時 間 通 り に 教 会 へ 
            
                    Get Me to the Church on Time
                                            映画   「 マイフェアレディー 」 より


「お前がトラキアに来るのももう三度目だ、きっと歓迎されるぜ!」
「そうだろうか? 年に一度しか来ていないし、そんなに知り合いが多いというわけではないのに。」
「だって、去年新しく教会を建て直したときの礼拝で俺は散々聞かれたんだからな、今回はカミュ様はご一緒ではないのですか?って。」
「なぜ、様が付く?」
「さあ? 俺にもわからん。 でも、村の女たちはみんなそう言うぜ、そのほうが呼びやすいんじゃないのか。 そのかわり、男はみんなカミュって呼ぶからそれなりにバランスが取れてるだろう。」
「そういうものか?」
「そういうものだよ♪」
のんびりと話しながら峠を登り切ると眼下に静かなたたずまいの村が見えてきた。 12月も押し詰まってきた今は葡萄の葉もみな落ちて横に這う枝振りを見せているばかりだが、去年の収穫祭に来たときは一面の黄金の葉の色が濃く薄く見渡す限りの丘陵を染め、二人に息を呑ませたものだ。
年数を経た太い幹とそれから伸びる横枝があるばかりのブドウ畑は見通しがよく、かなり離れたこの道からも遠くに人影が動いているのがよく見える。
「う〜ん、これじゃ無理だな!」
「なにが?」
「あまりに見通しがよくてお前にキスする場所がない。 村に入るまで、手もつなげないじゃないか!」
「馬鹿なことを………」
くすくす笑っているところをみると、他愛もないことでからかってカミュを赤面させるのを、どうやらミロは楽しんでいるらしい。

「ああ、あそこにディミトリーがいる! 」
村に入ってすぐにミロが見つけたのは従兄弟のディミトリーだ。 去年の収穫祭で会ったときより幾分恰幅がよくなったようでにこにこ顔は相変わらずだ。
「よう、ミロ! 待ってたぞ、カミュもようこそ! ソティリオは出かけているが夕方までには戻ってくる。」
「またお邪魔します!」
「赤ん坊は元気か? クリスティナにも変わりはない?」
「むろんだ、フローラはよく泣いてよく眠って、俺に似て飛び切りの美人だぞ♪」
「そんなはずはない、クリスティナに似てるんなら話はわかるが。」
「こいつめ! それならどっちに似てるか、カミュに判定してもらおう♪」
去年の収穫祭に結婚式を挙げたディミトりーの若い妻クリスティナが夏に女の子を産んでいて、ミロには初めての姪ということになる。
「フローラといえば春の女神の名だ、きっと愛らしい娘になるに違いないぜ♪」
「金髪だから、うちの伝統だ、秋の葡萄の葉の輝きよりも濃い色をしてる!」
「まだ小さいのに?」
「ああ、俺の子だからな!」
にぎやかに笑いながら家の前までやってくるとその声が聞こえていたに違いない。 中から扉が開かれてきれいに着飾ったディミトリーの妻が現れた。
「ようこそ、お二人とも! お待ちしてました!」
「やあ、クリスティナ! 」
「こんにちは! お邪魔します。」
迎え入れられた室内はクリスマスらしい暖かい飾り付けで、一般家庭のそうした雰囲気に触れたことのないカミュを瞠目させた。 部屋の隅にあるもみの木は今月に入ってディミトリーが山から採ってきたもので、本人曰く、夏のうちから目を付けておいたいちばん形のいい木なのだという。
「だって、フローラが初めて見るツリーなんだからな、最高でなきゃ♪」
「もっともだ♪」
きれいなガラスボールやリボンで飾られたもみの木の下にはすでにたくさんのプレゼントが色とりどりに並べられ、さっそくミロとカミュが持ってきたものがそこに加えられた。
「 明日になったらみんなで開けてみよう!、ほら、今年はフローラとミロとカミュと、三人分のが増えたから置くのが一苦労だよ♪」
「え?どうして、俺たちのがそんなに?」
ディミトリーが指差すもみの木の下には、なるほどフローラあての可愛い包みの山のほかに、ミロとカミュそれぞれにかなりの数のプレゼントがあるではないか。
「フローラにたくさん来るのはわかるが、俺たちにくれるのはディミトリーとクリスティナとソティリオだけだと思ったが? ああ、大伯母もくれたかもしれないな! でもそれにしても多すぎる。」
「それが…」
ディミトリーが面白そうに笑う。
「先週、教会の集まりで話が弾んだときに、クリスマスにはうちにミロとカミュが来るって話したんだよ。 そしたらそれがあっという間に広まったんだろうな、二、三日してからうちのドアの前にいつの間にかプレゼントが置かれるようになった。 朝いちばんでドアを開けると必ずなにかしらあって、誰からだかはわからないがともかく全部ここに置いてある。たぶん、お前たちに惚れこんだ村の娘たちが競ってるんだと思うんだが。」
「え………」
二人が顔を見合わせていると、
「さぁ、フローラを見てくださいな。」
にこにこしたクリスティナが隣室から赤ん坊を抱いて現われた。 やっと四ヶ月になったばかりで、小さい手を動かしてぱっちりとした目を開けている。
「う〜ん、なんて可愛い子なんだ! ……抱いてもいい?」
「もちろんですわ! ほら、フローラ、あなたの叔父さんよ♪」
「そう言われると、どうにも照れるね♪」
笑いながらやわらかい布に包まれた赤ん坊をそっと抱きとったミロが興味津々で顔をのぞきこむ。
「金髪はディミトリー似で青い目はクリスティナ譲りだな♪ あ、………あくびをした! ふふふ、なんとも言えず可愛いね♪ カミュも抱いてみろよ。」
「え……私も?」
「弟子を育てたんだから俺より経験豊富じゃないのか?ほら♪」
抱き手が変わったのに驚いたのか、フローラが手をばたつかせたのでそっと抱きなおしてやった拍子に小さい手がカミュの髪をつかんで放さない。
「ほんとに可愛い♪………ミロの小さいときもこんなだったのだろうか、髪と目の色が同じだし。」
「ああ、むろん俺も可愛かったさ、そうに決まってる! 自信があるぜ♪」
ミロがみんなを笑わせているとディミトリーが、
「そういえば、この間、母のたんすを整理していたらお前の写真が出てきたんだよ、持ってこよう!」
というではないか。
「え? 俺の?」
フローラの薔薇色の頬をつついていたミロが驚きの声を上げた。

少し色褪せた赤いリボンで結ばれた写真は確かにミロのもので、裏には几帳面な筆跡で日付けが書き込んである。
「ほら、これは三つくらいのときにここに遊びに来たときのものだろう、裏の小川のそばだ。俺とソティリオも写ってる、みんなやんちゃ坊主だよ。 それから、こっちが教会の前。 」
何枚もの写真が次々とテーブルに並べられ、子供時代のミロが元気者だったことを証明してくれている。
「あ……これ!」
ミロが手に取った一枚にはやさしそうな二人の婦人とその前に肩を抱かれて立っているミロが写っている。
「叔母と俺の母だ……!」
先年亡くなったというミロの叔母は白いエプロンをしているやさしい顔立ちの人でいかにも暖かい人柄が写真を通して伝わってくる。 その横に立つミロの母親は薔薇色の頬をしたきれいな人で、妹の方より少し背が高い。 金髪はミロと同じだが、目の色は明るい茶色だった。
「俺の青い目は父親譲りなんだよ、どこかに写真がないかな? ええと………」
「これがそうだろう。」
ディミトリーが差し出した写真にカミュの目が吸い寄せられる。

   これがミロの父親………ミロと同じ目の色の……

そこにはまだ小さいころのミロを抱いている若い男性が写っていて妻が側に寄り添っているのだ。 照れたような笑顔がミロとよく似ているように思われて、きれいな青い目はなるほどミロとそっくりだった。
「写真、少しもらっていいかな?」
「いいとも、好きなのを持っていってくれ。」
ミロがあれこれと写真を選んでいる間にカミュは抱いていた赤ん坊をクリスティナに返すことにした。 そのころにはカミュの胸ですやすやと寝息を立てていたフローラがむずかって可愛い声を立てた。

「………あれ? お前の胸の辺り……甘い匂いがするぜ、フローラを抱いてたからかな。 とすると、明日の朝は俺たちも気をつけたほうがいいかもな♪」
甘いミルクの匂いがしばらくはまとわり付いていたようで、荷物を置きに部屋に行ったときに軽いキスをしてきたミロがそんなことを言ってカミュを当惑させる。
「まさか、そんな………」
「冗談だよ、普通の人間にそんなことがわかるはずはない。 お前の髪はいつもいい匂いがするからちょっと言ってみただけだよ。 安心して♪」
「ん………」
もう一つもらったキスはさっきよりも丁寧でカミュを赤面させる。
「ちょっと目立つかな? 夕食の前に少し飲んでおくか? 最初から顔を赤くしておけば、余計な心配をしなくても済むぜ。」
「けっこうだ、このくらいはすぐに醒める。」
「でも俺は居間でも食堂でもいつでもお前にキスしたい! せっかくのクリスマスなんだしぃ〜♪」
「よさぬか、そ…そんな恥ずかしいこと!」
「ふふふ、冗談だよ、で、顔色は直った? 下に行くぜ!」
くすくす笑いながら階段を下りるミロが楽しそうで、心踊るクリスマスイブが始まろうとしているのをカミュに感じさせた。

「夜中の十二時から教会でクリスマスのミサがある。 小さい子供向けには午後の3時からあるが、うちにはそんな年頃の子はいないからな、それまで寝ていても散歩でも構わないが時間には遅れないようにしてくれ。 10分前から鐘が鳴り出すから、村のどこにいてもすぐわかる。」
イブの食卓でディミトリーに言われて、ミロも小さいころのことを思い出した。
「そうだ! 夜中のミサに行きたかったのに、叔母からまだ小さいからだめだって言われて悔しかったものだよ。 たしか、三時からのミサは子供用にお菓子をくれたけど、俺はそんなものより夜中のミサが羨ましかったね、大人ばっかりずるいって思ってた。」
豚肉とセロリの煮込み料理を口に入れたミロがワインをぐいっと空ける。
「そこまでにしろよ、赤い顔でミサに出るのはみっともないからな。 去年はそれで恥をかいた。」
帰ってきたソティリオがミロにウィンクをして、
「その点、カミュは大丈夫だな。 もとから飲まないから堅実でいい♪」
「カミュだって少しは飲めるさ! このグラスに三分の一くらいはいけるから♪」
「控え目なんです、ミロと足して二で割ると世間の標準になるはずですが。」
生真面目なカミュは本気で言ったのだが、いい冗談だと食卓はおおいに賑わった。
「今年は雪が降らないのかしら? フローラに雪のクリスマスを見せたかったのに。」
「残念だが無理そうだ、もっとも真夜中までにはまだ時間があるが。」
「あきらめることはない、きっとなんとかなるさ!」
明るく言ったミロがカミュに目くばせしてくすっと笑う。 なるほど、それはいいクリスマスプレゼントというものではないか。

「ところでルキアノスの家に買い手は付いたのかな?」
「いや、まだだ。 年内に決まったらよかったんだが。」
あとから考えれば、注いだワインを全部飲むようにとカミュに進めていたミロの耳にディミトリーとソティリオの会話が聞こえてきたのは運が良かったのだ。
「ルキアノスって、教会の東側の? 家を売りに出してるのか?」
「ああ。 一人娘がイタリアで結婚して子供も生まれたんで、この夏から向こうで一緒に住んでいる。 ブドウ畑の方はうちが買い取ることにしたが、家の方は誰も名乗りを上げないんだ。」
「そりゃそうさ、村のものはみんな自分の家で満足してる。二軒目の必要はないからな。」
「新聞広告でも出せば都会から引き合いがあるかもしれないが、ルキアノスも全くの他人に住んでほしくはないのさ、それは俺たちも同じことだが。」
「そうだよ、あの家はルキアノスのじい様が自分の手で建てたものだからな、柱も床もこの村の空気を吸って生きてきた。 急に都会者に来てもらってもなぁ。」
そのとき揺り篭のフローラが泣き出したのでみんなの意識はそっちに向けられて話はそこで終わりになった。

楽しかった食事のあとでツリーのまわりでおしゃべりに時を過ごし、やがて夜も更けたころミロが散歩に行こうと言い出した。
「え? ミサに出かけるまで部屋で休むのでは?」
「うん、さっきまではそう思ってたけど、ちょっと気が変わった。 イブの散歩もいいと思うぜ。」
カミュにも異存はなかったので、ソティリオたちにその旨を伝えると、二人は暗い外に出た。
あちこちの家の窓からは暖かい光が洩れてきて、ゆるくカーブした道を歩いてゆくと、四角い窓の内側のツリーや人の動きが絵のように見えてイブの夜に彩りを添えてくれるのだ。 風もなく静かな夜にはそんな散歩を楽しむ村人も幾人もいて、すでに顔見知りになった二人は何度も挨拶を交しながら小道を辿っていった。
「この家だけど、」
「……え?」
ミロが一軒の家の前で立ち止まった。
そこは教会の前の道を少し東に行った大きなもみの木の横に建つ家で、この村伝統のしっかりした造りの小ぶりな家だ。
「さっき話に出ていたルキアノスの家がここなんだよ。 なぁ、カミュ………俺たちでここを買うのはどうだろう?」
「ここを私たちが?」
そんなことを考えたこともなかったカミュがまじまじとミロの顔を見た。
「でも、あの……私たちは住むわけにはいかない。 聖域を離れるのにも許可が必要で、年に何回かしか来られないし…」
「そうだけど………」
唇を噛んだミロがカミュを見た。
「そんなことは俺にもよくわかっている! でも、俺はこの家でお前と暮らしてみたい! 十二宮から外に出て大地に根を下ろした日を過ごしてみたい! いけないか? カミュ、お前はどう思う? お前の考えを聞きたい!」
「私は………」
カミュが目の前の家を見た。
今は住む人もなく扉は閉ざされているが、かつては小さい子が遊び、暖炉には暖かい火が燃やされていたのだ。 今はただ休んでいるだけで、新しい住み手が来るのを息をひそめて待っているのに違いない。
「俺たちは家というものを持ったことがない。 十二宮は確かに俺たちの住まいだが、家という概念にはおよそ当てはまらないことはお前もわかっていると思う。」
言葉を切ったミロがそっとカミュの肩を抱いた。
「………二人して俺の村の住人にならないか?お前もすでに受け入れられているのはわかっているだろう? きっと歓迎されるさ。 それはたしかに年に数回しか来られないけど、でも、この家を買ったことにより明らかに俺たちはここの住人になる。」
「ミロ………」
「なあ、そうしよう! 収穫祭もクリスマスも、それから葡萄が芽を出してぐんぐん葉を広げて畑一面が新緑に変わる季節にもお前を連れてこよう! 素晴らしくきれいなんだぜ、きっとお前は喜ぶよ、なあ、そうしよう!」
いつの間にか抱きしめられていたカミュの目に教会の尖塔の暗い影が映る。
抱かれたままで見る家の窓は暗かったが、いつか灯がともされて明るい声が響き、暖炉で薪がはぜる音がして、ワイングラスを触れ合わせる澄んだ音がして………そしてミロに抱かれる自分がいて………。
描き出された眩しい未来にカミュが思わず目を閉じたとき、教会の鐘が静かに鳴り出した。 森閑とした闇を縫い聖夜の訪れを告げる音に心震えぬ筈がない。そっと空に手を差し延べて淡く小宇宙を立ち昇らせたカミュがミロの髪に頬を寄せ、舞い落ちてきた粉雪にミロが目をみはる。
「ミロ………」
鐘の音の中でカミュが唇を寄せてきた。 やわらかくいとおしげに重ねられた花の唇がやがて名残惜しげに離される。
「早くしないと、もうじきミサが始まるから……… 」
「あの、カミュ………返事は?」
青い瞳に見つめられたカミュが頬を染めたようだ。
「時間通りに教会へ! でなければ、この村の良き住人とはいえまい?」

   カミュ、カミュ………大好きだ!

白い手に口付けたミロがそのまま手を引いて歩き出す。 足元の道はうっすらと白くなり、二人の足跡が続くのだ。 
教会の扉が大きく開かれて、大勢の村人を迎え入れているのが見える。
鐘の音が涙で滲んでいるような気がした。






        
三年目のトラキア篇はクリスマスが舞台です。
        暖かい静かな暮らし、それを渇望してきたミロ様の、そしてカミュ様の夢が叶おうとしています。

        標題の歌は、映画 「 マイフェアレディー」 の劇中歌。
        主人公イライザの父がついに結婚する破目になり、仲間に送られて教会へ向うときのにぎやかな歌です。

             ♪ 今日は俺の結婚式だ  ディンドンと鐘が鳴って時を告げる

        ですから、この歌の 「 教会へ 」 とは結婚するために行くということなんですね。
        最後のカミュ様の台詞にもそういう寓意が含まれていますし、鳴る鐘は結婚式の始まりを告げていることに。
        言わいでものことですが、念のため♪
        
ああ、マイフェアレディー、もう一度見たくなりました!

                「時間通りに教会へ」 の試聴は ⇒ こちら
                アンディ・ウィリアムズが若いです。




サイト3周年記念 ・ トラキア篇 第三弾