白玉か何ぞと人の問ひしとき 露と答へて消えなましものを |
あの光るものはなあに?と背中のあの人が問うたとき
露ですよ と答えてそのまま私も露のように消えてしまったならば
こんなに悲しい思いをしなくてもよかったのに
伊勢物語 「芥川 (あくたがわ)
」 より
………あれ?
カミュと手をつないでる………?
気がつくと、俺はカミュと並んで歩いていて、手をつないでいるところだった。
手くらいはいつでもつなげるだろうと思われているかもしれないが、あいにくなことに、人目に立つのを好まないカミュは聖域でもここ登別でも俺と外で手をつないでくれたことはない。
それはたしかに、二十歳にもなった身長180センチを越える俺たちが手をつなぐわけにいかないのはわかるが、例えば暗い森の中とか人気のない海岸くらいだったらかまわないんじゃないかと思うのが人情というものだ。
「私は女子供ではないから、たとえ足元が不安定な場所でも手を引いてもらう必要などないし、人目のあるなしにかかわらず、自分たちの関係を空の下で晒す気などない。」
それはたしかにそうなんだが、俺のほうはカミュと手をつなぎたいのだ。
「それほどつなぎたければ、室内でならよいが。」
室内っていっても、離れの玄関に入ってから奥の間までのわずかな間に手をつないでもしかたあるい。
それで手を離すくらいならそのまま抱きしめてキスをして、いい雰囲気が醸し出されたところでフトンに直行したほうがいかにも自然だと思うのだ。
そんなカミュが俺と手をつないで外を歩いているというのは嬉しいことではあるのだが、どうして俺は首が痛くなるほどカミュを見上げているんだろう?
このシチュエーションはどこかで見たような気がするのだが。
「疲れたならおんぶしてもよいが、ジョアンはどう?」
ジョアンって………え、え〜〜っっ!!
俺はあっと驚いて自分の身体を見下ろした。
地面が近いっ!!
足も小さい靴をはき、半ズボンから出ている膝も確かに小さい子供のものとしか思えない。
広げた手のひらも妙に小さくて、爪もなんだか柔らかそうなのだ。
ジョアンって、あの 「願い事ひとつだけ 」 に出てくるジョアンのことか??
あの話では、たしか俺たちは17歳のごく普通の高校三年生じゃなかったか?
どうして聖闘士の俺がジョアンになっている???
すると、このカミュも17歳なのか?
その気で見てみると、なるほど朝に夕に親密に付き合って隅から隅まで知り尽くしているカミュとは違って、聖闘士では必要不可欠のある種の厳しい雰囲気が見られない。 身を包んでいる筈の小宇宙の片鱗もないかわりに、いかにも育ちのよさそうなやや子供らしさを残した顔立ちに柔和な笑みを浮かべるカミュがそこにいた。
ふうん………聖闘士としてのカミュしか知らなかったが、普通の人間として育っていればこんなふうなのか………
待てよ? 今カミュはおんぶと言わなかったか?
「ちょっと疲れた〜、おんぶするぅ〜〜♪」
こんなときには甘えるに限る。 俺はしゃがんで背を向けてくれたカミュにしっかりとつかまった。
軽々と立ち上がったカミュは馴れた様子で俺の膝裏に手を回すと、すっすっと歩いてゆく。
カミュの背におんぶされるという珍しい経験に胸がどきどきするのは当たり前だろう。
頬を押し付けている髪のいい匂いが嬉しくて、胸いっぱいに吸い込んでみた。
ふうぅ〜、いったいどうなってるのかよくわからんが、気分は最高だぜ!
短い距離ならカミュを抱き上げたことはあるが、俺がおんぶされることがあろうとはな!
それにしてもずいぶん遠くまで行くようだが、これからどこに??
現実の自分たちが登別にいることは承知の上だ。 この状態を夢の中にいるのだとあっさり結論付けた俺は、この状況を目一杯楽しむことにした。
「どこまで行くの?まだ遠いの?」
いかにも目的を持っていそうなカミュの歩きぶりだ。 この訊きかたなら、俺が行く先も知らない二十歳のミロだとは気付かれまい。
「花火見物の場所までは、あと10分くらいかな? だいぶたくさんの人が歩いているね。」
なんと、俺たちは花火を見に行く途中なのだそうだ。
「花火大好き! とっても楽しみだもんっ!」
とても子供らしく、と俺は思うのだが、にこにこしながらそう言うと、ユラユラとしたリズムでおんぶされているのが楽しくてたまらなくなり、
「でも、カミュのこと、もっとだ〜い好きっっ♪♪」
といって綺麗な髪ごと首にきゅっと抱きついた。
「よしよし、私もジョアンのことが大好きだ♪」
おそろしく簡単明瞭な告白に、子供っていうのも悪くないなと思う。
道はやがて住宅街を抜け、気持ちのいい林道に入ってきた。 あたりはようやく夕暮れ時になり、同じ方向にやはり花火を見に行く人たちが三々五々浴衣姿で団扇を手にそぞろ歩いてゆく。
まだ若いカミュが俺のような年頃の子供をおんぶしてゆくのが珍しいらしく、何人もの若い娘たちが下駄の音をカラコロとさせながらそっと振り向き、おそらくカミュの美貌に驚いたように頬を染めているのも面白い眺めなのだ。
「弟さんなのかしらね、兄弟そろってきれいで素敵ね!」
そんなささやき声が耳に入るが、カミュは気にした様子もなく歩く速度は変わらない。
見ると道の端に下を向くようにして白くおおきくふくらんだ花がたくさん咲いている。
「ねぇ、カミュ、あの花はなんていうの?」
カミュの背から指差して尋ねると、
「あれはホタルブクロというのだよ。 あの花の中に蛍を閉じ込めると、その光が外に透けて見えるからそんな名前がついたのだろうね。」
ラテン語で学名を言わないところは、なるほど普通の高校生らしい。
「ふうん!綺麗だね!もし僕があの中に閉じ込められたら助けてくれる?」
「もちろんだよ、ジョアン!」
あんな花の中にこのままカミュと二人で閉じ込められてもいいから一緒に過ごしたいとも思うのだ。
そんなことを心楽しく考えていると、目指す花火会場にやってきた。
大きな水辺に面したそこはかなりの人出だが、うまく空いている場所を見つけたカミュは俺と並んで腰を下ろす。
「だいぶ遠かったから疲れたかな?疲れたら寄りかかってもいいからね。」
「うん、まだだいじょうぶ!」
カミュが俺の背からはずした小さいリュックには団扇と飲み物が入っていて、なんだかピクニックに来たようだ。
面白くなってパタパタと団扇で扇ぎっこをしていると、いよいよ花火が始まった。
毎年のことだが、日本の花火は素晴らしい!
様々な色の火が夜空に美しく花開き、いつまで見ていても見飽きるということがない。 昔ながらの円形に大きく開いて何段階にも色を変えていくものもあれば,金色のこまかい火の粉が枝垂れ柳のように夜空を覆いつくさんばかりに長く尾を引いて、見上げる人々に溜め息をつかせるものもある。
かと思うと、ピンクのハート型に開くのもあって俺とカミュの暗示のようでこれまた面白いのだ。
「すごい、すごい!とってもきれいだ!」
こればかりは心の底から褒め上げると、カミュも 「 ほんとに!」 と夜空から目を離さずに答えてくれる。
空に広がる花火の色に合わせてカミュの白い頬が美しく照らされて、それもまた夢のように美しいのだ。
スターマインや仕掛け花火に目を奪わて、一時間半もの間、俺はカミュに半ば寄りかかりながら真夏の夜の饗宴を楽しんだのだった。
やがて最後に金色に長く尾を引く枝垂れ柳が打ち重なって何発も広がり、集まった何千人もの心に華麗な残像を残して花火大会は終わりを告げた。
あれほどに響き渡っていた大きな音も今はすっかり絶えて、「よかったね!」
「やっぱり花火はいいね!」 との声とともに大勢が一斉に同じ方向に歩き出す。
俺は疲れているわけではなかったけれど、背が低いというのは大人の中では実に歩きにくいのだ。前も見通せなければ、後ろの人間が自分に気が付いているのかどうか、ということにも不安が残る。
思わずカミュの手をぎゅっと握りしめると、カミュはすぐにわかってくれて、すでにぞろぞろと歩いている人の中ではおんぶできないと感じたらしく、今度は俺をすいっと抱き上げてくれた。
あ………
「これなら大丈夫! しっかりつかまって。」
「うん………」
こんなふうにカミュに抱かれる日が来るとは思えなくて、どうしてもどきどきしてしまう。
胸と胸が合わさり、頬は触れ合わんばかりなのだ。
「カミュの髪………いい匂いがする……」
「そう? ジョアンの髪もいい匂いだよ、とてもきれいな金髪だね、ジョアンの宝物だと思うよ。」
「ん……そうかな…」
面と向かって自分の髪を誉められることはなかったので、なんだかとても面映い。
「青い目もとてもきれいだ。 金髪碧眼は日本人だけでなく欧米でも憧れの的だけれど、ジョアンの髪も目も、とても色が濃くてきれいだよ。 できるものなら私もそう生まれたかった。」
「え? カミュもそうなりたいの?」
「そうだよ、ジョアンのような輝く金色の髪が羨ましい。 ほんとにミロとそっくりだね。」
ここで俺は、はっと気がついた。
ミロ……って!
ここでの俺は、いったいどうなっているんだろう??
「あの………ミロはどこ?」
「ミロは………」
どきどきしながら訊いた俺に、カミュが口をつぐんで目を伏せた。
「ミロは………もう何日も帰っていない。 どこにいるのかもわからない………ミロは…」
「カミュ………ミロがいなくて淋しいの?」
思い切って訊いてみた。 そうせずにはいられなかったのだ。
「ジョアン………ミロは私のよい友達で……とても親しい友達で………できることなら…私は………」
あえぐような溜め息をつき、それきり黙ったカミュはまっすぐに前を見て歩いてゆく。
花火見物の人々もだんだんと違う道に分かれて行き、やがて歩く人もまばらになってきた。カラコロと響いていた下駄の音も遠くに聞こえるだけなのだ。
「カミュ………ミロはきっと帰ってくるから………カミュのこと、忘れてないから………大丈夫だから…」
なんだか泣きたくなってカミュの首筋に顔を伏せた。
二十歳の俺がここにいて、五歳のジョアンが抱かれていて。
でも、肝心の十七歳のミロは、ここにはいないのだ。
「ありがとう、ジョアン………きっと戻ってくると………私もそう思っている………私の大事な…ミロ……」
最後の言葉は呟くようで、俺に聞かせるつもりはなかったのだと思う。
それきりなんの会話もせずに寮に戻った俺たちは、一つきりのカミュのベッドで一緒に眠りについた。 どうやらここ数日間はそうしていたらしく、カミュが当たり前のような顔をして俺の横にすべり込んできたのだ。
カミュの匂いのする枕に顔を押し付けてとろとろとまどろみかけていた俺は、半ば無意識にカミュの背に腕を回そうとしたが小さい身体ではそれもかなわない。
すると馴れた様子でカミュの方から俺をそっと抱きこんでくれたではないか。
どきどきしたものの、小さい子供はすぐ眠くなる。
カミュの匂いに包まれて幾つか呼吸しているうちに俺の記憶は眠りの淵に落ち込んでいった。
目を覚ますとまだ夜も明けていないらしく、ぼんやりした灯りが部屋を照らしている。
目の前にカミュが静かな寝息を立てていて、そこは馴染んだ離れの奥の間なのだ。
ほっと溜め息をついた俺はなんだか懐かしくてカミュのしなやかな身体をそっと抱き寄せた。
「ミロ………もう…私は………」
ささやくように言ったカミュが俺の胸に顔を伏せる。
「戻ってきたよ………お前のところに…」
「………え?」
「なんでもない……」
俺はいい匂いのする髪にやさしく口付けていった。
長編 「願い事一つだけ」 のパラレルです。
伊勢物語でも一、二を争う有名な段 「芥川」
そのなかに出てくるこの歌はとても印象的でため息をつかせます。
「芥川」 → こちら
色紙 → こちら (伝 俵屋宗達)