宵闇せまれば 悩みは はてなし  乱るる心に うつるは誰(た)が影
  君 恋し 唇あせねど  涙はあふれて今宵も更けゆく
                           
詞 : 時雨 音羽

小さいときから聖域で暮してきて一番親しい友達だったミロが私のことを思っていると知ったとき、どれほど驚いたことだろう。
私は困ってしまって、ずいぶんと悩んで、それでもミロは毎日毎日私に同じことを言いかけてきて………。
とうとう根負けして気弱になった時にキスをされたのだった。 むろん初めてのことで、もうどうしていいかわからずに息を止めていたら気が遠くなった。 キスがあんなに苦しいものだとは知らなかったから、そのあとしばらくはミロの姿を見ると逃げてばかりいた。 またキスをされたらどうしよう、と思うと心配でならなかったのだ。

ある夕方、とうとうミロに捕まった。聖域の南の森の植生を調べていたとき突然ミロに出くわして、あとから思えばきっとあとをつけてきていたのだろうけれど、ともかくミロに手首を掴まれて大きな木の幹に押し付けられ、湿った森の匂いが急に押し寄せてきた。
「カミュ………やっと二人きりになれた。 ………話を聞いてくれる?」
私は口もきけなくてうつむいていた。 ただ恥ずかしくて、どうすればいいかわからなかったのだ。ミロのことは嫌いではないけれど、キスをされるなんて思ってもみなかったし、次に会ったときにどんな話をすればいいかもわからなかったのだ。
「あの……この間は…ごめん……その……いやだった? 俺のこと………嫌いになった…かな……?」
どきっとして、そっと盗み見ると、真っ赤な顔をして少し横を向いているミロの唇が震えているのがわかり、私は目をそらした。この間は、あの唇が……と思うと、怖くて恥ずかしくて逃げ出したくなるのだが、ミロの手が私をつかまえて離さない。その手も汗でしっとりとしており、それがますます私をどきりとさせた。

   いやとか嫌いとか、そういうことではなくて………
   ミロ……あの…私は………

なんと返事をしていいのかわからなくて困ってしまう。
いったいどうしてほんとうの気持ちなど言えようか。
恥ずかしくて驚いてしまったけれど、息ができずに苦しかったけれど、ミロのことを嫌いになったわけではないということをどうやって伝えればいいのだろう。 ミロの顔を見るのさえ恥ずかしくて出来ないのに、口をきくなんて………。
喉が締め付けられるようで、これでは声が出せないに違いない。膝も震えているし、なんだか立っていられないような気がするのだ。
「カミュ………ごめん……泣かせた…」
ミロがぽつりと言って、私の手を離した。 自分では気がつかなかったけれど、私は泣いていたのだ。 急に自由になった手の置き所がなくてとまどっていたら、ミロが背を向けた。
「もう……いやな思いはさせないから……ほんとに……俺が悪かったから……」
喉から搾り出すような、血を吐くような声が私の耳に届いてきた。
はっとしたとき、ミロが向こうに歩き出したその背中がとても淋しそうで、そのときやっと私は気がついたのだ。

   ミロが好きだ……そばにいて欲しい………向こうに行かないで……!

そう言おうと思ったけれど、声が出ない。 緊張のあまり膝ががくがくして、うまく歩くことさえ出来そうにないのだ。

   ミロ……ミロ……戻ってきて………私は…………お前のことを……

やっと一歩踏み出したとき小石を踏んで、よろけて膝を突いた。そんなことをしたことなどなかったのに、弱っていた心が、ミロを求める心が、私を不安定にしていたのだ。
振り向いたミロは、目を見開くとすぐに駆け寄り、ひざまずいて私を抱いてくれた。
私の身体に手を回していたけれど、それはとても遠慮がちで、ほとんど包むような軽い抱擁だったように思う。
「……ミロ………」
それだけでミロはわかってくれた。熱い涙がはらはらと流れ、ミロの肩をぬらす。
「カミュ……大事にするから…………俺のカミュ……絶対に守るから……」
髪に額に、ミロの唇が押し当てられ、震える手が私の背を幾度も幾度もなでおろす。
私の身体はひどく震えていたけれど、私にも、もうわかっていた。 それはさっきまでとは違って、ミロと心が通じあえた喜びからくるものなのだ。
あいかわらず喉が震えていて口がきけなかったけれど、私はミロの肩に顔を伏せて泣いていた。わけもなく涙が出てきて止まらなかった。
木々のざわめきが遠くに聞こえた。




                 しっとりした話が書きたくて、矢も盾もたまらず一気に書きました。
                 うかつに手を触れることなどとうていできぬ張り詰めた若さが匂います。
                 のちのミロ様からは想像もできぬ真剣な恋の一歩です。

                 標題の 「君 恋し」 は昭和4年に発表された古い曲です。
                 しかし、この歌詞の情緒あふれることといったらどうでしょう!
                 昔の歌もいいなぁ、と思うのはこんなときです。
                 文語調だからこそ、趣きが出るのですね。