食べる。Milford Soundは一番近い町まで120km離れているので物資を運んだりゴミを処理するだけで大変。どうしても食べ物は高価になってしまう。一応あるガソリンスタンドも通常価格の2.5倍。仕方ないことです。昼食用に白いご飯とアジアマートで買ったキムチとかふりかけを用意したので車内で食べた。

クルーズ船受付ターミナル

このバスの形は急坂を登るよう?前席よりも後ろのほうがせり上がってます。


ミルフォードサウンドクルーズを行う会社は全部で4つほどある。一番大きな船はレストランが付いていたり    夏場はカヌーを一緒に積んでいたり、船内で宿泊できたり。私が選んだ船は、テアナウユースホステルのおねえさんおすすめの、一番小さなクルーズ船。この船のいいところは他の船よりも移動距離が多く、主要ポイント以外にも小さい船ならではのポイントに立ち寄ってくれるサービスがある。一番小さな船なのに値段は決して一番安くない。出発ターミナルには日本人がたくさんいたが、この船には自分ひとり。

船内では無料のコーヒー紅茶サービスがある。外は雪が降るくらい寒いけど船内は快適



2005年06月27日

Milford Sound A

Milford Soundは1年のうち大半は雨が降る。この日はポツポツ少しだけ降っていた。

V字型になった入り江をタスマン海に向けて船は進む。
言葉にならないはじめて見る景観と迫力。



↓↓↓入り江を出るとそこには別世界のタスマン海が広がった。入り江は波がなく静かだったけどタスマン海は高い波で船は大揺れ。海に出たとたん晴れ、環境がまったく違うことを実感。



タスマン海からミルフォードサウンド入り口を見たところ。


入り江を戻る途中、雨が降ってきた。そのとき今まで見たことのない、ここは天国かと疑うような素晴らしい虹がかかり思わず感動。常に姿を変えるフィヨルドは心から感激。

↓↓↓船に並走してアザラシが泳ぐサービスをしてくれました。イルカが泳いでいるときもあるそうです。




2005年06月28日

Monowai→Invercargill

Milford Soundを満喫した後Te Anauを通り過ぎてMonowaiという所まできた。メインの通りから10km未舗装路を入ったところに登録されたばかりのユースホステルがあった。この季節に泊まる客はほとんどいなく、部屋は自分のみ。

朝食のトーストとインスタントスープで温まり車を走らせる。目的地は南端の町Invercargill。
あいにくの天気が続き降ったりやんだり。そんなときはたくさん虹が出る。

ガイドブックを持ち歩いていない旅行スタイルで、車を走らせ小さな案内標識を見つけては立ち寄っている。この日は
「Histric Bridge」という表示があったので車を止めた。
きれいな浅い川の上を古い橋が架かっていた。
1899年に造られたその橋は今は役目を終えているが当時は他に橋はなく賑わっていた写真があった。




InvercargillのYHに荷物を置いた後、最南端の町Bluffへ向かった。
ここBluffは私の大好きなBluff Oyster生産地である!!数あるオイスターの中でも最高の逸品であるBluff Oysterを求め町中を探した。ガソリンスタンドのおじさん、Takeaway Shopのおばちゃん、どこでオイスターが販売されているのか聞きまくった。まだオイスターシーズンは終わっていないのに長期間に渡る海荒れと、都市部へ良質なオイスターを大量に運んでしまったことで、せっかくの生産地では手に入らないとのこと。ずっと考えていたブラフオイスターを食べられずがっかり。

Bluffにあった標識です。東京9567kmは理解できるがそこになぜ熊谷9632kmがあるの?

Bluff Oysterで有名なBluffだから、TakeawaysではFish&ChipsではなくOysters&Chipsの表示が。
この店に入ってBluff Oysterフライを頼んだら、もう売り切れとのこと。オークランドで食べられて生産地で食べられないなんて・・・。

それでも意地になって探してどうにかBluff Oysterのフライをゲットしました。中国系のおばあさんがやっている
Takeawaysで。夕食はInvercargillのタイ料理。そして洗濯をして寝ました。



2005年06月29日

移動距離450km

インバーカーギルは朝からひどい天候で強風、雨、雷。この季節はこういう天気が続くそうだ。南端まで進んできたので次はどうしようか考えた。北上することになるのだが東海岸からか西海岸から迷った。9年前に自転車で通過した道をもういちど通ってみたくて西から北上することに決めた。

西海岸へ向かうには、昨日まで進んできた同じ道を戻ることになる。同じ道を同じような天気の中運転した。
Queens TownがあるLake Wakatipu沿いを、曇っているが気持ちよくドライブ。途中外に出てみるとあっというまに体は凍りつく寒さ。雪があるくらいだから寒くてあたりまえか。

↓↓↓クイーンズタウンを通過してすぐ、車が大渋滞。先で事故か工事でもしているのかと思ったらいかにも
     ニュージーランドらしい羊の大移動だった。羊の数はNZ人口より多いとはいえ、ここ数年で激減。
     その代わりに牛と鹿の農家が増えている。羊は手間がかかって羊毛も売れないそうだ。

午前中の寒くて曇り空がウソのように午後はこの快晴!!こういう時はひとりで運転していても歌っちゃったり楽しいことを考えられて最高のドライブ。

1500ccのカローラは時速100kmで走るより80km〜90kmで走ったほうが燃費がよい。一日中時速100kmで走るように心がけたときは1リッター当たり16kmの燃費だったが時速80kmで走ると1リッター当たりの燃費は18kmに延びる。ということは、ガソリンタンクいっぱいの50リッター分走行すれば、100kmより80kmで走ったほうが相当長い距離を走行することができる。日本車の経済速度(もっとも燃費のよい速度)は80km/hということだがこれで納得。聞いた話だがドイツ車の経済速度は120km/hだとか。

↑↑↑走行距離は20万キロを越えています。さすが格安レンタカー1日当たり日本円で1600円。
↓↓↓Wanakaも通過し、Lake Hawea沿いを進む。交通量も少なく運転しやすい。

↓↓↓20歳だった9年前はこの道をがんばって自転車走行していたと考えると不思議な感覚だ。



↓↓↓9年前の自転車旅行していた時、疲れて次の宿泊施設まで行けず、車がとまっている所にテントを張って
    1泊した場所。水もトイレも光も何もなくテントの中でインスタントヌードルを食べ、朝起きたときの絶景に
    感動した思い出の地。

自転車乗り泣かせのHaast Pass。564mの峠は、驚くほど急な上り。
日本だったら日光いろは坂や箱根のようにS字型のクネクネ道で作るところをこの国は真っ直ぐな道で作る。

↓↓↓ここHaast Passは進んできたOtago地方とこれから入るWestlandの分岐点になっている。

Westlandに入ると周りの景色は今までとは全く違うものに変化する。上記数個の写真では生い茂る森は見られないがここから先はRain Forestと呼ばれる森が広がる。Otago地方からほんの数キロしか離れていないのにここまで環境が変わるとは。人間がHaast峠を越えるのを大変なように雨雲にとっても大変なのだろう。年間降水量がNZ1番のこの地方は降水量が多い分緑の量も増える。WestlandはWETLANDとも呼ばれる。山肌に見える白いものは、すべて滝。観光名所にはなっていないがびっくりするくらい無数の大小滝が点在している。左右を2000m級の山に囲まれながら谷を進む。

Haastに到着。ユースホステルに泊まる。

ユースホステルでは夕方まで自分ひとりの宿泊者だったが、ドイツ人カップルが到着した後イギリス人の超美人
女の子2人がボロいワーゲンで到着した。大学を卒業したてでふたりで卒業旅行をしているそうだ。

彼女たちの古いワーゲンが次の日の朝動かなくなった。
その車は改造車で、セルモーターを動かすバッテリーのほかに車内生活用のバッテリーを積んでいるのだがその充電するシステムがどうやら壊れている。いくらバッテリーをチャージしても動かず、押しがけもできなかった。仕方なくAA(日本で言うJAF)を呼んだ。店が2件しかない田舎なのでAA到着まで1時間かかった。自分と同じ方向へこれから進むということなので、車が無事になおってまた逢えたらCafeにでも行く約束をした。



2005年06月30日

2つの氷河・NZ最小YHA

ロンドンからの2人組のワーゲンで苦戦したあと11時頃Haastを出発。昨晩は雨も降り山の頂上はうっすらと雪で被われた。エンジンも寒くてなかなか暖まらずYHを出てすぐに一旦車を止めた。

日本の道とは違い100km/hで車は走っているので、路肩に止めるときも要注意。でもこの日は向かってくる車も追い越していく車もほとんどなく快適。ただひとつ、サンバイザーが効かない日光を除けば。
夏はともかく冬の時期は真昼でも太陽はこの高さまでしか上がらない。日本では滅多にサングラスを使わないが、この国をドライブするときは、日光に強い日本人の目にもサングラスは必需品。余談だが、白人の目も皮膚も日本人に比べて日光に弱い。なのでみんなサングラスをし子供を光から守る服装やベビーカーを使っている。

Westlandは雨が多く湿度も多い。そのため森の木々は高く生い茂り、ほとんどの木にはきれいなコケがへばりついている。木の量も高さも太さも、いかにも「森」という言葉が合う。車を止めてエンジンを消すと鳥のさえずりと風の音のみ。

Haastから60〜80km/hでゆっくり走り、景色を楽しんだり止まってくつろいだり。
目的地のFox Glacier(氷河)に昼頃到着。Fox Glacierの最下部はわずか170mの標高。
こんなに低高度まで氷河がきているのは世界でもめずらしいそうだ。

国道からほんの数キロ入ったところにその氷河はある。駐車場から片道30分のハイキング感覚で、氷河真下まで行くことができる。


氷河は生き物。現在駐車場から30分の位置に氷河最下部はあるが、50年ほど前までは駐車場も氷河の中だったそうだ。温暖化の影響なのか氷河自体が数キロも後退してしまった。それでもここ数年はまた前進しているとのこと。
氷河は1日に数メートル動く。元はフカフカの雪が圧縮された硬い氷は、最後部で大きな音を立てて崩れる。当然のことながらそこに人がいたら大変なことになる。

↑↑↑こちらはFox Glacier
↓↓↓そしてこちらはFoxから北へ25km進んだ所にあるFranz Josef Glacier。

この2つの大氷河で、どちらかといえばこのFranz Josef Glacierの方が観光客向けに整備されている。近くに拠点となる小さな町がありそこから歩いてもこれるためだろう。私はFOXの方が気に入ったが迫力はどちらも期待を裏切らない

Franz Josef Glacier(マオリ語でWaiau)駐車場から歩いて数分の所にこのような鏡の池がある。

↓↓↓Franz Josefの町並み。モーテル・バックパッカーズ・ホテル・スーパーマーケット・ガソリンスタンド
     などの不自由ない施設が整っているが都市部から離れているので料金は高め。
      以前自転車旅行中、オートバイ旅行者と一緒にステーキを食べた思い出がある。

今日の宿泊はやっぱりいつも通りユースホステルだ。しかしいつもと違うのは、ここはNZ一番小さなユースホステルということ。部屋はたったの2つしかなくシャワーも付いていない。受付もない。

荷物を運び入れてから、最近運動不足なので自転車で近くを散策。
ここOkaritoという町は民家が数件あるのみで、食料などを売る商店は1件もない。歩いても端から端まで簡単に移動できてしまうほど小さな町。今では数件の家しかないが昔はゴールドラッシュで栄え数件のホテルと銀行があった。当時の写真を見ると別の場所みたい。

ここに泊まりたい時はまずベットに自分の荷物を置き確保する。そして夕方になると近所のおばちゃんが受付をしに来るので、その時に名前などを伝えて$15(約1200円)を支払う。
この日は自分のほかに自然保護を仕事にするブルースとFranz Josefのユースホステルで働いていて
5日間の休暇中の男性が宿泊者。ひとりだと心細いが3人いれば食事の後もいい暇つぶしになる。

2列3段ベット。この建物は昔は学校として使われていた。
ブルースはこのYHから5kmほど離れた所に住んでいるのだが、そこに行くには引き潮のときじゃないと着くことができないそうだ。この日は満ち潮で家に戻れないのでこのYHで1泊。電気もガスもないところで一人生活する彼はびっくりするくらい野性的な生活をしている。

彼の仕事はニュージーランド国鳥であるKIWIを保護する為、日夜森を歩き、キウィにとって有害となる動物を捕まえる仕事をしている。一昔前まではここOkaritoで巨大うなぎを捕まえる仕事をしていた。





トップへ
戻る