てぃんさぐぬ花や 爪先に染みてぃ 親ぬゆし事や肝に染みり

                                    沖縄民謡  「てぃんさぐの花 」

            てぃんさぐぬ花や  ちみざしにすみてぃ  うやぬゆしぐとぅや  ちむにすみりぃ

         【 大意 】  ホウセンカの花は爪先に染めなさい  親の言うことは心に染めなさい

駅前の商店街を歩いていたら向こうから美穂がやってきた。
「ふうん、今日はマニキュアしてるんだ。」
カミュはたいして気にしなかったようだが、俺はすぐに気がついた。 仕事中は禁止されているらしいマニキュアをしていた美穂がぱっと顔を赤らめた。といってもほんのりとしたピンクで特に目立つわけではないのだが。
「ええ、今日はお休みなものですから。」
宿以外の場所で美穂と会うのは珍しい。ちょっとお洒落をしている美穂は同じような年頃の女友達と一緒で、そっちのほうは目を丸くして俺とカミュを見ては、うつむいたり照れ笑いをしたりと忙しい。きっとめったに見ない外人と美穂が知り合いなのに驚き、かつその外人がいわゆるイケメンなのにどきどきしているんだろうと思う。
このイケメンという言葉も最初こそわからなかったものの、やっと俺にも合点がいった。つまり美形のことである。
カミュはそんな言葉の定義に当てはまらないほどの美しさで、世間一般で言われるイケメンにはとても該当しないと思うのだが、いくら語彙の豊富な日本語といえども一言でカミュの美質を表現する言葉があるはずもない。
そこで世間はカミュをイケメンと呼び、俺のこともそのように表現されるのは、ちょっと検索してブログなどを当たればわかることだ。
この土地でじわじわと話題になりかかっていた俺たちのことは、二人が相次いで交通事故に遭ったせいで一気にネット上で評判になった。あまり褒められた理由ではないが、聖闘士の身分がばれて噂になるよりはずっとましだろう。そんなことになったらもう日本にはいられない。
そのうえ、運の悪いことに去年の12月に 「のど自慢」 のテレビ中継に映ってしまったものだから、本格的に人気に火がついたと俺は見ている。
あれ以来、町に出ればどこからともなく好奇と賞賛の視線が飛んでくることもしばしばで少々閉口するのだが、幸いなことにカミュはなにも気付かない。これが冥闘士にでも遭遇しようものなら500メートル先からでも察知するだろうに、こうした世間の動きについてカミュはとことん鈍い。いや、鈍いといっては語弊があるな。世俗のことに関心がないと言い換えよう。
「そういうのも可愛いね。それじゃ。」
「はい、失礼します。」
美穂がお辞儀をして、俺たちは左右に別れていった。

「仕事中はマニキュアも禁止だし、髪を染めるのもだめ。ピアスもイヤリングも指輪もしないことになってるそうだ。結婚指輪は別だけど。」
「そういうものか。」
思ったとおりカミュは興味を惹かれない。 あまりにも自分には無関係で、なんとも思わないのだろう。
「ついでに言うと、長髪もだめだ。 接客に支障が出るんだろうな。」
「ほう、そうなのか。」
「だって、食事のときに給仕をしていて、料理を客の前に置いたときに長い髪がはらりと料理の上にかかったらまずいだろ。客からクレームがくる。」
「なるほど、そうかも知れぬ。」
「そうだよ。とくにあの宿は格が高いから、そういうことにはきわめて気を使っているからな。長髪を許されるのは、俺たち、客のほうだけだ。」
俺たちの泊まっている宿の従業員教育はたいしたもので、今までに一度たりともトラブルを見聞きしたことはない。言葉遣いも正しくて客に対する敬語も完璧だ。もっとも、俺の理解している日本語がどこまでそれを正確に把握できているかはいまひとつ謎だが。
「そういえば、お前もマニキュアをしているようだな。」
「俺が? いつ?」
つらつらと自分の手を見てみた。女じゃあるまいし、なんで俺がマニキュアなんか…。
「ああ!あれはちょっとしたビジュアル効果を狙ってみた。」
「では視覚操作か?」
「うん。」
カミュが言っているのは、俺がスカーレットニードルを撃つ瞬間のことだ。 指先から1000分の一秒単位で放たれる真紅の衝撃は計り知れないほどの小宇宙を凝縮した代物だ。普通の人間には見えもしないが、訓練を重ねて自己を高めたものには小宇宙の光跡がよく見える。そこで、、どうせ見られるならと、ちょっと真紅の光彩を添えてみた。指先から数センチも離れると小宇宙は自ら発現した光を失い、純粋なエネルギーの束として飛んでゆくが、最初だけは真紅の炎を纏ったように見える。
「それが、ちょっと見には赤い爪が伸びたように見えるんだろうな。ほんの一瞬だからよほど修練を積んだ者にしかわからんと思うが。」
「そうだったか。なるほど。」
「お前のオーロラエクスキューションも、もう少し水色を強くしてみたらもっと綺麗なんじゃないのか?」
「そんな必要はなかろう。それで威力が増すわけでもない。」
「いや、威力云々じゃなくて、横で見てる俺が綺麗で楽しいんだけど。」
笑いながら子供のころを思いだす。まだ未完成とはいえカミュがオーロラエクスキューションを放つと美しい光彩が渦を巻き、俺たちはつい自分の修行を忘れてそれに見入り、サガやアイオロスに注意を受けたものだ。
「人のことより、お前もたしかマニキュアをしたことがなかったか?」
「私が?」
「うん、そんな話を聞いたことがある。」
「そうか?なにかの間違いだろう。」
並んで歩くカミュの爪をちらと見ると、ほんとに綺麗な形をしていて色もほんのり桜色だ。そのへんの女性がこぞってため息をつきそうな美しさで、いつもの事ながら惚れ惚れとする。
「お前、自分では忘れてるんだよ。」
「なにを?」
「マニキュア。お前がまだ小さかったときにアフロがデスにけしかけられてお前の爪に塗ってみたことがあると聞いたことがある。」
「えっ!」
「アフロは国の妹に贈ろうと思って町で赤いマニキュアを買ったはいいが、事前に知らせたら、妹からピンクのほうがいいと言われてずっと手元においておいたんだそうだ。そしたらそれを見つけたデスがこう言った。」

「ふうん……せっかくのマニキュアをこのままにしとくこともないな。誰か女を捕まえて、ちょっと塗らせりゃいいんだよ。」
「女って、誰に?」
「魔鈴でもシャイナでも、おだてりゃ塗るだろうよ。ちょっと面白くないか?少しは女っぽい色気を出させてやるのも親切ってもんだ。」
しかしデスの申し出は白銀の女聖闘士に一蹴された。
「誰に物を言ってるんだい!黄金だからって、あたしたちに口出しするんじゃないよ!」
「マニキュアなんか塗らなくても十分だってことを、あたしのサンダークロウで思い知らせてやってもいいんだよ!余計なお世話だねっ!」
そこで使われないままのマニキュアの瓶を前にしたデスとアフロが、聖域の女聖闘士の黄金を黄金とも思わない不遜な態度についてくどいていたところにたまたまやって来たのがカミュだったのだ。

「で、そのあと、どうなったと?」
「デスは口がうまいし、アフロもお前が可愛くてしょうがない。素直なお前をなんとか言いくるめて爪を赤く塗ってやったんだそうだ。まあ、年上にからかわれたんだろうな、年少者の宿命だよ。聖域じゃ、ほかに娯楽はないし。」
「娯楽って…」
「しかし、自分の爪が真っ赤になったのを見たお前は絶句し、真珠のような涙が一粒二粒と…」
「いささか脚色が入っているようだが。」
「少しくらいは演出させろよ。そんな細かいことを気にしてたら大成しないぜ。」
「べつに大成しようと思っているわけではないが。」
「で、お前は、赤い色が元には戻らないと思ったらしい。こんな爪ではもう黄金にはなれないってさめざめと泣いたんだそうだ。」
「さめざめ…?」
「だから気にするなよ、ちょっとした文学表現くらいさせてくれ。しかし、アフロはマニキュアは買ったものの、リムーバーを買っていなかった。自分の妹は持っているに決まってるから、はるばるギリシャから送ることもないからな。」
「リムーバーとは?」
「除光液だよ、塗ったマニキュアは専用の除光液を使って落とすものだ。そこでアフロが泣いているお前をなだめている間に、デスが適当な理由をでっち上げてサガから外出許可を取り、町まで出かけていって閉店間際の店に駆け込んで除光液を手に入れてきたのだそうだ。黄金で除光液を持っている奴がいるはずはないからな。お前を泣かせたんで、きっと二人とも慌てたんだよ。」
「ほぉ…」
カミュがしげしげと自分の手を見た。
「爪が赤いのは困る。」
「そうだよ。この俺だって、スカニーを撃つときに赤く見えるのは一瞬だし、それも現実ではない。お前の爪はそのままがいちばん美しい。湯上りの桜色なんか最高だな。ぞくぞくするよ。」
「またそんなことを…」
「真実に目をつぶるのは大人げないぜ。いいかげんに認めろよ。」
カミュと話しながら書店に入る。なにか面白そうな本は出ていないかと平積みの書名をさっと見ると、コミックスの類が多いのはいつものことでカミュは不満そうだ。せっかくの漢字の国なのだからもっと古典や歴史書に親しむべきだというのだ。
「読む人間はちゃんと読んでるさ。俺だってコミックスも読むが純文学も読む。読書好きの人間は軽いものを好みながら難しいものを読みたくなったりもする。ちゃんとバランスが取れてるものだ。」
「だといいのだが。」
カミュが注文していた科学書の伝票を見せて、頷いた店員が後ろの棚を探し始めた。あんなにネットをやっているのだからAmazonあたりで頼めばいいものを、人の手を介して書物を買いたいというカミュはずっとこの書店を利用している。そういうところは頑固といえるかもしれない。
「ああ、5巻が出てる! 買っていくから待ってくれ。」
「なんだ?」
「 『 聖☆おにいさん 』 だ。ちょっと面白いぜ。」
仏陀とイエス・キリストが現代日本で暮らすというトンデモ設定の話で、これがまた面白いのだ。カミュにも読んで欲しいのだが、人に言われると読みたくなくなる性格らしく、まだ未読なのが残念だ。
書店を出て幾つか必要なものを買うと、タクシーを捕まえて乗り込んだ。宿の名前を言うと、地元でも有名なのですぐにわかってもらえるのがありがたい。
街中を抜けて十分ほどで宿が見えてきた。十二宮とはまったく違うが、まるで自分のうちに帰ってきたような気がするのはいつものことだ。
「夕食まではそれぞれ読書にいそしむとしよう。もしかして先に俺の買ったほうのを読む?」
「いや、遠慮する。」
「今度、俺たちも立川のアパートで暮らしてみるか?面白いかも。」
「立川に?なぜ?」
「うん、今は、聖闘士のお兄さんがペアで立川に住むのがトレンディなんだよ。 で、ときどき忠実な弟子が訪ねてくるっていう設定だ。」
「え?アイザックと氷河が?」
「そうじゃないけど、まあ、俺の買った本を読んでみればわかるよ。」
首をかしげるカミュと一緒に玄関を入る。
「お帰りなさいませ、ミロ様、カミュ様。」
居合わせたスタッフが頭を下げて出迎えてくれた。





            デスとアフロはほんの少しの年上ですが、ミロとカミュを可愛がってくれてます。
            こんなこともあったかなぁ、と。
            お気に入りの 「聖☆おにいさん 」 も登場です。
            ほんっとうに面白いんです!

            この壁紙は中国のつけ爪。
            西太后がしていたことで有名です。  ⇒ こちら
            彼女のつけ爪は翡翠だとか。
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