時計は動くのをやめ 奇妙な晩餐は静かに続く 何かを脱がすように |
作詞 :鬼束ちひろ 「
私とワルツを 」 より
カミュを夕食に招くのは初めてだ。
俺としては一世一代の気持ちであれこれと準備をし、心をこめて支度を整えた。
やがて夕焼けが空を彩るころにカミュがやってきた。
「今日はありがとう。 わざわざ来てくれて…」
顔を見たときから心拍数が跳ね上がり、せっかく用意した言葉がうまく言えなくて口ごもる俺に、カミュは何心もないようで、
「お招きいただいてありがとう、今日はご馳走になる。」
少し微笑んで手に持ったワインを差し出してきた。
「私はあまり飲めないけれど、ミロはワインが好きそうだから。」
「あ…気を使わせてすまない。 さあ、中へ。」
胸の鼓動を抑えながら先に立って食堂へ導いた。
カミュの持ってきたワインの栓を開け、ささやかに乾杯をする。カミュはそれほどは飲めないけれど、俺が準備万端整えた食卓を見て、これは飲むのが礼儀だ、と考えたらしくゆっくりと口をつけ、ほんとにわずかずつワインを減らしてゆくのだ。
カミュの動作は、フォークを口元に運ぶのも、ワイングラスに手を伸ばすのも、ナプキンで唇の端をおさえるのも、どれもが洗練されているようで俺の目を惹きつける。
キャンドルの灯りの中で艶やかな紅い唇がいつになく気になって、ついつい視線をやっている自分に気付くのだ。
この日に備えて気の効いた話題を幾つも用意していたのに、それらはすぐに底を尽き、やがて空が暗くなるころには時々の沈黙が食卓に居座るようになっていた。
いつもなら愉快な話を思いつけるのに、緊張しているせいか、なにも浮かんではくれないのだ。
人よりは機知もユーモアもあるつもりなのに、今日のこのときばかりは俺を助けてくれる気はないらしい。
「あの…」
同時に言ってお互いにきまり悪そうにして照れ笑いをしたりすることが多くなり、それでも何とか場をつなぎながらデザートまで進んだのだ。
最後の一口を食べ終えたカミュが美しい仕草でスプーンを置いた。 いかにも満足したかのように小さい溜め息が洩れる。
それが俺の最後のためらいを消して背中を押してくれた。
「カミュ……あの………よければ、居間に場所を移してもう少し飲まないか…?」
何日も前から胸の中で反芻していた言葉を口に出すのに、どれほど多くの勇気をかき集めなくてはならなかったことだろう。
「え……あの……私はたぶん、そんなには飲めなくて…」
困ったように目を伏せて云うカミュは、首をかしげながらそれでも帰るとは云わないのだ。 それに力を得た俺はいかにも気軽そうに椅子から立ち上がった。
「大丈夫だよ、飲むのは俺だし、カミュは、もしその気になったらほんの少しグラスに口をつけるくらいでかまわないんだから。」
今度は自分の用意したワインを持って、居間へのドアを開けてカミュをいざなうと、少しためらっていたカミュも静かに立ち上がってくれた。
カミュがその気になってくれたことにほっとして、続いて居間に入ると音をたてずにドアを閉めた。
テーブルの上にはすでにワイングラスが用意されているのにカミュも気付いたらしい。
「用意のいいことだ。」
くすっと笑うカミュは酔いに頬を染めている。
「うん、お前のためなら俺は120%気が回るんだよ。」
そうだ、この調子で………いつもの俺をとりもどせば、きっとうまく行く
落ち着けば、きっと大丈夫だ…
さりげなくワインの栓を抜き、さりげなく二つのグラスに注いで、さりげなくカミュにすすめた。
きれいな白い指、でもすこし桜色になったカミュのきれいな指がグラスに伸びてほんのわずか口に含まれたワインがゆっくりと喉を滑りおちてゆく。
ワインを飲み下す薄紅色の喉の動きにわけもなくドキドキしてきて、こちらも慌てて一口飲んでグラスを置いた。 そのくらいで動揺してどうする、しっかりしろ! と自分を叱咤した。
すっと近付いてワイングラスを取り上げる。
「え…」
いつも通りにやさしく抱いて、それから耳元でささやいてみた。
「ねえ、カミュ………いいだろう…?」
その瞬間、時が止まり、俺たちの鼓動が時計替わりに響き出す。
「ミロ……」
酔いも手伝っているのであろうか、頬を桜色に染めたカミュが目を伏せる。
高まるばかりの緊張をやがて新しい情熱に変えるはずのカミュの答えを待って、俺は耳を澄ませていた。
鬼束ちひろの歌は不思議な明るさを含んでいます。
暗くて重い内容を感じさせないこの感覚はなに??
切なく伸びやかな軽い歌いぶりのせい?
それともアレンジの見事さ??
ともかく無性に鬼束ちひろで作りたくなって、歌詞検索でよさそうなのを物色。
できれば題名が日本語のを、と選んだのがこの曲です。