◇  トラキアのクリスマス  ◇
                             
※ 本編から三ヶ月ほど先に進んだ話です


「これからのことだが、俺たちだっていずれは日本を離れるし、あの二人にいつまでもここにいてもらうわけにもいかないだろうと思う。」
「同感だ。カルディアの体調が落ち着き、この時代のシステムを完全に理解できた時点で帰国を考えるほうがよい。」
「といって聖域に戻るわけにもいくまい。俺のところやお前のところに同居というのも無理な話だし、そもそも許されるはずがない。それ以前に本人たちが固辞するのが見えている。仮に聖域内に住まいを用意したとしても、すでに聖闘士ではないのに、あそこにいても居づらいだけだと思うし、下位の者にも示しがつかない。本人たちもそんなどっちつかずの立場は望むまないだろう。」
「かといってアテネの街中も落ち着くとは思えない。あまりにも現代真っ只中で、都会の中の孤独を味わうことになりかねぬし、カルディアの健康管理上も勧められぬ。都会生活では感染症が心配だ。」
「せっかく生き返ったんだからいい環境で人生を楽しむべきだよ。まだ若いんだからな。」
そう言ったミロが提案したのは、カルディアとデジェルにトラキアを紹介することだった。ミロが育ったトラキアの村には今も従兄弟たちが住んでいて、ワイン作りをやっている。
「だからトラキアはどうかと思ってさ。あそこなら空気はいいし、同じギリシャだし。俺の親類がたくさんいるから、最初に引き合わせれば人間関係の基盤ができる。アテネの街中じゃそれはありえない。まわり中が見も知らぬ他人ばかりのところで暮らせっていうのはいくらなんでもあんまりだ。」
「それはよい。都会暮らしは勧められないが、トラキアならちょうどよいと思う。」
こうして、カルディアとデジェルはミロからトラキアの話を聞いた。

「カミュはフランス出身だけど俺はトラキアの出だ。葡萄を作ってワインを生産してる村で、そこに俺の従兄弟たちが住んでる。そこはどうかと思うんだが。」
「しかし、無関係の俺たちが行ってもかまわないのか?」
「いいさ!俺の友達だからOKだ。カミュももう何回も行って受け入れられてる。前にも話したように家も持ってるし。」
「聖闘士が家をね。とても考えられんな。」
「時代の要求だよ。そんなことをしてるやつはごく少ないと思うが、聖域だけじゃ時代に即応しないし。ちゃんと教皇の許可も取ってある。」
「ふ〜ん、シオンのやつもずいぶん融通が利くじゃないか。」

   その 「やつ」 っていうのが気になるんだよ
   カルディアにとっては単なる年下の同期だろうけど、俺たちには現職の教皇なんだが

これに関しては、何度聞いてもミロの違和感は変わらない。目の前にいるカルディアとデジェルがシオンよりも年上だったという事実は、理性が納得していても心がついていけないのだ。
「教皇も聖戦が再び勃発することは当面は考えられぬとのことで、快く裁可してくださった。むろん俺とカミュが村の住人になりきるわけではない。そんなことは不可能だ。ただ、何かの時には帰る故郷を持つということだな。」
家を取得したのは、カミュに故郷を与えたいというミロのひそかな願望の実現にほかならない。フランスに拠り所のないカミュの心の安息のためにはトラキアが必要なのだ。そのために幾度もトラキアに通い、村の住人ともすでに顔なじみになっている。小さいころに村を出てアテネの神殿に奉職しているというミロの帰還はおおいに歓迎され、一緒に連れてきたカミュもすぐに認知されて、今では村に行くたびにおおいに歓待されている。
「でも、そこで私たちはなにをすればよいだろう?ただ漫然として日を送るわけにはいかないが。」
デジェルの心配はもっともだ。すでに聖闘士ではなく、この世界にただ一人の知る辺もない身の上でいったいなにをしたものか。本来の故郷で地縁血縁の糸をたどろうにも、世代が変わりすぎていてすでに他郷となっている。
「それなんだけど、いまさら会社勤めなんてありえない。だいいち無理だよ。現代社会の基礎知識は、普通に暮らしていくには困らなくても、仕事をこなしていくには足りなすぎるだろう。そこでだ、もしよければ俺の従兄弟の葡萄園で仕事を手伝って、納得がいったら自分たちの葡萄園を持ってみるっていうのは?ゆくゆくは自分でワインを作れると思う。こういうのはどう?」
「ワイン?!」
「私たちが!」
考えてもいなかったことを提案されたカルディとデジェルが声を上げた。飲むほうは得意でも作ることは考慮外だったのだから当然だ。
「俺がワインを作る?ふ〜ん、ワインか……」
「いいと思う、私は賛成だ。この年齢でなにもしないで過ごすわけにはいかないが、そうかといって都会の中で暮らす自信はない。しかし、葡萄やワイン作りなら昔からそんなに変わるものでもないだろう。ギリシャに住んでワインを作る。地に根を下ろすということだ。やってみる価値はある。」
デジェルの決断は早かった。心臓移植をしたカルディアの今後のことを考えると住まいの環境は重要だ。都会から離れた土地で葡萄の世話をするのはカルディアの健康のためにはよさそうだった。調べてみなければわからないが、葡萄作りはそこまでは重労働ではないだろう。
「じゃ、今度のクリスマスに呼ばれてるから、そのときに一緒に行って従兄弟に相談してみよう。」
こうして四人は12月24日にトラキアを訪れた。

「やあ、ミロ!カミュもよく来てくれた!今年はずいぶん賑やかだな、客が多いのは楽しくていい。ようこそ、トラキアへ。」
ドアベルを鳴らしたミロの出迎えに出てきたのはソティリオとその妻だ。去年の春に結婚した妻のオルガが抱いているのは息子のアレクシスだろう。まだ6ヶ月にもならなくてすやすやと眠っている。
「ソティリオもオルガも元気そうで何よりだ。やあ、アレクシス、初めまして!これはまたずいぶん可愛いな。俺の小さいときにそっくりで。」
「こいつめ!」
笑いあってからミロがカルディアとデジェルを紹介した。
「俺の友達のカルディアと、こっちがデジェルだ。宜しく頼む。」
礼儀正しい挨拶と握手が交わされて、「どうぞどうぞ」 と招じ入れられた室内はクリスマスの飾りつけが美しい。もみの木の下にはいつものようにプレゼントがたくさん置かれていて色とりどりのラッピングが目を楽しませる。
「ほう!こんなに華やかなものとは思わなかった!」
「時代の差を感じるぜ。ギリシャの一般家庭はこうなっているのか。今から思えば昔は質素だったんだな。」
それぞれのプレゼントの山にはきれいなカードがつけられていて、ミロとカミュの分は当然だが、カルディアとデジェルの分もちゃんとある。
「え?どうして俺たちのが?」
数は多くはないものの、自分たち宛のきれいなプレゼントに気付いたカルディアが不思議がる。
「ここに泊まるんだからちゃんと用意してくれたんだよ。今夜はミサに出て知り合いもできるから、来年は俺たちのと同じくらいに増えるはずだ。」
「なぜだ?」
「なぜって、ここの住人になるからだよ、それにほら、」
ミロがカルディアに耳打ちをする。
「実を言うと、女たちは美形に弱い。そのことは俺とカミュで実証済みだから、プレゼントが山のように来る。」
「えっ……ふ〜〜ん、そういうものか。」
思いもしなかった理由にカルディアが苦笑する。
「どうしたのだ?」
聞きたがるデジェルに同じことをカルディアが話すと、こっちは真っ赤になって返事もできない。
「おい、俺たちが美形だなんて考えたことあるか?」
「いや、まったくない。美形といえばアルバフィカだと思ってたし。 私が…美形?」
これを聞きとがめたのはミロだ。
「アルバフィカって?」
「魚座だ。たしかにきれいな顔をしてた。そういやシオンのやつもそんなことを言ってたな。」
「シオンがなんて?」
「彼はその容姿の美しさゆえ人に慕われやすいって。」
「それって、美形だからモテモテだ、ってことだろ。ふ〜ん、あのシオンがそんなことをね。 そういえば今の魚座もきれいだが。肌のことには気を使ってる。やっぱり薔薇を使うのか?」
「ミロ、ディミトリーが来たようだ。その話はあとにしたほうがよい。」
カミュが一同の注意を引いた。ちょうどそのとき、もう一人の従兄弟のディミトリーが妻のクリスティナを連れてやってきた。娘のフローラはもう3歳でミロとカミュを見つけると嬉しそうに駆け寄ってくる。クリスティナが抱いているのは一歳になったばかりのカーラだ。
「ああ、こんなに大きくなって!おいで、フローラ!お姉さんになったね!」
ひょいっと抱き上げたミロがすぐにカルディアとデジェルを紹介にかかった。
「フローラ、こっちにいるのがカルディアとデジェルだよ。お兄ちゃんのお友達だから仲良くしてくれる?」
「なかよくする〜!こんにちは!」
人見知りをしないフローラがにっこり笑って手を伸ばしたので、新来の二人もすぐに家族の輪に入ることができた。小さい子供と接するのは初めてだったカルディアとデジェルがすぐに子供の扱いに慣れたのは、さすがに経験を積んだミロとカミュのやり方を真似たためだ。
「ほう!かなり重い。立ったまま抱くのはよしたほうがいい。」
「まさか!そのくらいは平気だよ。俺の心臓を見くびってもらっては困る。」
デジェルからフローラを抱き取ったカルディアが内心はドキドキしながらにっこりすると、
「おにいちゃんのおめめ、青くてきれい〜」
と首筋にぎゅっと抱きつかれた。
「えっ、えっ、どうすればいい?」
どぎまぎして困っているカルディアがミロの助けを求め、みんなに笑われる。
「お兄ちゃんもフローラが大好きだよ〜、って言ってぎゅっと抱き返してやればいいんだよ。簡単なことだ。」
「それから、仕上げに頬にキスをしてやればよい。」
「えっ、キスもするのか?」
「愛情こめてやさしく、というのがコツだ。 ただし、けっして唇にしてはいけない。」
真面目に助言するカミュも笑っている。
「それは当たり前だろう。俺がキスする唇の持ち主はとっくに決まっているからな。」
くすっと笑ったカルディアがフローラのばら色の頬にキスをする。デジェルの頬が負けずに染まっていたことにはみんな気付かないふりをした。

イブの食事にはミロたちが持ってきたワインとチョコレート菓子が花をそえ、大人8人と子供が3人の大所帯の賑やかさがカルディアとデジェルを高揚させた。
「こういうのって考えもしなかったが、クリスマスってこうなんだな。」
「家族で過ごすということを知らなかったし。なんだか不思議だ。」
この時代に一人の血縁もおらず、また、今後の結婚もありえない二人にとっては家族というものは手の届かない存在だ。ミロの従兄弟家族と過ごす初めてのクリマスの晩餐はカルディアとデジェルにとって印象的なものとなった。クリスティナとオルガの手料理も美味しくて久しぶりのギリシャ料理に舌鼓を打つ。
「さあ、今度はプレゼントを開けよう!実はさっきから気になって仕方がなかったんだ!」
ディミトリーが声をかけ、さあ、それから楽しい時間が始まった。大人8人がそれぞれのプレゼントを覗きながら歓声を上げ、見せ合って褒め合って次から次へと包みを開ける。
カルディアとデジェルにもディミトリー夫妻とソティリオ夫妻からプレゼントが用意されていて暖かそうな手袋やマフラーが二人を喜ばせた。むろん、ミロと一緒に日本で買い整えたたくさんのジャパネスクな品々も披露され、たいそう賞賛されたのは言うまでもない。
「2月のチョコレートも期待してるからな。持つべきものはもてる従兄弟だな。」
ディミトリーが言うのはバレンタインのチョコレートのことだ。登別の離れには毎年2月14日になるとかなりの数のチョコレートが宅配便で届けられ、床の間にうずたかく積み上げられる。とても食べきれないそれをひそかにトラキアに送るのがここ数年の習慣だ。
「2月のチョコレートとは何のことだ?」
さっそく質問したカルディアにカミュがバレンタインチョコレートの由来を丁寧に説明するが、なぜ自分たち目指してチョコレートが届くのかについてはどうにも恥ずかしいらしく声が小さくなっている。
「ふ〜ん、愛の告白?たくさん来たらどうするんだ?断るのが手間だぜ。……え?本気もあるし義理もある?それって、どうやって見分けるんだ?……ふうん、もらった数で人気がわかるのか、それはそうかもな。すると美形にはチョコレートが自動的に届くってことか。えらく面白い習慣だな。……え?日本だけの現象なのか?ギリシャにはないのか?そいつは残念だ。自信があったのに!」
固形のチョコレートが作られたのは19世紀後半だ。生きていたときには存在していなかったチョコレートを初めて食べたときのカルディアの感動は鮮烈だった。あまりの美味しさに驚いて、しばらくはものが言えなかったほどだ。
「いくら好きでも食べ過ぎてはいけない。体重が増えるのは問題だ。」
「ああ、わかってる。ほどほどにするけどチョコレートは最高だよ、バレンタインのときは日本にいたほうがいいな。おい、ミロ、お前もそれ目当てで日本に長居してるんじゃないのか?」
「まさか!」
「いや、ミロの目的は温泉だ。」
カミュの一言が笑いを誘う。
「それはわかるな、たしかに温泉はいい!」
ここで温泉のなんたるかを知らなかったソティリオたちに説明をし、おおいに場は盛り上がった。
「他人と真っ裸で入浴するって?ありえない!おい、嘘だろ!」
「いや、それがほんとなんだよ。おい、カミュ、証明してくれ!」
「事実です。日本ではだれもが平気でそうやって入浴します。」
「ふ〜ん、そうなんだ!」
「俺が言っても信用しないのにカミュが言うとすぐ納得する?」
「そりゃあ、人間の信用度っていうのがあるからな。あ〜、もちろん冗談だ。」
どっと笑って話が弾む。カルディアとデジェルもよく喋りさらに親近感が深まった。話だけでもこうなのだから温泉の実力はたいしたものだ。

食事のあとはカミュがカルディアとデジェルを誘って村の散歩に行き、その間にミロが従兄弟たちにカルディアとデジェルの移住計画を打ち明けた。
「というわけで、できたらしばらくはここに住んでみたいんだけど、どうかな?むろん、今すぐじゃないし、住むのも当座は俺が買った家でいいんだけど、本格的に決心したら別に家を探して買うことになる。」
「いい話だ。若い住人が増えるのは歓迎だし、葡萄園をやりたいっていうんならますますだ。お前の友達だし、なにも問題はない。」
「よかった!よろしく頼む。もちろん俺たちもしばしば来るようにするから。」
「ああ、任せてくれ。葡萄作りのノウハウはきっちり教えるよ。どこかの家が売りに出されるようなら連絡する。」
「頼む。」
こうして下地は整った。
散歩から戻ってきたカルディアとデジェルにその旨を話し、改めてディミトリーとソティリオに礼を言う。
「これで一歩前進だ。じゃあ、これから俺たちの家に荷物を運んで暖炉に火を入れよう。ミサから戻って来るころには暖まってるだろう。」
教会でまた、と挨拶して四人が夜道に出ると降り始めていた雪があたりを白く包み始めている。
「これって、もしかしてお前が降らせた?」
「今夜は雪になるとの予報が出ていたが待ちきれなくてちょっと手を貸した。明日の朝になったらフローラが喜ぶだろう。」
「そいつはいいプレゼントだ。デジェルもこういうの、できるんだろ?」
しかし、カルディアと話していて急に話を振られたデジェルには考えもしないことらしかった。
「えっ、私が?……それは、できると思う。考えたこともなかったが。」
「おい、やって見せろよ。聖闘士じゃなくなってもそのくらいの小宇宙はあるはずだ。」
カルディアに催促されたデジェルが手のひらを夜空に差し出しながら しばし考える。
「ええと……空気中の水分を一定の密度で任意の範囲に集結させて熱量をその範囲外に移動させるのだから、その際に気圧を操作して、なおかつ…」
「おい、カミュ、コツを伝授した方がいいんじゃないのか?」
苦笑したミロがカミュを押しやった。二人の水瓶座が真面目な顔でなにやら技術的な相談をしているのが面白い。
「ああ、たくさん降ってきたぜ!これはすごい!」
「おい、降らせすぎだ!ちょっとは加減したほうがいいんじゃないのか!みんなが夜中のミサに来るのが一苦労だ!」
「すまない、なかなか加減が難しいんだ。」
「カミュ、お前、また弟子を取れ!ノウハウを完璧に教えたほうがいい。」
「ああ、それがいいな。俺はとっくにミロの弟子になってるし。」
「え?どうして?」
つい口をすべらせたカルディアの言葉をデジェルが不思議に思ったらしい。
「いや、ほら、あの、ええと、温泉の入り方の話だ。ミロはそっちのほうの専門家だから。なっ、ミロ。」
「ああ、そうだ。俺って温泉の専門家だから。入り方の伝授♪入り方の♪」
いかにもわざとらしい言い訳にカミュが目を細めたのに気がついてミロはドキッとする。ばれたような、ばれないような、微妙なところだ。
「よしっ、コツがわかった!これで粉雪からブリザードまで自由自在だ。」
「せっかくだがギリシャにブリザードは必要ないからな。とりあえず粉雪でやってくれ、ムードが出るし。」
「了解。」
トラキアのクリスマスはこうして美しい雪景色となった。
天から舞い降りた雪の結晶は家々の屋根に降り積み、森や畑を白一色に変えてゆく。カルディアがデジェルの手をとって引き止めた。
「ここを俺たちの村にしよう。きっと楽しいだろう。家族は俺たちだけだけど、それでいいか?」
「ん……それでよい。」
ささやかれたデジェルの頬が真っ赤に染まる。

   故郷ができる
   ここでカルディアと二人で暮らそう
   ついに大地に根を下ろすのだ

243年前には叶わなかった夢がすぐそこにある。デジェルが大きく息を吸い込んだとき、前を歩いているミロとカミュが後ろを気にしていないことを確認したカルディアが素早くキスをした。

   あっ…

「約束のキスだ。」
「ほんとにお前ときたら…」
「あれ? いけなかった?」
「……いや、そうでもないかも…」
「だと思った。」
カルディアの笑顔が眩しく思えた。




 
    「バランスをとって俺もキスしたいんだけど。」
     「よさぬか!」
     「でも付き合いってものが。」
     「私はべつに付き合わなくても…あ……」
     「どう?」
     「ん…」