いい湯だな いい湯だな 湯気が天井からぽたりと背中へ 
  冷たいな 冷たいな ここは北国 登別の湯

                                                      作詞      永 六輔


「あっ!!」
カミュが小さく叫び肩をすぼめたのを見て、俺は笑わずにはいられない。ついさっき、俺のことを見て笑っていたのはお前だろうが。
「ふふっ、いくらお前でもこの冷たさは好みじゃないだろう?」
「・・・ああ、身体が温まっている分だけ余計に驚くものだ。」
今度は湯の中に肩まで沈めたカミュが心地良さそうに溜息をつく。
洗い髪をタオルで巻いて首筋を露わにしているのが珍しく、だいぶ見慣れてきたとはいうものの、さりげない振りをして眺めている俺の心拍数が上がるのも、これは当然というものだ。
入り口の表示には 「心臓病のある方は入浴をお控えください」 とか書いてあるらしいが、健康には人一倍自信のある俺でも、この光景を見せられてはいささか不安になりもする。
病気の療養にもなるという温泉に来て心臓病になるというのでは、本末転倒もここに極まれり、というものだろう。
それにしても、滞在五日目にして、ようやくこの温泉にも馴染んだらしいカミュの白い肌が透き通った湯の中で揺らいで見えるのが、目の保養なのか、はたまた、目の毒なのか、俺にはいまだに判別がつきかねるのだ。

ここで、どうして聖闘士の俺たちが温泉に浸かっているのか、説明すべきだろうと思う。
一週間ほど前、俺のところに教皇庁から公式に文書で通達があったのだが、「アテナの地上におけるバックグラウンドであるグラード財団が所有する牧場に行き、乗馬を習得せよ」との内容だった。
新しい任務かと勇躍開封した俺はさすがに首をひねり、カミュの意見を聞きにいくと、なんとカミュのところにも同一の文書が届いたところだという。
まったく趣旨がわからず、教皇庁に問い合わせたが、アテナのからの直接の指示であるということがわかっただけで、なんともわけがわからない。
他の黄金にはだれ一人、このような文書は来ておらず、俺たちはデスやアフロに半ばからかわれながら指示された土地、日本の登別にやってきたのだった。
むろん、奴等がからかったのは俺だけで、カミュに余計なことを云う者などありはしなかった。
それはカミュの気持ちを尊重するというよりも、カミュの冷たい一瞥を浴びるよりは、俺をからかったほうが面白い、と考えているからに違いないのだが。
この俺たちの日本行きの噂が広まったとおぼしき夕方には、アフロが 「通り道だから」 という納得できない理由で宝瓶宮に立ち寄り、素晴らしく鮮やかな黄色いバラの花束を置いていった。
何も知らないカミュは礼を言って受け取ったらしいのだが、あとになって寝室でそれを一目見た俺は真っ赤になってしまい、カミュに不審がられて閉口したものだ。 恋人との寝屋に「ハネムーン」を飾って夜を過ごせるほど神経の太くない俺は、香りが強すぎるから、という誰も納得しそうにない理由を言い立てて、バラの花瓶を居間に持っていかねばならず、さらにカミュに不審がられた。
そして、デスの奴は、こともあろうに教皇の間の控え室に大勢がいる中で、すっと近付いてくると、俺が反論できないのをいいことに、にやにや笑いながら、
「よっ!、新婚旅行!!!」
と囁きやがった!!!!!!
おっと、言葉遣いが悪いのはカミュが最も嫌うことだからな、自重せねばいかん。 しかし、こんなときに『デスが囁いた』などという表現では、とても気がおさまらんのだが。
いったい、カミュは、頭に来る、ということを経験したことがあるのだろうか・・・・、ないだろうな、たぶん。
ともかく、そのときの俺は顔から火が出る思いで口もきけず、あとになってカミュから
「真っ赤になって困っているようだったが、デスマスクがなにか言ったのか?」
と聞かれて返答のしようがなかったものだ。
カミュにそんなことを知られようものなら、今度の旅が台無しになること請け合いなのである。

アテナの所有する牧場は、日本の北部にある北海道という大きな島の、登別という町にあり、俺たちは宿から毎日そこに通って乗馬の訓練に明け暮れている。
アテナから許された期間はわずか二週間、乗馬などというものにはこれまで縁がなかったが、半月ばかりで乗りこなせるものなのか俺にはよくわからない。
ただ、二人とも運動神経には当然自信があり、、乗馬を教えてくれる日本人の教師からも「すじがいい」と誉められているので何とかなるだろう。

この訓練期間中の宿泊地に、牧場から少し離れたところにある小さな温泉場をえらんだのは俺だ。
当初の驚きからさめて、教皇庁に詳細な日程等を問い合わせたところ、宿はその牧場の部屋を間借りする予定だということがわかり、俺が強硬に主張して宿は自分で探すことにしたのだ。
考えてみればわかるだろうが、今度の任務、といっていいのかはなはだ疑問ではあるのだが、俺とカミュが初めて大手を振って行動を共にする旅で、どうして見知らぬ牧場の一部屋で、いや、もしかしたら運悪く二部屋かもしれなかったが、人目を気にして過ごさなくてはならんのだ!
なんといっても、日本には 「蚤しらみ 馬のしとする枕もと」 という有名な俳句があるのだ、俺の大事なカミュを、一瞬たりともそんなところに寝かせるわけにはいかんっ!!!
まったく、教皇庁は、なにを考えているのだ! 日本のことを知らなすぎるのではないのか!

ところで、日本には温泉というものがあり、多くの日本人はそこで裸の付き合いをして心身ともにくつろぐのだ、と以前老師におうかがいしたことがある。
ううむ、日本人はシャイだと聞いていたのだが、年越しそばといい、今度の温泉といい、案に相違してなかなかやるではないか!
この千載一遇の好機を逃がしては男がすたると考えた俺は、すぐにネット上で 「温泉・閑静・高級・英語OK・小規模」 という希望の条件に合致する宿泊施設を見つけ出し、予約を入れたのだった。
むろんカミュが気に入らなくては話にならんが、カミュは温泉のことにはどうも関心がないようで、「お前に任せる」と一言いったきり、自分では乗馬入門の本を入手して熟読玩味していたのだ。
俺とは興味の対象が違うようだが、お互いに相手にないものを補い合うというのは重要なことだといえるだろう。

俺が厳選したこの宿は、小さいが、都会に暮らす日本人からは「隠れ宿」などと呼ばれていて、その品のよさが好まれているという。 カミュと過ごすには、この 「品の良さ」 というのが非常に重要で、そういう環境がカミュの持って生まれた素質、すなわち美しさをより引き立てることは経験済みだ。
宿泊客は一日に五組だけ、そのすべてが「離れ家」という一軒ずつの独立した建物に宿泊するシステムなっているのがこの宿の最大の魅力であり、俺とカミュが泊まるからには、この条件は欠かせんところなのは自明の理だろう。
この宿のサイトには御丁寧に、食事のサンプルや部屋の様子、なんと浴室の写真まで添えられておりドキドキすることこの上ない。
ただし、ギリシャ語変換しても、写真に添えられている文章はさっぱり要領を得なかった。
浴室の写真に至っては何故か何種類もあり、「ROTEN」だの「UTASE-YU」だの「HINOKI」だの、さっぱりわけがわからなかったが、ふふふっ、現地に来てみて俺はやっと理解できた。
それも、宿の主人に何度も聞き返しての結果だったのだが、なんと風呂好きの日本人は一日に何度も入浴し、それも同じ浴室だけでは満足できずに様々な意匠・広さ・湯の質を、好みに応じて選んで入浴するのだというではないか!
日本人というのは、なんと驚くべき民族なのだ!
もちろん俺は日本語がわからないし、カミュのほうも簡単な挨拶くらいしかできないのだが、宿の主人とカミュが英語で話をした結果、俺たちが聖域で考えていたよりもはるかにいろいろなことがわかったのだった。
「では、この『大浴場』というのは?」
「それは大勢のお客様が一度に入浴できるように大きく作られています。当方では三十名様ほどお入りになれますが、大きな施設では千人風呂というのもございます。」
カミュの通訳を聞いてどれほど驚いたかしれん!
サイトの室内プールの写真に「浴室」という説明がついてるのを見て、間違いだと思っていたが、間違っていたのは俺のほうで、あれが風呂だと???
だいいち、日本人は他人と一緒に風呂に入るのか? それも千人もっ??!!
どうしてそんな恥ずかしいことができるんだ??!!
俺たちがギョッとしたのを見て宿の主人が更にいった。
「『家族風呂』というのもございまして、こちらはご家族やご友人とだけでお入りになれます。一時間ごとの貸切になります。外国の方はこちらをご利用になられる方が多くいらっしゃいます。」
ほほぅ〜、なかなか考えているではないか!
俺が感心していると、温泉のことばかり「聞け」とせっつくのに呆れ果てたカミュが部屋に戻ってしまったので、自分ひとりでなんとか家族風呂というものの予約をしたのは、我ながら上出来だったと思う。
そんな俺の努力が実り、毎日乗馬にいそしんだあとで、カミュと二人で家族風呂で汗を流せるとはなんと幸せなことだろう。 もっとも、カミュがすんなり同意したわけではなく、初日の抵抗はたいへんなものだった。

旅行には、事前の準備・学習が欠かせない、これを怠ると楽しい筈の旅情が損なわれることは常識だ。
そこで出発前に、俺はカミュから乗馬入門の本を「これを読んでおくように」と手渡され、、一方、俺はカミュに手頃な温泉のサイトのURLを教えておいた。
しかし、それなりに学習していたはずのカミュは、来る途中で通り抜けてきた登別温泉の中心街を浴衣姿で歩いたり、宿の玄関先で 「足湯」 とやらに素足で入っている日本人の姿を見て、自分の考え違いを悟ったらしかった。 俺のほうは  「サイトで見た通りだ!」 と大満足だったのだが。
なにしろカミュが学習した 『温泉』 とは、 「火山と地下水の関係・水質のpH度・含有成分・医学的効能」 などであって、決して 「日本人の温泉の入浴方法や湯船の種類」 ではなかったのだ。
そこのところに齟齬があったのに気付いたのは現地に着いてからで、俺の教えたサイトにそんなことを解説したコンテンツがあるなんて、カミュから聞いて初めて知って、驚いたのはこっちのほうだ。

「 だから言ってるだろう! 家族風呂っていうのは、なにも日本人みたいに、他人と一緒というわけじゃないんだぜ?俺達
 だけなんだからいいだろうが!」
「・・・・ともかく嫌なものは嫌だ!」
「 郷に入っては郷に従えっていう諺を知らないのか?グローバルな視点を持つことについて賛成したのはお前じゃない
 のか?はるばる温泉の国日本まで来て、それはないだろう!」
「 そもそも、日本へ来たのは乗馬の習得のためであって、温泉に入浴するためではない。 お前こそ、なにかはき違えて
 いるのではないのか?!」
さすがはカミュ、なかなか痛いところをついてきた。
しかし、そのために早めにチェックインした宿の結構な離れ家で、なぜ俺たちはこんなことで言い争わねばならんのだ?
「 ともかく、カミュ、早く入浴しないと夕食の時間に差し支えるんだよ!理屈はいいから早く行こうぜ!」
「 乗馬と違って、家族風呂での入浴は義務ではない。行きたければお前一人で行けばよい。 私はここに付属している内
 風呂に一人で入る。」
こうまで言われてはやむをえない、少々時間が早すぎると思ったが俺は奥の手を使うことにした。
「 カミュ・・・・・俺はお前と付き合うのを義務だと思ったことはないぜ・・・・・」
そっと抱きしめ耳元でささやくと、さすがにどきっとしたようで、
「 あ・・・・私はなにもそんなつもりでは・・・・・」
「俺たちは心も身体もお互いのものだ・・・・・そうじゃないのか?」
「 ミロ・・・・・・」
顔を赤らめたカミュの手が俺の背中にまわされる。 これで決まった、と俺は思った。
しかし、カミュの心理的障壁を突き崩すにはまだ時間が必要だったようだ。
満足した俺が唇を離したとたん、
「 ・・・やはり・・・ミロ・・・・私にはまだ・・・・」
困惑顔のカミュを見ては、俺もそう強い態度には出られない。
「どうしても・・・・・・だめかな?カミュ」
うつむいたカミュが俺の腕の中でゆるゆると首を振り、艶やかな髪から甘い香りが匂い立つ。
「 でも・・・・明日には・・・たぶん・・・・・・」
その返事で俺は満足することにした。 耳まで赤くなっているカミュがたとえようもなくいとしくて、今度はそっと口付けた。

その夜遅く、カミュが眠ってしまったあとで、俺は一人で露天風呂というのに行ってみた。
ちょっと不安だったが幸い誰もおらず、一人で夜空を眺め、夜の空気を吸い込んでみる。
聖域ではとても考えられないことだったが、自然の中で温泉を楽しんでいる自分がそこにいた。

「いいものだな・・・・なんとかしてカミュをここにつれてきたいが・・・無理な相談か・・・・」

俺の呟きが湯煙りにとけていった。





                 「いい湯だな」はドリフターズで有名ですが、
                 元はといえば、
                 昭和40年代に永六輔(作詞)と中村八大(作曲)が組んで、
                 日本中を旅する、という設定のもとに作られた、
                 「にほんのうた」シリーズの中の一曲です。
                 デューク・エイセスという男性四人組が歌い、ヒットとなりました。
                 県ごとに歌があり、「いい湯だな」は群馬県の歌。
                 原曲では群馬県の温泉地の地名が並んでおり、
                 「ババンババンバンバン」も原曲にはありません。
                 「にほんのうた」は私が学生のときの愛唱歌で懐かしいものです。
                 他に有名なものでは、
                 「筑波山麓男性合唱団」(茨城)、 「女ひとり」(京都)等があります。

                 それにしてもミロ様、ついにカミュ様と温泉旅行っ!
                 「私を温泉に連れてって」と言われたわけじゃないけれど、
                 まあ、よかったこと!