第二夜   サガ


サガからの手紙を受け取ったとたん、俺の退屈気分は銀河の果てに吹っ飛んだ。 デスマスクの一泊でも迷惑だったのに、一週間の滞在通告だぞ !! さすがはギャラクシアンエクスプロージョンの使い手だ、やることのインパクトが違う!

だいたい、この手紙の仰々しさはなんだ?このメール全盛の時代に、いかめしい羊皮紙の用箋に臙脂の封蝋だと?!ひょっとしたら、あの男はまだ教皇気分が抜け切ってないんじゃないのか??
双児宮の奥の書斎でデスクに向かい、この手紙を書き上げて蝋を垂らし指に嵌めた印章で自分のイニシャルを刻印しているところを想像すると……う〜む、迫力がありすぎる。 教皇の時だと鬼気迫るものがあるが、善のサガでも圧倒的存在感があるな! できるものなら俺たちをほうっておいて欲しいが、とても逆らう気にはなれん!
それに文体もすごい。 とても今風とは思えんぞ。 デスマスクのように、突然玄関で俺たちを出迎えるというのも確かに問題だが、こんなふうに大上段に構えられては、断りたくても断れんっ!まるで一国の元首の公式訪問のようではないか。 今から考えれば、デスの奴は人懐っこくていい奴だといえるな。 うん、俺はあいつが好きだぜ、ざっくばらんな気のおけない奴じゃないか!

シベリアに行ったきりのカミュと連絡の取りようもない俺は、一人で考えた末、友達が近いうちに泊まりに来ることを宿の主人に伝えにフロントへ行った。 ギリシャ語で書いたメモを渡すと、宿の主人はすぐに辞書を取り出し、単語を調べてにっこり笑ってお辞儀をしてくれた。 これで宿の手配のほうはOKだろう。
サガのことを友達と表現するのも妙だとは思ったが、先輩とか同僚とか、ましてや前教皇などといってもここでは何の意味もない。 しかし、サガを 「 友達 」 というにはいささか存在が重過ぎる。 もし万が一、老師が来た日には絶対に 「 友達 」 とは言えんだろうが、どうやって表現したものだろう? ううむ、難しいものがあるな。 こう考えてみると、デスはやっぱり俺の友達なのは間違いがない。 蒼薔薇の世話もしてくれたし、親友だな、あいつは!

さて、問題はサガがいつやってくるかだった。
俺としてはカミュとはここ何日もご無沙汰だったので、その埋め合わせをつけるためにも、カミュが戻ってきて数日たったころが望ましいが、そんな希望的観測が通用するかは疑わしい。
だいたい、カミュもサガも到着する日がわからんというのは問題がある。俺としては、用意のしようがないではないか! しかし、よく考えてみると用意をするのは美穂たちであって、俺には何もすることがない。 心の準備だけはできるが、あとは運任せなのだった。

そしてカミュがシベリアに行って五日目のことだ。
あれ以来なんの音沙汰もないので、カミュが戻ってきたら、こんなふうに抱いてあんなことを言って恥じらわせて……と楽しい夢想に浸りながら俺がアフタヌーンティーを楽しんでいると、宿の主人がやってきた。 なにやら日本語で印刷された紙を持ち、例の辞書を抱えてきたところを見ると俺に伝えたいことがあるようだ。 ざっと訳してあるいささか変則的なギリシャ文によると、『 明日から一人宿泊する 』 という意味らしく俺をドキッとさせたが、差出人はグラード財団だという。 はて? これはサガのことじゃないのか?

あっさりと書いたが、俺がこの 「 グラード 」 という部分を理解するのに10分くらいかかったのだ。 宿の主人は固有名詞をギリシャ語で書けないので何度も発音してくれるのだが、聖域でも数回しか聞いたことのない 『 グラード 』 という語を日本人が発音すると全くの別物になる。 差出人に心当たりのない俺は、その文書がどうして俺に関係あるのかさっぱりわからず、まずそこのところでつまづいた。 だいたい、グラード財団というのは、日本におけるアテナの私的団体なので、俺たちにはほとんど関係がなく、話題に出したこともない。 この宿がグラード財団に関係していることも、以前カミュが口に出したときに初めてわかったのだが、そのときでさえ俺は 「グラード財団 」 がなんのことだったか思い出すのに時間がかかったくらいなのだ。
どうにも埒が明かないと思ったらしい主人は、胸ポケットから日本人がよく使う名刺入れを取り出すと一枚の写真を見せてくれた。

   あれっ? これはアテナじゃないか!
   たまに見かけるときの衣装とは違って普通の服だが、どうしてここにアテナの写真が???

すると、宿の主人が写真を示しながら 『 サオリオジョーサマ 』 と繰り返し、俺がさらに首をかしげるとはっと気がついたらしく 「 アテナ 」 と言ったのだ。
さすがにアテナは聞き取れたので、ここに至ってやっと宿の主人との間に合意が成立し、俺は快哉を叫びたくなった。 しかし、待て! 文書については、なにも進展してないぞ?
そのあと、写真と、文書の差出人の名前とを交互に指差しながら宿の主人は 「 グラード 」 を連発し、やっと俺は理解した。 これはグラード財団からの文書なのだった。
ここまでくればあとは簡単だろうと誰でも考える。 これはどうやらファックスとやらを使ったビジネス文書らしいので、そういった種類のものは簡潔に要領よく書かれるのが常識だからだ。
簡潔すぎた………。
主人がギリシャ語に置き換えた単語の羅列は、「 明日 」 「 一名 」 「宿泊 」 「食事 」 「 六泊 」 だった。

   う〜む……サガのことのようにも思えるが、どうしてグラード財団からファックスが来なきゃならんのだ?
   この宿はそもそもグラード財団がらみなのだから、関係者の誰でも該当するんじゃないのか?
   休暇で来るサガにグラード財団は関係ないだろう?

俺は、友人が泊まりに来る、とは伝えていたが、グラード財団とのかかわりなどなにも考えていなかったので、それがサガのことだとは思いもせず、宿の主人とギリシャ語辞典を首っ引きでめくって、どれほど時間をかけたかわからんっ!
結局、「 私の友達の名前はサガです。」 という初級ギリシャ語入門の例文のような文章を書き、それを翻訳した宿の主人が財団本部に確認の電話をかけに行き、やっとことは決着した。 明日、ここに来るのはやはりサガなのだ!ついでに言うと、『 サガ 』 という語を俺が何度も発音し、それを聞き取った主人が日本語でそれを書き取り、やっとこの過程を終了したのだ。
ともかく俺は、一言いわせてもらうっっ!!
いくら公務の出張のあとの休暇だからといって、休暇は休暇、純然たる個人的旅行の連絡にグラード財団の名前なんぞ出すんじゃないっ! 形式を整えすぎるのは、かつて教皇をやっていたときの名残りなのか? たぶん、教皇庁の公務というのはグラード財団への出張のことで、それが終わったところで、次の宿泊地のこの宿に連絡のファックスが入ったのだろうが、どうしてこんな面倒な思いを俺がせねばならんのだ! こんなことなら、デスのように突然やってきたほうが、よっぽどましじゃないのか?
カミュがいてくれさえしたら、こんな話は英語で一瞬にして片が付くのに、えらく手間がかかったのだ。 あまりの話の長さを見かねた美穂が2回も紅茶を淹れ替えてくれたのだぞ! めでたく話が終わったときには俺のお気に入りのレアチーズケーキが出てきたが、あれは慰労の意味もあったに違いない。 この白いケーキのコクと舌にとろける滑らかな甘い舌触りは、大きな声では云えんが、まるで湯上りのカミュの肌のようで俺を秘かに唸らせるのだ♪

さて、それからの俺は、カミュが即刻帰ってきてくれるように神に祈った! 今夜のうちに帰ってきてくれないと、明日から一週間はカミュを抱けんのだっ!最初から数えると、なんと十二日間もの禁欲生活ではないか! 「 十二夜 」 という設定は、黄金聖闘士一人につき一夜という計算だと思うんだが、サガ一人のために十二夜も無為に費やすというのは言語道断、前代未満だろうが!いくら前教皇だったからといって贅沢すぎるぞ、、 冗談ではないっ! こんなことでは、まかり間違ってシャカなんぞ来た日には離れで一ヶ月くらい座禅を組みかねんっっ!!!
どうしてサガのやつは、カミュがシベリアに行ったその日から休暇を取ってここへ来なかったのだ。 そうすればなんの問題もなく、サガの帰っていた日から俺はカミュと再び蜜月生活を送れたというのに! 教皇をやっていたにしては、気がきかなすぎるんじゃないのか!
俺は一晩中まんじりともせず、風の音がすればカミュかと思い、寝返りを打ってはフトンを抱いていた。 くそっ、なんだって俺がこんな思いをせねばならんのだっ!

そして、ついにカミュは帰ってこず、とうとう夜が明けた。
「 嘆きつつ 一人ぬる夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る 」 とかいう歌は、こんなときのためにあるんじゃないかと思う。俺も日本にいるうちに和歌の教養だけは身についたようだ。
そして、離れにいるのも落ち着かなくてホールで新聞を読んでいると ( というのは、ここの主人が長期滞在している俺たちのために気を利かせてギリシャの新聞をファックスで取り寄せてくれているのだ ) 玄関先にタクシーが横付けになり、中からサガが降りてきた。

   ああ………どうしてカミュが先じゃないんだ……
   俺があれほど指折り数えて帰りを待ちわび、久しぶりの逢瀬を夢にまで見ていたというのに、
   どうしてサガの方に先に会わねばならんのだっ!
   くそっ、カミュが10分でも早く着いていたら、離れでキスの一つや二つはできたんだぜ!

「やあ、サガ! 日本で会うとは思わなかったな、ゆっくりしていってくれ。カミュはちょうど出かけているが、そのうちに戻るだろう。」
心にもない笑顔を浮かべた俺がそう言うと、
「やあ、ミロ、元気そうで何よりだ。 突然で悪いが、一週間ほど世話になる。」
久しぶりに会うサガは、ほんとに心からの笑顔を浮かべて手を差し出してきて、自分の都合ばかり考えていた俺はちょっと恥ずかしくなった。 あの教皇事件さえなければ、サガはほんとうに人格高潔な人物で、この八歳年上の聖闘士には俺もカミュも小さいときからどれほど世話になったかわからない。
日本家屋の中ではスリッパに履き替えることについて説明しながら、俺が懐旧の念にひたっていると、美穂が寄ってきた。
「いらっしゃいませ、サガ様でいらっしゃいますね。」
「今日から一週間ほど泊めていただきます、急なことでご迷惑をお掛けします。」
いつも通りにお辞儀をした美穂にサガが言った言葉は、俺には意味こそ分からなかったがどう聞いても日本語ではなかったか!
「まあ♪」
まさか言葉がわかるとは思っていなかった美穂が嬉しそうに頬を染め、俺よりも3Cm背の高いサガを見上げている目にはどう見ても賛嘆の色がこもっているようで、俺は一気に面白くなくなった。 どうしてギリシャ人のサガが日本語をしゃべれるんだ?言葉こそしゃべれんが、俺と美穂とはもう11ヶ月もの付き合いで、いってみれば家族のような関係なのだ。 急に出てきたサガに、今まで築きあげてきたささやかな世界を侵略されたような気がするではないか。
「どうして日本語を?」
「うむ、ここ日本は、なんといってもアテナの母国だ。その国の言葉を理解するのは、聖闘士としての喜びだからな。」
そう言うと、美穂に案内されたサガは、フロントで宿泊の手続きを始めた。

   ふうん……そんな動機で日本語をマスターできるのか?
   俺なんか、自分がフランス語を覚えるよりもカミュのフランス語を聴いているほうがはるかに嬉しいぜ♪
   こないだなんか、頼み込んでフランス語をしゃべってもらい、
   その間ずっとカミュを抱いていた俺は、この世における究極の悦楽を味わっていたんだからな♪
   あとでカミュに聞いたら、アインシュタインの相対性理論の概略を暗誦してたというんだが、
   声が途切れたり、時折り高くなったりして、いや、なかなかオツな夜だった♪
   カミュのフランス語は、天上の音楽に等しいと俺は思う!
   
美穂に案内されて離れに落ち着いたところで、俺はサガを露天風呂に誘うことにした。 向かい合って茶をすすっているのでは間が持たないし、どうせデスマスクとも一緒に入っているのだ、今さら恥ずかしいも何もあったものではないからな。 それに、サガが他人に会う可能性を嫌がればともかく、やはり温泉の真髄は露天風呂にあると俺は思う。
日本の入浴事情をざっと説明したところ、サガは思いのほかあっさりと承知し、こっちが拍子抜けするほどだった。 どうやら事前に文献で情報を得ていたらしく、日本人の裸の付き合い、という観念についても重々しく頷いて、知っていると言ったほどだ、温泉好きという噂は本当かもしれない。
しかし、百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。 実際に露天風呂に連れて行くと、最初は誰もいなかったので俺が入浴の仕方や打たせ湯の当たり方を逐一解説し、一つ一つ感心して実践するサガは、えらく感動したようだった。 ゆっくり浸かっていると、日本人が二人入ってきて、さすがのサガもはっとしたようだ。 頭ではわかっていても、実際に他人と遭遇すると、初心者としてはカルチャーショックを受けるのは当然なのだ。 湯の中で明らかに緊張しているサガを尻目に、すっかり慣れている俺は平気で目礼し、あまつさえその客たちの目の前で湯から上がって行ったので、サガを相当驚かせた。

   ふっ……このくらいできなくては、温泉通とはいえん!
   なんだったら、このあいだの千人風呂に連れて行ってやってもいいな♪

サガが湯から上がってきたのは、その客たちが打たせ湯の方に行ってしまってからのことで、俺は少しいい気分だった。

夕食も俺とサガの二人で摂った。 ここでも日本食のあれこれについて俺が説明し、東京に滞在していたといってもどうやら本格的な懐石は経験していなかったサガにかなり薀蓄をたれたと思う。 そうはいっても、カミュに比べれば俺の薀蓄などは、可愛いものに違いない。 サガも、給仕をしてくれた美穂に、食材やら調理法などについて質問していたが、そもそも野菜や魚の種類が違うのだから、蓮根やサヨリのことを聞いてもなんの役にも立たないのだ。その点、俺の知識の蓄積は半端ではないからな。 いつもカミュの解説の聞き役になっていたのは伊達ではない。 ジェミニのサガに薀蓄をたれるというのは、うん、相当にいい気分なのだった。
そうやってゆっくり食事をしていると、驚いたことに浴衣の上に半纏を羽織ったカミュがやってきたではないか!
「カミュ♪帰ってたのか!」
「遅くなってすまぬ。 さきほど着いて、食事の前に汗を流させてもらった。 これは、サガ、ようこそ日本へ。」
六日ぶりに見るカミュはやはり美しく、俺はつい惚れ惚れしてしまうのだ。 湯上りの肌が匂うようでドキドキするし、背を流れる髪は艶めいて、溜め息が出るのを抑えるのに苦労する。 この場にサガがいなければ、そこは美穂たちにはわからぬギリシャ語でそれなりに愛の言葉を贈れるのに、通り一遍のことしか言えないのが実に残念だ。
「…あ……ああ……カミュ……このたびはお邪魔する……お先に食事をいただいていてすまない。」

   ん? どうしたんだ?
   さっきまで落ち着き払っていたのに、なんだか態度がおかしくないか???

カミュに挨拶したあとは妙に目をそらし、かと思うとちらっ見て眉を寄せたりするのが不自然で、 俺は首をかしげた。カミュの方はなにも気付かぬようで、シベリアと日本の風土の差異について話し始めているのはまったくいつもの通りなのだ。
連絡なく宿に戻って来たカミュに急遽用意された献立は、少々俺たちとは内容こそ違うものの、見劣りすることなどないのがこの宿のたいしたところだと俺は思う。

   う〜ん、サガさえいなければ俺の茶碗蒸しとカミュの揚げ出し豆腐を分け合うんだが……
   他人がいるというのは、夜の付き合い以外にもいろいろと支障があるな!

シベリア帰りのカミュに慰労の意味も込めて一献指すと、困った顔をしながらもちょっと唇をつけて半分ばかり飲み干した。 たちまち首筋まで朱に染まり俺の目を楽しませるのはいつもの通りなのだが、今夜はその後がないのが口惜しい。
部屋に戻ると、カミュはよほどに疲れていたのだろうか、 「 お先に休ませていただこう 」 といって先に奥の部屋に引き取ってしまったが、どうせサガがいては何もできはしないのだ。 俺はもう一度、サガを露天風呂に誘うことにした。
四月とはいえ、登別の夜は零下近い冷え込みとなる。 手早く湯を浴びてから肩まで浸かると、今度こそは誰もいないのでサガもほっとしたらしい。 星空を仰いでくつろいでいると、サガが一つ溜め息をつく。
「夜の露天風呂も、なかなかいいだろう?」
「うむ、確かに素晴らしい!この開放感はほかでは味わえぬ。 ところで、ミロ………」
なにごとにも明快なサガが、妙に言いよどむのが不自然だ。
「………カミュが……その………言いにくいのだが……」

   なんだ? カミュがいったいどうしたんだ?

「以前よりずっと……きれいになったと思うのだが、お前はどう思う?」
「なっ、なにぃ〜〜〜!!!!」
これが驚かずにいられようか!
「サ、サガッ………いったいなにを言っているっっ??!! カ、カミュが、なんだって??」
「いや、こんなことを言うのは我ながらおかしいとは思うのだが……お前は気付かないのか? 明らかに聖域にいたときよりカミュはきれいになっているように見える。」
「え……急にそんなことを言われても……俺は、俺としては……」

ずっとカミュを見続けているので、前よりきれいになっているかどうかなど考えたこともなかったが、言われてみれば、前よりも肌の色艶は増し、天性の美質にさらに輝きが加わっているような気もしてくる。 俺にははっきりとわからなくても、1年近くカミュと会っていなかったサガには、はっきりと違いがわかるのか?しかし、この間来たデスマスクは、そんなことなど一言も言っていなかったではないか!
「噂には聞いていたが、お前たち、この温泉に来てから1年近く経つのだろう?……もしかするとその間に……」
   
   ………え? な、なにを言い出すつもりだ?サガ! 噂ってなんの噂だ?
   俺たちのことを知っているのは、デスとアフロと、それから老師くらいだと思うんだが、
   こんなところでサガに感付かれるのか???
   それとも、前から知っていて、ほのめかそうというわけか??
   愛されていると人はきれいになるというが、それは確かに、俺たちの関係はここに来てからさらに深まっていると思う。
   うまい食事といい温泉とふっくらしたフトンが、日夜、俺たちの愛をはぐくんでいるのは事実だからな、
   特に、湯上りの上気してピンク色に染まったカミュの肌の心地よさといったら、まさに天上の美味!
   俺だけに許された極上の果実を朝に夕に味わえるこの幸せはシェークスピアでも表現できんだろう♪
   愛される分だけ人はきれいになれるとしたら、カミュの美はセブンセンシズをはるかに越えるに違いない。
   しかし、カミュが目立ちすぎるほどきれいになったからといって、俺たちのことが看破されるとは……本当か?

「いや、私としたことが馬鹿げたことを言った。 このことは忘れてくれ………」
それきり腕組みをしたまま黙っているサガを見ていた俺の頭の中に、不意に別の考えが飛び込んできた。

   ま、まさか、サガの奴…………カミュに気があるんじゃあるまいな???
   そうでもなければ、男がカミュのことを 「 きれいだ 」 なんて言うか?
   冗談ではないっっ! 俺のカミュに手を出してくれるなっ!!!
   むろん、カミュが靡くはずもないが………いや、待てよ! サガには伝説の幻朧魔皇拳があるッッッ!
   俺は噂に聞いただけだが、確かあれは、相手の心を意のままに操る精神攻撃だというではないか!
   あのアイオリアも、あれにやられたときは別人格になったんだぞっ!
   確かアイオリアは、
   幻朧魔皇拳にかけられた人間を元に戻すには目の前で人が一人死ななければだめだ、と言っていたはずだ!  
   万が一、サガがその気になって俺の見てないときにカミュに幻朧魔皇拳をかけたとしたら………
   そして、そのカミュを元に戻すために命を投げ出すのが俺だったりしてっっっ!!!!!!
   
そ、そんなぁ〜〜〜っ、カミュ〜〜〜ッ!!!!

俺の頭の中にありとあらゆる最悪の事態が展開され、気が遠くなりそうだった。
いったいサガは、今、なにを考えているのだ! ほんとうにカミュに懸想しているのかっ????!!!!

それからの一週間は、俺にとってどれほど長かったか知れはしない。 朝に夕に、サガがカミュを見るときに眩しそうに目を細めるときがあり、それが俺をドキッとさせた。 食事中など、湯上りのカミュを惚れ惚れと見つめているようなときもあり、ついにカミュに 「 私の顔に何かついているだろうか?」 と訊かれて、「 いや、なにも…」 と慌てて否定しながら他の話題を持ち出すところなど、十二分に怪しいのだ。
万が一を怖れた俺は、サガにぴったりと張り付き、カミュとは決して二人きりにさせぬように細心の注意を払うことにした。
「 カミュは恥ずかしがりだから 」 との理由で、露天風呂も家族風呂もすべて俺が付き合い、なるべく引き離しておくために、温泉パスポートさえ三日間も行使したのだ。 たくさんの見知らぬ日本人と同浴することについて説明したとき、サガは相当にギョッとしたらしいが、既に俺が体験済みであることを知ると、考え直したらしい。 それはそうだろう、年下の俺がたった一人で敢行したのに、はるかに先輩聖闘士である自分が尻込みしていたのでは格好がつかんからな。
ただし、先日の千人風呂の混雑ぶりは俺としても避けたかったので、カミュを通して美穂に知恵を授けてもらい、午後一番に乗り込むことにした。 その時間帯なら、団体客がいるはずはないから空いているだろうという判断なのだ。 この計画は見事に当り、俺は人もまばらな千人風呂に連れて行き、サガの度肝を抜いたのだった。

いくら温泉好きといっても、サガの知識は机上のものだ。 俺は、温泉の現実的な入浴マナーや日本人の温泉に対するこだわりなどについて、これまでの実践に基づく薀蓄を披瀝し、おおいにサガを感心させた。 ここで気合いを入れてサガの関心を温泉自体に向けさせないと、俺とカミュとの将来に暗雲が立ち込めるかもしれないのである。
こんな風に、サガをカミュから引き離すことに意識を集中させていたため、デスのときとは違って、カミュを抱けない欲求不満で悶々とすることはなかったのは自分でも意外だった。 サガが来る前は、一週間の長い夜のすごし方について暗い溜め息をついていたのだが、蓋をあけてみれば、俺の関心は、サガから俺の大事なカミュを守ることに集約されたのではなかったか。

こうして俺にとっては実に緊張と行動力を要求された一週間が過ぎ、ついにサガが帰る朝となった。 まさかいまさら幻朧魔皇拳でもあるまいと安心した俺が食後の珈琲に手を伸ばしたときだ、サガが表情を改めて張りのある声でこう言った。
「カミュ……一つ尋ねたいことがある。」

   なんだ? 急に目に光が加わったぜ!
   宿の主人や美穂がそのへんにいるのに幻朧魔皇拳をいきなり放つとも思えんが、
   まさか、何かほかに精神操作の技を持っているんじゃあるまいな?
   そんなもの、俺にもかけられたら防ぎようがないっ!
   そんな思い詰めたような目で俺のカミュを見るな〜〜っっ!!!!

「尋ねたいこととは?」
「その……お前のことだが……聖域にいたときより、どう考えても皮膚の色艶がよく、内面からの美しさがにじみ出ているように思える。 ミロにはわからないらしいのだが、継続して一緒にいるため緩慢な変化を見逃したのだろう。 これはもしかして、1年間温泉に入り続けた効果ということがありうるだろうか? 私は温泉が人体に及ぼす効果としては、血行の促進、鎮静効果、殺菌効果などの医学的効用しか考えていなかったのだが、人をきれいにする、といった類の曖昧な効果が存在するのか?」

   ……え?

「私のことはいざ知らず、温泉には確かにそのような効果があることは日本では常識になっている。」

   ええっっ???!!!

「北海道には約226箇所の温泉地があり、日本の中でも有数の温泉集中地区だが、ここ登別温泉は自然湧出量一日一万トン、源泉温度45℃〜90℃を誇る。 そして日本に存在する11種類の温泉すべてが湧出していることで広く知られているのだ。 一箇所にこれだけの種類の源泉が湧出するのは世界的にも極めて稀だ。」
「ほぅ! それは素晴らしい!」
「11種類の源泉とは、硫黄泉、食塩泉、明礬(みょうばん)泉、芒硝(ぼうしょう)泉、石膏(せっこう)泉、苦味(くみ)泉、緑礬(りょくばん)泉、鉄泉、酸性泉、重曹泉、放射能泉だが、例の千人風呂のホテルは、このうちの7つの源泉を保有するという恵まれた環境にある。それゆえ浴槽の数も多いということになろうか。」

   ふうん、俺は、単にたくさんの人間が入れるように広く作ってあるんだと思ったぜ
   どうりでいろいろな湯の色があると思ったわけだ

「そして、私たちの泊まっているこの宿の源泉は重曹泉で、その性質は無色透明、重曹を含み、皮膚の角質層を柔らかくし脂肪や分泌物を洗い落とす優れた洗浄作用がある。温泉で身体を温めることにより毛穴が開いて老廃物が排出されもするので、皮膚が柔らかく滑らかになる効果が生まれる。」
「なるほど、きれいに見えたのはそういうわけか。」
「きれいというのはいささか主観的に過ぎる評価なのであまりおすすめできぬが、温泉施設が集客力を高めるためには有効な表現かもしれぬ。」

   いや! お前は主観的にも客観的にも最高にきれいだぜ!
   それにしても、俺が偶然選んだこの宿が、お前の美しさをさらに際立たせる種類の源泉を持っていたとはな!
   その湯に1年近くも入り続けているカミュを毎晩思いのままにできる俺は、三国一の果報者だよ♪

サガがカミュをじっと見つめたりしていたのは、温泉の効能を推し測っていたためとわかり、安堵の思いが身体を満たす。
これで今夜は安心してカミュをこの手に抱けると言うものだ。 今朝の珈琲の美味しさが身にしみる。
「そうだ! サガも今日でこの宿ともお別れだからな、チーズケーキを食べるべきだぜ、ここのは美味い♪」
俺は手を挙げて美穂に合図した。

離れに戻り、サガが荷物をまとめていたときのことだ。
「そういえば、お前たちに聞くのを忘れていた。 日本では人前で足を洗うという習慣があるのか?」
突然サガに言われても、なんのことやらすぐにはわからなかった。

   なんだ…? なんのことを言っている???
   ………もしかして足湯のことか??
   俺はサガには足湯のことなど言ってはいないが、温泉街のどこかで見かけたのだろうか?
   
「それは何のことだろうか?」
ピンとこなかったカミュの問いに、サガがパソコンを起動させた。 長い指がキーボードの上をめまぐるしく動き、見知らぬ画面を次から次へとクリックしてゆくと、そこに映ったのは、足湯に浸かっている俺たちだった!
「えっ?」
同時に声を上げ、顔を見合わせる。それは確かに、温泉街で足湯に興じていた俺たちの写真なのだ。
湯の中で素足を泳がせ、いかにも楽しそうに顔を寄せ合い、のんびりとくつろいでいるのは明白であった。
「ど、どうしてこれがっ……!」
「こ、これは足湯といって、日本人は血行の促進及び疲労の回復を図るという目的で……」
俺たちは同時に口を開き、サガは面白そうに聞いている。
「ネットで温泉のことを調べていたら、リンクをたどっていくうちにこの写真に出会った。 このページは個人の日記のようだから、気付かぬうちに観光客にでも写真を撮られたのだろうが、記憶にないか?」

俺は心の底から唖然とした。 あの時はカミュを足湯に誘って、隣同士で気持ちよく足を揺らめかせ、湯の中で時々足を触れ合わせながら楽しく5分ばかり過ごしたのだった。 写真を撮られた記憶など全くない。 写真を見直せば、思いっきり仲良く、二人の世界に浸りきっているようにも見えるではないか。 カミュも顔を赤くしてうつむくばかりなのだ。
「長い休暇を楽しむのもよいが、ネット上に情報が氾濫する時代なのだから、写真には気をつけたほうがよいだろう。 海外からでは肖像権の問題を提起しても解決は難しい。もう少し自重したほうがよいと思われる。」
「……ああ、わかった。 以後、気をつけよう。」

「おい、カミュ……まだ時間があるから、俺はサガを足湯に誘うことにした。 協力しろよ。」
「え…? あのサガが足湯などやるだろうか?」
「肖像権とか言っていたが、もともと温泉には並々ならぬ関心があるのだ。 ここで足湯を経験してもらわないと、聖域に帰ってからますます頭が上がらなくなる。 まあ、見てろ♪」
サガがホールで美穂に挨拶をしている間に、俺たちは宿の主人に近付き、美穂をサガの見送りに同道させることの了承を取り付けた。 むろん、美穂にも依存はないので話はすぐにまとまった。
あとは車を少し迂回させてもらって温泉街に入り、足湯のあたりで停めてもらうだけの話だ。

「サガ、ちょうどいいことに、ここにあの足湯がある! 日本での記念にぜひ体験するべきだな♪」
足湯のそばに車を停めてもらってから、作戦開始だ。
「うむ、それがよいぞ、長旅に備えて血行をよくしておくことは、航空機のなかでのエコノミー症候群の予防にも有効だ。」

   おっ、カミュ、なかなか的を得た援護射撃じゃないか♪

「え? 街中で素足になるのは、ちょっと……」
ここで、カミュが美穂に英語でなにか言った。
「サガ様、ぜひ足湯を体験なさってください。 とてもいい気持ちなんですのよ、私も時々足をつけますけれど、それはそれはよいものです。」
きっと、美穂は日本語でこう言ったに違いないと俺は思う。
少しためらっていたサガが、苦笑して俺たちに続いて車を降りた。
足湯には都合のいいことに誰もおらず、俺たちは並んで足を湯につけた。 経験した者はわかるだろうが、湯に足を入れた途端、「 ああ、いい気持ちだ!」 と思うのは誰しも同じなのだ。
やはりサガもその例にもれず、溜め息をついて満足そうに微笑み、隣の美穂となにかしゃべり始めた。
成功である♪ こうして俺たちはサガを足湯仲間に引き入れたのだった。

登別温泉から新千歳空港までは高速バスで1時間ほどだ。 俺たちはサガがバスに乗り込むのを見届け、手を振って別れた。 美穂は深々とお辞儀をして、この長身の聖闘士との別れを惜しんだのである。
「ふぅ、やっと俺たちだけになれたな。」
「お前の考えていたことは、よくわかっているつもりだ……… デスマスクのときもかなりイライラしていたから、今度の十二日間はさぞかし……と思ってはいる。」
車の中なので、表情を変えもしないが、内心は赤くなってるんじゃないのか?
「それがそうでもなかったんだぜ、帰ったらゆっくり話してやるよ♪」
嫉妬と不安で、それどころではなかったこの一週間が思い出されて俺は笑ってしまうのだ。
「それにしても、あの足湯の写真はいい出来だったな。 今思えば、さっきサガと一緒に足湯に入っていたときの写真も撮っておくべきだったかもしれん、惜しいことをした。」
「写真なら、もう撮ってある。」
「……え??」
「美穂のいい記念になるだろうと思い、出掛けに運転手にカメラを渡して車内からこっそり撮影してもらったのだ。 お前に言うと、カメラを意識して表情が硬くなると思い黙っていたが、気付かなかったか?」
そういうとカミュは座席においてあったデジカメを操作して、俺たち4人の足湯写真を表示させたではないか!
サガは美穂と楽しそうに笑い合い、俺とカミュはこの間と同じように足を揺らめかせて嬉しそうにしているのだった。
「カミュ……お前、ずいぶん素早いな!」
「美穂にこの写真を渡しても、大事な客の写真を外部に出すような真似はすまい。 私たちもこれを持っていれば、何かの時にはサガと思い出話ができるというものだ。」
「カミュ……お前って、知識だけでなく先読みもすごいのな…」
「伊達に囲碁をやっているのではないからな。」
そう言うと、カミュは助手席に座っている美穂にデジカメを渡し、車内には明るい笑い声があふれたのだった。

 

                       


                         十二夜の二番手はジェミニのサガです。
                              大物なので、とてつもなく長くなりました。
                              3、4日かけて書いた愉快な作品ですが、
                              お楽しみいただけたでしょうか。

                              上の写真は三裂星雲です、
                              サガの二重人格だったころのことをちょっぴりイメージ。
                              ギャラクシアンエクスプロージョンの使い手なら、
                              星雲の一つや二つ、本当に裂いてしまいそう!
                              初めてしっかり書いたサガは、やはり存在感がありますね、
                              立派な人物に書けたといいのですが。






「俺さ……この一週間、不安で不安でしかたなかったんだよ…」
「不安?……なぜ?」
「サガがお前のことばっかり見つめてたのに気付かなかった? それで俺……ちょっと誤解して……」
「よくわからぬ。 いったいなにを誤解するというのだ?」
「それがさ………いいか、怒るなよ、カミュ。お前があんまりきれいなものだから、サガがお前のことを好きになったんじゃないかと思ってさ。」
「なにを馬鹿な!」
「うん、そう言われてもしかたないけど、あの時はかなり本気で心配したんだよ。」
「仮に………仮にサガがそう思ったとしても、私にはお前しかいないのだ、なにも問題はあるまい。」
「普通はそうだよ、俺もそう思う。でも………」
「でも、なんだというのだ?」
「サガには例のあれがあるだろ……ほら、あの幻朧魔皇拳。」
「なにっっっ!!!!!」
「怒るなってば……カミュ……」
「あ………」
「だから……その……俺は心配で心配で……カミュ………」
「ミロ……ああ…ミロ……………」

「今のサガの中には善の心だけしか存在しない。なにも案ずることはない。」
「ああ、俺も頭ではわかっているんだが、あの時はちょっと追い詰められた感じでさ。」
「で、お前が嫉妬を?」
「笑ってくれ、うん、笑ってくれていいぜ。今となっては俺も可笑しい♪でも、あの時はすごく不安になったんだよ。」
「………私は、ちょっと悔しかった。」
「え…?」
「サガに………お前の身体を見られた……」
「あ…カミュ………」
「デスマスクは一晩だけで…それでも悔しかったのに、サガは一週間も………私は……お前を見ていないのに………」
「カミュ…カミュ………でも、お前には俺の心を見せている。違うか?形じゃない……心が一番大事なんだよ…」
「わかっている……」
カミュは何度も頷き、そしてゆるゆると首を振った。頭では、論理ではわかっていても、心が気持ちが納得しないのだ。
「愛して……もっと俺を愛して、カミュ……俺もお前を愛するから。いつでもお前だけを愛しているから……」
夜が明けるまで、日が沈むまで、ミロはカミュが納得いくまで抱いていようと思ったのだった。