権中納言敦忠 (ごんちゅうなごんあつただ)         百人一首より





カミュのことが気になり始めたのはいったいいつ頃だったろうか。
どこにいるかいつも目で追っていて、視界に入れていないと不安になるほどだった。
その髪も、その声も、姿も、小宇宙も、すべてが俺の憧れだったのだ。

そしてついに願いが叶ったとき、俺は知った。
カミュの全てを見て、全てを愛していると思っていたのは、間違いだったのだと。
今の気持ちに比べれば、昔の俺は何も思ってないも同然だった。
逢ってみれば、カミュの素晴らしさはどうだ!!!
どこがどう素晴らしいといって、………いや、そんなことはとても言えんが、
俺はカミュとめぐり逢った幸運を感謝せずにはいられない!!







        
 この歌のポイントは 「逢う」。
         この場合は、「人と会う」 という単純なものではなくて、
         「男女関係を持つ」 ということなんですね。
         平安の頃にはには、相手の顔を見ることが、即ち肉体関係を持つことに直結します。
         高貴な姫君は父親以外の男性には顔を見せなかったので、「顔を見られる=肉体関係」という図式です。
         ミロ様、おめでとうございます。

         というのは、ミロカミュ的解釈。
         実際の解釈としては、
         「やっと君を我が物にしたら、不安や嫉妬や独占欲が増し、余計に物思いが多くなってしまった。
         この思いに比べれば、昔の自分の物思いなど単純なものだった。」
         というのが一般的。
         しかし、ミロ様の心理をここまで掘り下げることもなかろうと、喜びモードの解釈にしました。




                   

   あひ見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり