夜を徹して進み、夜明け前には山のふもとに着いた。 高い木に登りあたりを見ると東から日が昇り始めて山肌を照らしている。
目を凝らすと中腹になにか石壁のようなものがちらりと見えた。 木々に隠れてはっきりとは見えないが古い時代の遺跡のようにも思える。 そこを目標に定めてまっすぐに進むとふもとから登る道が見つかった。 そうとう磨り減った石段が崩れかけていてあきらかにここに文明があったことがわかるが、今のミロにはそんなものはどうでもよかった。 ところどころにある石を積み上げた門には奇怪な動物の浮き彫りが風雨に晒されながらなんとか形をとどめていて、考古学者なら狂喜してかじりついたろうがそんなものには目もくれぬ。
途中の木の枝にカミュの着ていたらしい白いシャツの切れ端が引き裂かれて残っており、ミロの身体中の血を逆流させた。 道すじはたしかに正しいが、果たしてカミュを救うのに間に合うのか、それを思うと気が狂いそうになる。 息苦しくて心臓が締め付けられるようで、こんな思いは初めてなのだ。
カミュをさらった一団が二時間かけて登った道を一時間足らずで上りきると、ツタに覆われてかろうじて形をとどめている遺跡が現れた。 崩壊しかけた壁の隙間から入り込み警戒しながら進むと急に開けた中庭に出た。 荒れ果てた有様はここが遠い昔に住人に放棄されたことを示している。
ここに通じる通路はミロが通ってきたところだけで、戻って他の道を探そうとしたとき前方の高い壁の向こうからギャッギャッという叫び声と太鼓の音が聞こえてきた。 太鼓が鳴らされるのはたいていはなにかの儀式の始まりだ。 後戻りして別の通路を探している暇はない。 壁を這うツタをつかんだミロが手がかりを探しながら登っていく間にも太鼓の音は高まっていく。 10メートルはあろうかという壁をついに上りきってその向こうを見下ろしたとき、ミロの目に恐ろしい情景が飛び込んできた。
下はさっき通って来た中庭よりもさらに広くなっていて、石が敷き詰められた中央には一段高くなった場所があり祭壇のようになっていた。 その真ん中の平たい石の上にカミュが寝かされていて、今まさに横に立っている毛むくじゃらな男がはだけられた白い胸にナイフを振り下ろそうとしていたのだ。 びくりとも動かぬカミュの顔が青白くてミロを恐れさせたが、ナイフを振り下ろすのは殺すためなのだからきっと生きているに違いない。
たくさんの同じような男たちが祭壇の周りを整然と取り囲みあるものは太鼓を叩き、またあるものは奇声を上げて足を踏み鳴らしていたが、そんなものはミロの目には映らないも同然だ。眼下に展開される恐ろしい光景は、パリで学んだ古代文明の生贄の儀式のことを思わせた。
一瞬の間もおかず類人猿特有の凄まじい叫び声を上げるとナイフを振りかざしていた男の手が止まってびっくりしたようにあたりを見回した。 間髪をいれずミロがぎりぎりと引き絞った矢を放ち、男の胸を射抜く。 わっと叫んで浮き足立った男たちに次から次へと目にもとまらぬ早業で持てるだけの矢を放ったミロは、肩にかけていた縄を手近のツタに結びつけ目の回るような高さを一気にすべりおり、蜘蛛の子を散らすように誰一人いなくなった広場に降り立った。 カミュに駆け寄り、縛り付けられていた手足の縄を切って抱き起こす。 乱れた髪に蒼ざめた頬が痛々しい。それでも呼吸をしており、身体も温かい。

   間に合った! 生きてる!

喜びに身体中の血が沸き立つ思いでカミュを抱き上げたとき、突然現れた敵が一人だと気付いた男たちが叫びながら襲い掛かってきた。 さっと目を走らせたミロが一番手近な通路に駆け込み奥に進むと幸いなことに光がさしてきて緑の木々が見えた。 いったん城壁の外にでてからカミュを大きな木の下に横たえ、すぐに身を翻して通路に戻りナイフを構えて追跡してくる敵を迎え撃った。
類人猿よりは知能が発達しているらしいこの奇怪な部族は武器を持っていないようで、身のこなしも鈍かった。 祭壇でカミュを殺そうとしていた男の持っていたナイフが唯一のものだったのだろう。
拉致されたカミュが危うく殺される寸前だったことを思うとミロの胸に怒りが燃え上がる。 復讐に燃えたミロは太く短い毛むくじゃらの腕につかまれる前に的確に相手の心臓にナイフを突き刺し、あっという間に五人を絶命させた。 断末魔の叫びが暗い通路にこだまして古い遺跡の住人の末裔たちを畏怖させる。 狭い通路はミロが倒した敵の死体で足の踏み場もなくなり、鬼神のような強さに恐れをなした残りの10人ほどは雪崩を打って逃げ帰っていた。
ナイフを鞘に収めたミロは意識のないカミュを抱き上げるとすぐに登ってきた道を探し出し、できる限りの早さで山を降りた。 気を取り直した敵がいつまた追いすがってこないとは限らないからだ。 どんな山でも登るときよりはくだりの方が難しい。 人一人を抱えているならなおさらだ。 それでもミロはなんとかこの困難な仕事をやり遂げて、勇気をかき集めたらしい敵があとを追って山を半分ほども降りかけたときにははるか遠くの森の中にいた。
ここまでくれば安全だと確信が持てるところまで来ると、ミロは抱いていたカミュをそっと地面に下ろした。 さらわれてから五日たち、ずいぶんやつれて哀れな有様だ。
「カミュ、カミュ……こんなになって……」
近くの小川の水を口に含んできて、壊れ物を扱うようにそっと抱き起こしたカミュの口に少しでも飲むようにと祈るような気持ちで流し込む。 ほとんどは唇の端から零れ落ちてしまったが、それでも少しは飲んでくれたような気もする。 ぐったりとした身体は傷だらけで唇の端は切れて血が滲んで固まっていた。
「俺がそばにいたら…………カミュ…可哀そうに………」
涙に濡れたミロが乱れた髪をそっとかきやり額に口付けてやってもカミュは目覚めない。 再び立ち上がったミロは何よりもだいじな宝物をしっかりと抱き上げると高い木々の上を飛ぶように東を目指していった。

居留地近くに戻ってきたのは七日目の夕方だ。 心配しているレオナールのために鋭い叫び声を上げて合図にしてから、まだ歩けないカミュを抱いて家に近づくとベランダからレオナールが駆け寄ってきた。
「カミュは無事か?!」
「ああ、かなり弱ってるが大丈夫だ。 話もできるし食欲もある。」
「よかった!で、いったいどうやってカミュを見つけたんだ?」
「古代文明の名残を残す部族に生贄にされるところを見つけて助けてきた。 とんでもないやつらだ!」
「えっ!」
想像もしなかった答えにびっくりしたレオナールがカミュの顔を覗き込んだ。
「心配をかけてすまなかった、どうもありがとう。」
小さい声で言うカミュは、抱かれているのを恥ずかしがってか顔が赤い。
「ところで、君に預けたあれは残ってる?」
「え? ああ、君の持ってきたあれか? ずいぶん熟して食べごろだ。 居間のテーブルに置いてある。」
「そいつはよかった!」
二人のために家のドアを開けてからレオナールは部隊にカミュの無事を報告しに行った。 懐かしい家に入るとカミュはやっと下ろしてもらえた。
「さあ、なつかしの我が家だ! 風呂に入って食事をしよう。 ところで喉は渇いてない?」
「え? むろん、なにか飲みたいが。」
「じゃあ、これね!」
ミロが差し出したのはあの果物だ。 まだ名前がわからないので呼びようがない。
とてもよく熟していて、気がつくと部屋の中は甘い匂いでいっぱいなのだ。
「俺からの誕生日のプレゼントだ。」
「あ……そういえば。」
この騒ぎで自分が誕生日を迎えていたことなどすっかり忘れていたらしい。
「ええと……今日は2月の……?」
「もう9日だ。 俺が殺されかけてるカミュを助けたあの日が誕生日の7日だと思う。」
「あれが!」
カミュがもらったプレゼントは自分の命だったのだ。 誕生日の贈り物としては最高だろう。
「思うんだが、誕生日のパーティーにしては場所とメンバーが珍しすぎたな。 それに誕生日っていうのはうまい料理を食べる日で、自分が他人に料理される日じゃないぜ。」
真面目な顔でミロが言う。 冗談のつもりなのかそうでないのか、カミュにはなんともわからない。
「それじゃ、あらためて。 ちょっと遅くなったが、誕生日おめでとう、カミュ。」
太陽のような笑みをたたえたミロがカミュを引き寄せてキスをしする。 今夜も甘い夜になりそうだ。
手に持ったままの果物が甘く匂った。




            
 はい、これほどの誕生日プレゼントはめったにあるものではありません。
             どんな甘い夜って、それはもう果物バイキング!  ← 違うかも

          
   「俺的にはカミュバイキングが好みだな♪」
             「………」