柔肌の熱き血潮に触れもせで さびしからずや道を説く君 |
与謝野晶子
【歌の大意】 恋をすることもなく道理を説いてばかりのあなた
寂しくはないのですか?
すこしは恋をなさればよろしいのに
シャカ、 俺にはどうもわからんのだが、そんなに難しいことばかり考えていて 人生なにが楽しいんだ?
もっと、恋をするとかしたら ものの見方も変わるんじゃないのか?
君にはわからないのだよ ミロ
解脱するということは 全ての世俗から超越し あらゆるくびきから解き放たれることなのだ
その私に どうして恋などということが考えられるだろうか
そういうものかな?
俺は カミュを愛したことで より深く人生を考え この世界のあらゆるものが美しいと思えるようになったぜ
人間にとって それはとっても大事なことだと思うんだが
私は愛や恋に惑わされることなく 精神世界での思索を通じて この世界を理解しようと努めている
一方、君は、カミュへの愛を通じて人生の意味を探ろうとしているということだ
お互い、歩む道は違うが それもまた修行だろう
ふうん・・・・・・カミュを愛することが修行なのか?
・・・・まあいい、お互い いい結果を出そうぜ じゃあな
・・・・待ちたまえ、ミロ
私が酸いも甘いも噛み分けぬ堅物だと思われるのも業腹だ
多神教である仏教には多くの神がいる
君には その中の 「歓喜天(かんぎてん)」 のことを教えずばなるまい
私の修行地であるインドで 篤く信仰されている神だ
・・・・・・・歓喜天とは?
私が教えてもよいのだが 君が自分で調べてみるのもよかろう
・・・ああ、わかった
ちょうどこれから宝瓶宮へいくところだ カミュと一緒に調べてみよう
え?・・・・・・・・・フッ・・・・まあ それもよかろう
じゃあ またな
ああ また
またまた与謝野晶子の登場です。
よく、あの時代にこれだけの歌を詠んだもの!
第一句 「柔肌の」 だけで、官能性十分です。
歓喜天は、日本では二体の象頭人身の像が抱き合った姿で現されていることが多く、
そのため秘仏となっていて公開されていないのが普通です。
要するに夫婦和合の神様と考えてよろしいかと。
ミロとシャカの宗教哲学論議にすぎないこの作品が黄表紙に編纂されている理由はそういうことです。
それにしても、シャカったら・・・・・!
カミュ様の顔が目に見えるようです。