その7

石段を登ってきた人物が天蠍宮の表の扉に近付き迷うことなく押し開ける。 人目を避けている様子もないので通り抜けるだけかと思っていると私的スペースに通じる廊下に入ってきたではないか。

   来おったな……!
   ずいぶん待たせてくれたが、ミロが結界を張り忘れたのがこやつをおびき寄せるのに役立ったようじゃ

完全に気配を絶っているとその人影は寝室の扉の近くで立ち止まり壁に手掌を当てた。 見る間に陰の小宇宙が立ち昇る。 明らかに異次元界を現出させているらしい。

   ほう………これを使われてはミロには察知できぬな

室内に心眼を凝らすとミロの隣りに眠っているカミュにぼんやりとした影がかぶさった。 向きを変えたカミュが溜め息をつく。
「ミロ………」

   ふむ………カミュの身体ごと異次元に取り込まれておる  これではミロに声が聞こえぬはずじゃ

影の色がやや濃くなって人の形に近くなる。
「あぁ……」
長い髪が揺れ、しなやかな手が伸ばされた。
「それまでじゃ!」
扉の外にいる男の肩に鋼鉄のような手が置かれた。

   
ミロ、いつまで寝ておる!
   かたがついたゆえ、カミュが異変に気付かぬうちに早う抱いてやるがよい!


「あ………はいっ!」
跳ね起きたミロがかたわらで朦朧としているカミュを急ぎ抱き寄せていった。


「というわけじゃよ。 こやつの始末をつけたいのじゃが。」
「とんだ痴れ者だな。 小僧っ子の分際でそういうことだけには悪知恵が回ると見える。 おのれの好みの積尸気に送ってやってもよいがどうする?」
天秤宮の奥まった一室でシオンがデスマスクに皮肉な目を向けた。 蒼ざめたデスマスクは一言も抗弁しない。
「それも悪くはないが、黄金を減らすのも問題じゃな。 シオンよ、面倒をかけるがあれを頼みたいのじゃが。」
「あれか? ………まあ、よかろう。 多少の余禄もついてくるというものだ。」
「シオン!」
「気にするな、冗談だ。」
苦笑した童虎が出ていった。

   あれって、いったいなんだっっ??
   人格変換くらいならまだいいが………………まさか、元教皇みずから手を下しての拷問とか?!
   人がのた打ち回って悶え苦しむのを見るのが趣味だったりして?!
   今さら遅いが、シオンよりも童虎にこの場にいてもらいたいっ!
   羊一家の総元締めでは何をされるかわからんっっ!!

デスマスクの脳裏に鉄の処女とか三角馬とか焼け火箸とかの画像が浮び、水責め、指締め、逆さ吊りに苦しむ自分の姿が見えてきた。 治癒術に長けているシオンのことだ、何度も瀕死の状態から回復させて際限なく拷問を繰り返すことができるに違いない。 体験したことはないが、六道輪廻や天空覇邪魑魅魍魎の方がずっとましではあるまいか。 童虎の放つ廬山百龍波にいたっては本気で慈悲深い技に思えてくる。 きっと老荘思想に基づいた奥床しい技に違いない!
「この椅子に座って、ミロとカミュの房事に関するすべてのことを思い出せ。」
恐怖に囚われているデスマスクの耳に平静なシオンの声がやっと届いてきた。
「………え?」
「なにをぼんやりしておる? あの二人の房事に関することをすべて思い出せと言っておるのだ。」
「あの………房事って…」
「なんだ、そんなことも知らんのか? まったく近頃の若い奴は仕方がないな。 卑近な言葉で言うと交情のことだ。 早うせい!」
「あ………はい。」
そこでデスマスクは、このところ脳裏に焼きついて離れないミロとカミュの様々な仕草やら台詞やらを克明に思い出し、シオンはそれを片っ端から記憶削除するという果てしない作業に没頭したのである。

   ほぅ………こんなことをしておったのか………あの二人がのぅ………
   ん? 今どきはこんなこともするのか! ずいぶんじゃな………
   う〜む、惜しい! いいところが見えぬ!

   デスマスクも他人の持ち物に何ということをしているのだ! けしからんな、まったく!
   ふうむ………あのカミュがこれほど執心するとは人は見かけによらぬものだ
   それにしても………ほほぅ……少しはわしにも……いや、これは冗談だが

   なるほど、なるほど………これでは不埒者を誘発するのも頷ける
   だいたいミロの結界の張り方がいかんのだ  張り忘れるにいたっては手抜かりにもほどがある!
   これだから初心者というのは………ほほぅ………もっと場数を踏まなくてはいかんな
   明晩はこのわしが直接行って結界の張り方の奥義を伝授してやろう………いや、これも冗談だが

こうして、延々五時間に及ぶ緻密な作業はめでたく終了した。
「デスマスク、何をしておる?」
「………え? あれっ、どうしてここに??」
「なにか夢でも見たか? 早く自宮に戻るが良い。」
「あ……はい。」
首をかしげながらデスマスクが帰ってゆき、シオンはあらたに加わった膨大な情報の再点検にいそいそと取り掛かった。


「ミロ、昨夜で全てかたがついた。 もうなにも心配することはない。」
「ああ、助かりました! で………あのぅ、犯人は?」
「犯人などおらぬよ。」
「え?………と言いますと?」
「この十二宮は神話の昔からここに存在しておる。 それゆえに長い間には精霊やそれに類するものが棲みついたりするのじゃろうな。 カミュに憑いたのもそれの類じゃよ。」
「精霊ですか? それがなぜカミュに………あんなことを?」
ミロが赤面した。 さすがに日の光のさす中で口に出すのは恥かしい。
「さてのう? たぶん、おぬしらの営みがあまりにも濃いゆえに触発されたのではあるまいかの?」
「は………で、それでカミュに………ですか?」
「うむ、そのようじゃ。 しかしそれでは迷惑なので、わしがひっつかまえてちょいと廬山に飛ばしておいた。 大滝でも見て精進潔斎してもらおうと思っての。」
「では、もう安心してよろしいのですね。」
「ああ、これで一件落着じゃ。 カミュには、わしから怪異避けの護摩札をもらったからもう大丈夫だとでも言っておくがいい。」
「有難うございます!」
ほっとしたミロがカミュに吉報を知らせに行こうと背を向けたときだ。
「あ………それから、ミロ。」
「え?」
「だからといって結界を張るのを忘れんようにな。 また余計なものが寄ってきては困るじゃろ。 それに、この年寄りの心臓にも悪い。」
「は………」
耳まで真っ赤になったミロが出てゆき、老師が定石の本に手を伸ばした。


                                 ★おしまい★



             
この話は正真正銘の作り話です、パラレルワールドとお考えください。
             汚れ役を引き受けてくれたデスマスクにはほんとに感謝しています、男気のあるいい人です。
             羊一家の総元締めであるシオンの性格も気にしないでくださいね、この人も演技は得意です。
             老師の性格はこんなふうです、はい、人間ができてます。
             ひときわ年長者であるシオンと老師は多くの秘密を胸に抱えているのだと思います。
             ミロ様は地です、演技ではありません、はい。