陰 陽 師  「 筝 の 琴 」 (そうのこと) 

                                            ( カミュ ⇒ 安倍晴明    ミロ ⇒ 源 博雅 )

「カミュ、いいものを手に入れたから見せてやろう。 」
紫宸殿の南庭から月華門を抜けて校書殿へ向うカミュをつかまえたのはミロだ。
「よいものとはなんだ?」
「ふふふ………今夜 俺のところに来い。 持ち歩くようなものではないのでな。」
「今夜は無理だ。 先約がある。」
「………まさか女じゃないだろうな?」
「だとしたら、どうする?」
「女なのか?」
「そうともいえる。」
「なにぃっ!」
ミロは、むっとした。
いくら女っ気のない暮らしのカミュといえども、言い寄る女がいないとはいえぬ。
当代にこの人ありと名を馳せる陰陽寮の筆頭が密かに付き合う女人の一人や二人いても文句を言う筋合いではないのだが、一番の親友、いや、唯一の親友を自認するミロには はなはだ面白くないのである。
「俺にも言えないんだな。 ふんっ、つまらん!」
ぷいと横を向く顔はどこか幼いころの面影が残り、カミュを内心微笑ませた。
「言えぬこともないが、言えば言ったでお前には面白くなかろうと思う。」
「なんだ、はっきりしないんだな。 言わないほうがますます怪しい。」
「では言おう。 蜜虫だ。」
「蜜虫だと!」
蜜虫はカミュの使う式神で外見は怜悧な少女である。
その実態はなんだろうかとときどき思いはするものの、聞いてはいけないような気がするミロなのだ。
「蜜虫といったい何の約束が?」
「酒だ。」
「……は? 酒ならいつも飲んでいるだろうが!」
「お前が来るとうるさくてゆっくり酒が飲めぬと蜜虫が言うのでな。 今夜は二人だけで飲もうと言ってある。 それゆえ出かけられぬ。」
「う、うるさくて悪かったな!」
「そう怒るな。 明日は行こう。」
「まことだな?」
「では証文を書こう。」
「え?」
カミュが傍らの栴檀の葉を一枚取った。 それに指でなにやら書くような真似をしてミロの懐に滑り込ませる。
「なんだ?」
「これで、なにがあっても明晩はお前のところへゆくことになる。 お前を安心させるための証文だ。」
「これが?」
「では明日に。」
さらりと言ったカミュが校書殿へ入っていってしまい、ミロは首をかしげながら屋敷に戻っていった。

さて屋敷に帰り、気の張らない直衣に着替えようとしたときだ。 懐からあの葉がひらひらと落ちたとたん、「必ずいこう」 とカミュの大きな声がする。
ドキッとしてあわてて木の葉を拾い上げ、
「おいっ、カミュ! 悪戯はよせ!」
声をひそめて呼びかけてみてもカミュの声は止まらない。 困り果ててもう一度懐に入れると静かになるのだ。
「なんてことをしてくれる! 悪戯にもほどがある!」
むくれながら木の葉を懐から落とさぬようにして、くすくす笑いをこらえている女房の手を借りてやっと直衣に着替え終わったときはほっとした。
どうやら、肌身離さず持っていろ、ということらしい。

   それならそれでいいかもしれん………一晩中、カミュを抱いているようなものだからな

そんなことを考えながら懐に手を入れて白い単衣の上から木の葉を撫でてみる。 少しばかり暖かいような気がした。


翌晩カミュが一人でミロの屋敷の前に現われた。
「来ると思った!」
絶妙のタイミングで現われたのはミロだ。
「なにやら懐が ぽうと暖かくなったので、お前の来る知らせだと思ったんだよ。」
「少しは勘が働くようになったか。」
「ふん、そのくらいは三つの童子でもわかるぞ。」
「これはおみそれした。」
「お前ね………」
笑いながら屋敷に招じ入れ、ミロがさっそくカミュの前に置いたのは古風な筝 ( そう ) の琴だ。
「参議の義孝殿と賭けをして手に入れたのだ。 どうだ、なかなかのものだろう!」
ミロが自慢げにする琴は側面に菊唐草の蒔絵を施してあり、十三弦の糸は最近張り直したものらしく色も新しい。 その糸の張ってある面には袖や裾を長く引いた なよやかな唐の婦人が描かれているのも珍しいのだ。
「ふむ……… 弾いてみたのか?」
「ああ、張りなおしてすぐに。 俺は琴はそれほど得手ではないが、お前よりははるかに上手いからな♪」
「それは知っている。 お前と琴で張り合おうとは思わない。」
懐から紅絹を取り出したカミュがすっと糸の下に滑り込ませるとなにやら真言を唱え始めた。
「おい、カミュ! いったいなにを…?!」
呆れてみていると紅絹がしなしなと震えて琴が玄妙な調べを奏で始めたではないか。
あっと思うまもなく白い煙が立ち昇り、ミロが気付いたときには美しい衣装を着た唐美人が目の前に立っている。
今度はカミュが低い声で印を結びながら違う呪を唱え始め、風にそよぐ柳のように柔らかく御辞儀をした美人は煙の如く消え失せてしまった。
「おいっ、これはいったいなんとしたことだ!」
「思うに義孝殿はこれを大事にするあまり、ほとんど弾かれなかったのだろうよ。 それを悲しんだあの美人がお前の元に身を寄せるように仕向け、それでもあまり弾いてもらえないのを嘆いていたのだ。 けっして悪いものではないが、日が経てば想いが嵩じて災いとなるやも知れぬ。 そこで、昨日は木の葉に呪をかけてミロを守り、今夜私が出向いてきて琴の魂を故郷へ帰してやったのだ。」
「ふうん………するとお前は、俺になにかわけのわからぬ物が憑きそうになってるのに蜜虫との約束を優先したんだな!」
「だから、お前に害をなすものではなかったということだ。」
「でも、俺がお前の来ないつまらなさに琴を弾こうと思いついて、そのときの扱いが悪くて唐美人を怒らせて酷い目に遭わされるってこともあるんじゃないのか?」
「いや、それはない。」
「なぜわかる?」
「私の知るミロは、女人を怒らせるような振る舞いをする漢ではないからな。」
「う………そう思うか?」
「思わいでか。」
そこでミロは納得した。
カミュが信じてくれているのに、なにをこれ以上とやかくいうことがあるのだろう。
「飲もう。」
「うむ、飲もう。」
たっぷりと酒の入った瓶子を傾ければとくとくと快い音がする。
「所望してくれれば琴を聴かせてもよい。」
「それも良い。 それも良いが………」
「………なんだ?」
「今宵はお前の笛を聴きたい。 長慶子を所望する。」
「聴かせてもよいが、そのかわり朝まで付き合え、今宵は寝かさない………それで良いか?」
「………好きにせよ。」
普段は白いカミュの頬が僅かに朱を帯びたような気がしてミロは慌てて杯を口に運んだ。
「あまり飲むな。 せっかくの長慶子が乱れるのでは困る。」
「心配無用だ。」

   笛の音より自分が乱れるのを心配したほうがいいと思うがな………

くすりと笑ったミロが笛に手を伸ばした。
名笛 葉二 ( はふたつ ) の冴えた音に耳を傾けるカミュが柱にもたれかかると襟元を寛げる。
嫋々とした笛の音が庭を渡っていった。



 
                     初めての本格陰陽師、ささやかな作品です。
                       やはり平安は いいわぁ………♪