「 紐 」 


明かりを小さくしたときサイドテーブルの上に無造作に置かれた青い紐に目がいった。
新しいガウンを買ったときに包みをつつんであった紐で、リボンといってもいいほどに幅広く、サテンのように艶がある。

   ふうん………紐か……………紐ね

俺は手を伸ばして青い紐を取ると傍らのカミュの手を取った。
「………え? ミロ、なにを?」
「お前が何を好きかわからないから、いろいろ試してみようと思って。」
紐の長さは十分だ。俺がしようとしていることがよくわからないらしいカミュの白い手首を軽く交差させて締め付けない程度に丁寧に結ぶ。 艶めいた鮮やかな青が白い肌に映えて美しく、まるでカミュが俺へのプレゼントのように見えてきた。
「あ………ミロ、そんなことを!」
「だから、お試しだよ。 やってみなきゃわからないだろ?」
仰向けに寝かせたカミュの両手を頭の方に伸ばしてヘッドボードの透かし彫りのところにうまく結び付けてみた。
「うん、なかなか上手くできた。」
「ミロ、あの………私はこういうのは……」
困ったように眉を寄せたカミュがもじもじとして身体をひねる。 紐の長さには十分な余裕があるので横を向いたりはできるのだが、手を使えなくて動きを制限されるというのはカミュにとって初めてのことなのだ。
むろん、俺にとってもこんなことは初めてで、両手を拘束され息をひそめているカミュを見ていると、なんだか、その………無理矢理にことを行おうとしてるような気がしてきて心拍数が上がってきた。

   こういうのって………ええと……あまり言いたくはないが、いかにも辱めてるって気がするな
   カミュはどう思うだろう?
   嫌と思うか、それとも 「 いい 」 と思うのか?
   ええい、どっちにしても、やってみなきゃわからんっ!

何をされるのか不安そうにして息をひそめているカミュの耳からうなじ、鎖骨、肩と指でゆっくりとなぞってやると、びくりと震えたカミュが荒い息をついた。 指の触れた道筋通りに今度は唇を落としてゆき、真っ赤に染まった耳に甘い言葉を吹き込んでやる。
「素敵だ、カミュ………今夜は俺の思い通りになってくれる?」
甘い喘ぎを確かめながら唇で胸の蕾をいつくしみ、ひとしきり上がる嬌声を愉しんだ。
「いや………ミロ、ミロ………ああ……いやだから……」
この程度のいやは、いやのうちには入らない。 むしろ、もっと、の範疇に入るだろう。 それが俺の気持ちを駆り立てているということをカミュはわかっているのだろうか?
「そんなにいやなの?………それならこういうのは好きかな?」
「あ………そんな……」
愛の行為を 「 好きか?」 と聞かれることに過敏に反応するカミュがびくんと身を震わせた。 快感を感じているから悶えているのに、自分からはそのことを決して認めたがらないカミュは、俺にそう聞かれるたびに困惑しつつ嗜虐的な歓びを感じているのかもしれない。 自分では認識していないだろうが、カミュも人の子だ。性的な歓びを感じないはずはないのだから。
もっと、いや、を言わせるために、愛撫してもらえないでいたもう一方の蕾に唇を寄せ舌の先でやさしくまろばせてやると、たちまちあがる切ない声がカミュの歓びを証明してくれた。
「ミロ………やめて………いや……いやだから………ミ……ロ…」
「これは好きじゃないの?きっと歓んでくれると思ったのに。」
その求めに応じたふりをして唇を離せば安堵とも愛惜とも取れる溜め息をつき、一呼吸したのをみすましてからもう一度唇を与えれば濡れた瞳は控え目ながらも歓びに輝くのだ。
「好きなら、そう言って………言ってくれたら、いくらでもしてやるよ………ほら、こんなふうに……」
「ああっ………いやぁ……ミロ、ミロ……」
与えられる甘い試練に耐え切れず背をそらしてのがれようとするのだろうが、そんなことをすればますます感じてしまうのに。 快感を受け入れて享受することにのめりこめないカミュは、そうやってさらに自分を快楽の淵に追い込んでしまうのだ。

   カミュ………カミュ……そんなに感じたいのなら もっとお前を可愛がってやろうか

次の手を考えながらなまめかしく横たわるカミュを眺め回した俺がふと気が付けば、両の手を頭上に伸ばしたカミュのこの姿勢は、なんとオーロラエクスキューションを撃つときの体勢と酷似しているではなかったか。
突然浮かび上がったアクエリアスのカミュの黄金聖衣をまとった凛とした姿と、この目の前に横たわって甘美な仕打ちに悶えるしどけない有様との激しいギャップに茫然となり、それはすぐに俺を陶酔の域に誘い込む。

   究極の凍気の技を放つ筈の黄金の腕を拘束されて、こんなにも切ない声を出して………
   聖域に冠たる黄金聖闘士が、たった一本の青いサテンの紐を解くことができずに身悶えて………
   そして、それをカミュにしてやったのは、この俺で!
   震えが来るぜ! 最高だ、カミュ!

いったんそれに気付くとカミュのこの姿は蠍座の嗜虐心を刺激しないわけにはいかない。 舌で若い蕾をもてあそびつつ、白い二の腕から腕の付け根に指をすべらせそのまま腰のラインをなぞってゆくと、よほどに感じたのか甘い吐息が洩らされる。
「………どう? いい気持ちかな?」
「ミロ………お願いだから………助けて……ミロ………」
ひとたび敵を前にすれば最強の凍気を発して圧倒的な勝利を手にするだろうカミュが、黄金の誇りも矜持も忘れ果てて許しを請う姿が俺をゾクゾクさせる。自由を制限されているカミュはやはり勝手が違うらしく、手を気にしながらしきりと身悶えして、その艶っぽい仕草がますます俺の心を波立たせた。 こんなときのカミュは俺の頭を抱えるようにして金髪を指で梳くのを好むのだが、それを封じられてもどかしい思いをしているのかもしれなかった。

   待てよ………手を使えない? ということは…

俺を抱きしめられないことは予想していたが、手を使えないということは俺を押し戻したりできないということだ。

   では、思い切ってこの機会に試してみようじゃないか
   もしかしたら、うまくいくかも

「愛してる、カミュ………愛してるから、とってもいいことをしてやるよ。」
やわらかく口付けて耳元でささやくと、カミュの傍らに膝をつき、そっと身体をかがめていった。俺の髪がそのあたりに触れたとき、カミュは俺の意図を悟ったのかもしれない。 大きく息を飲むのが聞こえたが、それにはかまわず俺は唇を寄せた。
初めてのことに、カミュが震えおののき身を硬くしたのがよくわかる。ついっと触れることを幾度もくり返しながら指先でそっと撫ぜてゆき、空いている手でやさしく蕾を愛撫する。
「ミロ……ああ…ミ…ロ………そんな……」
重ね合わせた三つの甘い仕打ちに妖しく身悶えるカミュの肌が紅潮し、それに力を得た俺がついに唇で包もうとしたときだ。 敏感になっていたカミュは きっと温かい息に包まれたのを感じたのに違いない。
「いやっ!………いやだから……私は………ミロっ…」
鋭い声が響き、俺が はっとたじろいだ瞬間、カミュが身を震わせて身体を横向きに縮めてしまった。

   あ………

どきっとして目をやると、できる限り身体にひきつけた手首に青い紐が食い込んで、みるからに痛々しい。 手首から先は血の気がなくて、こわばった指先の爪も桜の色を失っている。 まったく 気が付かなかったが、俺が新しいことを試している間ずっと、緊張したカミュはこんなふうに手を引き付けていたのではなかろうか。
「カミュ、頼むから力をゆるめて! 俺が悪かったから!」
慌ててほどこうとする間にもカミュのすすり泣きが荒い息とともに聞こえてきて、俺も気が動転してしまう。 カミュには刺激がきつすぎたのだ。 俺の声が聞こえないのか、四肢を精一杯に身体にひきつけたカミュが小刻みに震え、ますます手首の紐が締まってゆく。
「カミュ、カミュ………すまない、気付かなかった………俺の大事なカミュ………」
何度も失敗しながらやっと手首のいましめを解き、震えているカミュを抱き起こしてあらん限りのやさしさで包んでやった。
「ミロ………ミロ………」
声を殺して喘ぐカミュがいとしくて切なくて俺の胸もきりきりと痛むのだ。 震える背を撫で、乱れた髪を指で梳いてやり、濡れた頬に口付けた。 はらはらとこぼれる涙が切なくて、さまざまに気を引き立てるような言葉をかけながら胸に抱きこみ慰めた。
すすり泣きがおさまったころにそっと手を取り手首を調べてみると、鬱血したあとにまだ紐の痕がくっきりと残り、朝までに消えるかどうか少し心配になる。

   これでは無理だ
   たとえ普通のことしかしなくても、緊張したカミュは痛みも忘れて手をひきつけてしまうに違いない
   可愛がるつもりが、これではまるでカミュを痛めつけているようだ

「すまなかった。 もうしないから………どんなに痛かったろう………俺の大事なカミュ…」
痛々しい手首に口付けて頬を押し当てると、カミュがやっと安堵の溜め息をついてくれた。
「あの………そんなにいやだった?………あのこと…」
一応は訊いてみた。 手首を拘束していない普通の状況なら受け入れてくれる可能性もないとはいえないからだ。俺にも人並みの願望はあるし、それになによりカミュに新しい歓びを感じて欲しいのだったから。
カミュが黙り込んだ。 どうなのだろう?
「ミロは………」
「……え?」
あまりに小さい声で、俺は耳を澄ませねばならなかった。
「自分にも……そうしてほしいと思っているのか?」
「えっっ!………あの………お、俺は…その……」
嫌か、嫌でないか、そのどちらかの返事を待っていたのに、カミュの思考は はるか先に飛んでいた。
思わぬことを言われた俺が真っ赤になり、しどろもどろになったのをカミュはどう思ったろうか。
カミュは返事を催促することもなく、熱くほてった頬を俺の胸に寄せてくる。艶やかな髪がさらりと揺れてカミュの表情は見えもしない。
床に落ちた青い紐が俺の愚かさを笑っていた。

先のことはまだわからない。
わからないが、お互いの気持ちは通じたのだと俺は思っている。