作詞 : 鬼束ちひろ   「 眩暈 (めまい) 」 より

※ この物語はフィクションです。実在する人物・団体には一切関係ありません。
  
恐怖・スプラッタ・猟奇、その他、人によっては不快を感じる可能性のある記述が含まれています。
  個人の責任においてお読みください。



「今日5月25日は横溝正史( よこみぞせいし ・ 1902〜1981)の誕生日だ。」
「えっ?誰だって??」
「日本の推理小説作家だ。 金田一耕介という青年探偵を主人公とした作品を多く書いている。 映画化されたものには 『 犬神家の一族 』 『 八つ墓村 』 『 悪魔が来たりて笛を吹く 』 『 悪魔の手毬歌 』 などシリアスな長編が数多くある。」
「ふうん、映画になってるんだ! このあと暇だから娯楽室で見てみようぜ♪」
「それもよかろう。」

「おいっ、なんだ、あの映画は!」
「なにか問題があったか?」
「お前、なにも感じないのか??迫力ありすぎるとは思わんのか?」
「しかし、あれは映画であって事実ではない。 フィクションなのだから動揺することはないと思うが。」
「よく平気だな………俺は見てる間ずっと、噂に聞くフェニックス幻魔拳にやられているような気がしたが。」
「気のせいだろう。 それをいうなら、冥界から地上への道程のほうがよほど迫力があった。」
「う〜ん………確かに、それと比べられたら勝てるものはないだろうとは思う。」
「当事者であるほど恐ろしいことはない。 映画を見ている自分は単なる傍観者に過ぎぬから第三者としての冷静な判断ができるが、実際にその場に立つとその現実感がひしひしと身に迫ってくる。」
そう言うカミュが冥界のことに思いを馳せたのか、きれいな眉をひそめて重い溜め息をつく。
嫌なことを思い出させたようで、俺は映画を見たことを少し後悔したのだった。



   ここはどこだろう………

暗い中で私はぼんやりと考えていた。
粘つくような空気がまとわりついているのが鬱陶しくて少し首を振り、目の辺りに数本かかっている髪を払いのけようとしたとき妙に手が重いのに気がついた。
なにか生暖かいものが乗っているようで、それに加えてねっとりと濡れた感触もある。 シーツを掴む手がべとついて気色が悪い。

   え………なに…?

不思議に思って少し頭をもたげてそちらに目をやったとき、私は見たのだ、生首を!
全身が総毛立ち、心臓が凍りついたと思った。 ねっとりとした感触はそれから流れ出る血で、私の身体はそれに半ば浸されており、無残に落ち窪んだ眼窩から覗いている濁った黄色い目が無表情に私を睨めつけていた。

   これは幻覚だ、事実である筈がない!
   幻覚でなければ、私自らが作り出した妄想に違いないのだ………!
   しかし、この感覚はあまりにも………

ぞっとして払いのけようとしても依然としてびくりとも手が動かず動揺していると、あろうことかその生首は私の腕をずるりずるりと這い登り始めたのだ。 ぬめぬめとした重いものが肘を通り過ぎ二の腕から肩に乗ろうとするときになって初めて、私は真の恐怖というものを覚えた。
ほんとうに恐ろしいときは悲鳴など出るものではない。 いまだかつて悲鳴を上げたことのない私がそれでも喉も裂けんばかりに 叫ぼうとしたとき、その首からするりと伸びてきた髪が私の喉に絡みつきじわじわと締め上げた。 声を出すこともできず気ばかり焦り、逃げようとしても手足を動かすことさえできない私の脳裏にミロのことが浮かぶ。

   そうだ、ミロは?!
   どこにいる? ミロに助けを…!

かろうじて首を動かして横を見ると、ミロはいつものように私の横に寝ていて静かに目を閉じている。 私を襲ったこの異変には気付いていないのだ。

   ミロっ!!

叫んだが、いや、私は叫んだつもりだったが、締め上げられている喉からはなんの声も出てはくれない。 さすがにうろたえているうちに見るもけがらわしい生首は私の胸に乗り乾いた空ろな嗤いを立てた。 高く低く部屋に篭もる声に耳を塞ぎたくともそれも叶わずなおもミロを呼ぼうとしたとき、腐臭のする裂けた口からなにか得体の知れない赤褐色のものがぬたりと這い出てきたのにはゾッとした。
血ではなく、なにかそれ自体生命を持っているようなおぞましい感触があり、私の肌に吸い付いてなにかを確かめているような不快さに鳥肌が立つ。 すべては幻覚の、妄想の筈なのに、私の視覚と皮膚感覚はそれを否定していた。
覆うもののない私の胸をしばらく這い回っていたそれはやがて喉元に居場所を定めたようで、その粘りつく不快な重さがますます呼吸を困難にさせる。
恐怖と嫌悪感で気も狂いそうになったとき、手足に異常な感覚があった。

   ………手…か?!

そうだ、それは確かに手なのだった。
無明の闇の中から湧き出た無数の手が私の身体を這い登り始め、おぞましい動きで肌をまさぐり始めるのをどうすることもできず私はただ耐えるしかなかったのだ。 あまりの不気味さと忌まわしさに吐き気がし、なにも抵抗できずにされるがままのおのれに激しい屈辱と苦痛を覚えたとき、這い回る手の一つが私の髪に差し入れられて、最初は妙にぎこちない動きだったのが次第になめらかに髪を梳き始めたではないか。

   やめろっ!
   それは………私の髪は…ミロが梳いてくれるのだ!
   汚らわしい手で触れるなっ、それはミロだけのものだ…っ!!

激しい怒りと屈辱が心の中で燃え上がったとき、より恐ろしい感覚が私を打ちのめし、私は絶望のどん底に叩き落とされた。 素肌をまさぐっていた手がさらに数を増し、そのみだりがましい動きが私の中の微妙な感覚を呼び覚まし始めているのだ。

   ……あ…………よ、よせっ!!
   私に触れてよいのはミロの………ミロの手だけだ!
   やめろっっ!!

全神経が嫌悪感と官能にざわりと波立ち、避け得ない屈辱と悪寒に身を苛まれる。

   ミロっ………………ミ…ロ………

血を吐くような叫びもすぐに絶望の闇に飲み込まれ、何も知らずに眠るミロの横で、私は自らの生み出した恐怖になすすべもなく侵されていった。
       


俺が目覚めたのはどうやらカミュの声のせいらしかった。 時計を見るとまだ三時を過ぎたばかりだ。
「カミュ、カミュ……どうした? うなされてたぜ?」
隣りのカミュの顔色の悪さが気になり、肩に手をかけてそっと揺さぶってみる。
「やめろっ、私に触れるなっ!!」
「………え?!」
目を見開いて叫んだその声はどうみても怒りと恐れに満ち溢れていて俺を当惑させる。
「おい、カミュ、どうした?」
わけのわからないまま両手で抱きしめようとすると、なにか叫びながら恐ろしい力で俺を押しのけようとする。 恐怖に見開いた目が俺を見つめ、やがてそれは当惑から安堵の色になった。
「ミロ………ミロだ……これは…私のミロだ………」
唇が震え、涙が頬を伝う。
「……… どうしたんだ?」
「……恐い…」
「…え? 今、なんて?」
俺は耳を疑った。 およそカミュの口から出る言葉とは思えずに聞き返したのも無理はない。
「嫌な夢を見た……とても嫌な…」
「夢って……?」
「………生首が私に乗って笑ったのだ……」
「………え?」
「…とても苦しくて、目をそむけようと思ってもそれさえできなかった………眼窩は無残に落ち窪んでいてそれが私を睨みつけて………虚ろな嗤いを洩らす口からはおどろおどろしいなにか…得体の知れぬものがぬたりと這い出てくるのだ………ミロ…ミロ………」
ものに憑かれたように途切れ途切れに話す声は低くかすれて、いつものカミュの声とは思えない。
「おいっ、カミュ!落ち着け!そんなことを思い出すのはやめろっ!」
「払い除けようとしても手足は何かに押さえつけられたようで動かせず、お前に助けを求めることさえできなかった……そこに…そこにいてくれたのに…………私を睨みつけている生首から伸びてきた長い髪に喉を締め付けられて声も出せず、逃げようと気ばかり焦るうちに私の身体をたくさんの忌まわしい手が…おぞましく這い回り始めて…それが私を………気が狂いそうで………それでも私は動けなくて……ああ、ミロ………私は………」
「よせっっ! もう考えるなっ、それは夢に過ぎんっ! 現実ではないのだ、今のお前は俺に………ほら、こんなふうに俺に抱かれているだろう! 安心していいんだよ、もう恐がらなくていいから、カミュ………」
「ミロ………恐い……とても恐い……大丈夫だと言って…」
冷たい汗に濡れて細かく震えるカミュが、ひしと俺にしがみついてきた。 歯の根も合わず恐怖に怯えるさまがいとおしくて不憫でならず、俺もカミュをかきいだく。
「大丈夫だから………もう、恐ろしいものなどなにも来ないから………俺が守ってやるから安心して…」
耳元に口寄せてそめそめとささやき、少し乱れた髪をかきやって濡れた頬に口付けた。 滑らかな背を幾度も撫でて、手のひらを重ね合わせてこれ以上はないというほどに身を添わせてやった。
そんなふうに俺が包んでやっていても、カミュはありもしない物音に耳を傾け、見えない何者かに恐怖してしまうのだ。 風の音にも身を縮めておののくカミュがとても小さな子供のようで哀れでならず、俺の抱く手に力がこもる。
「愛してるから………大丈夫だから…俺の胸で安心して眠って……カミュ、俺の大事なカミュ……目が覚めたら、きっと綺麗な朝がお前を迎えてくれるから………だから安心して眠って………」
絶え間なくささやきかける俺の気持ちを感じてくれたのか、やがてカミュが恐怖に怯えていた蒼い瞳を閉じた。固く身をすくめて思い出したように震えていた身体からいつしか力も抜けて、俺の胸で安らかな寝息を立て始める。ときおり震えていた長いまつげに涙の粒が宿っていたのに気がついて、そっと指先でぬぐってやった。

   悪夢は終わりだ………目が覚めたらきっと全てを忘れているよ
   やさしいキスをして  微笑みあって  お前がよければそのあとで………

   シャワーを浴びて  珈琲を飲んで  なにか楽しいことを言って笑い合おう
   カミュ  カミュ  俺はこんなに愛しているよ

全てを浄化する朝の光を待ちながら、俺も目を閉じていった。




            誕生日ミニミニから二階級特進で出世しました。
              元の話もかなりの長さでしたが、どうせならと力を込めたらこんな仕儀に。
              使わないはずの壁紙に出番が回ってきたのは嬉しいけれど、
              どうでしょう? これは、かなりの問題作かしら??

              標題の鬼束ちひろは、書きあがってから決まりました。
              できたのでほっとしてCDをかけていたらこれが流れて、イメージがぴったり!
              ああ、これは神様の思し召しに違いない♪
              大好きな鬼束ちひろが、できあがった話にぴったりと適合するなんて驚きです!

              曲想は明るく希望があります。
              決してカミュ様を不幸にはしない名曲です、どうぞご安心くださいませ。
              それにしても、普段は使わない単語が総出演!
              自分の可能性に挑戦したような気が。 (これでも遠慮して一つ取りやめました)
              カミュ様の独白ですからね、語彙選定はカミュ様の自己責任ということで。
              ご本人がそう思ったのだから、私にはなんとも………(←逃げ)。



   何かに怯えてた夜を 思い出すのがひどく恐い  ねぇ私は上手に笑えてる?
  今は貴方のひざにもたれ 悪魔が来ないことを祈ってる ねぇ『 大丈夫だ 』って言って