「寄り道をするから。」
とミロに告げておいてデジェルはカルディアを娯楽室に引っ張り込んだ。幸い誰もいなくて好都合だ。
「どう思う?」
「どう思うも何も、カミュが教皇になるなんて有り得んっ!俺は絶対に反対だっ!」
「私とて、けっして嬉しくはない。カミュがそれを望んでいないことは確実だ。それにもしカミュが教皇になったらミロも心情はともかくとしてここを引き払って聖域に戻るのは確実だが、私たちだけでここにとどまるのは不安があるし、かといって天蠍宮に身を寄せるのも筋違いだろう。だからといって、お前の心臓の検診のことを考えるといきなりトラキアに居を定めて葡萄作りをするのも時期尚早だ。ミロとカミュさえよければここに滞在させてもらうのが最も良いことは言うまでもない。しかし今回の教皇位継承についてはすでにカミュが承諾しているし、我々も相談を受けていたわけでもないからいまさらどうしようもない。私の言って いるのはシオンのことだ。」
「シオンのことって……だってあいつはカミュにあとを継がせる気満々だろう?」
「私もそう思ったのだが、もう決まっているかと思いきや、最後のあれはなんだ?カミュも返事をしたのだから本決まりのはずなのに、私たちの意見を聞こうというのは?」
「今さら俺たちが何を言っても覆るはずもないし、カミュでなきゃ誰が次期教皇にふさわしいかと言われても、現役の黄金なんてミロとカミュ以外は誰も知らないんだから答えよ うもない。俺達の意見を聞いたって無駄としか思えんし……じゃあ、なんであんなことを言ったんだ?」
さっきは興奮していてシオンの発言の意図を考える余裕もなかったカルディアだが、デジェルにそう指摘されてみると疑問が湧いてくる。
「さっぱりわからんな。シオンのやつ、いったいどういうつもりだ?」
「思うに……」
「なんだ?早く言え。」
カルディアに催促されたデジェルの言葉は予想外のものだった。
「おそらくシオンはお前に謝罪させたいのではないかと思う。」
「なにぃっ!」
カルディアはむっとした。
「なぜ俺がやつに謝らなければならんのだ!そんな必要はない!カミュが次期教皇に選ばれたのとどう関係がある?」
カルディアが声を荒げたので、娯楽室に入ろうとした客が一瞬の逡巡のあと さりげない風をよそおって通り過ぎてゆくのがデジェルの視界の隅に映った。
「もっと声を抑えてくれ。大きな声を出したら迷惑になる。」
「あ……すまん。」
「胸に手を当てて考えてみればわかるだろうが、シオンがここに来てからというもの、お前の態度はあまりにもよくなかった。」
「それは…」
カルディアは頬を膨らませた。わかってはいるが、どうしても不快感を隠しきれないのだ。
「ともかく最初から無視のオンパレードだ。話しかけられてもだんまりを決め込み、見るに見かねた私が話の継ぎ穂を出すことの繰り返しだった。シオンも困っていたのは知って いるだろう?」
「う…」
「突然やってきて邪魔されたも同然だから、というのはわからないでもないが、いい年をした大人の取る態度ではない。いくら現役の聖闘士ではなくなったとはいえ、アテネの一般市民ではあるまいし、現職の教皇を無視するのは傲岸不遜だ。たとえ以前は私たちより年下の同僚であったとしても教皇を軽視することは許されないと私は思う。」
これらの言葉はカルディアの耳に痛い。自分勝手に不機嫌になり、ほかの三人に気をつかわせていたのは事実だ。それをわかっていながらカルディアは自分の我儘を押し通していた。
「シオンとて望んで教皇になったのではないだろう。生き残った黄金があまりにも少な過ぎて童虎と役目を分け合うほかなかったのだろうし、荒廃した聖域をたった一人で復興させるまでの道程がいかに困難を極めたか想像するにあまりある。いや、想像することさえ難しい。」
「うん…」
「それを年下だなんだと難癖をつけるのは間違いだ。」
整然としたデジェルの論理の前にカルディア、ぐうの音も出ない。
「そしてこれからが本題だ。シオンがいずれカミュに教皇を継いでもらおうと考えているのは事実だと思うが、聖戦も終わった今、ことさらにそれを急ぐ必要があるとは思えない。シオ ンは精神年齢こそ260歳を越えてはいるが、復活を遂げたあとの肉体は私たちと同じくきわめて若い。あの若さで教皇の座を降りねばならぬ理由があるだろうか?教皇位を降りたらどこに棲む のかは知らないが、シオンのあの性格ではたとえ従者を何人も連れていっても聖域を離れて一人暮らしができるとはとうてい思えないし、弟子のアリエスのいる白羊宮に寄宿する のも筋が通らない。アリエスもそれは望まないだろう。」
「そりゃそうだ。いくら親しい関係とはいえ、師匠で元の教皇と同居なんかしたら頭が上がらないからな。自分の宮なのに好き勝手できなくなるのは目に見えてる。」
「煙たがられるのを承知で無冠の聖闘士になるのをあのシオンが望むだろうか?あの若さならどうみてもあと五十年は健康を保てるはずなのにいったい何をして過ごすのだ?引退するには若すぎる。厳しかった聖戦も終結し、冥界とも平和条約を結んだ今こそシオンが平和裏に権力を行使できる好機の到来ではないだろうか。権力というのは三日持ったら辞められぬという。私の考えではシオンがこんな美味しい……といって悪ければ有意義な立場を手放すとは思えない。」
「はぁ?じゃあ、なんで、急にカミュに教皇職を譲るなんて言ったんだ?ミロもカミュもパニックになってえらい迷惑だろうが!」
「だから、シオンはお前に今までの態度を謝らせてその上でカミュに教皇職を譲らないで今の地位にとどまってくれるように頼ませる。それによって決定的に立場が違うというこ とを思い知らせたいのではないかと思う。」
「なにぃっ!なんでそうなるっ!?」
「現在の聖域でシオンを無視しているのはお前だけだ。周囲すべてから尊重されこの上なく丁重に遇されているシオンにそれが我慢できるはずがない。といって、  『 わしを誰だと思っている!分際をわきまえろ!』 と言ってもお前も態度は改まらないだろう?」
「それは無理だな。そんなことを言われたらますます反発するのがオチだ。」
「そこでシオンは考えた。カルディアが一も二もなく降参することはなにか? どうすればカルディアを屈服させられる?」

   力で抑えつけようとしてもカルディアが反発することは目に見えている
   とすれば搦め手から攻めるのが得策だとシオンは考えたに違いない
   カルディアの弱味は心臓と、それから自分で言うのもなんだがこの私だろう
   しかし心臓の件を持ち出すことは問題外だし、私とのこともシオンは知らない
   もし万が一、シオンが私のことを取引条件にしようとしたらカルディアは烈火のごとく怒るだろう

そこでシオンは自分にしかできない究極の選択をしたのである。すなわち次期教皇の人選だ。
「つまりカミュは人質になったのだ。カミュを今まで通りに自由な立場でいさせたいなら、態度を改めて教皇である自分に恭順の意を示せ、というわけだ。」
「う〜ん、そいつは………どうしてもそれでなきゃだめか?」
「謝る謝らないはお前次第だが、ここでカミュの教皇継承話が取りやめにならなければシオンは教皇の地位を降りて無冠の聖闘士となり、おかしなことだがそれは誰よりもシオ ンが望まないだろう。シオンにとっては賭けとも言えるが、そんな手段に踏み切らせたのはお前の頑強な態度が原因だと私は思う。だから、ミロとカミュのためにも、それからシオンとの和解のためにもお前に一肌脱いでもらいたいのだ。」
「ふ〜ん……するとキャスティングボードを握っているのは俺で、カミュを教皇にしないでやってくれ、と頼むとシオンに恩を売ったことにもなるってわけか。」
カルディアの目が細められた。表面的にはシオンが絶対の優位を保っているが、そこは駆け引きである。
「それに本当の意味でわかりあうべきだと思う。聖戦半ばで死んでいった我々と、生き残り組と、どちらが大変だったかはわからない。もっと胸襟を開いて話をしたほうがよい。」
「ん……そうだよな。」
こうして方針が決まった。


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