クラリネットをこわしちゃった |
フランス歌曲
ミロとカミュが月に一度は顔を出す星の子学園ではこどもたちの歌を聴く機会が多い。ときどき来てくれる背の高い外人さんは小さいこどもたちに大人気でせいいっぱい歓迎して
くれるのだ。
三月の今は 「春がきた」 「ちょうちょう 」 「うれしいひなまつり」 などをみんなで元気よく歌っているのに加えて初めて聴く曲があった。
「面白い曲だな。クラリネットをこわしちゃった、って愉快な題名だ。」
「私も初めて聞いた。ひとつの楽器に焦点を当てた曲は珍しい。」
「クラリネットってオーケストラでときどきみかけるけど、吹くのはやっぱり難しいんだろうな。 ピアノはなんとか一曲だけは弾けるけど、クラリネットは想像もつかない。」
ミロの言うのは何年か前にカミュに聴かせるためにエリック・サティの 「ジムノペティ」 を練習したときのことだ。
「あれには感心した。私には無理だと思う。」
「俺も我ながらよくやったと思うよ。やっぱり愛だな、愛。」
せっかく弾けるようになったのだからと時々はピアノの蓋を開けて練習しているのであの曲だけはどこにいっても弾ける自信があるが、あいにく子供に受けるような曲ではないの
でここ星の子学園では弾いたことがない。
「少しはレパートリーを増やそうと思って 『愛の挨拶』 にチャレンジてみたが見事に挫折したからな。やっぱり難しいよ。」
「それは残念だったな。」
暖かい春の日差しを浴びながら園庭の鉄棒に寄りかかってそんなことを話していると部屋の中からまたこどもたちの歌が聴こえてきた。
♪ オーパッキャマラド パッキャマラド パオパオパ ♪
「それにしても笑えるな。オーパッキャマラドってクラリネットの音をカタカナで表してるんだろ。壊れたクラリネットって面白い音がするんだな。」
「いや、あれはフランス語だと思う。」
「はあ?!」
ミロが思いっきり間の抜けた声を出し、遠くのブランコでこどもたちを遊ばせていた美穂が驚いて振り返ったのが見えた。
「ええと、ほんとにフランス語なのか?で、なんて意味?」
これはミロでなくても驚くだろう。この歌は日本ではかなり知られており、「ドとレとミとファとソとラとシのおとがでない」という愉快な歌詞は一度聴いたら忘れるはずがない
ユニークさだ。それとともに調子のよいオーパッキャラマドが印象的でこどもたちをいたく喜ばせる。
「オーパッキャラマドの表記は Au Pas Camarades で 『 一歩一歩だ、さあ友よ 』 というような意味にる。」
「ふ〜ん、そんな意味があるんだ。まったく知らなかったな。するとクラリネットをうまく吹けないこどもを父親が励ましてるってシチュエーションかも。」
「だから私もしばしば口にした言葉だ。いま思えば懐かしい。」
「え?どんな状況で?内容的に氷河とか?」
こどもが歌うとはじけるようなかわいい発音に聞こえるオーパッキャラマドも、カミュが言うと実に優雅に響くから不思議なものだ。テレビニュースでサルコジ前フランス大統領
が言っても美しく聴こえるというのにそれをカミュが言うとまさに天上の音楽と化す。
う〜ん、ちょっと言われてみたい!
考えたこともなかったが、
俺が氷河の立場で訓練中にめげたときカミュにオーパッキャマラドって言われてやさしく抱き締めてもらえたら……!
「ブリザードの中で小宇宙をうまく高めることができぬ氷河が低体温症になりかかったので、そんなことでは死んでしまうぞ!甘えるな!と叱咤した。」
「えっ!」
やはりアクエリアスのカミュは厳しかった。 きっと気を失って倒れるまで手もだしてもらえないに違いない。
「でもそれって、とても、友よ! って呼びかけているような場合じゃないと思うが。」
「そう言われてみればたしかにそうだが、同じ凍気を操る者同士の連帯感を感じていたのは間違いない。ゆえに無意識にこの言葉を使ったのだと思う。ロシア語も勉強していたので普段はフランス語は使わないのだが、咄嗟の場合にはつい口から出てしまう。」
「ふうん、そうなんだ。」
すると凍気のかけらもない俺にはとうていかけてもらえない言葉なわけね
まあ、そのほかのフランス語なら状況に応じて存分に聞かせてもらっているからいいとするか
「クラリネットの歌もいいけどさ、フランス語の歌と言ったら普通はシャンソンだ。こんどエディット・ピアフの愛の賛歌を歌ってくれないか?」
「私がか?」
「ほかに誰がいる?」
「歌は得手ではないが。」
「ゆうべ、許してくれたらなんでもするって言っただろ。忘れたとは言わせない。」
「あぁ…」
頬を赤らめたカミュが観念したようだ。
「歌で済むんだからいいだろ。で、この歌知ってる?」
「いや、まったく知らぬ。」
「俺はフランス語の歌詞は知らないが日本語のなら何種類かあることは知ってる。岩谷時子のがいいと思うから今夜歌って聞かせてやるよ。」
「今ではいけないのか?」
「それはちょっと……今夜だ、今夜。」
ミロは苦笑する。さんさんと陽の射す園庭ではいくらなんでも気恥ずかしい。
子供たちの歌う声がまた聞こえてきた。
誰もが知っているこの歌。
オーパッキャマラドがフランス語とは嬉しい限りです。
「愛の賛歌」 岩谷時子の歌詞は こちら