その名高きトレロカモミロ 男の中の男だけど
  トレロカモミロとてもねぼすけ 闘うよりも昼寝が好き

                          NHK 「 みんなの歌 」 より   「 トレロカモミロ 」   訳詩 :阪田寛夫



「おいっ、これはなんだっ?!」
「面白いであろう? 今朝、ネットで見つけたのだ♪」
「お、面白いって…………どうして俺が鴨の扮装をしているっっ???それになぜ葱なんか背負っているんだ???」
「それについては私も疑問に思い調べてみた。 大辞林の記述では、
 
『 鴨が葱をしょってくる 』 とは、( 鴨鍋の材料が揃うことから ) 願ってもないこと。たいへん好都合であることをいう。鴨葱。だそうだ。」
「ふうん……そういえば、この間の鴨鍋は美味かったな♪ いや、感心してる場合ではない!鴨と葱の関係はわかったが、俺と鴨の間にはどんな関係があるのだ?」
「……さぁ?」
「さぁ?ってなんだよ! 根拠がないのか?」
「私が描いたわけではないからな。 面白いから、それにこだわることはないのではないか?」
「お前って案外軽いのな………まあいい、それで標題の歌、あれはなんだ??」
「この絵は鴨ミロと命名されてしかるべきだろう。 するとおのずから連想されるのはこの歌だ。」
「おのずからって、俺は知らんぞ?」
「この曲は1970年にNHKのみんなの歌で放送され話題を呼んだ。 教科書にも載り、知っている日本人は数多い。」
「ねぼすけって書いてあるぜ? そんな怠惰な歌を教科書に載せていいのか?」
「そのあたりはよくわからぬが、働きバチとも揶揄されることの多い日本人に、少しは休もう、と呼びかけるためではないだろうか。」
「ふうん……そんなもんかな……ん? よく見るとこの歌は俺のことを歌ってるじゃないか♪」
「え?」
「いいか、よく見てみろ♪ 『 男の中の男 』 これはまさしく俺だ!なにしろ、聖域に冠たるアクエリアスのカミュを射止めたんだからな、誰にも異論はあるまい! ん?どうだ?」
「あ、あの……私としては…」
「それから 『 ねぼすけ 』 。 この言葉では語弊があるが、なかなか寝床から出られない、という意味に解すると、お前を一晩抱いたこころよい疲れが俺を目覚めさせない、と解釈することができる。 これも真理だろう♪」
「……そう…かな…」
「そして 『 闘うよりも昼寝が好き 』 。 それは俺だって命を懸けた闘いは好きだぜ、あの血が沸き立つような緊張感はたまらんからな! しかし、お前を抱いてとろとろとまどろむ午睡の魅力は筆舌に尽くしがたい!だから、これは俺の歌♪♪」
「………」 (←真っ赤)

「で、鴨葱ってお前だよ♪」
「…え? なぜ?」
「だって、ここにお前がいて俺がいて、そして…」
ミロが奥の間への襖を開けた。
「ほら、もうフトンが敷いてある♪ お前とフトンがこんな至近距離にあるんだから、それは鴨葱♪」
「あっ……」
すっと近寄ったミロがカミュを抱き上げ、フトンに運ぶと素早く襖を閉めた。
あとは知らない♪



              「鴨ミロ……鴨ミロって、どこかで聞いたような…?」
              そこではっと気付いた古典読本、
              みんなの歌は 「 まっくら森の歌 」 に続いて二曲目かしら?
              歌詞のあとの方には、
              闘牛士であるトレロカモミロが牛をころっところがしてベッドにしちゃうところがありますから、
              ますますあぶない(笑)?
              こころよく絵を貸してくださった瑞薙さん、ほんとうにありがとうございます。