わらべ歌


「ムウ様、長い間お世話になりました。 おいら、これからしばらくの間、宝瓶宮でカミュ様にお仕えしたいので、勝手ですけどどうぞお許しください。」
思いつめたような顔の貴鬼に突然そう云われて驚いたのは白羊宮の主、アリエスのムウである。
「貴鬼! あなたはなにを言っているのです?!聖衣の修復の修行は、どうするつもりなのです?」
「だって、おいら、どうしてもカミュ様のおそばで修行したくなって。 カミュ様が無理ならミロ様でもいいから、どうかお願いします!ムウ様からも口添えをしてください!」

   カミュのところなら書物の管理とか採集標本の整理とかいろいろとやることはありそうですが、ミロのところに?
   天蠍宮で貴鬼に何の手伝いができるのでしょう?
   せいぜいワインの温度管理あたりが関の山なのでは?
   いや、温度管理ならカミュが一手に引き受けているはずですし……

言下に断ることも忘れて つい可能性を検討してしまうあたり、あまりにとっぴょうしもない貴鬼の願いに、さしものムウも混乱しているに違いなかった。
「そんなことができるわけがありません。 あなたは私の内弟子ですし、アリエスの聖衣を継ぐための修行の半ばなのです。」
「でも、大人になるまでに広く経験を積んで自分を磨かないと立派な聖闘士になれないとおっしゃったのはムウ様ではありませんか。 ここでお世話になってムウ様の跡継ぎとして一人前になってからでは、ほかの方にお仕えすることはできません。 アリエスの聖衣を継ぐまでにおいらはたくさんの経験をしたいんです。 お願いです、ムウ様、1年、いえ半年でもいいから、ぜひお願いします!」
「修行半ばで師を変えるなど聞いたこともありません。 それに、どうしてカミュなのです?」
「カミュ様はシベリアで何年も弟子を育てた経験がおありですからご迷惑にはなりません。 きっとおいらのこともきちんと教育してくださいます。」
「それは………では、ミロはなぜ?」
「カミュ様と親しくなさっておいでなので、もしカミュ様がお断りになられてもミロ様のところにいればカミュ様がいろいろと助言してくださってきっとうまくいくからです。」
子供は子供なりに考えていてそれも一理ある。 ムウとて、貴鬼をデスマスクのところにやるくらいなら、喜んでカミュに託そうという気になるのは間違いない。 だからといって、この話に積極的になれるわけもない。
「そんなことをいっても、第一、向こうが承知しないでしょう。」
「そんなことわかりませんよ。 人の意見を聞きもしないで勝手にものごとを判断してはいけない、とおいらに教えてくださったのもムウ様です。」
ムウは根負けした。 たしかに貴鬼にそう教えた覚えはあるのだ。

   しかし、どう考えてもカミュが承諾するはずはありませんね  
   一人住まいでも、自分のことは几帳面にできているはずですし、弟子はもう育て終わっています
   それに貴鬼は聖域で唯一の聖衣修復の技術を継承する大事な人材ですから、
   私から引き離すようなことを、あのカミュがするはずもありません
   ミロの方は、内弟子などいようものなら、朝寝はできず、訓練には精出さなくてはならないし、
   今のように自宮を空けてばかりもいられなくなります
   そんな、自分の生活を束縛するような真似を、あのミロがするとは思えません
   これは私が押し切るよりも、貴鬼を連れて行って向こうから断ってもらうのが得策でしょう

そこで、ムウは貴鬼を連れて白羊宮を出たのだった。
先に到達した天蠍宮を訪ねると、都合のよいことにちょうどカミュも来合わせている。

   これなら話が早そうですね
   私も聖衣の修復が二件溜まっているのでそうは時間をかけられませんし

「実は、二人に貴鬼からお願いがあるらしいのですが、話を聞いていただけますか?」
ムウに背中を押された貴鬼が顔を赤くして前に出た。
「あのぅ……実はおいら、カミュ様のところに弟子入りして修行させていただきたいんですけど、どうぞお願いですっ、おいらを弟子にしてください!」
「……え?」
口元に運びかけていたティーカップを止めたカミュが目を見開いた。
「それは……ムウの弟子を辞めるということなのだろうか?」
いかにも困惑したように、ムウを見る。 それも無理のないことで、他宮で修行途中の弟子を奪うようなことになってはトラブルのもとになりかねぬし、第一、聖域で唯一、聖衣の修復能力を持つムウの後継者としての貴鬼の存在はここ聖域全体にとってまことに貴重なものなのだ。
「そうではなくて、1年でも半年でもいいんです。 他所でいろいろな経験を積むのも大事な修行だとムウ様はおっしゃいましたし、もし、カミュ様のところがご無理ならミロ様のところでも……どうぞ、お願いです!」
「ふうむ…………それならば、まず貴鬼の適性も調べねばならぬし、返事は今すぐというわけには…」
カミュがちょっと考える様子を示し、一方ムウは、貴鬼の台詞に異を唱えたくなった。

   いや、私は、そんなことを言ってはいませんよ!
   広く経験を積みなさい、とは言いましたが、 「 他所で… 」 と言った覚えはありません
   それに、カミュもなにを言っているのです?
   まだ、弟子を育てることに興味関心があるのですか?
   子供の貴鬼の言うことを、そんなに真面目にうけとらなくてもいいのですよ。 第一、ミロが………

そう思ったムウが口を開くより早く反応したのは、ミロだった。
「冗談ではない。 カミュはとっくに弟子を育て終わってる。 宝瓶宮に自由に立ち入るのを許されるのは、このスコーピオンのミロだけだ。 これ以上、カミュの時間をほかの事に使わせるわけにはいかないし、むろん俺も受けられない。 自分が師匠に向いているとは露ほども思ってないし、弟子を持ったら自由にここに来られなくなるからな。」
考えているカミュを制するようなミロの自信たっぷりの台詞にどきっとしたのはカミュとムウである。 半ば公然と二人の仲を認めているかのようなミロの発言にカミュは耳まで赤くしてうつむいてしまい、ムウはそのカミュを見て、なんとなく察知していた事情を当事者の口から明らかにされたような気がして貴鬼の反応を即座に確かめる。 幸い、貴鬼にはそのあたりのニュアンスはまったくわからなかったので、ちょっととまどっているだけである。

   よかった〜、どうやら貴鬼には今の言葉の意味がわからなかったようですね!
   私の教育は間違ってはいなかったようですが、まったくミロも、いきなりなにを言い出すのやら……
   これでは先が思いやられます

「では二人には相談してもらうとして、貴鬼、私と図書室に行って天蠍宮の蔵書を見せていただきましょう。 よろしいですか?ミロ。」
「ああ、好きにしてくれ。 貴鬼の読めそうな本もあると思う。」
ここ天蠍宮といえども図書室はある。 それもカミュの趣味が入って、理系の図鑑などもかなり置いてあるはずなのだ。 ムウはきょとんとした様子の貴鬼を引き立てて、そそくさとドアを出て行った。 どう考えてもひと悶着有りそうだ。

「ミロ、口を慎んでもらおう。 あの二人の前でなんということを!もう少し、うまい言い方はできないのか? 貴鬼のことなら、私は別にかまわぬ。 ただ、揉め事は好ましくないのでムウの了解は必要だが。」
「おい、カミュ、お前は俺のことが大事じゃないのか? 貴鬼がそばにいて、俺たちはいったいどうなるんだ?」
弟子という存在には格別の思いがあるとみえ、突然降って湧いた貴鬼の弟子入りという可能性に気を惹かれたらしいカミュにミロが納得できるはずがない。
「いいか、宝瓶宮に貴鬼がいてみろ。 俺が自由にできないし、お前もなかなか天蠍宮に来られないだろうが。 俺たちだけじゃなきゃ、だめなんだよ、そんなことはお前にもわかるだろう? どっちに弟子がいても身動きが取れなくなる。」
自分のことしか考えていないようなこのミロの台詞が、カミュの気に触ったのかもしれなかった。
「そのような私的な理由で弟子の育成の可否を判断するのは間違っている。 このごろあまりにも一緒の時間を過ごすことが多いのには、お前も気付いているのではないか? このあたりですこし距離を置いて、お互いを見つめなおすのもよかろう。」
言ってしまってからはっとしたが、覆水盆にかえらずである。
「俺たちの間に距離なんかいらんっ! 蟻の入り込む隙間もないほど、俺とお前の仲は緊密じゃないか! 昨夜だって、お前は俺と… ………カミュ………もしかして今の俺たちの関係になにか不満があるとでも?」
ミロの小宇宙がみるみるうちに不穏になり、カミュもはっとしたが、さらに驚いたのは少し離れた図書室にいたムウである。 黄金同士の不和など貴鬼には見せたくないし、ましてやそのあと関係の修復を図られてただならぬ雰囲気にでもなろうものならことである。 教育上よろしくないのは言うまでもない。 同じ宮の中にいては、とても隠しおおせるものではないのだ。
「貴鬼っ、事情が変わりました! もはや、子供のわがままを聞いている場合ではありません! よそ様よりも白羊宮の水のほうがあなたにはあっています。 カミュに仕えたいのなら、聖衣の修復を完全に会得したあとで考慮します。 カミュは論理性を重んじるので、弟子入りするにはそれが最良の道なのですよ。 さあ、今日の仕事に取り掛かりますよっ!」
貴鬼の読んでいた 『 世界の昆虫図鑑 』 を素早く書架に戻して小さい手をつかんだムウが瞬時に白羊宮にテレポートし、あとには影一つ残ってはいない。
貴鬼の聖衣修復の技術習得にはどんなに早くてもあと10年はかかるのだ。 その後は貴鬼に修復を任せてジャミールに隠棲するつもりのムウである。 貴鬼が他宮に弟子入りする芽は、どう転んでも有り得ないのだ。

「ミロ、そんなに怒ることはない。 私がお前のことをどう思っているかを知らぬお前ではあるまいに。」
「しかし……カミュ………」
外部に漏れる前に不穏な小宇宙をおさめようとしたカミュがそっとミロを抱きしめて、首筋に押し当てられた花の唇がミロをドキリとさせる。 既にムウと貴鬼の小宇宙が天蠍宮から消えたことは、二人にもわかっているのだ。
「貴鬼は私を慕ってくれたのだ…………子供らしくていじらしいとは思わぬか?」
「ん……それは……」
「だから……」
しなやかな手がミロの髪を梳き、やさしい吐息がミロの心を和ませる。
「だから、怒らずに……お前もやさしく貴鬼に接してはくれぬか……心配せずとも、貴鬼はムウにとっても、この聖域にとっても大事な存在だ。 私の弟子にすることはありえない。」
「でも、さっき……」
「いきなり断っては角が立つし、貴鬼も納得しづらかろう。 そこで、適性検査のことに触れたのだ。」
ミロの手がカミュの背に回され、唇が重ねられる。
「カミュ……すまなかった………つい自分のことしか考えなくて……」
「ん…」
「もしお前が弟子を取ったら、ほとんど、いや、間違いなく俺と夜を過さなくなるだろう。 シベリアみたいに遠ければ我慢もできるだろうが、こんなにそばにいて逢えないというのには耐えられない。 そう思ったから……」
「わかっている……」
午後も早いというのに、カミュを抱えたミロの足はいつの間にか廊下の奥へと向かう。
「え………ミロ…」
ノブに手をかけたミロが微笑んだ。
「これからは俺たちの関係修復だ。 俺たちにしかできない、大事な仕事だし……いい?」
「……それは…あの……」
「お前に新しい弟子はいらない。 その代わりに俺が有り余るほどの愛をやろう。」
ドアが開き、そして閉じられる。
「カミュ………俺のことが好き?」
「昔から………そして今も……」
まだ明るい部屋の中で、カミュは目を閉じていった。





       ずいぶん前に書いて、ちょっとだけサイトに出していたのですが納得できなくて引っ込めた話です。
       かなり直して再登場。


ほ ほ ほたるこい あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ ほ ほ ほたるこい