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ギリシャ民謡
2009年 ミロの日に寄せて
「カミュ、こっちへ!」
「はい!」
小さいカミュがアイオロスに呼ばれて駆けてゆく。 といってもその言葉はミロたちにはさっぱりわからない例のフランス語だ。
「なんて言ったんだろ?」
「手招きしてたから、こっちに来なさいって呼んだんじゃないのかな。」
「もうすぐフランス語は禁止になるんだろ。 もし、急にギリシャじゃない国に連れて行かれて、さあ、今日からはギリシャ語を使っちゃだめですって言われたらどうする?」
「それ、困る!」
「だよね、ギリシャ語しかわからないもの!」
アイオリアとミロが闘技場の周りを走りながらしゃべっていると、
「話しながら走るとすぐに疲れるぞ! 口は閉じる!」
さっそくサガに叱られた。
幼い子供には聖域の暮らしは厳しい。 とくに言葉のわからないものにはなおさらだ。
生まれ持ったテレパスの能力でそれを乗り切っているシャカとムウはいいとして、全くギリシャ語を知らないカミュとアルデバランは初日から途方に暮れた。それでも、もともとおおらかな性格で細かいことを気にかけないアルデバランはすぐにみんなに馴染み、言葉がわからないのにわいわいと楽しくやっているように見える。
しかし、カミュはそうではなかった。
「どうかな?少しは慣れただろうか。」
「はい、あのぅ……あいさつはなんとかできるようになりました。」
答えるまでのほんの少しの間がカミュの切実な思いを表しているようにアイオロスには思えた。
「ギリシャ語の勉強のほかにもやることが多くてたいへんだけど、がんばればいつかはみんなと同じに話ができるからね。
君より年上のアフロディーテやシュラやデスマスクもほかの国から来たけれど今ではあんなにギリシャ語が上手になっている。
カミュも大丈夫だよ。」
「はい!」
なるべく元気な声で答えながらカミュも自分が必死で我慢していることを隠すのに懸命だ。
アイオロスに心配をかけちゃいけない
ほかの子の世話もあるんだから、迷惑をかけちゃだめだから
フランスからギリシャまでの楽しかった船の旅は遠のいて、あんなにやさしく抱いてくれたアイオロスがもうそんなことをしてくれなくなったことがカミュには残念だった。
聖域に入る前にそのことは言われていたのでよくわかってはいるのだが、寂しいことにはかわりない。
フランスで読み書きの勉強をしながらシスターの話を聞いたり神様に祈りを捧げていた日々とはあまりにも違っていた。
その午後も闘技場で基礎訓練があり、みんなの動きを真似しながら一生懸命についていったが、ほんのちょっとした会話もまったくわからないことがまたまたカミュの重荷になった。
同い年でギリシャ生まれのミロやアイオリアはとても親切にしてくれるが、それはそれでカミュに言葉のわからない不自由さを思い知らせることとなったし、ブラジルから来て同じく言葉がわからないはずのアルデバランがにこにこしているのもカミュにはプレッシャーだ。
もしかしたら自分よりもずっとギリシャ語がわかるのではないかと思うと胃のあたりが変な気がしてくる。
着いた翌日に早くも精神的に参ってしまったカミュは胃の辺りを押さえながらアイオロスに、「このへんが……気持ち悪いです。」 とそっと訴えて医務室に連れて行かれた結果、それが食あたりなどではなく神経のせいで、そこには胃というものがあると知ったのだ。そして、今もそうなった。
「胃って、どうしてぼくの考えてることがわかるんだろ……」
休憩時間になり、カミュがひとりぽつんと離れたところの岩陰にゆき、こっそりと涙をぬぐい始めた。
それを見ていた者がいる。やがてさそり座の聖衣を得ると定められているミロだ。
初めて会ったときから気になっているカミュが一見平気そうに装ってはいるものの、ほんとうは寂しがっていることはすぐに飲み込めた。
やっと挨拶の言葉を覚えたくらいで、まだ誰とも普通に話していないカミュにはつらいことがあるのに違いない。
ミロもどうしていいかわからないのだが、なにかできないかと小さいなりに知恵をめぐらしてみる。
慰める方法って………こんなときおばさんは抱いてキスしてくれたけど、それはおかしいだろうな
すると、プレゼントとか?
でも、なにを?
あたりを見回してもなにがあるというわけではない。
海岸ならきれいな貝殻くらいあるだろうに、ここは闘技場で砂と土と小石くらいしかありはしない。
キスもできないし、なにもあげられないし、話をしても言葉がわからないし………
そうだっ!
誰も来ないことを確かめながら、ミロはカミュにそっと近づいた。
驚かせないように姿が見えるようにして歩いていくと、カミュも気づいたようでなんとか涙を抑えて平気そうな顔をするのがよくわかる。
隣りに座ってそっとカミュを見ると、カミュのほうでも困っているらしくちょっと顔が赤くなった。お互い名前はわかっているのだが話ができないというものはしかたがないものだ。すると息を吸ったミロが急に歌を歌いだした。 ほかのものには聞こえない程度のとても小さな声だが、だからこそカミュに聞かせるための歌だということがよくわかる。
それは古いギリシャの民謡で、最初こそさびしげな短調だが、曲の後半は長調に変わる。
とても短い歌なのに、その調子の変化が面白くてミロのお気に入りなのだった。
黒い瞳の女の子 かわいいギリシャの女の子
明るい空の色 明るい海の色 瞳にうつしてる瞳に浮かべてる
カミュがびっくりしたようにミロを見た。 まさか歌を歌われるとは思っていなかったのだ。
黒い瞳の女の子 かわいいギリシャの女の子
かけっこ大好きで なわとびお得意で 桂の冠をあたまにかぶってる
フランス語とはかけ離れているギリシャ語の響きになじめなかったのに、歌になるとなんだかやさしく聞こえてくるのは不思議なものだ。。
黒い瞳の女の子 かわいいギリシャの女の子
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カミュに歌の内容がわかるはずもないけれど、ミロの一生懸命な気持ちはカミュにたしかに伝わった。
真っ赤な顔で歌い終えると、カミュがギリシャ語で 「ありがとう」 とたどたどしく言った。
その後、カミュが喜んでくれたのに味をしめたミロが何度も歌うので、とうとうカミュのもこの歌を覚えて歌えるようになった。 それをたまたま聞いたアイオロスがおおいにほめたので、教えたミロもいっしょにほめられることになりおおいに面目を施した。
意味はまだまだわからないけれどカミュの心の中では 「ミロの歌」 と認識されるようになったこの歌はギリシャでは子守唄としてよく歌われるもので、それでミロもよく覚えていたのだろう。
それが実は少女のことを歌ったものであったことを知ってカミュが赤面するのはのちの話である。
「そういえばそんなことがあったな。 おかげで今でも歌えるが。」
「あれが、お前がいちばん最初に覚えたギリシャの歌ってことだ。」
「それにしてはあまりに女性的だった。」
「う〜ん、そう言われると。 あの時はあれしか浮かばなかったんだと思うぜ。
お前の瞳は黒じゃないけど、この女の子の雰囲気が、なんだかお前っぽいんだよ。」
「そうか?」
「そうだよ。 かけっことか縄跳びとか得意そうだし、花の冠なんかかぶせたら似合うに決まってるじゃないか。」
「この歌では、花ではなくて桂のようだが。」
「細かいことは気にするな。それにギリシャ神話もよく知ってただろ。」
「知ってはいたが、ギリシャ語ではなくてフランス語で覚えたのだが。」
「いいんだよ、そんなことは。 お前がなんとかギリシャ語を話せるようになってから神話の話になって。
そしたら俺達の誰より詳しいから驚いた。」
「それはフランスで神話の本をたくさん読んでいたからだろう。」
「そうだろうけど、フランスにも独自の神話があるだろうに、どうしてギリシャ神話なんだ?」
「さあ?本棚にあったのは聖書とギリシャ神話と絵本くらいだったのではないだろうか。
フランスの神話については考えたことがないが。」
「フランスの神話のことは知らないが、ギリシャ神話ってちょっと奔放すぎるとおもわないか?」
「ええと、それは………」
「すごすぎると思うぜ。 姦通、不倫、誘拐、その他、お前がけっして聞きたくないだろう行為が平然として行われ、しかもそれをやっているのがれっきとした神なんだから、あれには驚くよ。」
「たしかにギリシャ神話の神々の自由恋愛観には恐れ入る。 とてもついていけない。」
「お前の星座のガニメデスだって、その類い稀なる美貌をゼウスに見初められて、誘拐されて祝宴で酒をつがせるためにそばにはべらされたんだからな。 まったく冗談じゃない。」
「人権無視もはなはだしい振る舞いだ。」
「だから、」
「あっ!ミロ、なにを…!」
「誰かがお前をさらいに来るといけないから、俺がお前を守ってやるよ。」
「しかし、ガニメデスは少年だったから抵抗することもできなくてさらわれたのだろう。 私は聖闘士だから自分の身は自分で守れる。
」
「いや、どこかのやくざな神に目をつけられたら、いくら聖闘士でも勝ち目はあるまい?
青年のガニメデスだったらますます危ないぜ、わかるだろ? でも最初から抱いていれば、優先権があるから大丈夫だ!」
「そういうものか?」
「そうだよ。」
そこで、天空からこの様子を見ていたゼウスもカミュをさらうのを見合わせたのだった。 ミロには先見の明がある。
この歌はかなり前、1963年にNHKのみんなの歌に出たものです。
うちに古い楽譜があって子供のころから好きな歌ですが、知っている人がほとんどいないのが残念です。
聖域に来たカミュを一目見て、この歌に出てくる女の子を思い浮かべたミロ様の感性は正しいと思うのですが。
そのうち楽譜を載せてみますね。