「 一を聞いて十を知る 」


このことわざは中国の「論語」から出たもので、「物事の一端を聞いただけで、その全体を理解するほど聡明である」の意だ。
ちなみに「論語」とは、中国春秋時代の思想家孔子とその弟子達の言行録であり、2300年前の古代中国、戦国時代の燕を舞台にしている「招涼伝」をサイト内に有していることを考えると、最初に採り上げることわざとして最適だろう。

この諺から私が思い出すのは、聖域に来て間もない頃のラテン語の授業だ。
ただでさえギリシャ語が未熟だった私にとっては、そのギリシャ語でラテン語の授業を受けるのがかなり苦痛だったのだが、驚いたことにムウとシャカは、最初の授業が終わる頃には副読本の詩の解釈についてサガに自説を述べていた。
私など、「名詞の格変化」 で苦労していた段階だったのに、あの二人の理解力には舌を巻いたものだ。
次の授業では二人とも自作の詩を朗読していたことを覚えている。
あのようなことを 「一を聞いて十を知る」 と言うのだと思う。





俺は、そんなどうでもいいことは覚えてないな。
俺の前に座っていたお前の髪の毛がきれいで見惚れていたことは覚えているが。

…………「一を聞いて十を知る」か♪
ふふふ………俺が思うにだな、この諺の意味するところは、だ。

「あ……ミロ………」 とお前が言ったとしよう。
口をついて出た言葉は、間投詞の 「あ」 と俺の名前だけのようだが、実はそのほかに多くの言葉が発せられないままになっているだけなのだ。
ん? 意味がわからないのか?
では俺が特別に 「台詞完全回復」 を行なってやろう!

「あ……そんなことをするなんて………私はほんとうに困るのだから…頼むからそんなことをしないで欲しい……ああ、いや……やめて……ん……ああ…もっと私を……ミロ…♪」

こんなところだな、お前もそう思うだろう♪
あれっ? カミュ、カミュ〜〜〜っ!!!!!



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台詞完全回復なんてされると、黄表紙が長くなっちゃって困るんですが。
それに、ミロ様、色替えまでしなくても………(涙)