◆ もう一つの 「 春よ、来い 」
自分でも融雪作業をやりたくなったらしいミロは、私が首を傾げるのを振り切って、ちょっとコツを教わるとどんどん作業にかかり始めた。
終日別行動を取り、夕暮れ時に集合地点に行ったが30分たっても一向に現れぬ。
携帯にかけても反応がないので、また充電切れかと思い、ミロのいたはずの地点に行ってみると、なんと鉄砲水に襲われた形跡があるではないか!
ドキッとしてそこから下流に向って捜索を開始すると、ほどなく私の小宇宙に微弱な反応が返ってきた。
「ミロっ!!!」
慌てて駆け寄ると、果たして鉄砲水に巻き込まれたらしく、泥だらけの身を流れからやや離れた岸辺に横たえてすでに意識もない。
ざっと調べると右のふくらはぎと肩にひどい裂傷がある。
内臓の損傷も疑った私は、即座にミロの冷え切った身体を肩に担ぎ上げると白羊宮に跳んだ。
「ムウっ、ミロの一大事だ!すぐに診てくれっ!!」
のんびりと午後のミルクティーを飲んでいたムウの腕をぐいっと引っ張り、ミロの傷を見せると、
「どうしてまた、こんなことに……」
と眉をひそめながら、それでもすぐに手掌をかざし治療を施してくれた。
「あ、ここにも打ち身がありますね、ついでですから直しておきますか?」
「うむ、頼む!」
手やら足やら腹部やら、あちこちに残る痛々しい擦過傷や打撲の後をすっかり直してもらうと、私は篤く礼を言って白羊宮を後にしたのだった。
離れに戻ったところでミロが意識を取り戻した。
「あれ……?…どうしてここに?」
「もう日が暮れた。風呂に入ってきたらどうだ?かなり泥で汚れているぞ。」
「え? ああ、ホントだ。 そういえば、ちょっと危なかったんだった、あとで話してやるよ。」
ミロが首をかしげながら露天風呂に行き、私はミロの無事にほっとしたのだった。
◆ さらにもう一つの 「 春よ、来い 」
午前中に聖衣の修復を終えて迎えた午後のひとときを私はたいそう好んでいる。
二月とはいえ暖かい日差しが差し込んで午後の紅茶をいっそう味わい深くしてくれるのだ。
そろそろ焼きたてのマフィンと咲き初めたバラを持ってアフロディーテとデスマスクがやってくる頃だろう。
アールグレイがよいだろうか……
そう思っていると、突然至近距離に小宇宙の存在を感じて私は振り向いた。その瞬間、目の前のカミュが私の腕を痛いほどつかみ、
「ムウっ、ミロの一大事だ!すぐに診てくれっ!!」
と叫んだのには驚いた。
しかし、それに虚を突かれたのもわずかのことで、私の意識はすぐにそこに横たえられたミロに集中した。
蒼ざめたカミュが口早に事情を説明し、私は頷きながら一つ一つ傷をあらためる。
いつもなら冷静にことを説明にかかる筈のカミュにしてはずいぶんと慌てているようで、しきりとふくらはぎの裂傷を気にしているので、
「内臓の損傷があるとすれば、そちらのほうがはるかに危険です。まず、全身状態を確認してからでないと治癒にはかかれないのです。」
と説明しなければならなかったほどだ。
全身を診終わったところにバラの花束を抱えたアフロディーテとデスマスクがやってきた。
「あっ……ミロ!いったいなにが?!」
「こいつはひどい傷だな!」
カミュが説明している間に、中枢神経、循環器、呼吸器、消化器系に異常がないことを確認した私はさっそく見事に裂けたふくらはぎに手掌をかざして治癒に取り掛かった。
30秒ほどで断裂した筋肉や切断された血管、神経等を整復し、脂肪層、真皮、表皮を再生させた。
「ふうん、たびたび見ているけど見事なものだ!老化したバラの株も新株にならないものかな?」
「無理ですね、私は人体専門ですから。」
そう答えながら、ほかの打ち身等を治癒することをカミュに確認し、背筋、脇腹など片端から治癒に取り掛かる。
「左の第八肋骨と右の鎖骨が骨折していますね。 どちらも単純骨折ですから整復は容易です。」
カミュの話だとかなりの勢いの濁流だったようだが、この程度の受傷で済んだところをみると、ミロは本能的に流れに逆らわず無理のない体勢をとっていたのだろう。
聖域では鉄砲水の濁流に飲まれるなどという事例は考えられないので、カミュに状況を聞きながら新しい知識を増やすことができたのは幸いだった。おそらく泥水もいくらか飲んでいるのだろうが、呼吸は正常で拍動にも異常は見られない。
「終わりましたよ。身体が冷えているので暖めてやったほうがいいでしょう。そのうち意識を取り戻すでしょうから、入浴させるのが一番ですね。」
そう助言してやると、額の汗をぬぐったカミュがほっとしたように頷いた。
「気付けには、この花の香りが効くと思う。」
横で見ていたアフロディーテが、抱えていたバラの中から薄紫の一輪を取ってミロに嗅がせてやった。
「突然に来て騒がせた。 ありがとう、ムウ。」
「いいえ、かまいませんよ。 私のところに来るときは、みなさん突然ですからね。」
こんどは大事そうにミロを抱えたカミュが姿を消し、私は二人の客と自分のためにアールグレイを淹れることにした。
「カミュも心配性だね。 治癒者のムウはともかくとして、私たちまでいるのにミロの打ち身を全部見せたのにはちょっと驚いた。」
「俺なんか、打ち身以外にほかのマークがあるんじゃないかと思ってハラハラしたぜ♪」
治癒中に何も気付かなかったといえば嘘になるが、この手の話題に乗る私ではない。
「逆の立場なら、あそこまではしないと思いますね。」
「そりゃそうだ。 ミロなら、ムウ以外の者は排除して、固い口止めと守秘義務の確認をしてからカミュを診せるんだろうな。
俺なんか、きっとリストリクションかけられて放り出されるぜ!」
「ああ、ほんとに♪」
アフロがくすくす笑い、持ってきたマフィンを皿に並べる。
「しまった!
カミュにもマフィンを持たせればよかった!」
「そんなことしたら、この場にあなたがいたことまでカミュがしゃべってしまうでしょうね。
ミロが手ひどいショックを受けますよ。 カミュは訊かれない限り、ここに来たことは言わないと思います。
別に秘密にするというのではなく、言う必要がないしミロも尋ねなかった、という理由ですが。」
「それもそうかな。」
「そうですよ、カミュはそういう性格なんです。結局それがミロの自尊心を守ることにつながっているのだから上手くできているではありませんか。」
「ふふふ、あの二人はほんとに面白いからね♪」
きっと今ごろミロは、温泉とやらに浸かって冷えた身体を温めているのだろう。
「さあ、紅茶が入りました、また邪魔が入らないうちにいただきましょう。」
私は優雅に広がるアールグレイの香りを胸いっぱいに吸い込んでいった。
日本とギリシャの時差は16時間ほどありますから、日本が夕方だとギリシャは真夜中らしいです。
でも、私としてはムウに優雅にお茶を飲んでいてほしいので、論理には目をつぶることに。
夜中にムウを叩き起こしてもねぇ………デスとアフロにもいて欲しいし。
真夜中の白羊宮の仄かな灯りの下でムウがミロ様の治療を………、
ううむ、なにを創造 ( 想像 ) していいのやら、まったくわかりません (笑)。
ターヘルアナトミアみたいに迫真のシリアスになったりして♪