木下 利玄 (きのしたりげん)

【歌の大意】   春の日に満を持して咲き開いた牡丹の花。
           風にもそよがぬその確かな存在感がまことに見事である。

  牡丹花は 咲き定まりて 静かなリ 花の占めたる 位置の確かさ  
「あれ、太后様、あそこにカミュ様がおられます。」
春麗が指し示すほうを見やると、なるほど百華園の奥にある華清亭にいるのはカミュであった。

ここ百華園は、天勝宮の中でも春の庭園として名高く、四月半ばの今は、木の花も草の花もまさに百花繚乱、色とりどりに競うが如く咲き乱れ、その美しいことは限りがない。
朝餐を共にした昭王に「今が見頃ゆえ」とすすめたのは太后で、頷いた昭王がカミュにも見せたいと考えたのであろう、貴鬼に案内をするように伝えよ、と傍らの侍僕に言葉をかけていたのである。
春麗の鈴を転がすようなその声に、花の間の小径を逍遥する太后に付き従っていた七、八名の侍女たちが一斉に華清亭に眼を向ける。
「ほんにまあ、御綺麗な!」
「花にも見紛うお顔立ち!」
「いつまでもあそこにおいでくださいましたら、よろしいのに!」
口々に誉めそやす嬌声にも似た声が春風に乗って庭園を渡ってゆく。
「これ、口を慎むように。お耳に入れば御無礼になりましょう。」
そう言って侍女たちをたしなめながらも、太后もカミュの美しさには瞠目しないわけにはいかぬ。
先日届けさせた白い綾絹の衣に細身の青碧(せいへき)の帯をしめただけなのだが、あたりの花々を顔色(がんしょく)なからしめる、匂うが如き立ち姿であった。 とくに、その肌の白さと髪の艶やかさが、並み居る宮女たちの密かな嫉妬を買っているのは天勝宮では誰知らぬ者のない話なのである。

侍女たちの華やいだ声が聞こえたのかもしれぬ。
横にいる貴鬼が、あれこれと花の説明をするのに聴き入っていたらしいカミュがふと目をあげて太后の一行に気付いたようである。 傍らの貴鬼をうながし、彼方から太后に拝礼するやや異国風な挙措はたとえようもなく魅力があり、それがまた侍女たちの歓笑を誘うのだが、先ほどとは違い今度はカミュの視線があるのでいずれもおとなしく拝礼を返す。
昭王とともに過ごすことが多いカミュに太后付きの侍女が出会うことは滅多になく、いずれもこの春の日の邂逅を楽しんだようであった。

「今朝方、カミュ殿と百華園でお会いしました。」
「そのことは聞いております。朝議のあとでまいりましたゆえ、母上とはすれ違ったのでしょう。
 数ある花の中でも、カミュは初めて見た牡丹が好きなようでした。」 
「ご存知であられますか? 侍女たちの間では、『百花の王』といわれている牡丹よりも、
 カミュ殿のほうがお綺麗だとの専らの噂です。」
「・・・・・え? ・・・それはまた・・・・・・」
「ほほほ、なにも、昭王がそのように赤くなられることはありますまいものを。」
「は・・・・・いえ・・・・・」
「それにしても、あのようにあでやかなお人がお側においでになると、燕王に后がましませば、と思うのは人の世の常。先王の喪もとうに明け、おわかりでしょうが、このわたくしもそれを望んでおりまする。」
「は・・・・その儀は・・・・・」

昭王の心の深淵は、まだ誰にも覗けてはいない。






                  
表題の短歌は、中学の国語の教科書に載っていました。
                  そんなことでもなければ覚える筈もなかったこの歌が、ささやかに古典読本で復活です。

                  うちの牡丹も今花盛り!こぼれんばかりのあでやかさ。
                  この歌を思い出したときに「ああ、カミュ様だな♪」と連想。
                  目論見通り、「賛美崇拝サイト」 の面目躍如の作品になりました。
                  女性から見たカミュ様が語られることは滅多にないので、ある意味、画期的かと思います。

                  でも、まさに書きあがろうとする時に気付きました、

                  
「カミュ様が燕にいたのは真夏である」
                  
牡丹、咲いてないです・・・・・。
                  幸い古典読本なので、一つのパラレルということでお許しください。
                  それにしても、春の日のカミュ様、とても素敵です。