「古今集」      阿倍仲麻呂


聖域では日本食がブームになっている。ギリシャの片隅の結界に守られている聖域と言えども世界の潮流に乗り遅れてはいない。
寿司や天麩羅などのメジャーなものはとっくに食べ尽くしたミロが目を付けたのは通販でも手軽に入手できる和菓子だ。
「ほら、これが三笠山だ。中にはお前の好きな小豆の餡が入っている。」
「ほう!これはよい。この解説書によると、三笠山とは奈良県にある山で、全体が芝生で覆われたなだらかな形をしているそうだ。この菓子はその山をイメージしたのだろう。」
「ふうん、ただの丸い形だと思ったが、そういういわれがあるのか。」
「それだけではない。1300年ほど前の日本の歌人・阿倍仲麻呂が二十歳の時に遣唐使として中国に渡り役人となって皇帝に仕え、在唐35年にして日本に帰ることになりその送別の宴で故郷のことを偲んで詠んだ和歌に 『 天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも 』 というのがあるが、日本人は三笠山と聞けば自動的にこの歌を思い出し、はるか離れた中国の地から故郷で見た月を思い出した仲麻呂の心情に思いを馳せるのだそうだ。たかが菓子、されど菓子というところだ。」
「さすがは日本だ。奥が深いな。で、その男は日本に帰国できたのか?」
「いや、残念ながら船が難破してベトナムに漂着し唐に戻ったあとは帰国をあきらめてついに七十三歳で亡くなっている。」
「ふうん……1300年前にそんな生涯を送った人間がいたのか。想像を絶するな。」
しみじみとした念に打たれたミロが言葉を切った。その頃の日本のことも中国のことも皆目わからないが、人の心は変わるまい。遠く離れた故郷を思い、昇る月を見ては、あれは故郷の三笠山に昇る月と同じなのだ、と謳った心情を思いやる。
「そんな話を聞くと自分の幸せをつくづく感じるね。すると、お前も氷砂糖を見てシベリアを思い出したりするのか?」
「いや、そんなことはないが。」
そう言いながら三笠山に手を伸ばしたカミュは、
「食事前には多すぎるかも。」
と少し眉をひそめた。和菓子は好きだが夕食に差し支えるのは困るのだ。
「それなら二人で分ければいいだろ。お前は餡が好きなんだからこうすればいい。」
カミュの手から三笠山を取ったミロがあっさりと皮をはがした。
「ほら、こうすれば問題あるまい。お前は暗、俺は皮を食べる。」
「なるほど、それはよい。」
こうして仲良く一つの三笠山を食べている姿を通りすがりに見ていた者がいる。

和気藹々としたミロとカミュの三笠山の食べ方を垣間見たムウはさすがに羨ましくなって、楽天で三笠山を検索するとさっそく航空便で宅配を頼んだ。今どきはパソコンでなんでも手に入る。
「シャカ、日本の高名な食べ物を手に入れたので一緒に食べませんか?日本の作法では、買ってきた人が中身の餡を食べ、外側の皮をもう一人が食べるもののようです。」
「そうなのか。君の好きにしたまえ。」
「ではさっそく。」
皮を剥がして甘い餡に舌鼓を打ったムウが皮をシャカに差し出すと、
「私は食べない。欲しければ君にやろう。」
「なぜですっ!?」
「言わなかったかね?昨日から断食して結跏趺座しているところだ。」
「そんなことは聞いていませんよっ!どうして最初から言ってくれないんです?」
「好きにしたまえと言ったはずだ。君の行為を止めているわけではない。君がしたいようにすればよかろう。」
そう言ったきりシャカは再び瞑想に耽り、ムウはため息をつきながら三笠山の皮をむりやり喉に押し込んだ。
悔しさのあまりお茶を飲むのを忘れたので、考えようによっては断食よりも苦行といえなくもない。

世俗ことから解脱しているシャカに背を向けながら脳裏に浮かぶのは、餡と皮を仲良く分け合って食べていたミロとカミュの蜜月っぷりだ。
「なんでこうなんでしょうねぇ。貴鬼と分け合ったほうがよっぽど癒されるというものです。」
白羊宮に帰り、貴鬼を手招きすると三笠山を見せた。
「わぁっ!ムウ様、おいらにくれるんですか!いまお茶を入れてきますね!」
天真爛漫に喜ぶ子供らしさに和んだムウが機嫌を直したところにミロがやってきた。
「あれ?お前も三笠山?そいつは美味いぜ。それなら次はこれを食べてみるといい。」
そう言ってミロが持っていた紙袋から出したのは魚の形をしたものだ。色は三笠山と似ているが、この形はなんだろう?
「こいつは鯛焼きという日本の菓子だ。三笠山と材料は同じだが、ビジュアルが全然違う。二匹あるからひとつやろう。」
「いいんですか?二つしかないのに。」
「かまわんさ。どうせ俺達は……いや、俺は一つでいいし。」
カミュと分けるのが前提らしいので、ムウはそれ以上追求しないことにした。

   どうせまた餡と皮を分けるのでしょうね
   羨ましいことです

しかし、天蠍宮へと登っていくミロを見送ってから鯛焼きの皮を剥がそうとしたムウはそれが不可能なことを知った。

   密着してるじゃありませんか!
   真ん中から分けるんですか? それとももしかして二枚におろすとか??
   頭のほうとしっぽではどっちが美味しいとかあるんでしょうか?

「カミュはどっちを食べる?」
「どちらでもよいゆえ、ミロが好きなほうをとるといい。」
「それじゃ、俺は頭のほうをもらおうかな。」
「では私はしっぽのほうを。」
見つめ合って鯛焼きを頬張るミロとカミュが見えるような気がしてムウはますます気が滅入ってきた。
「あれ?ムウ様、それ、なんですか?」
お茶の盆を捧げてきた貴鬼が鯛焼きを見て目を輝かす。
「これは鯛焼きという日本の菓子です。ミロが持ってきてくれたのですよ。」
「珍しい形ですね!なんだかアフロディーテ様みたいです。」
「え?そういえはそうですね。」
アフロディーテといえばバラだが、もとはといえば双魚宮の聖闘士だ。

   鯛焼きを見て自分を連想されていると知れば、アフロディーテはなんと言うだろう?

なんだかおかしくなったムウは三笠山と鯛焼きを手で割ると貴鬼と一緒に賞味した。断食しているシャカにちょっと悪いような気がした。




                   
 いきなり携帯に書いて、chっと短かったのでカミュ様の薀蓄シーンを入れました。
                    表題の歌も最初は 「名犬ジョリィ」 の 「二人で半分こ」 にしたのですが、
                    阿倍仲麻呂が優位に立ち、あっさりと勝ちました。
                    古典読本ですしね。 (でも内容は軽かった……)
                    どら焼きだったらドラえもんのテーマになるところですが、さすがは三笠山です。



   天の原ふりさけみれば春日なる 三笠山に出でし月かも