時代考証 第一回

「今日から、招涼伝の時代考証を行なうことになった。」
「時代考証って……、俺、そういうのはちょっと苦手で……」
「心配することはない、とりあえずは黙って聞いていてくれればよいのだ。
 なにしろお前がなにか言うと、そのたびに話が止まる可能性があるからな。よいな、ミロ。」
「わかった、わかった、お前の『先生』役には定評があるからな、なにも言わんよ。」

そういうことなら、とミロはお気に入りの椅子に腰を落ち着けた。
大変そうなことは全部カミュがやってくれるというのなら、こっちは椅子に座って相槌をうったり、感心したりしていればいいのだろう。
その間、カミュを眺めていればいいのだから、こんなに楽なことはない。
むしろ願ったりかなったりというものだ。

しかし、カミュの解説は長かった。
燕の都、薊から東に五里ほど進むと、北から山が迫ってくる。
 この『里』というのは距離の単位だ。現代日本では一里は3927mだが現在の中国では500m、周の時代では約405mになる。
 周の末期と燕の時代は重なっているから、この計算でいくと五里というのは2025mということになる。
 しかしそれではあまりに距離が近すぎるので、この文章では日本人の感覚で、一里=約4Kmとなっていると考えてよかろう。」

一行目の「里」の解説だけでこんなにあるのかと、ミロは少し気が滅入ってきた。

天勝宮、これは完全な造語だな。お前の天蝎宮をもじってつけられたものだろう、なかなかいいではないか。」

まったくだ、とミロは思ったがここは頷くだけにしておいた。
勝利という意味があるのは実にこの俺にふさわしいではないか。

東西交易路の東の最終点である薊、とあるが誤りだ。
 シルクロードの確立は前漢時代で、長安(現在の西安)がその東端だと思われる。
 長安は薊の南西約1000kmの地点にある。時代も昭王の頃からは、150年以上あとのことになる。」

   それは俺の時代、つまり昭王の治世を華やかにいろどりたい、という意図の現われで、誤りとまでは言わなくてもいいんじゃないか、
   歴史の教科書じゃないんだし。
とミロはこっそり考えたがやはり沈黙を守った。

市場には希臘や波斯あたりの顔立ちの者も散見される、これは事実あったことだ。
 東西の交流により、中国からは特産の絹や陶器が、西方からは宝石・ガラス製品、葡萄・くるみ・ざくろ・胡麻などの植物類、
 琵琶・ハープの類の楽器類などの物産のみならず、音楽・舞踊・曲芸などの芸術文化、さらには宗教などの思想が
 やがて流入してきたのだというからな。 金髪碧眼の踊り子もいた、という記録が残っているそうだ。」
ここでミロは、えっ?と感心し、つい口を滑らせてしまった。
「ふ〜ん、金髪の踊り子って、それは昭王も見た可能性があるってことかな?」
「お前は何を聞いているのだ?シルクロードは、長安止まりで薊には至っていない。時代もずれている、といったばかりだろう。
 それともお前は、昭王に金髪碧眼の踊り子を見せたいのか?」
「い、いや、なにもそんなことは……、すまん、もうなにも云わん。続けてくれ。」
冷たい目で一瞥されて、ミロは、これからは貝になろうと心に誓った。

「薊と聖域との地理的説明は、まあ妥当だろう。
 
(なつめ)はクロウメモドキ科の落葉小高木で、ヨーロッパ南東部から中国北部の原産だ。
 中国古典の西遊記にもよく出てくるので間違いはなかろう。
 棗と栗は、昔、婦人が人を訪問する時の手土産にしたそうで、結婚にも用いる、とある。」

   ふ〜ん、結婚か……、なにやら、俺と、いや昭王とカミュの未来を暗示させてるってことはないのかな?
   こういうのを伏線っていうんだろうか、今は、言わないほうが無難だが。

(ひぐらし)、これは中国に分布しているかは未確認だ。老師もよくは覚えておられなかった。
 五老峰では、滝の音が大きすぎて蝉の声など何も聞こえぬということだ。」

   そりゃそうだろう、聞くところによれば、廬山というところは現代中国では一大観光地だそうだが、
   老師もずいぶんと風光明媚な土地で過ごしていたものだな。
   まあ、二百年以上もその場を動かなかったのだから、シベリアやアスガルドだったら、ご老体にはとても耐えられんところだ。

薊と聖域との緯度は僅かに二度ほどしか違わぬ、これはその通りだ。」

   そんなことを間違うとはとても思えんのだがな。
   まあ、徹底的に考証するのはいかにも俺のカミュらしいか。

、この説明には問題がある。
 甘く柔らかな香りと書いてあるが、私がしらべた文献では匂いについて描いてあるものは皆無だった。
 とすれば匂いがない、と考えるのが当然だろう。
 それをいかにももっともらしく匂いがあるように書くのは非論理的だ。実証的態度とはいいがたい。」
   
   おい、ちょっと待てよ、カミュ!と俺は言いたかったが我慢した。
   匂いくらいいいじゃないか、もう先の先まで読み進んでるが、
   この木の下で休みながらお前がいろいろと昭王や燕のことを思い出してるんだぜ?
   満天の星空の下、木の葉の間を洩れてくる月の光がお前を照らし、槐の葉を揺らす風の音がお前の耳をくすぐる。
   そのお前の姿を想像するだけで俺はドキドキするんだからな。
   どうやら嫌な想い出はなさそうだし、
   この先、俺との、いや、昭王との色っぽいシーンを思い返す可能性もおおいにあるんじゃないかと俺はにらんでる。
   そういうときには「槐の花にはなんの香りもありはしない」なんて無味乾燥なことを書くより、
   「あたりは甘く柔らかな香りで満ちていた」のほうが、ずっといいんじゃないのか?
   そういうのを文学的表現っていうと俺は思うんだが、お前、今までにいったいどんな本を読んでるんだ?

二年前に薨去した先王、薨去とは親王または三位以上の人が死ぬことだ。
 親王とは帝の子息のことだから正確とはいえんが、古代中国でどのような表現をしたかはわからんから、許容範囲としておこう。」

   いいよ、俺は。いっこうにかまわんよ。

水難、現在の中国でも時々大水害のニュースが報道されているからな、
 災害対策のろくに行なわれなかった昔ではありうることだろう。」

   へぇ〜、俺は水難の起こる可能性まで論じるとは思わなかったな、さすがはカミュだ。

翠宝殿、これは私の宝瓶宮と翠(みどり)を組み合わせた造語だ。」

   俺はとても気に入っている!これだけは俺も辞典で調べたからな。
   翠というのは、かわせみのことも指し、その羽の色も非常に美しい。
   翠雨といえば「みどりの黒髪にかかる水滴」、翠黛(すいたい)といえば「美人の眉」、
   翠帳といえば「かわせみの羽で飾ったとばり。婦人の寝室のこと」とあるではないか。
   う〜ん、どれを見ても俺にはカミュのこととしか思えん、なんて素晴らしい言葉なのだ!
   『昭王は夜更けてから人目を忍び、密かにカミュの翠帳を訪れた』
   なんてシーンがあるのではないかと期待しているのだからな、これからだ、これから♪♪

会釈、中国では握手の習慣はない。軽く頭を下げるのが礼儀のようだ。
 むろん相手が目上だったり身分が高ければ、より深く頭を下げるのだろうと思う。」

   当たり前だ、握手なんか流行ったら俺のカミュが天勝宮の人間すべてと手を握らされるではないか。
   そんなもったいないことはとてもさせられん、会釈とは実に立派な尊重すべき習慣だ。
   しかし、昭王とだけはなんとかして握手をさせたいんだがな。

気がつくとカミュが原稿を閉じている。
第一回目の時代考証の講義は終わりのようだ。
ほとんど何もいわなかったが、ほんとにこれでいいのだろうか?
「カミュ、全部お前に任せきりだけど俺のやることはないのか?」
「別にかまわん、人にはそれぞれ向き不向きがあるのだからな。お前にはお前のやるべきことがあるだろう。」
ミロはちょっと考えた。

   俺のやるべきこと……、うん、決まってるな!時代考証で疲れたカミュをいたわるべきだ。
   第十一回でもカミュはかなり疲れてて、なんとかしてやりたいと思っていたところだ、
   今夜は宝瓶宮で俺がカミュをゆっくりといたわってやろう!

一人笑っているミロを、カミュが不思議そうに見ていた。