直に逢はば 逢ひかつましじ 石川に雲立ち渡れ 見つつ偲はむ  

                                       依羅娘子(よさみのいらつめ)    万葉集より

                               【大意】
    じかに逢うことはとてもできないだろう
                                       石川に雲よ立ち渡れ せめて眺めてあの方を偲ぼう




いつ来ても、この宮の空気は厳粛なたたずまいをみせている。
その静寂を破って足音が響く。
「シャカ!シャカはいるか?」
「・・・・・・ミロか。入りたまえ。」
少し間をおいて、奥から静かな返答が返ってきた。
シャカにはミロのやってきた理由がよくわかっているのだろう、その声にはなんの疑念もない。

「・・・・・・シャカ、聞きたいことがある。」
「なにかね?」
「・・・・・・・死んだ者は・・・・何処へ行く?」
「私に云えるのは、私の帰依(きえ)する仏教のことだがそれでもかまわぬか?」
ミロは黙って頷いた。あれ以来、ミロの瞳は暗く沈んだままだ。
「仏教では、死者はまず不動明王の審査を受けたのち、三途の川を渡らねばならぬ。」
「・・・・・・三途の川?」
「三途の川を渡るには、その者の罪科に応じて三箇所の渡り口のうちいずれかを渡ることになる。それゆえに三途の川というのだ。 山水の瀬は川の上流にあり、流れも遅く水嵩も膝下までしかない。罪の軽いものはここを渡る。 橋渡は川の中ほどにある。 その橋は金銀七宝で造られ、善人のみ渡れるのだ。」
ミロは大きく頷いたが、シャカは話を続ける。
「江の深淵は川下にある。 その流れは矢を射るように早く、波は山のように高く、川上より岩石が流れてきて罪人の五体を打ち砕く。 死ねば生き返り、生き返ればまた砕かれ、水底に沈めば大蛇が口を開けて待ちうけ、浮き上がれば鬼王夜叉が矢で射る。 ここは悪人のみが渡るところだ。」
「すごいところだな・・・・・・。」
しかしミロには不安の色はない。 カミュを愛し、知り尽くしてるがゆえに、金銀造りの橋を水に濡れずに渡っていけると考えているのも無理はなかった。
しかし、とシャカは思う。
カミュもやはり聖闘士であったのだ。 意に染まぬとはいえこれまでに人の命を奪ってきたことは否めなかった。 確かにあのカミュならば人格高潔にして清廉潔白であったには違いない。 それは聖域の誰しもが認めるところであったろう。 しかし最初の審判をする不動明王が人命を奪ったことについてどう裁くのか・・・・・・・・・。

シャカ自身は、自らの死後のことについては考えてはおらぬ。 自分の後生のことを考えていては、アテナの聖闘士ではいられぬからである。 シャカはそれだけの覚悟をもって、この世を生きていた。

しかし、 いかに歯に衣着せぬ物言いをするシャカといえども、人を殺せば江の深淵の可能性もあるのだと、どうして今のミロに云うことができよう。絶望の中にかすかな光を見つけかけている人間を再び闇に突き落とすようなものではないか。
それにカミュは仏教徒ではなく、そもそも三途の川とは無縁なのだ。 ここで詳しく語る必要はないのだった。

「三途の川の河原は大小の石が積み上げられ、荒涼としたところだという。 だが、仏教徒ではないカミュが三途の川に行くことはない、安心するがいい。 私にはそれしか云えぬ。」
「世話をかけた・・・・・・。」
ミロは小さく溜め息をつくと、処女宮を出た。

気がつけば早や黄昏時が訪れて、遠くに見える人影も薄鈍色(うすにびいろ)に滲んでみえる。
晴れならば華やかな茜に染まったはずの夕空も、暗い雲のふちに沈んだ錆朱の色をわずかに見せているばかりだった。

「・・・・・・カミュ、・・・・お前はどこにいる?・・・・俺をおいて何処に行ったのだ?」

呟きに応えるものは何もない。
索莫たる思いが骨を噛む。
耳に響くは君の声、この手に残る暖かさ、忘れえぬ人のいない寂しさをいったいなににたとえよう。
数えきれない想い出と、語りきれない歓びと、言うに尽くせぬ哀しみだけが独りたたずむミロを抱く。

「先に逝く者より、残された者のほうがつらいんだぜ・・・・・・」

ミロの呟きが風に散っていった。






                          愛する夫、柿本人麻呂を失った依羅娘子が悲しみを詠んだ歌。
                          人麻呂は、任地の石見の国(現島根県)で死んだ、と伝えられており、
                          依羅娘子は夫が「石川」で死んだと考え、この歌を詠みました。
                          およそ1300年前のことですが、人の心は今も昔も変わりません、
                          万葉集には、飾らぬ言葉で喜びや悲しみが歌い上げられています。