その10  ミロとカミーユ姫、塔上に立つ

少し開けておいた窓から冷涼な秋の空気と鳥のさえずりが忍び込んできてベッドの二人に朝の気配を教えてくれる。
「カミーユ、カミーユ、なんて美しいんだ!」
「まあ、ミロ様……」
新婚の二人はお互いを見つめては、ミロが抱擁とキスをし、姫が恥じらって頬を染め、さっきからその繰り返しなのだ。
「トゥールーズにいたときからこの日を夢見ていた。 独り寝の夜は塔の上にいる姫のことを想って、そばにいてくれればいいのにと、そればかりを考えていた。」
「ミロ様………」
「カミーユはどう? 少しは俺のことを考えていてくれた?」
「わたくしは……」
返事に困った姫がそっとミロの様子をうかがうと、きらきらと光る青い目がいかにも楽しそうにこちらを見つめているのだ。
「あの…」
小さな声にミロが耳を澄ませたとき、姫が思い切った動作をしてミロを驚かせた。
「わたくしは………こんなにこんなにミロ様のことが好きで………」
「ん………よくわかった……俺もだ……」
まことに新婚の朝というものは結構なものである。

「姫様、おはようございます。 お目覚めでいらっしゃいますか。」
夜が明けきったころ、まっさきにやってきたのはマリンだ。 こちらも、幾つか離れたアイオリアの部屋で満ち足りた夜を過ごして幸せいっぱいの様子である。 突然の息子の嫁の出現に驚き喜んだミロの母親が大急ぎで用意した中には姫付の侍女も五人いるのだが、マリンとしてはまだまだ任せられないのだ。
「おはいり。」
やさしい返事があり、そっとドアを開けると化粧台の前に腰掛けている姫の髪をミロが梳かしているところである。
「あらまあ、ミロ様!」
「う〜ん、短いのはいかにも残念だ! といってどうしようもなかったが。 長いときにもっと梳かしておけばよかったな。」
櫛を入れてもあっという間に梳きおわり、手ごたえがないことおびただしい。
「しかたありませんわ。 ミロ様にお切りいただいたのですからわたくしは満足です。 」
昨日の沐浴のあとで、切りっ放しだった髪をそれなりに整えてもらったので短いなりに格好はついているのだが、やはり女としては有り得ない短さだ。
「帽子や髪飾りを工夫して何とかいたしますわ。 お任せくださいませ。」
「マリン、あなたもね。」
にっこり笑った姫はマリンの目から見ても輝くばかりに美しい。 きのう急いで探し出されたドレスは少々サイズが合わなかったが、シルクの夜着はなにも問題がなかったし、今日は朝から採寸、仮縫いの予定に忙しい。 屋敷中の侍女にかからせるので夕方までにはトゥールーズの後継者にふさわしいドレスが出来上がるはずである。
「では姫様のお支度にかからせていただきます。 ミロ様はどうぞお外しになってくださいませ。」
「ああ、わかったよ、邪魔者は消えることにしよう。」
「まあ、ミロ様! そんなことを…」
姫の言葉は甘い口付けで封じられ、マリンを赤面させた。

カミーユとマリンがここの暮らしにもすっかり慣れたころ、待ちに待った知らせが届いた。 カノンの参加する第一次十字軍がマルセイユから一路アナトリア半島へと船出したのである。
「そうと聞けば猶予はならぬ。 すぐさま婚礼の日取りを決めよ!」
このときを今か今かと待っていたミロの父が一ヵ月後の吉日を選び、招待状を持った使者を四方へ走らせる。 十字軍に参加した騎士も数多いが、父が行けば子が、子が行けば父が必ず残っていて土地を守っているものだ。 地縁血縁に結ばれた絆は強く、やがて続々と祝福と参列の返事が届き始めた。
「花嫁衣裳ももうじき出来上がりますわ。 料理も焼き菓子もすっかり手配済みですのよ。」
一人息子の婚礼にミロの母はもう夢中で支度のあれこれに忙しい。 姫の両親はすでに亡くなっているので花嫁の衣装や装身具を調えるのも一手に引き受けておおわらわなのだ。
「そんなに慌てなくても。」
「なにを言うのです、ミロ。 トゥールーズの姫君を娶るのですよ。 姫君のご両親がご健在でいらしたらお前がトゥールーズに婿入りしたはずではありませんか。 どんなに華やかなお式になったでしょうに! 当家でも姫君の名をはずかしめぬような立派な式を挙げねばなりません。 」
「それにこの婚礼の席で姫がトゥールーズの正式な後継者であることを明らかにし、カノンに対抗する勢力を整えるのだ。 盛大かつ重厚な式でなくてはならん!」
花婿としてはなにもすることのないミロが気軽に言うと即座に父母に意見され、苦笑して部屋に引き上げる。 姫の両親が健在でトゥールーズになんの異変もなければ、そもそもミロが姫と出会うこともなかったのだから運命とは不思議なものだ。
「ミロ様、まあ、ちょうどいいところに。 御覧くださいませ、帽子が出来上がりました!」
ドアを開けると今度は待ち構えていたマリンが意気揚々となにやら手のこんだシルクのふわふわしたものを指し示す。
「え〜と………これが帽子? 上下がわからないが。」
「ドレープのたくさんあるほうが額に来ますのよ、当日はこれに長く裾を引くヴェールをつけますので髪の毛は目立ちませんわ。」
「それに、花も飾りますから当日はまた感じが変わります。」
にっこり微笑んだ姫に近寄ったミロが、
「こんなにきれいなのに、もっときれいになろうなんて欲の深い人だ。」
くすくす笑いながら頬に軽いキスをする。
「みんなミロ様のためですわ。」
「それに婚礼にはたくさんの客が来る。 トゥールーズの後継者の美貌を見せ付けてせいぜい羨ましがらせてやろう!」
「まあ……」
「で、マリンの衣装もそろそろ出来上がるころかな? アイオリアがしきりに気にしていたが。」
「はい、姫様の衣装と同じころには。 でも姫様のほうがおきれいですわ。」
「アイオリアはそうは思わないだろう。 あいつはマリンに惚れ込んでるからな。」
「まあ…」
マリンの見るところ、ミロのカミーユ姫への惚れ込みようもたいへんなものなのだが、それは言わないことにした。 マリンとしては姫の幸せな様子を見るだけで嬉しくてならないのだった。

婚礼の当日には近在近郷のみならずかなりの遠方からも客がやってきてたいへんな賑わいとなった。 厩舎には繋ぎきれない馬があふれかえり、広い厨房は前夜から料理番たちが頭から湯気を立てて鶏をさばいたりシチュー鍋をかき回したりと大忙しだ。 さっさと身支度を済ませたあとはなにもすることのないミロだけが朝から暇そうにして、準備に余念のないマリンと姫の興奮ぶりを面白がりながら横からちょっかいを出しては姫にキスしたがり、そのたびにマリンを筆頭とする侍女たちに叱られているのだった。
「ミロ様、いけませんわ! 口紅が!」
「ヴェールをつけますので、そこをおどきくださいまし!」
「ここにおいでになるより、広間にお行きになってお客様のお相手をなさるほうがよろしいかと!」
「いや、そっちのほうは父がいるからかまわない。 それよりこんなにきれいなのに、見ていないのはもったいない♪」
マリンに睨まれながらもミロは姫の周りから離れようとしない。
「ミロ! トゥールーズの後継になる花婿が挨拶しないでどうするのです?」
ついに業を煮やしたマリンがミロの母を呼んできてこの有様を見せ、やっと花婿を階下へ連れて行ってもらったのだ。

午後から執り行われた厳粛な結婚式に続く華やかな披露宴の冒頭でミロの父が言葉を改めて姫の素性をトゥールーズの後継者であると明かしたときは驚嘆と羨望のどよめきが起こり、ミロに導かれて登場した純白の衣装の花嫁に一同の視線が集中した。 白い指には結婚指輪とともにトゥールーズの盾と獅子を組み合わせた紋章の金の指輪が輝き、凛とした美貌が集う人々を感嘆させる。
ここに至ってミロの結婚式はトゥールーズ奪還の同盟に加担する意思を表明する場をも兼ねることになり一気に政治的な性格を帯びることになったのだが、それはまた別の話である。
正式にカミーユを妻としたミロは幸福に顔をほころばせ、姫もこのときから若奥様と呼ばれることに頬を染め、まことに初々しくも美しい似合いの夫婦ができあがった。 翌日にはアイオリアとマリンが結婚することになっていて重なる慶事に屋敷は喜びに沸いた。

さて、カミーユ姫の素性にあっと驚いたのは招待客ばかりではなかった。
「おいっ、聞いたか! なんと若君の花嫁はトゥールーズの姫だというぞっ!!」
興奮した面持ちのアルデバランが中広間の宴席に連なっていい気分になっていたシュラを見つけて怒鳴った。
「何だとっ?!!俺はせいぜい高級侍女くらいだと思っていた!」
「なんとする? 俺はあのとき、転びかけた姫のことをケツが青いと言ったのだぞっ!」
「俺だって姫の頭を兜の上から思いっきり張り飛ばした…!」
いい気分で酒を飲んで真っ赤になっていたシュラが蒼ざめる。 いくら危急の場合とはいえ、こともあろうにトゥールーズの後継者である姫君に対してとんでもない侮辱をしたものだ。
「アルデバラン、たしかお前はオムツが取れるのが遅かった、とか言わなかったか? 俺はたしかに聞いた覚えがある!」
「うるさいっ! 余計なことを言うなっ!」
剣技では一、二を争う二人の動揺を内心では面白がりつつ、それでも慰めやら激励やらをしてくれる仲間の声を励みに、額を寄せて謝罪の台詞をあれこれと考えたアルデバランとシュラがやっと好機を捕まえて新婚夫婦の前に現れたのはアイオリアの結婚式も滞りなく終わった翌日の宵のことだ。
結婚式当日のミロとカミーユは祝福の返礼やら祝宴やらで忙しく、やっと晩餐が終わったと見て駆け寄って詫びを言おうとした二人の鼻先で、正式な初夜を待ちかねていたミロがとろけるような優しい言葉をかけながら姫を抱かんばかりにして寝室に連れ込んでドアをぴしゃりと閉めてしまったのだからとても謝ることなどできはしない。 こうして、二人の落胆をよそにミロは存分に蜜月の夜を楽しんだのである。
「あの……トゥールーズ退城の折にはまことにご無礼なことをいたしまして申し訳ございません。」
翌夕、緊張したアルデバランとシュラに詫びを言われた二人が笑って許したのは言うまでもない。

その後、春を迎えて一大勢力となったミロたちの軍は粛々とトゥールーズへ乗り込み、抵抗らしい抵抗をほとんど受けることなく城を奪還することに成功した。 カノンの軍が帰還するまでにはまだ一年以上は確実にあり、それまでに領地を掌握して十分な力を蓄えて待ち構えていればいいのだ。
「これで名実ともにトゥールーズは貴女のものになった。 この眺めは千金の価値がある。」
高い塔のてっぺんから望む景色は美しい。 木々の緑も咲く花も正当な領主を歓迎して鮮やかに風景を彩っている。
「いいえ、ほんとうに価値のあるのはミロ様のお気持ちですわ。 それこそが千金の重みを持つのです。」
頬を染めたカミーユの体内には新しい生命が息づいていてミロには嬉しくてたまらない。 塔の昇り降りも、身体に障らないかと気を遣ったミロが遠慮するカミーユを軽々と抱き上げてやるほどだ。
「実りの秋には俺たちの子が生まれる。 マリンとどちらが早いかな?」
「神様がお決めになりますわ。 元気な子でありさえすれば嬉しゅうございます。」
「元気で賢く美しい子が望みだな。 俺たちの子ならきっとそうなるに決まっているが。」
「まあ!」
「子を何人も生んで、その子たちがこの城を駆け回って遊ぶ日が待ち遠しい。 そのときにはあの秘密の部屋を教えてやって楽しく遊ばせよう。」
「はい、ミロ様。」
ミロがカミーユを抱きしめた。
「子供たちが大きくなって嫁に行き嫁をとり、このフランスに枝葉を広げていくのが目に見えるようだ。 」
「男の子はミロ様に似て勇敢で、」
「女の子は貴女に似てとても美しいに違いない。」
塔の上を春風が吹きぬける。 ミロのたくましい手がカミーユを抱き上げた。
「さあ、もう降りよう。 風が触るといけない。」
「このくらいは平気ですのに。」
「下に待たせているアイオリアが何をしているのかと気を回しそうだし、長居をして身体が冷えるとマリンにまた怒られるからな。 用心、用心♪」
しなやかな手がミロの首にまわされた。 応えるように重ねられた唇は甘くやわらかく心までも包み込んでゆく。
トゥールーズの春は今が盛りである。

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