す ま じ き も の は 宮 仕 え

                               人形浄瑠璃  「菅原伝授手習鑑」 より
      【 大意 】 人に使えるというのはいろいろと気苦労が多くてつらいものだからするべきではない



「つっ…」
不意に襲ってきた冥闘士の放った鋭い衝撃波がミロの左の手掌を切り裂いた。傷は浅いが飛び散った鮮血がミロの頬に赤い糸の筋を引く。
「よくもやってくれたな!」
瞬時に小宇宙を高めたミロが攻勢に転じ、真紅の光条が空間を走る。 忽ち身体を血で染め上げた冥闘士が苦悶の声を上げて倒れ伏した。
「ミロ!大事ないか!」
異変を察知したカミュが駆け付けたときには、すでに戦闘的小宇宙を収めたミロが動かなくなった敵に一瞥をくれて背を向けたところだった。
「大事なら あった。」
「えっ!」
「こんな手じゃ、お前を抱けない。まったく迷惑だ。」
にやりとしたミロが無事な右手でカミュを抱き寄せる。
「可哀相だと思ったら今夜はサービスしてくれるかな?」 
「サービスって、あの……」
「ふふふ、それは要相談ってことで。」
甘いキスを与えられてさっと頬を染めたカミュを連れたミロが行ってしまったところで、致命傷は免れた冥闘士のギガントが激痛をこらえながら面白くなさそうに立ち上がる 。 冥衣を着ていたからよかったようなものの、生身の身体だったら七転八倒の苦しみだったろう。
「だからこんな役は嫌だったんだよな。ラダマンティス様も物好きが過ぎる。あいつ、ミロってやつだったんだな。シャカじゃなかったことをハーデス様に感謝しとくか。いててててっ!」
こんな割の合わない役目をギガントが引き受けたのには以下のような事情がある。

聖戦の事後処理も終わった今は冥界もゆとりを取り戻した。
有り余る暇を持て余して聖戦の思い出話を肴に酒を飲んでいたミーノスとアイアコスだが、地上の聖闘士の連帯性について見解がわかれて口論になりかけたところで、横から仲裁に入ったラダマンティスが、単独でいる聖闘士を襲って救援が来るかどうか確かめよう、とい う提案をしたのだ。
「黄金の奴らは自尊心が強いから救援なんかは求めないって聞いたことがあるが。敵が何人いようとも、自分ひとりで片付けられないのは恥だろう。」
「それは俺たちも同じだが、こないだの闘いでは奴らにも連携プレーみたいなのがあったぜ。戦闘は単独だとしても、ほかの地点での戦闘の推移を計算に入れてたしな。」
「黄金はまあまあだが、格下の青銅のやつらもけっこうしつこかった。まったくとんでもない奴らだな。」
「俺なんか一輝の奴にやられたんだからな。今思い出しても腹が立つ。せめて黄金の奴だったらよかったんだが。」
アイアコスの台詞はカノンと相打ちになったラダマンティスにはちょっと嬉しいが、むろん表情には出さない。
「過去のことは水に流そう。今さら言っても始まらん。」
あれこれ言いながらラダマンティスの提案を審議する。
「単独でいる奴っていうと……聖域にいる奴ではまずかろう。あんなところで襲って揉め事が大きくなったら、あっという間にハーデス様にも伝わりかねん。機嫌を損ねてこっちが粛清される。」
「ではどこだ?」
「日本にも何人かいるんじゃないのか?アテナの拠点は日本にもあるっていうからな。」
「ではそこで。俺のところから誰か派遣しよう。」
そう言ったラダマンティスがその日の出勤簿を見ると不幸にしてギガントの名前が一番上にあったというわけだ。

こんな経緯で呼びつけられたギガントは日本の地理について説明を受けた。
「端から探せば誰か一人でいる聖闘士が見つかるだろう。ほんとうはゼーロスあたりがいいのだが、ハーデス城での狼藉の件もあり、あいつをやったら確実に聖闘士に殺されるからな。お前なら平時ゆえ命まではとらんだろう。フェアリーをつけるから詳しい報告は必要ない。むろん褒賞は与える。安心しろ。」
「はぁ……いえ、はいっ!」
上司の命令に命をかけるバレンタインなら目を輝かせて欣喜雀躍地上に向かうのだろうが、あいにくギガントは冥闘士の中でも権利意識が強いタイプだ。今か今かと退勤時間を待ちかまえていたギガントは、とんだ白羽の矢に内心ため息をつきながら冥界を出てきたのだ。
「聖戦が終わってやっとのんびりできるようになったってのに、わざわざこんなことをしなくてもなぁ……こっちはちょっかいを出すだけなのに、妙に本気になられて返り討ちになったらやばすぎる。せめてあのシャカって奴だけには会いたくないぜ。」
不本意だが上司のラダマンティスの命令には逆らえない。ぶつぶつ言いながら幾つもある地上への出口の中でいちばん日本に近い場所から出ると、そこは樺太の南端だ。
ラダマンティスから渡された外国人向け 『 るるぶ JAPAN 2011 』 を見ながら聖闘士の小宇宙を探し始めたギガントが登別にいるミロの所在を探り当てるのは早かった。そして恐る恐る手を出した結果がこれなのだから、すまじきものは宮仕えである。 この代償に温泉で一週間の湯治が待っているのだからとギガントは自分で自分を慰めた。

やってきたのは日本でも有名な野沢温泉だ。ラダマンティスが地上のことには詳しいカノンに宿の選定を依頼しておいたので、かなりの格式の日本旅館である。ギガント的にはわけのわからない日本式の宿よりもホテルのほうが気楽だったのだが、温泉の良さを味わうには日本旅館に限ると考えたカノンが本格的な露天風呂のある和風旅館を選んだのである。
最初はとまどった日本式の布団や箸にもそろそろ慣れたころ、夕食前の露天風呂にのんびりと浸かって外の紅葉を眺めながらミロにやられた真紅の衝撃の傷跡をさすっているとガラリと戸を開けて誰かが入ってきた。
なんの気なしにそっちを見るとこの宿では初めて見る金髪の西洋人だ。

   あれ? どこかで見たような気が……うそだろっ! あれってミロだろうが!

ギガント、パニックである。どうしてこんなところで会うのかわからないが、覚えていられたら最悪だ。
「貴様、まだ生きていたか!ちょうどいい、ここで息の根を止めてやる!」
などと言われてせっかくの露天風呂が血で染まりかねない。日本の風呂をこよなく愛するミロがそんな流血沙汰を起こすはずはないのだが、ミロのポリシーを知らないギガントとしてはそのくらいのことを想像するのも無理はない。
大きな身体を縮めて戦々恐々としていると、湯桶で何杯か湯をかぶったミロがちょっと会釈しながらギガントのすぐそばに入ってきた。
「いい湯ですね〜、外人に会うのは珍しい。どちらからお越しです?」
「あ、あの、え〜と、ユーゴスラビアです。」
人懐っこそうな笑顔で話しかけられたギガントは心拍数がMAXである。ミロの左の掌に絆創膏が貼ってあり、湯に濡らさないようにしているのも痛すぎる。

   あれって俺の……ああ、胃が痛い!

「ほう!東欧ですか。私はギリシャです。」
「ああ、やっぱり!」
「え?」
「…いや、あのっ、金髪碧眼はギリシャが本場だと聞いていたんで!」
誰にも気にされたことはないが、元をただせばギガントはユーゴスラビアの出身だ。ついうっかり喉まで出かかった冥界とかカイーナという言葉を危うく呑み込んだギガントは、どうやらミロが顔を覚えていないらしいことにほっと胸をなでおろす。冥衣のマスクが顔の上半分を覆うデザインであることも幸いだった。
気になるのは197センチという身長だ。湯につかっているうちはいいが、立ち上がったときに地上では珍しい長身にミロが気がつかないはずはない。つい数日前に自分を襲った冥闘士の背格好のことが頭をよぎらないという保証はないのだ。温泉に来てからは完璧に冥界の小宇宙を抑え込んでいるのでその点は大丈夫だが、見抜かれたら命はないだろう。
しかしミロのほうはいたって寛いでいて、ギガントを普通の旅行客だと思っているらしい。ギガントが日本のことには詳しくないと知ると、日本食や浴衣のことについてわかりやすく説明してお勧めの観光ポイントや名物を親切に教えてくれるところはまことに好人物である。

   こいつ、案外といいやつかも?
   いや、待て!そんな見かけにだまされるな!
   俺に空恐ろしいダメージを喰らわせた時は悪鬼のごとき形相だったことを忘れるな、ギガント!

緊張が解けないままによもやま話をしていると、ミロがざぶりと湯を割って立ち上がった。
「あまり長居しても湯ざめするしな。じゃあ、またあとで食事処で!」
「ああ、またあとで。」
先に上がったミロの後ろ姿は均整がとれていてギガントの目から見ても欠点が見つからない。腕が良くて人柄がよくてビジュアルも完璧となると、ますますギガントは気が滅入る。
「あ〜、俺ってなんで冥闘士になったかなぁ……聖闘士だったら地上の光を浴びて美味いものを食って我が世の春を謳歌できるんだぜ。ハーデス様は恐ろしいばかりだが、アテナは美人でやさしいっていうからなぁ…」
ミロが脱衣室を出て行ったのを見はからって湯からあがったギガントはため息をついた。

部屋でしばらくごろ寝してから食事処へ行くとまだミロは来ていなかった。ちょっとほっとして部屋番号の札の置いてあるテーブルにつきビールを飲み始めたところでミロがやってきた。

   やっぱり来た! 絶対に立ちたくないな………あれ?

ギガントのいるテーブルのすぐ隣がミロの席で、それはいいのだがミロに続いてもう一人がミロと向い合せの席についたのだ。

   連れがいたのか……えっ!あれは!

髪が長くて色白の同年齢らしいその男はたしかギガントが倒れてからやってきてミロに声をかけ、そのあとで……

   ミロとキスしてたやつじゃないのかっ!
   この小宇宙は黄金としか思えんっ! 
   そうだっ、思い出した!聖戦のとき見かけたことがある!
   う〜〜〜ん……たしか名前は…

「やあ、さっきは。」
「ああ、どうも…」
「カミュ、彼がさっき話したユーゴスラビアの……ええと、お名前は?俺はミロ、こっちはカミュ。」
「はじめてお目にかかります。カミュと言います。」
やわらかな物腰のカミュに丁寧に挨拶されてギガントは心臓が止まりそうだ。 冥闘士はもう死んでるのでは?などという疑問はこの際受け付けない。
「ええと…ギガントと言います。」

   頼むっ、下っ端の俺の名前なんか知らないと言ってくれ!
   聖戦のあとの報告書で冥闘士の名簿なんか出回ってたりしないだろうなっ?

宿帳に本名を書いているのでいまさら別の名前を名乗ったら怪しまれること請け合いである。しかし、幸いなことに聖闘士には三巨頭はともかくギガントの名前までは知られていないらしかった。そのあとはカミュがにこやかに興味深い話を振ってくれてギガントの緊張も徐々に解け、食事はたいそう愉快に進んだ。

   う〜ん、カミュのほうもやたらいい感じなんだが
   たしかこの男もハーデス様にかりそめの命をもらった口だったよな
   それにしてもこの二人がキスをねぇ……人っていうのはどこで何をしてるかわからんな

倒れたままでいたときに背中の後ろから聞こえてきたミロの 「可哀相だと思ったら今夜はサービスしてくれるかな?」 という意味深なセリフが頭の中をぐるぐる回る。

   サービスってなんだ? も、もしかして、あ〜んなことやこ〜んなことや……
   よせっ、ギガント! 気にすることはない!  人には人の事情がある!
   たしかラダマンティス様も聖闘士のカノンとは深い仲だと聞いたこともある
   気にするな!気にしちゃいかん! 心を乱したら悟られるっ!

その気で見ると目の前の二人は美形同士でお似合いだ。冥界も女が少なすぎるせいで男同士の付き合いが深くなる傾向があるが、聖域も同じようなものなのだろう。 身元がばれないことに安堵したギガントは雑念を必死で払って日本食を楽しむことに専念することにした。

わざとゆっくり酒を飲み、ミロとカミュが先に席を立つのを待ってからさらに時間をかけて部屋に戻ったギガントは早々にフトンに入って休むことにした。日本のフトンの気持ちよさは冥界ではとても望めないものだったし、酒も勧められるままにどんどん飲んだので酔いも回っていたからだ。
喉が渇いて目が覚めたときは夜中を過ぎていただろう。日本の習慣にならって枕元に引き寄せておいた水差しに手を伸ばした時、思いがけない気配がギガントの神経を鋭敏にした。

   えっ、これって…!

明らかに秘事のときとおぼしき濃厚な小宇宙が右隣の部屋から壁を通して漏れてくる。信じたくないがミロたちの部屋と隣り合っているらしかった。周りには一般人しかいないと思い込んでいるミロは旅先の気の緩みも手伝って、常日頃はぬかりなく張っている結界を張ることもせずにカミュを抱いているのに違いない。声や物音こそ聞こえないが、質の異なるとはいえそこはギガントも同じ小宇宙を操る冥闘士である。すでに二人の小宇宙の識別もついているので、双方の緩急だの高揚だのその他諸々のヒートアップが手に取るようにわかるのだ。

   うそだろ、おいっ!
   こんなのを聞いたってばれたら、本気で殺されるっ!
   ラダマンティス様! これって、ものすごく危険な任務じゃないですかっ!

身動きもできず息をころしていると、隣の気配は終わる様子もなくてギガントは一晩中まんじりともしなかった。夜を徹しての黄金のバイタリティーには驚くほかはなく、つい、これでは聖戦で負けたのも無理はないかも、と思ってしまう。
これほどの経験をしたあとで知らぬ顔をしてもう一度顔を合わせる勇気はギガントにはない。翌朝は食事をしないで早々に宿を立ち、予定を早く切り上げて冥界に舞い戻ったのだった。

「早かったな。もっとゆっくりしてきてもよかったのだぞ。」
「いいえ、おかげをもちまして、いい骨休めができました。ただ今から勤務に戻らせていただきます!」
「うむ、頼むぞ。」
執務室のラダマンティスに報告を済ませて外に出ると、そこには見慣れた風景が広がっている。
「殺風景だが、これはこれで落ち着けるな。」
納得したギガントがカイーナの巡視に出かけて行った。

その後、誰もが楽しみにしている聖域での会議にラダマンティスが出向くときの随員の声がかかってもギガントは頑強に固辞して周囲を不思議がらせるのだが、それはまた別の話である。





      「明日、聖域から使者が来るので、ギガント、お前に送迎を頼む。」
      「聖域からといいますと誰が来ますので?」
      「ええと、」
      ラダマンティスが書類をめくった。
      「今度はミロだ。スコーピオンだな。」
      「私には荷が勝ちすぎます。どうかほかの者にお命じ願います!」
      「なぜだ? 使者の送迎など今までに何度もやったことがあるだろう?」
      「いえ、あの、それは…」
      「上司の命令に逆らうのか、などと大人げないことは言わん。断ってもよいが理由を話せ。」
      「はぁ……あの、実は…」

      な〜んてね。