翌朝ホテルのベッドで目が覚めた。 ツインのもういっぽうのベッドでデスマスクが寝ているのが見えた。

   ああ、そうか………東京まで出てきて飲んだんだった………

二日酔いでグラグラする頭を振ってなんとか起き上がりシャワーを浴びることにした。 熱い湯を浴びて頭を洗ってすっきりしたところで、ふいに不安がこみ上げてきた。

   デスのやつになにを話したろう?
   ろくに覚えてないが、もしかして余計なことをしゃべったんじゃないのか?
   まさか………カミュとのことをしゃべってないよな?

カミュのことをなにか聞かれたのは覚えてる。 重大なことを言った覚えはないが、なにを話したか覚えていないというのは問題だ。 もしかして決定的なことをしゃべっていたら………
どきどきしてきた。 自分でもたしかにいつもと気分が違っていたとは思う。 日本に来て初めて本格的に外で飲んで、初めて外の店で食べた焼き鳥もことのほか美味しかったのでテンションが高くなっていたのは事実だ。
必死になって思い出そうとしていると、ふっと蒼薔薇の三文字が心に浮かんだ。

   ………蒼薔薇って?
   俺が自分から言ったはずはない
   アフロ本人になら礼を言うだろうが、デスマスクにわざわざ言うとは思えない
   以前アフロから送ってもらった蒼薔薇には、たしかデスも一枚かんでた筈だ
   もしかしてデスにかまをかけられて、言わなくてもいいことまでしゃべったのではあるまいな?

蒼薔薇をカミュの上に散らしたことを思い出して冷や汗が滲む。 もしもあれをしゃべっていたら!
身体を洗うのもそこそこに浴室を出て身体を拭いていると、
「入るぜ、俺もシャワーを浴びる。」
「ああ…」
ドアを開けたデスマスクがさっさと裸になると中に入っていった。
どっちだ? やつは聞いたのか? 聞かなかったのか?

ホテルのレストランでバイキングの朝食を食べていてもそのことが頭から離れず、デスに聞かれて納豆や海苔の説明をしながら気が気ではない。 食後のコーヒーをとってきたところでついにデスにこう聞かれた。
「なにか考えてることがあるんじゃないのか?」
「いや、俺は、別に……」
「そうか? さっきから俺がなにを言っても上の空だぜ、小宇宙がえらく動揺してるのが見え見えだ。」
「………」
「カミュのことだろう?」
「え…」
心臓が大きく跳ねてそれからぎゅっと縮んだような気がする。 物も言えないでちらっとデスを見てから目をそらした。 やっぱりなにかまずいことを言ったのかもしれない。
「いいのか? 聞かなくて。」
「………聞くって……なにを?」
「なにをどこまでしゃべったか、だ。」
顔が青くなって、それから真っ赤になったと思う。 なんと返事をしたらいいかわからなくて黙っているしかなかった。 喉が絞められるようで変な感じだ。
聞くのは怖い。 でも、聞かないままでデスをギリシャに帰したら、この先ずっと俺はあらゆる憶測に苦しめられるだろう。 それを隠し通していくのはカミュにも不実なことで………。
「お前が聞かないなら、俺がしゃべってやる。」
「デス!」
「黙って聞け。」
聞きたくないとはとても言えなくて口を閉じた。 まるで俎板の鯉だ。
「結論から言おう。 それが一番聞きたいだろうからな。」
にやりとしたデスが続けた。
「お前は肝心なことはほとんど言わなかった。 具体的なことは何もだ。 俺がいくら水を向けても核心には触れない。 たいしたもんだよ。」
「え…」
「でも、はっきり言わないだけで否定はしない。 それじゃ、肯定してるのとおんなじだ、わかるだろ?」
「う……」
「正直すぎるんだよ、お前は。 聞かれて、はい、そうです、と認めるのはカミュを裏切るようなものだから言えないだろうが、頭から否定するのもカミュに対して嘘をついているようで気が咎める。 そこでどっちかずの返事をしようと、酔った頭で考えた。」
「それは………」
「でもたった一つ、はっきり答えたことがある。」
「………え?」
いったいなんだ? 俺はなにを言ったのだろう? 聞くのが怖い。 でも聞きたい!
「はっきりしないやつだな、いったいお前はカミュが好きなのか、好きじゃないのか、どっちだ?って聞いてみた。 そしたら、」
「……そしたら?」
さっきまでたくさんいたサラリーマンも手早く朝食を食べ終えて、もうほとんど残っていない。 俺たちの前にあるコーヒーも今はすっかり冷め果てて、カップの底に残ってる。
「お前は俺の背中をばしんと叩いてこう言った。 そんなことは決まっているだろう、カミュが好きだ、そうに決まってる!」
「………」
「そのほかの質問はすべて、だめだ、言えない、でスルーされた。 なぜ言えないんだ? って聞いたら、その返事がふるってる。」
「……俺はなんて言った?」
おそるおそる訊いてみた。
「だめだ、カミュが怒るから。 お前はそう言った。」

   あ〜〜………俺ってやつは………それじゃ、バレバレだろうに………

「お前らを子供のときから見てきた。 年長のサガとアイオロスは指導者兼保護者の目だったろうな。 俺はお前が可愛かったし、アフロはとりわけカミュに目をかけていた。 シュラはどちらにも公平に。」
たしかにそうだ。 そうだったのは俺もよく知っている。
「誤解するなよ、興味本位じゃないぜ。 俺はお前たちがうまくいっていることが嬉しい。 アフロも同じ考えだ。」
席を立ったデスが二人分の熱いコーヒーを持ってきた。
「飲めよ。」
「ああ……」
機械的に手を伸ばして砂糖とミルクを入れた。 かき混ぜるスプーンが音を立て、頬がほてっているのが自分でも分かる。 デスにはっきりと見られているのが恥ずかしいが、どうすることもできはしない。 一口飲んだコーヒーはいつになく砂糖を入れすぎたようでやたらに甘い。
「聖闘士には普通の人間と違ってどうすることもできない宿命がある。 闘って死ぬか、そうでなければ聖域で自宮を守護して一生を終わるという地味にして過酷なやつだ。 逃れることはできん。」
「ん………」
「親兄弟のいる者は稀だし、いてもそうそう会えるというものでもない。 ましてや家庭を持つなんて芸当ができるはずもない。 子供は………人によっては外でもうけるかもしれないが、親子と名乗ってともに暮らすことはありえない、そういう環境だ。」
「ああ……そうだな……」
「そんな中でお互いに必要とする相手を見つけたんだ。 おおいに誇っていいと俺は思う。」
「え……」
そんなふうに考えられてるなんて思いもしなかった。 人に知られてはならないとそればかり心配してた。
「とはいえ、カミュにそう思えと言っても無理だろう。 人に知られて平気でいられる性格じゃないからな、そうだろう?」
そうだと思う。 ひそかにそう思われているとしてもいやだろうに、面と向かって言われたらいったいどんな反応を示すのか俺にもよく分からない。
「でも、俺としては時々はお前と飲んでこんな話をしたいと思ってるし、お前もたまには誰かに言いたいんじゃないのか? 少しはのろけて見せろ。 俺が笑って聞いてやる。 もの言わぬは腹ふくるる技だっていう諺があるんだろう? 老師に聞いたことがある。 」
そうだ、たしかに誰かに言いたいと思ったことがある。 カミュを愛してる、好きだ、と言いたいときもある。
「言って………いいのかな?」
「いいさ。 俺は誰にも触れ回らない。むろん 詳しいことを言う必要はない。 それはカミュに悪いと思ってるんだろう? ただ、その事実を前提としてしゃべってりゃいいんだよ。 きっと気楽に飲めるぜ。 人を好きな気持ちを隠すことはない。」
「ああ、そうだな。」
なぜだか涙が出てきた。
俺自身は人に知られてもかまわないと思ってる。 カミュを心底愛して大事にしてるという気持ちは嘘偽りのない真摯なものだ。
でもカミュはそうじゃない。 人に知られることを極度に恐れ警戒してるのがありありとわかる。 それだから俺はその気持ちを尊重して気をつかってきたのだ、カミュのために。 別に苦ではなかったし、そうするのが当然だとも思ってた。
でも、デスに言われて初めてわかったのだ。 言いたい気持ちを押さえ付けていることがそろそろ苦痛になりかけていたということを。
「カミュと街に出ればカップルをよく見かける。抱き合ってキスしたり、そうでなくても手をつないで歩いている。 それを見て………」
少しためらった。
「それを見て、いつも羨ましいと思ってた。 でも俺たちには望めない。 障壁が多すぎる。」
清水の舞台から飛び降りた。 声がうわずっていたと思う。 意識的に人にこんなことを言うのは初めてなのだ。
「だからといって全部隠すことはないさ。 俺はそう思う。 なにも十二宮の階段でキスをしろと言ってるわけじゃない。 俺といるときだけでも自分を解放して好きなようにしゃべればいいさ。」
「……できるかな? そんなことを考えたこともなかったが。」
「できるさ。 何のことはない。 たとえば、そうだな……カミュと最近どこに行った?」
「いちばん最近は、」
自然と笑いがこぼれた。
「ガンダムだ。」
「なんだって?」
「ガンダムの実物大スケールのフィギュアがあるんだよ、ここから30分とかからない。」
「ようし! そこに行こう!」
「え?今からか?」
「そうさ、そこでカミュのことを俺に話せ。 どのくらい自由に口がきけるか見せてもらおうか。 そのガンダムが証人だ。」
証人としては最強だろう。 銀座二丁目にあるホテルを出た俺たちはようやく店を開け始めた街を抜けてゆりかもめの駅に向かった。 新交通システムの説明をしてデスマスクを感心させて台場で降りると潮風公園に連れて行く。
「これがガンダムだ。」
「こいつはまた……! 動くのか?」
「いや、それはない。 というか、30分に一度は頭部が動いたりするが歩くとかはしない。 いくらなんでもそれは無理だ。」
「そりゃそうだな。 で、こいつを見ながらカミュとデートしたってわけか。」
「えっ、べつにそんなわけじゃ…」
あのときのことを思い出してみた。 なにかデートらしいことがあっただろうか? いや、何もない。 ゆりかもめに感心して、ひたすらガンダムを見上げてワクワクしていた、それだけだ。
「いいんだよ、好き同士が一緒にどこかで楽しめば、そいつは立派なデートだ。で、カミュとデートをして嬉しかったか?」
「え、それは………」
「はっきり言えよ。 言ったらすっとするぜ!」
ちょっと迷ってから腹を決めた。 どうぜ分かられているのだし、ここにはガンダムしかいない。 なにを遠慮することもない。
「ああ、嬉しかったさ、俺はカミュが好きだから。」
それからにやりと笑って付け加えてみた。
「どうだ、羨ましいだろう!」
「こいつめ、自慢しやがって!!」
デスに羽交い絞めにされて二人で大笑いをした。 思ったことを素直に言うことがこんなに楽しいとは思わなかった。

デスと別れて登別に戻り、宿の離れでくつろいでいると電話が鳴った。 しばらく話していたカミュが俺に受話器を渡してくれた。
「デスマスクからだ。」
ちょっとドキドキしながら耳に当てる。
「これからギリシャに帰る。 元気でいろよ。」
「ああ、そっちもな。 みんなによろしく言ってくれ。」
「わかった。 で、お前カミュが好きか?」
一瞬息を飲み、それから堂々と答えてやった。
「ああ、そうだ、大好きだ。 当然だろう!」
「OK! 今夜もうまくやれ!」
あっと思ったときには電話は切れている。
「デスって、いいやつだな。」
「そうだな。」
定石の本を見ていたカミュが頷いた。

   カミュと海に出掛けよう
   「なんのために?」
   そんなことは言わせない
   「もちろんデートだ、ほかになにがある?」
   とまどうカミュの手を引いて、光の中を風に吹かれて青い海まで一直線だ!

「俺さ、」
「え?」
「お前のことが大好きだ。」
「え………私もだ。」
「うん。」
なんだか嬉しくて、俺はカミュをつかまえてキスをした。 困っているカミュを抱きしめながら、嬉しくて嬉しくてしかたがなかった。




             
再びのガンダム。
             はるか上のほうで照れてましたね、きっと。
             デスマスク、彼はいい人間です、このごろ株が急上昇しています。