春から秋にかけて、カミュの苦悩はよほどに大きかったのだろう。 その重荷の除かれた今、ミロのやさしい、しかし的確な手によって、カミュの身は目をみはるほど鮮やかに染められていった。
その変化は、それを与えたミロが驚嘆するほどにめざましく、ミロを求める欲求はこれまでにないほど強かったといえよう。
この七ヶ月の間、ミロがいくら手を尽くして愛し慈しんでも、カミュの心を覆う翳りを拭い去ることはとうていできず、身体が陶酔すればするほど、その嘆きは深まっていったものだった。
しかし、今宵のカミュがミロとの逢瀬を心から楽しんでいたことは間違いがない。
カミュは何も言いはしなかったが、そんなことは聞かなくてもわかるものなのだ。

「ねぇ、カミュ………俺と一緒で幸せか?」
「むろんだ……ミロ………こんなに安心できる場所は他にはない……もっと……抱いてくれぬか?」
その言葉に応じてミロが腕に力を込めると、小さくあえいだカミュが歓びに頬を染める。
「お前の気の済むようにしてやろう………でも、こんなにきつくて苦しくない? 息ができる?」
「大丈夫だ、ミロ……私の心も身体も、もうどこにも行かぬようにつかまえていて欲しい………」
「ああ、任せておけ! 決して逃がさない、なんといっても、俺の宝だからな。」
ミロが艶やかな髪を一まとめにして握ったのに、カミュが目を留めた
「それも、私を逃がさぬための工夫なのか?」
「ああ、そうだ。 昔から、俺の得意技だ♪」
くすくすと笑ったミロが、カミュに口付けてゆく。

ひとしきり楽しんだあとで、カミュが溜め息をつき目を閉じたのを見計らってミロが口を開いた。
「聞きたいことがあるんだが………いいかな?」
「なにを………?」
「実は……昭王の 『 控えめ 』 っていうのが、どのくらいのものかと思ってさ………」
「………なにっ!!……そ、そんなことは私には……」
「いや、その、具体的でなくていいからっ! そいつは、無礼にあたるんだろう?
 ……そうだな……お前らしく数値で表せないか?」
「数値で、って……」
カミュが、あっけにとられて絶句したのも無理はない。 いったいどうやって、愛情の行為を数値で表せばいいのだ?
「たとえば………心拍数を対比させるとか、単位時間当たりの体温の上昇率とかのことか??
 それとも………その…抱擁時の上腕二頭筋の緊張度を算出するのか?今さらそんな計測は不可
 能だが。」
「いや、そんな大袈裟なことじゃなくってさ………」
ミロが真っ赤になって、慌てて手を振った。
「たとえば、俺を100としたら、昭王は数字的には幾つくらいになるのか、ってことでいいんだよ。」
「なんの根拠もなくて、そんな数字ははじき出せぬ。」
「そんなに深く考えなくていいんだよ。
 たとえば、アイオリアの真面目度を100としたら、デスマスクの真面目度は30くらいだ、なんて感じ
 でいいからさ♪」
「しかし、そんなことを言われても………」
「だいたいでいいんだよ、俺のことだから自分でも知りたいし。 お前だけが知ってるんじゃ、片手落ち
 だぜ! ………どう?……… 80くらいかな??」
「とんでもないっ!!」
カミュが、きっと顔を上げた。
「……え??」
「お前を100とすれば、昭王は……」
言葉を濁したカミュにミロがたたみかける。
「昭王は?」
「………5……くらいだ……」
「……5って………50じゃなくて………5?」
沈黙が下りた。

   5って……俺が100なら、昭王が5???!!!
   控え目って、そこまで控え目なのかっっっ???  
   それって、なにもしてないも同然だろう?!
   いや、なにもしてないなら 0 だからな……
   
   キスと抱擁をした、とカミュは確かに言っていた。
   すると、キスはおそらく唇を合わせるだけで、抱擁は本当に 『 抱く 』 という意味じゃないのか?
   「 猫を抱く 」 とか 「 人形を抱く 」 というやつだ。
   う、う〜む…………信じられんっ!!
   どうして、このカミュを抱いて、それだけで済ませられるんだっっ???
   それに、そのくらいでカミュはこんなに手ひどいショックを受けるのかっっっ!!
   昭王のレベルが俺並みだったら、いったいどうなっていたんだっ??!!

「ミロ……ミロ………この答えで、もうよいか? ミロ?」
「………あ?…ああ、すまん、もちろん十分だ。 面倒な計算をさせてすまなかった!」
あらためてカミュを抱き直したミロはそっと溜め息をついた。

   感謝するぜ、昭王。
   今の俺たちがあるのは、みんなあんたのおかげだ。
   この言い方はまずいかな? しかし、自分に敬称をつけてもしかたあるまい。
   ともかく、昔、控え目だったぶん、今の俺が埋め合わせることにしようじゃないか♪

「ミロ……思ったのだが……」
「ん? なに?カミュ」
「私たちは燕のことを知っていて、昭王と昔の私がここでこうして幸せになったことを知っている。
 しかし、昭王も昔の私も、未来のことは知らないのだ。
 昭王は銀の櫛を渡しに来たときに私を見たが、お前の存在を知らぬままに帰っていった……。
 あのとき私は、ここが二千三百年後のギリシャだと言わなかったから、もしかすると昭王は燕で
 別れた私がギリシャに戻っているところだと思ったかも知れぬ。
 なんとかして知らせたいのに……ここにこうして幸せでいることを伝えてやりたいのに……」
重い吐息がミロの胸にかかり、頬の熱さが心を揺さぶった。
「それはしかたのないことだ……昭王も昔のお前も、今このときになって真実を知ったのだから。
 そのぶん、俺たちが幸せになろう……
 それが二人の望みだったのだから……それが今、叶ったのだから………」
求め合う手がお互いをさぐりあて、やがて重い吐息も甘さを含んでいった。
「愛してる……二千三百年分、愛してる………カミュ………」
「………もっと…もっと………あのときのぶんも取り返すように……」

しのびやかに艶めいた交歓は、倦むことを知らぬようである。

一夜明ければ、聖域の木々も二人の残照で濃い紅に染まりそうな秋の夜。