カミュとの定時連絡が途絶えた。

カミュの活動している場所は電波の届かないところが多く、俺のいる宿の夕食時には電話をかけてもつながらないことが多い。 そんなときはゆっくり離れに戻ってから改めてかけると、大抵はつながるものだ。
ところがそれでもだめで、8時を過ぎても音沙汰がなかった。 こんなことは初めてで、俺の胸に不安が湧き上がる。
なにしろ、数日前の電話のときにカミュの目の前の斜面が雪崩を起こし、電話を通して聞こえてきた凄まじい音に俺がびっくりすると、十分な余裕をもって避けたらしいカミュがいかにも冷静に 「 たった今、雪崩があったが大事ない。」 と話してくれたのだ。 カミュに聞くと、春が近付いてきたこのごろは斜面の雪が緩んできていて雪崩を起こしやすい状態にあるという。 その話しぶりからすると、いままでにも幾度もそんな場面に遭遇しているらしく、形だけは 「 気をつけろよ 」 と言ってはみたがほんとうにそれが危険だとは考えてもいなかった。

   ………では、なぜ連絡がない?

今夜逢いに行く、とはっきり告げていたわけではなかったが、俺が行くことを予想できる2月14日のこの夜になぜ連絡がつかないのだろう。
9時まで待ってからフロントに電話して、「 カミュに会いに行ってくる 」 と告げ、俺はすぐさま現地に跳んだ。
財団の職員は毎朝カミュと落ち合って当日の予定を確認しあい、カミュを最初の土地に送ってからは別行動を取っている。 カミュとしても小宇宙を使う融雪作業をいちいち見せようとは考えていないし、日本語にも不自由しないので単独で動くほうが気が楽なのだ。
財団の職員に会って、今朝カミュを車から降ろした場所をたずねるとすぐに地図を出して指差してくれた。 そして、その付近で鉄砲水が発生したらしいことも教えてくれたが 「 カミュ様に限って、なんの心配もないでしょう。」 と楽観的に言う。 どうもカミュのことを神聖視、といって悪ければ特別視しているらしく、絶対に間違いないと思い込んでいるらしい。 それは一般人としてはごく初期に見せられたカミュの融雪作業に仰天し、かねてから財団の中でひそかに囁かれていた  『 アテナの聖闘士 』 の実力について全幅の信頼を置きたくなるのかもしれないが、カミュとて人の子だ。 俺は、「 一応、探してみる、用事もあるんでね。」 といって、池田というその職員に現地まで送ってもらってから別れを告げた。

時刻はすでに9時をまわり、カミュの消息は依然としてつかめない。 白々とした月明かりで見ると、なるほど鉄砲水の形跡があり、道から見下ろす渓流沿いは木々が薙ぎ倒され、白く積もっていた雪もかなりの幅で削り取られて泥色に染まったふちがそのときの水位をまざまざと教えてくれている。 ほとばしる泥流が通り過ぎてしまった後はたいしたことのない流れに戻っているが、そのときには驚くほどの高さまで水が来ていたらしい。
幸いなことにこのあたりにも国土交通省の河川事務所が水位監視センサーを設置しており、カミュが車から降りた時刻の10分ほど後に鉄砲水が発生したことがわかるのだ。 俺は迷うことなく、その地点から下流に向って捜索を開始した。
一般人なら大声で呼ぶところだろうが、相手がカミュなのだからこちらがそれなりに小宇宙を高めれば必ず反応が返ってくる。

   ………もしも、死んでいなければ………の話だが…

頭の隅をよぎるそんな考えをふり払いながら2キロほど下ったときだ。 向かいの斜面からかすかな反応があり、俺の全神経が一気に張り詰めた。 目を凝らすと、たしかに斜面の雪に人が這い上がったような痕跡がある。

   カミュ…!

冷静でいたのもそこまでだった。 無我夢中で渓流を飛び越え深い雪を散らしながら斜面を駆け上がると、そこにカミュがいたのだ。
大きな木に半ば寄りかかるようにして力なく身体を投げ出し、目を閉じた顔は雪よりも白く見えた。一冬の間 誰も踏むことのなかった新雪をやっとの思いで掻き分けて安全な高みまで身体を運んだのだろう。 深い雪にほとんど肩まで埋もれている姿がとても小さく見えて涙で滲んでしまう。
心臓を締め付けられる思いで吹き溜まりになっている雪に足を取られながら近付いて、震える腕で抱きしめた。

   こんなに冷えて………カミュ……カミュ…
   もっと早く来てやればよかった……

すこしでも雪の冷たさから離してやろうと抱き上げると、泥流に巻き込まれた濡れた身体を自分で乾かすことはできたらしく、髪も衣服も濡れてはいないが土や砂で汚れてこわばったままなのだ。
いとしくて切なくてそっと唇を重ねていくと、それさえも乾いた土の味がした。
「あ……」
カミュが目を開けた。 頬も額も汚れている中で、それだけは澄んで美しい蒼い瞳が不思議そうに俺を見つめている。
「心配したぜ…」
やっとそれだけ言った俺がもう一度唇を重ねると、安心したように瞳が閉じられた。

緊張の糸が途切れて意識をなくしたカミュを抱いたまま離れに戻ると、電話でフロントに二人分の朝食を離れに運んでもらうことを頼んでおいてからカミュを内湯に入れることにした。 なにしろ、明かりの下で見るカミュはほんとうに泥だらけで、とても見られたものではなかったからだ。

   ………まったく、お前ともあろう者がなんてざまだ!
   命があったからよかったようなものの、これじゃ黄金聖衣が泣くだろうが!

ぶつぶつ言いながらごわごわになった服を脱がせていくと、身体中のいたるところに打ち身のあとがあり、カミュの巻き込まれた泥流の恐ろしさを俺は知ることになった。とくに右のふくらはぎは岩にでも当たったのかひどい有様で、これでは歩くことも容易ではなかっただろうと思われる。
鉄砲水くらい軽く避けろよ、と思ったり、いやいや、あのカミュが巻き込まれたのだからさぞかし凄まじい速度だったのだろう、と思い返したり、いろいろなことを考えながらやっとの思いで服を脱がせるとそっと抱き上げて一緒に湯船に浸かっていった。
湯の熱さにさすがに気付いたカミュがあっと息を飲み、手足を縮めながら小声で抗議するが、そんなことには聴く耳は持たぬ。
かけ流しの透き通った湯が檜の浴槽からあふれカミュの白い肌にまとわりついていた泥や砂をみるみるうちに洗い流し、雪の冷たさになっていた身体を温めてくれるのが嬉しくて膝の上に乗せたまま抱きしめる。 さすがに観念したらしいカミュがほっと溜め息をつき、俺の肩に頭をもたせ掛ける。
「ミロ……」
「…なに?」
「こんなに明るい……」
蚊の鳴くような声で訴えるカミュに俺は笑う。
「だめだよ、今夜は灯りは落とさない。 なにしろ、お前の汚れを落として元通りのきれいな身体にするんだからな。 暗くちゃ、なにも見えないんだよ、なにか異存でも? それとも自分で洗えるの?」
「………いや……とてもできない…」
ちょっと腕を持ち上げてみて眉をひそめたカミュが残念そうにする。
「その腕じゃ、頭も洗えまい。 今夜はミロパパに全部任せてもらおうか♪」
カミュが溜め息をつき、俺はにっこりと微笑んだのだった。





                  論理性を重んじると、こんな経緯を辿ります。
                  命に別状ないことを知ったミロ様は、
                  すぐさまムウのところに行って傷を治してもらおうとは思いません。
                  泥だらけで打ち身だらけのカミュ様を連れて行ったら、黄金の面目丸つぶれですからね。
                  身ぎれいにしてちょっと足を引きずる程度で白羊宮を訪問しなくては!

                  するとこうなります、どなたもご異存ございませんね?
                  ( 耳を澄ましてみる…)
                  ああ、よかった、ではこれにて一件落…
                 
 「ちょっと待った〜!」
                  え?
                 
 「異存なら、ある!これだけで終わるのは納得できん!
                   カミュが鉄砲水に遭遇しただけでは片手落ちだ、俺もこんな目に逢って助けられて洗って欲しい♪」
                  「なっ、なにをばかなことを…!」
                  「あれ? お前、俺を洗ってくれないの? 怪我してるんだぜ、腕も上がらないんだぜ、いいのか?」
                  「そ、そんなこと言われても…」
                  「いいから、いいから♪」


                  あの……とりあえず、続篇の予定はないんですけど……