「………で………さっきの玄宗皇帝と楊貴妃ってどんな話?」
                   「 それは………ああ ミロ…そんなことをされては話ができぬ……」

                  すでに寝室に場所を移した二人の会話が秘めやかに続いている。
                   「 どうしても…だめ? 俺としては………こうしながらお前に教えてほしいのにな ♪」
                   「 あ……そんな………無理を言うな………ミロ……ほんとに…頼むから……」
                  肩に取りすがられ、消え入るようにささやかれては、さしものミロも手を引かざるを得ないではか。
                   「しかたない、許してやるよ。 でも、話のあとでまた……」
                  熱い吐息が首筋をくすぐり、それがまた情動を誘うのだがぐっと自分を抑えるミロである。

                  ようやく少しばかりの自由を許されたカミュが気だるそうに頭をもたげると、
                  それと心得たミロがすぐに髪を直してやった。
                  「 おやおや、ずいぶん寝乱れたものだな。」
                  「 ………いったい誰がそうしたのだ?」
                  「 ふふふ、もちろん俺! でも、乱れたのは髪だけじゃないけどな♪」
                  「 あ…………」
                  その言葉に恥らってうつむくカミュの首筋までが赤く染まり、なんともいえぬ風情である。

                     俺の手だけじゃなく、言葉でもこの恥じらいようだからな……
                     ……まったく、昨日今日始まった付き合いみたいなところが、またいいんだよ♪

                  「 玄宗皇帝とは中国・唐の皇帝で西暦740年に長安郊外の温泉保養地華清池 ( かせいち ) で
                   楊玉環、のちの楊貴妃と出会うのだ。
                   楊貴妃がこの温泉の湯で美しい肌を洗ったといわれているが、
                   その様子を白居易が長恨歌という詩に詠んでいるのが極めて有名らしい。」
                  「 ふうん、中国にもそんなに昔から温泉があるのか?」
                  思わぬところに温泉という言葉が出てきて、ミロは思わず耳をそばだてずにはいられない。
                  「 うむ、華清池は三千年前の西周時代から温泉が湧き、歴代皇帝が保養に訪れている。
                   温泉の温度は42度で、現在も入浴することができる。」
                  「 三千年前とはね! で、その詩っていうのはどういうのだ?」
                  「 お前には興味があるかもしれぬな、なにしろ温泉の詩だからな。
                     春寒くして浴を賜う華清宮  温泉の水滑らかにして凝脂を洗う
                   というのだ。」
                  「 その 『 凝脂 』 っていうのは何のことだ?」
                  「 滑らかで白く艶のある肌のことを指す。楊貴妃の肌の美しさを例えているらしい。」

                     ほほぅ! 俺にとっては楊貴妃よりお前の肌の方がよっぽど凝脂だぜ♪
                     「 温泉の水滑らかにして凝脂を洗う 」 とは、ここでのお前そのものじゃないか!

                  「 この楊貴妃は絶世の美女として知られ、
                   その美しさに夢中になった玄宗皇帝が政治をおろそかにし、その結果国が傾いたので、
                   そのくらいに美しい女人のことを 『 傾国 』 とか 『 傾城 (けいせい) 』 とかいうのだ。」
                  「 そこまで来ると、あまり目出度くはないな。
                    しかし、楊貴妃がそこまで美人なら、玄宗皇帝もさぞかし美男だったんだろうな。」
                  「 さあ? それはどうだろう?」
                  カミュが首をかしげた。
                  「 二人が出会ったのは、玄宗皇帝が56歳、楊貴妃が22歳のことだ。
                   そこまで年が離れていては、単純に美男美女と表現するのもいかがなものか。」
                  「 なにっ??!! どうしてそんなに年の差があるんだっ?」
                  「 楊貴妃は、玄宗皇帝の息子の嫁の一人だ。ちなみに玄宗皇帝には59人の子女がいた。
                   愛妻に死なれた皇帝が面影の似ている彼女に目を付け、尼寺に入れさせて、
                   そのあと自分の愛妾にしたという。」
                  「 俺はそんなのは嫌だぜ、冗談じゃないっ!」
                  「 むろん、私も好まぬ。 それに、この恋は悲劇に終わる。」
                  「 ………え?」
                  「 楊貴妃に溺れた皇帝が政治に目を向けなくなったので、国は乱れ、ついに反乱が起きる。
                   都を追われた皇帝はついに彼らの要求を容れざるを得ず、
                   楊貴妃を縊死させる命令を出さねばならなかったのだ。」
                  「 だって、愛していたんじゃないのか? そのくらいなら運命を共にしてやればいいじゃないか!」
                  「 そのあたりの事情は、私も詳しくは知らぬ。
                   大唐国の皇帝としては、国家存続のことを第一に考えなければならなかったのかも知れぬな。」
                  「 ふうん…………そういうものかな………」

                     昭王も燕のことを考え、自由な行動を差し控えている。
                     我を通せば国が滅ぶかも知れぬという立場ならば、やむを得ぬこともあるのだろうな………
                  
                  ミロの手がカミュの肩にかかった。
                   「 カミュ…………俺は自由な立場でお前を愛せることに満足している……
                   なにを恐れることもなく、誰に遠慮することもなく、こんなに、こんなにお前を愛している………」
                  ミロの声がかすれ、手が、唇がカミュを求めてゆく。
                  「 私も……ミロ……私も………」
「                 「 昭王は燕のためにお前を諦めたのだろうか………こんなに愛しいのに……カミュ……」
                  「 そうではない………昭王はけっして諦めてなどいない……」
                  カミュが激しく首を振ったのには、言葉以外の理由もあったのかもしれないが。
                  「 昭王は夢を未来へとつなぎ、その結実が私たちなのだから……昭王は諦めなかったのだ………」
                  「 そうだ……そうに違いない……生まれた国が違うのに俺たちは巡り会った。
                   会ったときから惹かれあい、ついには二人とも黄金聖闘士だ。
                   きっと、昭王は自分も聖闘士になりたいと思ったに違いない。 俺ならきっとそう思う。
                   昭王は夢を叶えたのだ………」
                  「 ミロ………」
                  カミュの両手がやさしくミロを抱き、熱い肌が摺り寄せられる。
                  「 私をもっと愛してほしい………昭王ができなかった分も込めて……
                   幾晩も幾晩も………これから先ずっと……」
                  「 ああ、お前も、もう一度巡り会う日を夢見ていたのだろう? 
                   望み通りに抱いてやろう……昭王が愛でただろう凝脂を、俺にも味わわせてもらおうか」
                  「 ミロ………ミロ……」

                  秘めやかな気配にときおりやさしい言葉が混じり、時のたつのを忘れさせる。
                  忍びやかな吐息と乱れた髪がミロを誘い惑わせた。
                  やがて夜半過ぎに意識の遠のきかけたカミュにミロがささやいた。
                  「 ねぇ、カミュ………まだまだ愛されたい……?」
                  「 ……明日も明後日も……昼も夜も……」
                  重いまぶたを閉じるとき、ミロの微笑が見えた。






、。