猫になりたい 君の腕の中
      寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

                                                歌手  : スピッツ   「 猫になりたい 」


「おい、そりゃなんだ?」
天蠍宮に入ろうとする俺を呼び止めたのはデスマスクだ。 無理もない。 両手にこんな荷物を下げているのだから。

「猫だ。」
「猫だぁ? なんでまたお前が猫を?」
「うん、動物愛護♪」
それ以上聞かれないようにさっさと扉を開けて中に入るとほっとした。 誰にも会わないのが理想だがデス一人くらいはしかたないだろう。
「ええと、餌と、それから……」
かねてから用意のターコイズブルーの紙で包まれた小箱が荷物の中にあるのを確認した俺は勇躍シベリアの寒気の中にテレポートすると五秒後には扉を開けて中にいた。
「わっ、ミロだ!」
「先生を呼んでくる!」
飛び立つようにして部屋を出て行ったアイザックがカミュをつれてきたときにはもう氷河が手提げのケージの中を熱心に覗き込んでいる。
「今回はまともな来訪だな。」
「そうそう落ちてばかりもいられんからな。 」
くすくす笑った俺はケージを床に置いた。
「それは?」
不審そうなカミュに氷河が息せき切って言う。、
「あのね、先生、中になにかいるの! 白い毛が見える!」
「え?」
百聞は一見にしかずだ。 俺はケージの扉を開けた。
「うわぁっ!」
アイザックと氷河の目が輝いた。 みんなが見つめるうちにゆっくりと出てきたのは真っ白い猫だ。 ふわっとした毛の塊りのようでずいぶんふくらんで見え、よくもこの狭いケージの中に平気で入っていたものだと思う。
「ミロ………これはいったい?」
ふさふさのしっぽを立てた猫は初めての部屋の中をちらっと見ると椅子やテーブルの足の間をすり抜けてあちこち点検を始めた。
「花や食料もいいが、この二人に動物を可愛がるってことを教えてもいいと思ってね。 いわゆる情操教育ってやつだ。 人間、闘いばかりじゃいかん。」
アイザックと氷河はもう夢中になっていて、猫のあとをついて歩きながら手を出してもいいいものか相談を始めている。
「猫は初めてか?」
聞くと、氷河は見たことはむろんあるがさわったことはないと言い、アイザックはちょっと撫でたことがある程度だという。
「それなら俺がコツを教えてやろう。」
暖炉の前の毛皮の敷物の匂いを嗅いでいる猫の胸の下に手を入れてひょいっと抱き上げると二人を呼んだ。
「まず、猫の嫌がることをしないこと。 嫌そうにしたらすぐに下ろしてやらないと嫌われるぞ。 頭と喉は初心者向きだな、こんなふうに撫でてやると………ほら、気持ち良さそうにするだろう。 腹としっぽはよっぽど慣れるまではさわらないほうが無難だ、機嫌が悪くなる。」
いくつかのポイントを教えてから猫を敷物の上におろすと二人はさっそく猫を撫で始めた。 カミュと切磋琢磨の訓練をしているときはこの年頃の子供にしては考えられないほど厳しい表情を見せる二人だが、今は年相応の子供らしくぎこちない手つきで猫を撫でて機嫌を取るのに懸命だ。
「驚いたな、この猫はいったいどこで?」
「アテネの店を捜し歩いて、しつけが出来ていて人に可愛がられることに慣れている大人の猫を探してきた。 性格はおっとりのんびりだ。 子供達の癒しになるだろう。 厳しい師匠の下で訓練に明け暮れるだけじゃ、潤いに欠けるからな。」
「私はそんなに厳しいわけでは……」
抗議しかけてカミュは口ごもる。 そう、この環境では厳しくならざるを得ないのだ。
毎日の訓練を終えて帰ってきて、その瞬間からやさしく接しようとしてもおのずから限度がある。 常に師匠と弟子という関係は崩れない、崩せない。 どこまで弟子にやさしくすべきか、どこまで師匠に甘えさせてよいか、その判断は難しい。
「だからお前も子供達も猫にさんざん甘えればいい。 どんなに甘やかしても猫は堕落したりしないし、生活が乱れるわけでもないからな。 きっと潤いが生まれるぜ。」
二人の子供が丁寧に喉を撫でてやった甲斐があり、ついに猫は毛皮の上で寝そべって目を細めて喉をごろごろ鳴らし始めた。
「そいつが猫の機嫌のいい証拠だ。 二人ともずいぶん上手いじゃないか!」
猫は毛皮が気に入ったらしくそこから離れない。
「この土地で動物を飼うなど思いもしなかったが。」
「なにしろ寒すぎるからな。 試してみてここで飼いきれないようなら連れて帰るし、その時は時々連れて来ればいい。 餌はキャットフードだからなにも問題はない。 それからこれが猫のトイレだ。 こっちの方のしつけもむろん出来ている。」
俺はもう一つの大き目の荷物を解いて見せた。 プラスチックドームのようになっていて中には専用の猫砂が入ってる。
「餌や砂はこの辺では手に入らないだろうから俺が月に一度は持ってこよう。 どう? しばらく飼ってみる?」
俺はカミュの返事を待った。 OKが出れば今後は堂々と月に一度はここに来ることができることになる。
犬と違って散歩の必要もなく吠えるわけでもない猫はこんな厳しい環境でも飼いやすいはずだ。 長時間留守にするときは暖炉の火を消してゆくが猫は自分で毛布の中にもぐりこんだりするので寒さにも耐えていけるだろう。
「猫か……」
気がつくと猫を撫でながらアイザックと氷河がじっとこの話を聞いている。 懇願の眼差しがカミュにそそがれてついに苦笑させた。
「いいだろう、せっかくお前が持ってきてくれたのだ。 どれ、私も猫を撫でさせてもらおうか。」
わっ! と子供達が喜びの声を上げカミュが座る場所を空けた。
「先生、ここ! ここを撫でるととっても気持ちいいみたい!」
「耳もいいですよ、さっき発見したんです!」
わいわいと賑やかな声を気にもせず猫が身体を舐め始めた。

「それからこれはお前に。」
「え?」
まだまだ猫にさわりたそうな二人を時間だからとベッドに追いやったカミュに俺は用意してきたターコイズブルーの包みを手渡した。 寝そべっている猫に遠慮しながら俺たちも毛皮の上にいる。
「こないだは、ほら、クレバスに落ちてえらく迷惑をかけたからな。 ほんのお礼のつもりだ。」
出来るだけさりげなく聞こえるように、考えに考えてきたセリフを言いながら胸はドキドキだ。
かなり前から聖域を離れてシベリアに来ているカミュにバレンタインデーの知識があるかどうかは分からないが、あったらあったで渡しづらいし、なければないでますますカミュ個人へのプレゼントを渡す理由が見つからないのだ。 なにしろカミュの誕生日がたった一週間前というのが近すぎる。
せめて寝ているときだけでも俺のことを思い出してほしくて弟子の分まで暖かい敷き毛布を送ったばかりなのに、またすぐやってきてカミュ一人にチョコを渡すのは至難の業だ。
そういうわけでどんな口実で手渡そうかと悩んでいた俺に、あの転落事件はかっこうの理由となったのだ。 もっとも、あのまま死んでいた可能性も高いのであまり手放しでは喜べないのだが。
「礼などと大袈裟な……」
そう言いながらカミュが包みを開き、中の選りすぐりのチョコに目をみはる。
「ほぅ……これは!」
一応、ハートの形のは避けておいた。 妙に気をまわされても恥ずかしい。 それでも粒選りのものを選んできたことはわかってもらえたようだ。
「せっかくのお前の気持ちゆえいただこう。」
バラの形の一粒をカミュが口に入れた。
「美味しい……ほんとうに!」
「よかった!」
「ではお前も一つ。」
カミュが箱を差し出してきて俺も喜んで同じ形のを口に入れた。 と、目を覚ました猫が食べ物の気配を感じて俺の膝に前足をついて伸び上がってきた。
「おいで。」
カミュがすっと抱き寄せると猫は抱かれたままでいる。
「おとなしいという触れ込みだったが、ほんとにその通りだな。」
「うむ、たしかに可愛いものだ。」
「どうだ、癒されるだろう♪」
「ふふふ……実を言うと気に入った。ありがとう。」
猫を抱いたことなど遠い昔の話だろうにカミュはいかにも自然に猫を抱く。 猫はカミュの胸に軽く手をかけて抱かれたままに手足の力を抜いている。
「お前に似合ってるよ。猫の方も気持ち良さそうだし。 あ〜、俺もその猫になりたい。」
つい本音を言ったらカミュが眉をあげてこっちを見た。
「いや、つまりさ、その猫みたいに苦労がなくてのんびり寝て暮らすのもいいかと思ってさ、うん。 チョコ、もう一つどう?」
「いや、また明日にいただこう。」
「今度は俺に貸して。」
照れ隠しに猫を抱き取った。 その拍子に頭が近付いてほんの少し前髪が触れ、それが俺に一つの嬉しい記憶を思い起こさせる。
「そういえば俺が目を覚ましたとき……」
「知っているか、ミロ、猫の手のひらのこの丸い部分を肉球といって…」
突然カミュが猫の前足をつかんで説明し始めた。 心なしか顔が赤い。

   するとカミュもよく覚えてるわけだ………♪

「ふ〜ん、肉球ね。」
ピンクの肉球をつつくと猫がにゃおんと鳴いた。




        
猫の肉球はほんとに可愛くて!
        外に出さない猫だと柔らかいものしか踏まないのでほんとに ぷにぷに で。

        シベリアの猫もむろん部屋猫ですから、ぷにぷにの感触が師弟の心を和ませることでしょう。
        あ〜、猫の名前をどうしようかしら?