『 幕開け
』
第一章 「蕾(つぼみ)」
「ほう、これはまた見事なバラだな!! どうしたんだ?」
今度は夕食の時刻に間に合ったミロが、部屋に入るなり嘆声をあげた。 すっかり用意の整った食卓の上には鮮やかな赤いバラが飾られている。
「教皇の間からの帰りにアフロディーテに持たされたのだ。 今日がアルデバランの誕生日なので、金牛宮に持っていくバラをちょうど切っているところに通りかかったので無理矢理手渡された。」
そう答えたカミュが、ミロに食卓に座るようにとうながした。
「ふうん、五月といえばバラの季節だからな、アフロもさぞかし忙しいことだろう。」
この間もらったバラは、確かブライダルピンクだったな、あれには参ったぜ。
どうして、花にそんな恥ずかしい名前をつけなきゃいかんのだ?
いったい、バラの名前には結婚関係しかつけちゃいかん、という法律でもあるのか?
黄色い花を指差したら、ハネムーンだと言われて慌てて断ったことを思い出したミロである。
「で、このバラはなんていう名前なんだ?」
どうせろくな名前じゃないだろう、と思いながらミロは一応聞いてみた。
「オープニングナイトだそうだ。」
「なにっ!」
「どうかしたか?」
「・・・・いや、なんでもない。」
ミロは急いで前菜を片付けることに専念することにした。 内心の動揺と頬のほてりを隠すために、グイッとワインを飲み干してみる。
オープニングナイトって、そいつは「夜の幕開け」ってことじゃないのか??
夜の幕開けといえば・・・・・・幕が開いたら、やることは決まってるだろう!
バラのネーミングとしては、意味がありすぎやしないか?
いや、俺としてはここまでくれば異存などありはしないが、
まさかアフロの奴、わかっててカミュをからかってるんじゃあるまいな?
それから先の食事については、ミロは上の空だったといっても間違いではなかったろう。
いつもならカミュとの食事は、落ち着いたものである。 なにしろ毎日のように会っているので、そう目新しい話題が出てくるというわけではない。 といって黙りこくって食事するのではなく、専らミロが食卓を賑わす話題を持ち出し、カミュがそれに 「ほう!」 とか 「なるほど!」 とか相槌を打つのである。
以前ミロが、カミュにもなにかしゃべらせようと交互に話題を出すことを提案したところ、しばらく考えていたカミュが相対性理論について語り始めたので、音を上げたミロが懇願して止めてもらって以来、話すのはミロ、聞き役はカミュ、という役回りが定着したのだった。
そんなミロが今夜はなにか考えながら心ここにあらずといった風情でいるのが気にかかったのだろう、ついにカミュが心配そうにミロの方をちらちらと見始めた。
「ミロ、今日はどうしたのだ?」
「・・・・・・」
「ミロ、ミロ!」
「・・・・え?・・・あ、なんでもないっ!」
カミュのみるところ、今夜のミロはあまり食欲がわかないのをむりやり口に運んでいるように見えもする。
ミロはいったいどうしたのだろう?
もしや、体調が悪いのに、私に心配させまいとして我慢をしているのかもしれぬ・・・・
さっきからワインばかり飲んでいるのは、熱が出ているのを隠すためなのでは?
顔を赤らめて視線をそらせているミロの様子はただ事ではない。 ついにカミュが立ち上がった。
「ミロ!!」
うつむいていたミロがはっと顔を上げた。
「そんなに我慢していることはない、もう寝室に行こう。」
「え・・?!」
「お前が何もいわなくても、長い付き合いなのだ、私にはわかっている、さあ!」
カミュに優しく腕を取られたミロが茫然とした面持ちで慌てて立ち上がった。
なんだ? いったいどうなっているんだ?
あのカミュが、こともあろうに俺を誘って寝室に行こうとしてる???
・・・・え? え?
オープニングナイト、お前がカミュに魔法でもかけたのか?
カミュにしっかりと抱えられながら部屋を出てゆくミロを、真紅のバラが見送っていた。
第二章 「開花」
ミロは当惑していた。 どうもカミュに誤解されているようなのだ。
先ほどの食事中に、あの薔薇のせいで普段に似合わず無口になっていたのを、体調が悪いと思われているようなのである。 現にカミュは、ミロをベッドに腰掛けさせると、薬と水差しを取りに部屋を出て行ったではないか。 サイドテーブルのキャンドルの灯りが、見慣れた部屋を柔らかく照らしている。
どうも話が上手すぎると思ったんだが、さて、どうしたものか?
これだけ期待させておいて、寝かしつけられたのではたまらんからな。
薬を飲む必要はまったくないが、そうかといって、オープニングナイトの名前でドキドキしたなんてとても言えん・・・・・・
ミロが考えているところへカミュが戻ってきた。
「具合はどうだ? ミロ」
サイドテーブルに薬と水差しを載せたトレイを置いたカミュが、ミロの額に手を当てる。 熱などないのだが、いささかワインを過ごしたせいもあって、ほてった身体にはその手のひんやりとした感触が心地良い。
「どうやら熱はなさそうだな」
そう言ってカミュが薬を取ろうとしたときだ、
「カミュ・・・・・来て」
その手をつかんだミロが、すばやくその身を抱き込んだ。
「あ・・・・・」
「熱があるのが額とは限らない・・・・・お前に冷やしてもらえたら助かるんだが。」
「ミロ!!」
それ以上の言葉を聞きもせず、ミロは白い首筋から耳朶へと唇を押し当てていく。 やがてそれが夜目にも鮮やかな紅に染まる頃には、いつの間にかカミュの身体が横たえられていた。
「カミュ・・・・愛してるから・・・・・・俺の一番大事な薔薇の花・・・・」
花の唇に与えられた甘い刺激と、肩に触れるミロの髪の感触がカミュを芯から酔わせてゆく。
「ミロ・・・・・」
それ以上耐えきれずに顔をそむけたカミュの瞳に揺らめく灯りが映り、ミロの眼前に余すところなく己が身をさらしていることに気付いた含羞が頬をさらに濃い紅に染めさせた。
「あ・・・・」
固く眼を閉じ、身をすくめたさまがいとおしくて、一瞬は迷ったものの、その気持ちがわからぬミロではない。
「カミュ・・・・・・灯りを消して」
優しく耳元でささやくと、あえかな吐息とともに、白い手がそっと伸ばされる。かろうじて灯りを吹き消した唇はすぐにふさがれ、おののく身体が柔らかく翻弄されてゆく。
濃密な時間と甘美な闇が部屋を満たしていった。
第三章 「鑑賞」
ミロは満足していた。
風薫る五月の聖域はみずみずしい新緑に輝き、初夏の陽射しがこころよくふりそそぐ。 心躍らせるこんな季節に、宝瓶宮のベランダでカミュと飲むモーニングティーのなんと味わい深いことだろう。
いや、モーニングティーというにはいささか日が高いかもしれん、
まあ、そんなことは一向にかまわんのだが。
それにしても・・・・・
ミロは向かい合って紅茶を口に運んでいるカミュをちらっと見た。
今朝方ミロが目覚めたとき、すでにシャワーをすませたカミュは髪を乾かし終えたところらしかった。 それほど手をかけているようにはみえないのだが、天性の美質というものはたいしたものだ。 部屋の中でも輝くように思えたというのに、日の光を浴びている今はますます磨きがかかって見える。
この類稀なる髪の持ち主が、昨夜、自分の腕の中でどんな姿態を見せたかを脳裏に思い浮かべたミロは慌てて表情を引き締めた。 そんなことを考えていることを悟られたら、ろくな事はない。 こうした朝のカミュは特に敏感で、過去に幾度も冷たい視線を浴びせられているミロである。
ここのテーブルにもアフロディーテのくれた真紅の薔薇、オープニングナイトが飾られていた。 アフロは物惜しみをしない性格で、バラを切るときにもそれは遺憾なく発揮される。おそらく美の伝道ということなのだろう、何十本も惜しみなく切ってくれるのだ。
アフロは人にバラを贈る時は、花言葉や名前の意味合いを重視してるんじゃないのか?
オープニングナイトって・・・アフロがこれを金牛宮の誕生祝いに選ぶだろうか?
「このバラ・・・オープニングナイトをアルデバランにも持っていったのかな?」
「いや、アルデバランには鮮やかな黄色のバラを用意してあった。 ゴールドシャッツ (Goldschatz)、ドイツ語で 『
金色の宝物 』 という意味だ。 なるほど黄金聖闘士にはふさわしい。」
ミロの眉がピクリと上がる。
「金色の宝物というなら、お前も黄金だぜ? どうしてお前は赤い・・・その・・・オープニングナイトなんだ? 好きなバラを選べ、と言われて赤いのを指差したってわけか?」
「そうではない。アフロがこのバラがふさわしいと言って自分から切ってくれた。」
ミロの心臓が跳ね上がる。
やっぱりアフロの奴、俺が宝瓶宮に泊まることを見越して選んだな!
カミュが気がつかないのは承知の上で、俺へのメッセージってわけか・・・・
くそっ、今度会ったとき、どんな顔すりゃいいんだよ!
「カミュ・・・・・・・お前・・・オープニングナイトってどんな意味だか知ってるか?」
「ああ、名前を聞いて、なるほど、と思った。 アフロは招涼伝を読んでいるから、この花を選んだのだろう。」
「・・・・・え??」
どうしてここで招涼伝が出てくるんだ? どう考えても関係ないだろう!
悔しいことにあっちでは、夜なんか全然幕を開けてないぜ!
それとも将来に期待する先物買いか? それも余計なお世話だが。
不審顔のミロに気付いたカミュが説明する気になったらしい。
「そうか、お前は英語には詳しくなかったな。 オープニングナイトというのは、芝居や映画などの初日の夜の公演のことだ。 その時に贈る赤いバラ、すなわち出演する俳優たちに贈るバラ、という意味になる。 私のことを、「招涼伝」
という芝居に出演している俳優だと考えれば、 オープニングナイトを選ぶのも自然な心理だと思われる。 さすがはアフロディーテ、バラを選ぶ感覚も繊細かつ優美だ。」
ミロが茫然としたのはいうまでもない。
「俳優に贈る花束だって?!俺はてっきり夜の幕開けだとばかり思って・・・!」
ミロがはっとしたときは、すでに遅かった。 カミュの視線が突き刺さる。 きれいな薔薇には棘がある、とはこのことか!
「ミロ!」
「すまんっ、カミュ! 食事中にそんなことを考えて悪かったとは思ってる! ほんとに、悪かった! しかし、思ったものは仕方ないだろう?」
ミロをじっと見ていた視線がなごみ、やがてカミュが笑い出した。
「・・・・・カミュ・・・・怒ってない?」
「怒ってもしかたあるまい。・・・それに・・・・・今から考えれば・・・・」
カミュが眼をそらせた。 視線の先には真紅のバラが咲き誇る。
「少しは面白かったかもしれぬ・・・・・」
「カミュ・・・・・」
ほっとしたように笑みを浮かべて席を立ったミロが、優しくカミュにキスをした。
サイト開設六ヶ月目の5月8日アルデバランの誕生日に某バラ園に行き、
その勢いで突然、三日連続で日記に現れた短編です。
そのままではもったいないと、
昔、教科書に載っていた子規の短歌を思い出して黄表紙に編纂。
バラの名前は多種多様で、そのまま星矢界にリンクできるものが多いのです。
「ジェミニ」「花音(かのん)」「女神」「希望」「白鳥」「エスメラルダ」「ペガサス」 etc.
バラ中心の星矢サイトを作るのも素敵かも!
でもアフロサイトではなく、ミロカミュサイトなのですが.