ふらんすへ行きたしと思へども  ふらんすはあまりに遠し

                        萩原 朔太郎  「 旅 上 」 より


フランスは私にとっては遠い国だ。
もう、知る辺もすでになく、記憶の中の風景も曖昧になってきた。
言葉は私の出自を語る唯一のものだが、それさえもほとんど話すことはない、そう、ミロに望まれるとき以外には。

「ねえ、カミュ、フランス語を話して聞かせてよ! 俺、カミュがフランス語を話してるのが好きなんだよ、まるで音楽みたいでとっても素敵なんだもの♪」

子どものころはもっと鮮明に覚えていたのだ、暮していた土地や家族のことを。
ミロに尋ねられて話したこともある。

「ふうん、フランスってそんなところなんだ、大きくなったら連れていってよ! 俺の村にも連れて行くからさ♪」

何年か経つうちに私は黄金聖闘士となり、いつしかフランスは私の心の奥底に沈んでいった。
今では、フランス出身という記録があるだけで、私は身も心も、ギリシャの、聖域の人となっている。
私がフランス人であることを私以上に覚えていてくれるのは、ミロだけなのだ。

「俺、フランスが好きだぜ、だって、フランスのおかげでお前がこの世に生まれたんだからな!フランス万歳だよ♪」

ミロは私の中からフランスの香りを引き出そうとしているかのようだ。

「カミュ………もっと俺に聞かせて……お前の言葉の音楽を………もっと舞い上がれるように、もう一度聞かせて…」
「……Oooh mon amour…」
「素敵だ……カミュ…もっとなにか云って♪」
「…………J'ai envie de toi ……」
「まだ短すぎる……もっと長く聞かせてくれなくちゃ……」
「それでは………je veux te faire l'amour avec douceur et tendresse……これでよいか?」
「なんだかわからないけど、とても素敵だよ……カミュ………」
「je t'aime……je t'aime……je t'aime…………」
「それなら俺も知ってる♪ ジュテーム……カミュ………愛してる………」

ミロの前でだけ、私はフランスを思い出す。
かすかな記憶の中のフランスを。





                           萩原朔太郎 (明治19年〜昭和17年 )のこの詩は、
                           フランスに憧れる心情を切なく歌い上げ、今も多くの人の口にのぼります。

                           カミュ様の台詞の意味ですか??
                           私のやり方をご存知でしたら、皆様にもすぐに調べられます。
                           日本語で書いたら黄表紙ものですし、
                           そもそもカミュ様も、日本語では絶対におっしゃらないと思われます。
                           …………
                           ミロ様にわからないからこそ、
                           ほんとうの気持ちをフランス語で言ってたりして……!
                           相対性理論だって、合間に違うことを挟み込んでたかもしれません。
                           そのくらいはいいのでは…と思ったらいけないでしょうか?