◇ 桜吹雪 ◇ おまけ

納谷医師の提案でテレポートが人体に与える影響を調べることになり、真っ先に被験者になることを希望したのはミロだった。
「同じ蠍座だからな。血も分けてるから義兄弟も同然だし。」
むろんこんなことを納谷医師に言ったわけではないが、テレポートのことを打ち明けた時点でかなり詳しくこれまでの経緯を話したので、なぜ心臓移植の際にミロが輸血の必要量 を一人で引き受けるという表向きにはけっして認められないことをしたのかという点についても十分な説明がなされて、納谷医師の疑問も氷解した。
「なるほど、そういうことですか。医学的にはとんでもない話ですが、宗教的にそうしたことが継続的に行われてきたのなら認めないわけにはいきませんね。それにしても血液量の半分を提供とは無茶な話です。よくも今まで無事で済んだものです。」
納谷医師が見ているのはミロのカルテで、かつてカルディアに輸血するために血液の半分を採血した時の記載らしい。

   そうだよな、俺もずっと前からそう思ってた
   ちょっと虚弱体質のやつだったら死にかねん!
   それはまあ、そのくらいのことを乗り越えられなきゃ黄金としての資質に欠けるっ
   てことだろうが、医者から見れば言語道断なんだろうな
   それにしても、あれって外部から見ると宗教的なのか?
   そんなことは思いもしなかった

「昔からそれが恒常的に行われていたのでしょうが、医療技術が発達した現在ならまだしも、消毒も点滴もない時代にみなさん、よく乗り切りましたね。私に言わせれば奇跡的で す。神が介在しているのであれば奇跡そのものですが。」
眉をひそめた納谷医師の意見はもっともで、カミュはちょっと頬を赤らめた。おそらく神話の時代から継承されてきた修復法なのだろうが、医学的見地からみればたしかに無謀だ ろう。
「できればその処置後はI C U に入って輸液と保温を心掛けたいのですが、よく今まで健康体に戻れましたね。」
「はあ……なにしろ私たちは半ば昔からのルールを踏襲して暮らしていますので。」
「そう言えば現代的とはとても言えないかもな。」
カルディアが苦笑する。

   俺とデジェルが実は243年前に死んでいたと言ったらなんて思われるんだ?
   絶対に信じてもらえないだろうから、言うだけ無駄だけど

「いったい傷口の縫合はどうしていたんですかね?近代はともかく、お話によると神話の昔から継承されてきたようですが、記録に残っていないだけで、黴菌が入って感染症で死 亡したケースもあったのかもしれないですな。」
「あの、それは……カルディアの手術創と同じで、私たちの中には傷の治癒能力を持つ者もいまして、その技術は代々継承されているのです。ですから採血後は体内の血液量が不足してはいますが、傷は一切残りませんし感染症にも成り得ません。」
「…あ!なるほど!そういうことですか。それは羨ましい話です。」
納谷医師はその技術を現代の医療に活用してほしそうだったが、事情が特殊すぎるので諦めたようだ。カミュも元の話題に切り替えることにした。
「ところでテレポートの件ですが、被験者はミロだけでなく複数のほうがよいのではないでしょうか。個人差があるだろうことを考えると被験者はなるべく多いほうが望ましいと 思います。」
カミュの発言はミロを少しがっかりさせた。ミロとしてはカミュの肌に心電図のモニターなどつけさせたくないのである。しかしカミュはそんなことには頓着しない。
「それならぜひ私も!」
デジェルも早速名乗りを上げて、カルディアを除く三人がこの極秘の臨床検査に参加することが決まり、その場で検査日ほかの詳細が決められた。

「じゃあ、俺から。」
胸に何箇所も心電図の装置から伸びた端末をつけたミロが診察室の中でほんの50センチほど移動してみせた。通常なら診察室のベッドに横になって安静にしている状態で心電図 を取るのだが、テレポートのときには立っているのが普通なのでミロも立位である。
「ほう!」
「実に素晴らしい!」
この日のために休暇を取ってアメリカから急遽帰国してきた池田教授も納谷医師とともに目を輝かす。 機械から打ち出されてきた心電図の用紙を二人で興味深そうに見てから、同じことをカミュとデジェルが繰り返した。この臨床試験に関わる人間は少ないほうがいいのでほかのス タッフはおらず、すべての作業は二人の医師が担当している。
「三回とも心機能に全く変化は見られませんね。血圧、脈拍も平常のままです。では二回目にかかりましょう。」
こうして次は東京の城戸邸、その次は登別の宿の離れ、そしてついにはギリシャ、と徐々に距離を伸ばして慎重に検査を繰り返し、その結果、テレポートは心機能になんら影響 を及ぼさないという結論を得た。 むろんそれぞれの検査のたびに心電図モニターを装着したまま現地にテレポートし、結果に影響が出ないように10分ほど身体を休めてから病院に戻ってくるという 念の入れようだ。
「俺も一回やっていいかな?」
心機能に影響はないという結論が出たところでカルディアがそう言い出した。
「あのときはいきなりテレポートしたから、今にも心臓が止まるんじゃないかと恐怖心でいっぱいになって、それで心臓がバクバクしたような気がする。でも、こんなに何回もテストして影響がないってわかったんだから俺がやってもいいだろ。こんどは大丈夫だって安心してできるからなんの問題もないはずだ。」
「でも……できるだけ無用なテレポートは避けるべきだ。万が一ということもある。」
しかしデジェルの反論にもカルディアは主張をひっこめない。
「無用じゃないぜ。世の中いつなにが起こるかわからん。すわ、という危急存亡のときに迷いながらテレポートして動悸が激しくなるよりも、こんなのなんてことないって確信して余裕たっぷりでテレポートしたほうがいいに決まってる。俺はぜひ試したい。」
それももっともだというので、このカルディアの意見をみんなで検討した結果、室内で1メートルほど移動してみることで話がついた。
「大丈夫だよ、確信してるからやってみるんだし。」
それでもまだ不安そうな デジェルをなだめておいてからモニターを装着したカルディアがテレポートを実行した。
「ほら、平気だ。なにも変わりがない。」
機械から打ち出されてくる用紙の波形を一瞥した二人の医師も、
「大丈夫です、異常は認められません。」
と太鼓判を押してくれた。
「よかった!」
焦眉をひらいたデジェルはそれでもまだ不安を完全にはぬぐいきれないようだったが、カルディアは自信たっぷりだ。
「ほんとに心配性だな。なにも全力をあげて闘うって言ってるんじゃないぜ。それをやったら俺だって心臓が心配だが、テレポートは闘いじゃない。間をおかずに三回もやったらちょっと身体がやばいが、それだって休息すれば回復するのは知ってるだろう?もしもやるときだって一回しかしない。約束する。」
「無茶はしないって誓えるか?」
「当然だよ、俺だって命は惜しい。生き返って心臓移植までしたんだからなおさらだ。もうお前を心配させたくないからな。それとも俺の心臓の熱を冷ませなくなって手持無沙汰とか?」
「カルディア!」
にやりと笑うカルディアの意図は明白だ。
こうした二人の会話はギリシャ語なので二人の医師にはわからない。当たり障りのない程度にカミュが通訳していたが、カルディアがいつもの調子でデジェルをからかい始めたあたりで無視することにした。夫婦喧嘩は犬も食わないということわざが頭に浮かぶ。そんなことより、先ほどから考えていた提案をするほうが有用だ。
「ところでこんなに良くしていただきましたので、お二人にお礼をさせていただきたいのですが。」
「いやいや、我々のほうこそこんなに珍しい体験をさせてもらったのですから、そういうものをいただくわけにはいきません。この検査は公式な記録には残せませんから診療費もいただきませんし、ましてやこの病院では一切の礼物などは受け取らないという決まりがありまして。」
「いえ、私の言っているのはその種のことではありません。この機会にお二人にもテレポートを体験していただこうと思っているのですが、いかがですか?」
「えっ!」
「なんですって!」
身を乗り出した二人の医師が目を輝かせた。金品のお礼を受け取ってはならないという内規はあるが、テレポートの臨床試験となると話は別だ。
「それっていい考えだな。場所はどこにするんだ?有楽町のときはたかだか10メートルくらいだったから今度はもっと遠くにしようぜ。」
すぐにミロが賛同し、そのあとはわくわくして目を輝かせた二人の医師と相談だ。
「今までに行ったことのない場所には行けません。現地の様子がわかっていないと危険が伴います。」
「では思い切って北海道ですかな?登別の宿に?」
「それじゃつまらん。北海道なんていつでも行けるじゃないか。俺はパルテノンがいいと思う。」
「パルテノンですって?ギリシャのパルテノンですか!」
二人の医師が驚きの声を発した。それはそうだろう。東京の真ん中からいきなりギリシャに連れて行ってもらえることになる。
「ああ、それもよいな。今から行けば夜中だから観光客もいないし夜景もきれいだろう。それでいかがですか?」
「素晴らしい!そんな貴重な体験をさせていただけるなんて夢のようです!興奮しますな!」
「念のために心電図をつけますか?」
ミロの言葉に笑いが起こった。

「じゃあ、様子を見てくる。」
ミロが姿を消してすぐにまた現れた。
「OKだ、誰もいないぜ。」
いきなりテレポートして誰かに衝突しては悲惨なことになる。ミロは誰一人いるはずのないパルテノンの巨大な大理石の柱のてっぺんにテレポートして安全確認をしてきたのだ。
「だいぶ前だけど、遊び半分で柱のてっぺんから高みの見物をしたことがあるからな。こんなことで役に立つとは思わなかった。」
「高みの見物とは何をだ?」
「ほら、何年も前に魔鈴が星矢をしごいてたときのあれだよ。前に話したろ。」
「ああ、あれか!」
たまたまアテネに降りていたミロはパルテノンでの時ならぬ小宇宙の燃焼を察知して急行し、そこで魔鈴と星矢の訓練の一端を見たのである。弟子というものを持ったことのないミロは魔鈴の師匠ぶりを面白く思ってしばらく眺めていたことがあるのだ。
「ではカルディアはデジェルと待っていてくれ。ちょっと行ってくる。」
そうしてミロが池田医師と、カミュが納谷医師と腕を組みギリシャへのテレポートが行われた。
「あっ!」
「これは!」
森閑とした夜の空気が四人を包む。さっきまでいた診察室からいきなりパルテノン神殿のある丘に移動したことが信じられなくて二人の医師が息をのんだ。
「信じられない!ほんとうにギリシャだ!」
「テレポートがここまですごいとは夢のようだ!」
二人の医師は神殿を見上げて感嘆の声を漏らす。旅人を迎えるアテネの夜景は美しい。エーゲ海の潮の香りを含んだ風がはるか離れた土地に来たことを教えてくれた。
「まるで子供みたいだな。あんなに喜んでる。」
「これでカルディアを助けてもらったお礼ができただろうか。」
「絶対だよ。そうだ、記念写真を撮ろうぜ。テレポートは記録に残しようもないが写真くらいはいいだろう。」
携帯を取り出したミロが興奮冷めやらぬ二人を呼び、静まり返った神殿を背景に写真を撮った。
子供のように嬉しそうに笑っている二人の写真は今も日本とアメリカの診察室のデスクの上に飾られているということだ。