夢見たものは ひとつの幸福 ねがつたものは ひとつの愛 |
立原道造 「
優しき歌 U 」 より 「 夢見たものは……」
「大好きだ、カミュ………お前と一緒にいられてこんなに嬉しいことはない……」
そう言いながらミロは私をいつくしむ。
「俺がどのくらいお前を愛してるか、ほんとにわかってる?」
答えようとする暇も与えてくれずにミロの指が私の髪を梳き、やさしい唇が私の心を震わせる。
「できるものならお前とトラキアで暮したい……小鳥が歌い娘たちが踊る、そんな日曜日にお前と歩こう。
あふれるほどの緑の中で幸せな夢を見させてやろう……」
……トラキアで? そんな…そんなことは無理なのに………
ミロ…………ああ、そんなに私のことを…………ミロ……
「わかってる………お前が言いたいことは全部わかってるよ…………」
ほんとに……ほんとにわかってくれるのなら…………ミロ…
息ができないほどに抱きしめられて、たとえようもなく甘い言葉を耳元でささやかれる私。
その私の吐息聞きたさに、この身一つには受け止めきれないほどの情熱をかたむけてくれるミロ。
その夜の私はとても幸せで、ミロに寄り添って、ミロに寄り添われて眠りについた。
駆け寄ってくるのはミロだ
震える手で私を抱き起こしているのは、そうだ、私のミロなのだ
でも
氷の唇では お前の暖かさがわからない
凍てついた頬では お前の吐息もわからない
冷たさを厭わぬミロの腕が私を抱きしめ こぼれる涙が私にふれて凍りついてゆく
朝が来るまで抱いていてくれたミロは ついにあきらめ 全ての希望を捨てた
私を海の見える丘に運んでいって その手で葬ってくれたのだ
最後の土がかけられたとき なにか暖かいものに気がついた
……ミロの心だ それは今も私に寄り添っていてくれるミロの心なのだ
夢見たものは一つの幸福 ねがったものは一つの愛
私は恐れることなく目を閉じていった
詩人・立原道造 ( 1914〜1939
) は、
東京帝国大学建築学科を卒業し、詩作にも建築にも才能を発揮しましたが、
第一回中原中也賞を受賞したその年に、24歳の若さで病没しました。
青春の憧れと悲哀を詠んだやさしい作風は今も多くの人に愛されており、
その早すぎる死を悼んだ三好達治は次のような追悼詩を寄せています。
「 暮春嘆息 」
〜 立原道造君を憶ふて 〜
人が 詩人として生涯をはるためには
君のように聡明に 清純に
純潔に生きなければならなかつた
さうして君のやうに また
早く死ななければ!
※ 三好達治の作品は古典読本 92にあります。
この 「 夢見たものは 」 は合唱曲としてもよく歌われています。
とても幸せな情景が描かれているこの歌は、
作曲者が知人の結婚式のために曲をつけ、披露宴で歌われたのが最初です。
そんな幸せの象徴のようなこの曲はこちらで聴くことができます。 【YOUTUBE】
(
すぐに音が流れるので御注意ください )
「 夢見たものは 」 立原道造
夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山並みのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつている
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる
告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の小鳥
低い枝で うたつてゐる
夢見たものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と
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