「 昨夜はかなり疲れただろう、よく寝てたぜ。」
「 ああ、少し………でも、もう回復している。大丈夫だ。」

   それなら今夜は期待が持てるな♪
   顔色もいいし、これだけ寝れば肌のコンディションも最高だろう!

「 で、流れる川を堰き止めたことがないって言ってたけど、実際のところはどうだったんだ?」
「 やはり海を凍結させたり、大気中の水分を凝結させるのとは勝手が違う。
 ゆったりした川ならともかく、昨夜のような激しい奔流だと相当に集中せねばならぬ。」
「 ふうん、それにしてもお前が川を凍らせたことがなかったとは思わなかったな。」
「 シベリアにもギリシャにも、海はあるが大河はない。 ましてや急流などは修行地にはなかった
 のだ。それでも今回の場合は、過去の経験を応用すれば堰き止めることは可能と思われた。」
「 それがつまり、お前の黄金聖闘士としての実力ってことだよ。
 昔のお前も、燕ですごいことをやってのけたじゃないか!」
「 いや、あのほうが容易なはずだ。たしかに悪路であったし、数日間不眠不休でしかも豪雨という
 のは悪条件ではあるが、川を堰き止めるのではなく両側に氷壁を作るだけなのでそれ自体はさし
 て難しいものではない。真ん中を水流が流れていくので水の抵抗もほとんどなく、燕全土にわた
 り氷壁を作るといっても、同じことを繰り返すのだから、お前が考えるほど困難ではないのだ。」
「 それはまあ、水と氷の魔術師だからな、お前は。 その辺は俺にはわからんが。」
「 さらに燕では聖衣を纏うことができたのがよかったのだ。あれがなかったら、さすがに完遂したか
 どうかは疑問だ。 黄金聖衣が体力の消耗を最小限に留めたからこそ可能だったと思われる。」

   すると………聖衣のなかったカミュは、昨夜、相当消耗したということか?
   たしかに小宇宙が弱まっていたのは事実だ
   酒を飲みはしたが、立つこともおぼつかなくて、
   俺が抱き上げた時にはすでに意識がなかったからな………
 


集中豪雨による災害の現場は、宿の主人の運転する車で3時間ほどの山中だった。
車載のテレビで状況を確認しながら、交通規制を避けてその上流2キロほどの地点に回りこみ、あらかじめ地図で目星をつけておいた、左右から山の迫った場所にカミュは降り立ったのである。
燕では水を下流に流せばよかったのだが、今回は大量の水をすべてこの地点で処理しなければならぬ。
カミュがとった手段は、いったん山肌に沿う形で川を堰き止める氷壁を作り、それと同時に流れ来る大量の水を蒸発させるというものである。
むろんそれだけでは上空ですぐに雨雲を形成しさらなる豪雨の呼び水となってしまうので、カミュはそれをさらに雪に変えたのである。雪ならば、雨とは違いその場に積もるので下流に影響を与えるものではない。それにしても毎秒何トンにもなる大量の水に連続してこれだけの操作を行なうことは並大抵のことではない。聖衣があれば遥かに容易であったろうが、いかに黄金聖闘士といえどもその困難さは計り知れないものがある。
それに、川の水が干上がっても即座に現地で救出が開始されるとは限らない。二次被害を防ぐために、安全確認に時間をかけることが予想され、カミュがどれほどの時間、この操作を続けなければならぬかはまったく予想できなかったのであった。
こうしてカミュが車外でいつ終わるとも知れぬ作業に集中している間、宿の主人は車載のテレビ画面を注視し続け、ついに救出が行なわれるさまを息を飲んで見守ると、その終りを急ぎカミュに告げたのであった。
そのころにはあたりに積もる時ならぬ雪は、カミュと車の周囲を残し、3メートル近いものとなり、かなりの範囲を真っ白な雪景色に変えている。
少しは人家もあったかもしれぬが、やむをえぬことであったろう。
水が引いた川床にいきなり水を流せば思わぬ人的被害を及ぼすことを考慮して、氷壁を少しずつ解かしながら一向に勢いの収まらぬ濁流の水量を調整していくのには相当な加減が必要で、カミュは救出が終わってなお1時間はその場にとどまった。
一部始終を見届けた主人の驚きと感動は大変なものであったが、それを抑えて落ち着いてカミュに礼を言うとすぐさま帰路についたものである。たいへんな尽力をしてくれたカミュに対する謝意は、一刻も早く宿へと戻り休養をとってもらうのが一番であると考えたためだった。



「 あんなに疲れてさ…………昨夜はハラハラしたぜ、俺も手助けできればよかったんだが。」
「 なにを言う……あれしきのこと、お前に気をつかってもらわなくともよい。」
「 でもさ、お前、一人じゃ歩けなくて俺に抱かれたのを覚えてる?」
「 え……?………私がか?」
「 ああ、あれは酔いだけじゃなかったぜ、明らかに小宇宙の使いすぎだな。
 聖衣がないっていうのが、あんなに影響するとは俺も思わなかった。
 それに、お前から俺に頼んだんだぜ、抱いて運んでくれって♪」
事実は 「 隣りまで運んでくれ 」 という言葉だったのだが、ミロは少々脚色することにした。 このくらい言ってもばちはあたるまい。
「 私が、そんなことを言ったのか………」
頬を染めて目を伏せているのが可愛く思えたが、そんなことを悟らせるわけにもいかぬ。
「 帰りの車で寝なかったのか? そうすれば少しは違ったろうに。」
「 そんな………そんなことがどうしてできよう!」
決然とした口調が唐突で、ミロを不思議がらせる。
「 え? お前、車の中では眠れない体質か??」
「 そうではない………私は……お前以外のものに寝顔を見せることなどはしない。」
「 カミュ……………」
きっと、全身を襲う極度の疲労と闘いながら、背筋を伸ばし、眠気を払いのけようとまっすぐ前を見て車に揺られていたに違いない。
3時間もそうしていたカミュの姿を想像したミロの胸にいとしさがこみ上げてくる。
「 カミュ………俺は、ほんとに……」
あとの言葉が続かずに絶句したミロにカミュがやさしく口付けた。
「 今夜は私から言おう………お前のことが好きだ………心の底から……愛している……」

ミロはただひたすらにカミュを抱きしめた。
いつまでもいつまでも抱いていようと思った。
目に涙が滲んだ。