三好達治   「 雪 」


「では,行ってくる。」
「気をつけて。 俺にできることがあれば、連絡をくれたらすぐに行くからな。」
「うむ。」
そう言ってカミュは離れを出て行った。 もう一週間も前のことだ。

今年の冬の寒さはことのほか厳しく、俺たちのいる北海道のみならず日本列島の日本海側を中心とした地域は豪雪に見舞われた。
「ひどい積雪だな、家の軒先まで雪で埋まってるぜ!」
「例年なら2月頃にピークを迎える積雪量が、今年は12月の末でそのレベルに達しているという。 」
テレビを見ていたカミュが眉をひそめて嘆息した。 なにしろ、来る日も来る日も大雪のニュースが報じられ、毎日のように雪かき中の事故や落雪で人が死ぬのである。 およそギリシャでは考えられない事態で、俺の驚きもさることながら、雪と氷を操るカミュの、心を痛めることは一通りではなかったのだ。
「なんとかならないのか…」
「うむ…」
俺たちは朝が来るたびに豪雪のニュースを見て、もどかしい思いをしていたのだ。

知っての通り、俺たちはアテナと地上を守る聖闘士だ。
神話の昔から、その拳は空を裂き、大地を砕くといわれるほどで、黄金ともなればその力は並みの聖闘士の及ぶところではない。 それなら天変地異からも人間社会を守るべきだとの考えもあろうが、地上の平和を守護するアテナを守るのが俺たちの役目であり、次々と地球上のあちこちで起こる天災に救援に向うというのは本来の役目ではないのだ。
ポセイドンやハーデスのような、邪悪な行いで人間を滅ぼそうとする存在とは一命を賭して闘うが、天変地異は古来から神の意思であり逆らえぬものと考えられている。その一つ一つに聖闘士が出向いて人々を救うために通常の状態に戻すことは、古い時代には神の意思に反することだと云われていたのだ。
しかし、ニ十一世紀の現代社会においてそれはあまりに旧態然たる考え方ではないか、という意見が出てはいる。
現に、地上を襲う数々の自然災害を見ると、神の意思だからと手をつかねて眺めている気にはなれないのだった。 持てる力を使って、救える命を救うのになんの憚ることがあろうか。
そうして熟慮の挙句、長期滞在している日本の人々の窮状を見かねたカミュはついにアテナに直接の請願を行い、先日、豪雪地帯に赴く裁可を得たのだった。

「ミロ………私がしようとしていることは、神々の意思にそむくことか……?」
旅立つ前に想いを込めて抱いたとき、常よりもさらに無口になっていたカミュが呟いた。
「そんなことはない、立派な行いだ! もう神話の時代ではない。 救える命を救わないで、何のための聖闘士だ? お前は正しいことをしようとしているんだよ。」
幼いころから 『 神の意思に従う 』 ことを叩き込まれてきた俺たちにとって、この純然たる自然の脅威を取り除こうとすることがいかに畏怖すべきものであるかは他のものにはわからないだろう。 一昨年の秋に川の濁流を凍らせたような局地的なものとはわけが違うのだ。 被害の出ている主な県だけでも十指に余り、そこに住む人々の生活の基盤を守るためにどれほど多くのことをしなければならないことか!
「それに、老師もムウもシャカも他の黄金も、みんなお前の請願に口添えしてくれたじゃないか! 大丈夫だよ、お前の選んだ道は正しい、安心するがいい。」
「ん……そうだな…」
いくら力づけても、実際にことに当たるカミュには一抹の不安が残るのに違いない。 やさしく抱き寄せて頬に額に唇に俺は限りなくやさしい口付けを贈ってやった。
「氷河も来るんだろう? 久しぶりにシベリア師弟で腕を振るってくるがいいさ。 あいつももう一人前だ、きっとうまくいく!」
幾度も幾度も言葉を重ねていくと、ようやく得心がいったのか、肩から力が抜けたようだった。
「今夜はこのまま寝よう……明日からはどれほど疲れるか、想像もつかないからな。十二分に休んでから出発して欲しい。」
「うむ……ミロ……ありがとう…」
やさしく返された唇が少し冷たくて、いとおしさが増すことだった。

こうしてカミュは出かけていったのだ。
カミュの云うには、燕で川を凍らせたよりも今度の豪雪の被害を軽減することのほうがはるかに難しいのだそうだ。
その土地の地形を把握して、積雪をほどよい速度で融かさないと雪解け水による二次災害の恐れがあるというし、うまく川に流れ込んでくれないと、その水が夜間に凍結し転倒やスリップ事故を起こす可能性があるという。 さらには、ほぼ満杯になっているらしい雪捨て場の融雪も必要だし、一つの自治体を一日で復旧させるのはとても無理なようにも思われる。
むろん、こんなことがカミュ一人の力でできる筈もなく、アテナがグラード財団のほうからひそかに手を回して政府から白紙委任状を取り付けてあるのだった。 そんな手続きは聖闘士にとってはいささか不本意ではあるが、初めての土地で救済の優先順位を決定するのはカミュには不可能なのだ。 黄金聖闘士は神ではない。 複雑な地形に点在する集落の状況を知るには公権力の手を借りるのがもっとも確実なのだから。

「ふうん、なんとかなってるな。」
カミュが出掛けてからというもの、俺は毎日テレビをつけて、この凄まじい豪雪のニュースを見るのが日課になった。
現地に赴いたカミュからは日に一度は宿に電話が入り、俺と宿の者を安心させてくれたし、むろん宿の主人と美穂はこのことを知っていて、毎日カミュの動静を気に掛けてくれた。
このころには俺も日本語がまあまあ理解できるようになっていたので、ワイドショーその他の番組を見て、この驚くべき積雪が一夜にして解消された不思議について盛んに話題になっているのがわかったものだ。
とうの昔に日本語に不自由しなくなっていたカミュは、現地に派遣された財団の職員と打ち合わせしながら精力的にその地域の雪を始末しているらしかった。
「まあ、あそこにカミュ様が!」
「おっ、これで三度目だ。」
ホールのテレビを一緒に見ていた美穂が画面を指差し、俺もチラッと映ったカミュの姿を認めたことが何度もあるのだ。 報道陣やボランティアの人々の中にいるカミュの背の高い姿はさりげなくカメラを避けてすぐに見えなくなった。 画面に映る家々の屋根には恐ろしいほどの雪が積もり、今にも家を押しつぶしそうに見えるのだ。
「お元気そうで安心しました!氷河さんもご一緒でしたし。」
「ああ、幸い、報道陣もカミュの介入には気付いてないな、まあ、そんなことを気取られる筈もないが。」
何日かに一度、それが無理でも週に一度位は帰ってくるかとも思ったが、いざ現地に行ってみるととてもそんな余裕はないらしく、少しでも多くの地域を回って雪崩の起きそうな斜面の融雪をしたり、雪下ろしの間に合わない集落の援助をしているようなのだ。
「お疲れではないでしょうか? お食事や睡眠はきちんとお取りになっておられるのでしょうか?」
日頃のカミュの几帳面な暮らしぶりを知っている美穂は心配でならないらしく、仕事の合間にしばしばやってきて、ホールや離れでテレビを見ている俺に話しかけてくる。
「それは疲れもしようが、自分から望んでやっていることだ。 大丈夫さ、この豪雪が一段落したら元気に戻ってくるだろうよ。」

俺はこの機会に美穂に聖闘士のことや聖域のことを話してやることにした。
そもそも星矢からかなりのことを聞いているのだ。 口が固いのもよくわかっている。 美穂との付き合いも、じきに2年になるのだった。
小宇宙のこと、幼いころから各々の適性を伸ばすために修行に励んだこと、今までの数々の闘いのことなど、差し障りのないように話してやると、美穂は目を丸くして聞き入っていた。 どうやら星矢の話はかなり断片的なものだったらしく、かなりの疑問を抱えていたようだがそれも解消させることができたようだ。
「そうだったんですの、ミロ様もカミュ様もほんとに素晴らしい方でいらっしゃるんですのね。 星矢ちゃんて、なんて素敵な方々をお友だちに持っているんでしょう!」

   ……え?
   そういえば、聖闘士の階層について話すのを忘れていたな!
   まあいいか……この間、カミュが星矢を友だちだと認めていたから、そう思っているのも当然か……

赤い顔をして嬉しそうにしている美穂に、俺もにっこり微笑んだのだった。

こうしてカミュは一ヵ月半の長きにわたり日本列島を移動して、行く先々でその力をひそかに行使した。 その間 俺は何度もカミュを訪ね、そのたびに現地で半日かけて居場所を突き止めたのだった。
カミュは疲れてはいたが、人を助ける喜びに内面からの輝きを見せ、美穂が持たせてくれた心づくしの折り詰めを美味しそうに食べて俺をほっとさせた。
「困ったことはないか?」
「離れほどの贅沢を望まなければ、困ることはない。 シベリアの修行時代に比べれば、避難している人々と公民館や体育館で寝ることも、なにほどのことはない。」
「体育館ねぇ……アクエリアスのカミュが体育館…」
ちょっと衝撃だったが、きちんとした旅館に氷河と同室というのもやや気が揉める。 それに、そんなところは既にマスコミや救助関係者などで満室なのに違いない。
「これから隣町へのルートの雪崩の起きそうな箇所を回る。 お前に手伝ってもらうことがありそうだが、来てくれるか?」
「喜んで!」
財団の車に乗って山間の道路を目指し、人目のないときを見計らって斜面の雪を片端から衝撃波で除去していくのは簡単だった。手加減しないと樹木や表層土まで傷つけてしまうので、軽めに拳を向ければいいだけの話なのだ。崩れ落ちた雪の山は、下方を流れる渓流に達するまで見届けた。
氷河もカミュとともに各地を周り、時には別行動で積雪を処理したらしい。 氷河が少し離れたところをみすまして、カミュに話しかける。
「どうだ?お前の弟子は使い物になりそうか?」
「ああ、もう一人立ちできる。 任せても、なんの心配も要らぬ。」
「……それで……まだ帰れない…?」
「だめだ。 このところ暖かい日が続き、雪が緩んで雪崩が起きる危険性が高まってきた。 これからが正念場だ。」
「やっぱりね。 いいさ、心ゆくまでやってくれ! また差し入れに来るからな。」
そう言って二人に手を振り、俺は現場を後にしたのだった。

日本海側の雪はまだ終わらない。
春の兆しが見えてカミュが帰ってくる日を俺は心待ちにしている。




                          
今年の雪はほんとにひどく、たくさんの人が犠牲になっています。
                          この現状をカミュ様に看過して欲しくはありませんでした、
                          日本にご滞在のカミュ様がなにもなさらないはずはないのです。

                          この話から、ミロ様も日本語OKになりました。
                          美穂ちゃんとも、気軽におしゃべり。
                          「気取られるはずもない」 なんて凝った言い方も出来てます!
                          カミュ様が一肌脱ぎ終わって帰還する日が待ち遠しいですね♪

                          
「なにっ!一肌脱ぐだとっっ!!ま、まさか人前で、ぬ、脱いだのではあるまいなっ!
                           俺はいくら人助けとはいえ、カミュの肌を人目に晒すなど許さんぞ!!」


                          ミロ様、日本語はまだまだ難しいようですね……。



  太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降りつむ
  次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降りつむ