ギリシャ神話にありそうな恋 欲望のまま手に入れて

                                                         「長い髪」      歌 : 工藤 静香


黄金といえども髪を切る。当たり前のことだ。 ショートカットの若い女性ではないので毎月こまめに切る必要はないが、伸びすぎたなと思ったときに20センチくらい適当に切るのがデフォルトだ。それをもったいないとかモフモフできないとか思うのは第三者の勝手な思い込みに過ぎないだろう。
「え?もったいないって、たかが髪の毛だぜ?その感覚がよくわからんな。それにたかだか20センチくらい切ったからってモフモフとかをするのに困るとは思えんが。」
ミロが髪をかきあげた。そんななにげない動作が世間の女性の溜息を誘うなどとはまったく思ってもいない。
「俺だってカミュだって髪は切る。だいいちずっと切らないでいたら地面に届きかねん。そんなことでは聖闘士は闘えない。女じゃあるまいし。」
同じく髪を切ることになんのためらいもないカミュは軽く頷いただけだったが、翌日これを耳にした魔鈴はそうは思わなかった。
「ちょっと、ミロ!昨日あんたが言った、女じゃあるまいし、ってどういうことだい?わかってると思うけど、あたしの髪はあんたよりずっと短いんだからね。戦闘に不利なのはどっちだと思ってるんだい?そんな長い髪で接近戦になって相手に踏ん付けられたりひっ掴まれたりしたら動きが制限されてやばいじゃないか。アイオリアやシュラみたいに短く してるほうが闘いやすいに決まってるだろ。」
ミロには敵に髪をわしづかみにされた覚えなどさらさらないし、ましてや髪を踏ん付けられるなどという屈辱的な醜態を晒すなど有り得ないが、そう言ったら言ったで、「可能性があるって言ってるんだよ。」と即座に言い負かされそうな気がしてきた。口では魔鈴にかなわないという先入観がミロにはある。実はアイオリアもその点は同じなのだが、 そんなことはミロは知らない。
ともあれ、一応はセオリー通りに 「黄金の闘いは一瞬で決まる。敵に接近させるようなことはしない」 と答えようと思ったミロだが、ハーデス城で苦戦してラダマンティスになすすべもなく敗れたことが頭をよぎる。いくら実力の十分の一しか出せなかったといってもあれはみっと もなさすぎるだろう。
一瞬は答えに窮したミロだが今日は反撃するいい手を思い付いた。
「そのことなら、俺より髪が長くてもっと戦闘向きなやつがいる。おい、カルディア!ちょっと来てくれ!」
そう、ここは天蠍宮のホールである。珍しく教皇宮まで登ってきた魔鈴がその帰り道に天蠍宮でミロに会ったのが始まりだ。なんということもない気軽な会話の最中にミロが奥に 向かってそう呼び掛けたのには魔鈴も驚いた。

   カルディアって……もしかして先代の蠍座!?

しばらく前から先代の蠍座が天蠍宮に滞在していることを聞いてはいたが、まさかミロがこの場に呼ぶとは思ってもいなかったのでさすがの魔鈴も緊張せずにはいられない。 黄金のなかでもとくに気安いミロにはついタメ口をきいてはいるが、本来の階級差を考えればあるまじき振る舞いなのはよくわかっている。それを許してくれているのはミロくら いのもので、例えば宝瓶宮のカミュとそんな話をすることはとても考えられないし、もし万が一会話を交わすことになろうものなら恐ろしく丁寧な物言いになるのは必定だ。仮に カミュから、タメ口をきいてくれてもよい、と言われてもとてもではないが口が動かないだろう。さよう、魔鈴といえども萎縮することはあるのだ。そして、いまミロが呼んだカルディアは魔鈴にとっては顔見知りのカミュよりもはるかにとっつきにくい。というより動揺する。

   カルディアって先代の黄金だから、シオン様と同格のおかただろ!
   しかも血の気が多いことで有名な蠍座だし!

確たる根拠はないが、現代っ子のミロよりも先代のカルディアのほうが時代色がついているだけに血の気の多さでは群を抜いている気がする。魔鈴はゴクリと唾を飲み込んだ。
宝瓶宮に寄宿して終日図書室に篭っているという噂の先代の水瓶座デジェルと同じく、カルディアがほとんど姿を見せないのもいかにも孤高の戦士というイメージがある。カルデ ィアが外出をひかえているのはひとえに心臓移植の予後をおもんばかっているためで、本人としては闘技場でも訓練場でもどんどん出掛けていってこの時代の若い訓練生たちと気持ちよく汗を流したいのをじ っと我慢しているだけなのだ。 しかしそんなこととは知らない魔鈴には先代の蠍座カルディアが先の聖戦であのラダマンティスと互角にやりあったらしいという噂しか届いていない。それだけでもカルディアの名は畏敬をもって語られるのに十分なのに、その上アテナの恩寵で蘇ったとあってはますます神々しい箔が付くというものだ。 緊張した魔鈴の前にカルディアが現れた。
「なんの用だ?」
スコーピオンの聖衣はミロが身につけているのでカルディアはごく普通の長衣姿なのだが、魔鈴の目にはそれさえも教皇服姿のシオンと同じくらいの格式に見える。
「わざわざ呼び立ててすまない。ちょっと意見を聞きたいんだが、髪が長いと戦闘の邪魔になると思うか?」
「関係ないな。圧倒的に実力でまさっているのに髪がどうのこうのと低次元のごたくをならべるのは女子供のすることだ。現に俺はまったく困ったことがない。なんでそんなくだらんことを聞く?」
あっさりと断定してのけたカルディアは魔鈴には目もくれない。ミロにならいくらでも議論をふっかけてやり込める自信のある魔鈴といえども、先代の蠍座であり、教皇シオンと 同格のカルディアに対等に話のできるはずもなく、この場合は路傍の石ころ並みに気にされないことにほっと胸を撫で下ろしているとミロが、
「俺も髪の長さなんて気にしたこともなかったが、ここにいる魔鈴が、」
と振り返った。

   えっ!それ、言わなくていいからっ! むしろ、忘れてほしい!全力で前言撤回したいんですけどっ!

無表情な仮面の下で魔鈴がおおいにパニくっていると、そんなこととはつゆしらぬミロが、
「髪が長いと敵にひっつかまれたり踏ん付けられたりして不利になるって言うんだが、その体勢にもっていかれる前にさっさとけりをつければいいだけの話だからな。」
「当たり前だ。そんなくだらん話で俺を起こしたのか?」
どうやら寝起きだったらしいカルディアが不機嫌そうな目で魔鈴を見た。 いらっとした小宇宙がピリピリと感じられる。

   あたしが呼んだんじゃないからっ! ミロが勝手に呼び出したんだしっ!

「いえ、あの、それは…!」
もはや持論を主張する気が消し飛んだ魔鈴が柄にもなくしどろもどろになったとき、後ろから声がかかった。
「どうしたのだ?珍しい顔合わせだが。」
はっと振り返るとそこに立っているのはカミュだ。そしてその後ろにいるのはデジェルに違いない。まずいことにカミュばかりでなく、初めて見るデジェルも長髪である。 カミュと同じ冷涼な小宇宙を漂わせているこの先代の水瓶座の聖闘士が今までの話の経緯を知ったらなんと思うのか魔鈴には皆目見当がつかなかった。

   黄金の半分は髪が短いってのに、なんで長髪ばっかりいるのさ!?
   こんなに長い髪で聖戦を闘ってこれたんじゃ、あたしの立場がないじゃないか!

それにしてもこれだけ長身の黄金が四人も揃うとさすがに威圧感がある。ミロ一人と気楽に話をしていたはずの魔鈴は完全に萎縮した。しかもそのうちの二人はまったく初対面の 先代だ。どうしていいのかわからない魔鈴がどぎまぎしているとミロがこれまでの経緯をざっと話してしまった。
「でも俺もカルディアも髪の長さなんか関係ないって立場だ。黄金だからな。」
「まったくだ。くだらん話だ。」
二人の蠍座があっさりと否定したとき、
「いや、その意見は傾聴に値する。」
「同感だ。万が一接近戦になったとき髪を掴まれでもしたら戦況は一気に不利になりかねぬ。」
驚いたことに水瓶座の二人が魔鈴の意見に同調した。
「えっ!俺たち黄金がそんな瑣末なことを心配する必要はあるまい?」
「俺達が闘う相手は敵ながらそれなりの地位のあるやつらばかりだ。プライドがあるからそんな卑怯な真似はしないぜ。勝つためには手段を選ばないような雑魚は最初から吹っ飛 ばしてるから俺達には一指も触れさせん。」
ミロとカルディアは即座に反論したが水瓶座の二人は動じない。
「理想論だけで常勝を期することはできぬ。」
「すべての危険因子を排除してこそ完全な勝利が望めるのだ。」
そう言うと、
「かねてより髪が長すぎるとは思っていた。」
「肩よりも短いほうが活動的かと思うが、この際思い切ってもっと短くしてみるというのはどうだろう?」
などと言いながら両手で髪をぐっと束ねて切る位置を相談し始めたではないか。
「おい、よせっ!」
「正気かっ!」
「いい機会だ。止めてくれるな。鋏では切れ味に不安が残る。磨羯宮に行ってシュラに頼むというのはどうだろう?」
「なるほど!」
この事態に魔鈴もあっけにとられたが、蠍座の二人の動揺はひどかった。
「嘘だろ、カミュ!おい、やめないか!」
「デジェル!俺はそんなことは認めんからなっ!なんでこんなことに…!」
その瞬間、はっとしたミロとカルディアがいきなり魔鈴のほうを見た。このとき初めて魔鈴は蠍座の本気を骨の髄まで味わうことになった。凄まじい殺気がびりびりと空間を裂き殺戮者の眼差しが五体を射抜く。黄金の中でも人一倍好戦的だというスコーピオンの裂帛の気合が魔鈴を恐れおののかせた。

   うそっ!あ、あたしはなにもっ…!

しかし次の瞬間、われに返ったミロが何事もなかったかのようにカミュのほうに向き直り懐柔を始めた。、
「そんなに急ぐことはあるまい。聖戦も終わったばかりで闘う必要性なんかないからな。」
「しかし、思いたったが吉日ということわざを老師にお聞きしたことがある。」
「俺は急がばまわれというのを聞いたことがあるぜ。」
カルディアもなるほどと思ったのか、
「そういえばサーシャがお前の髪を見事だと褒めていたことがあったな。」
「えっ、アテナがそのようなことを?」
一気に場の雰囲気が和んだのを幸い、魔鈴はそっと天蠍宮を出た。ほんの一瞬だったが黄金聖闘士の迫力を肌で感じたのが鮮烈で、あらためて白銀との圧倒的な差をまざまざと思い知らされる。

   あれで髪を切るのを思いとどまってくれればいいけど、やっぱり切る気になったら……
   それってあたしのせい??

こんどこそ蠍座の怒りがダブルで襲ってくるような気がした魔鈴は首をすくめた。何とかしなければならない。

「ねえ、アイオリア……ちょっと頼みがあるんだけど。」
「どうした?なにか心配事でもあるのか?」
男勝りの魔鈴がこんなにしおらしい顔をしているのは珍しい。
「そんなつもりはなかったんだけど、あの……蠍座を怒らせちゃったみたいで…」
「え?なんで?」
つっかえつっかえ 事の次第を説明する魔鈴がアイオリアには可愛く見える。

   ふうん……こんな時もあるのか!これは驚いた!

「だからあの、カミュとデジェルがもしも髪を切っちゃうとまるであたしのせいみたいだし、そうするとミロたちが機嫌を損ねるみたいで……まさかと思うけど恨まれたらどうしよう?」
「まさかそんなことはないと思うが。」
「でも蠍座だし!ほんとにすごかったんだから!」
「わかった。つまり俺がカミュたちの様子を見て、ほんとに髪を切りそうだったら説得してみればいいんだな。」
「お願い!恩に着るから!」
「そして、長い髪をバッサリやってた時にはミロたちが報復に走らないように押しとどめる。……こっちのほうが難しいな。」
「ああ、アイオリア!あたし、どうしよう!?」
「心配するな。なんとかしてみる。」
「ごめんなさい!面倒に巻き込んで!でもほかに頼る人がいなくて!」
「いいさ。気にするな。」
はらはらしている魔鈴を残してアイオリアが石段を登り始めた。

   髪を切るはずはないな
   ミロがなんとしてでもやめさせるだろう
   方法は知らんが、この俺でも短い髪のカミュなんて想像ができないんだから、ましてやミロが認めるはずがない
   魔鈴の心配は杞憂だ

ミロとカミュは知られていないつもりらしいが、アイオリアは二人の関係を知っている。同じ十二宮にいてそれがわからぬほど朴念仁ではないのだ。ミロが最初は怒り、ついには嘆いて懇願すればカミュは必ず翻意する。ミロの嘆きを無視してまで強行するカミュではないことをアイオリアはよく知っている。先代のデジェルについてはそこまでは断言できないが、カルディアがミロと同じく怒っていたからにはデジェルに寄せる感情はやはり並々ならぬものがあるのだろう。

   同じ先代といっても、さきの聖戦から生き続けているシオンや童虎とは立場が違う
   デジェルとカルディアはお互いに極めて貴重な唯一無二の存在に違いない
   それなら相手を悲しませるような真似をするはずがないじゃないか

アイオリアらしい率直さでそう結論付けたのはたしかに正しかった。天蠍宮に入ると極めて穏やかな小宇宙が満ちている。プライベートすぎる気配はなにもなく、アイオリアも安心して声をかけることができた。
「珍しいな、なにか用か?」
すぐにミロが顔を出した。
「魔鈴がなにかまずいことを言ったんじゃないかって心配してるんで、ちょっと様子を見に来た。」
「あ〜、あれか。うん、なんてこともない。気にするなと言っといてくれ。」
いささかも取り繕うこともない問答はあっさりとしたもので拍子抜けがするほどだ。もとより気性のさっぱりしたアイオリアになんの策略のあろうはずもなく、ミロもそうしたアイオリアの性格はよくわかっているので気にもしない。
「で、デジェルも切ってないか?」
「ああ、やっぱり長い髪はそのままのほうがいい。お前だって長髪にしたらいやだろう?」
「俺が髪を?魔鈴に速攻で切られるな。」
「そもそも伸ばしている暇がないだろう?」
「まったくだ。」
笑いあうとアイオリアは踵を返した。これで魔鈴を安心させることができる。
この件でアイオリアは何をしたわけでもなかったが、今後ずっと魔鈴に感謝され、さすがは黄金だと一目置かれることになるのだった。


「なあ、俺に黙って髪なんか切るなよ。怒るぜ。」
「わかった。お前も私に黙って髪を切ってはならぬ。」
「でもずっと伸ばしていると床に着くかも。」
「それでは敵でなくても自分で踏んで転ぶやもしれぬな。」
「それって不便過ぎない?」
「そうならぬように適切にカットすればよい。」
「その時にはよろしく頼む。」
「わかった。私の髪も頼む。」
「ん……ほんとにお前の髪はきれいで……こんなにいい匂いがして……」
「ああ、ミロ……」




                   
 話を書いてからふさわしい歌を探したらなかなか見つからなくて。
                    それでも、やっと見つけたこの歌の内容がギリシャ関係だったのに一目ぼれ。
                    歌詞の全文は こちら
                    かなりマイナーらしくて、YOUTUBEにないのが残念です。