第一章  噂

カミュ・フランソワ・ド・ジャルジェは十七代前までさかのぼれるジャルジェ家の跡取りで、当年とって二十歳になる。
ルイ16世統治下のフランス、華やかなりしベルサイユの宮廷では王妃マリー・アントワネットとその取り巻きたちにうまく取り入って羽振りのよい一党が巾を利かせているが、ジャルジェ家は万事控え目で目立たない存在である。 といっても中央でときめいてはいないというだけで、その家系の由緒正しいことが周囲に一目置かせていたし、代々迎える夫人がこれまた生粋のフランス貴族の出であり、イギリスやスペインあたりの血など一滴も混じっていないことがひそかな羨望の的になっていた。

「それにしては………」
「しっ、声が大きいぜ……」
「いったいぜんたい、どうしてあいつはああなんだ?」
「そんなことを俺が知るか!………きっと悪魔に魅入られたのさ、そうに決まってる!」
「お前こそ、声が大きいぜ………聞かれたら面倒なことになる。 ほら、来たぞ!」
宮廷に数え切れないほどある大理石の柱の陰のちょっとした空間は可愛い令嬢との逢引や無責任な噂話の醸成にはもってこいである。 洒落のめした二人の青年貴族が素知らぬ顔で柱に寄りかかっていると廊下の向こうからやってきたのはカミュ・フランソワ・ド・ジャルジェその人だ。
軽く会釈をし合ってそのまま別れてゆくだけのことだが、去ってゆく後ろ姿に二人は好奇と侮蔑の目を向ける。
「よく平気でいられるな! 俺なら屋敷に引き篭もるところだが。」
「いつまでたっても見慣れるということがない。 いい加減にしてもらいたいぜ!」
吐き捨てるように言った男が
「おい、気分直しに飲みに行こう、今日はこれで退出だ!」
もう一人を誘って足早に反対方向に行ってしまった。

「おい、カミュ! 待てよ!」
「ミロか。」
庭園に面した出口でカミュを呼び止めたのはミロだ。
ミロ・ラフェール・ド・トレヴィルはカミュと同じ二十歳で、カミュほどではないが、やはり古い家柄の出だ。 銃士隊の隊長を務めるミロの父トレヴィル伯は温厚な人柄で宮廷での人望も厚い。 おのずからミロにも友人知人は数多く、その明朗闊達な性格もあって社交界にも評判が高い青年貴族なのだ。
「難しい顔をしてどうした?」
「私はいつもと同じだが。」
「いや、いつもより眉を寄せてるぜ、そうだな………このくらい。」
ミロが親指と人差し指の間に隙間を作ってみせた。 ほんのわずか、鳩の羽根が二枚ほどはさまるかどうかのささやかな空間だ。
「そんな違いがわかるわけはない。」
「わかるんだよ、俺には。 お前のことならなんでもわかる。」
「勝手なことを……!」
シンメトリーに美しく整備された庭園の中の小道には塵一つ落ちていない。右手の植え込みの陰で逢引をしていた男女が人の気配を感じて声をひそめたのがよくわかるが、ベルサイユではよくあることだ。 二人の足音が遠のいてゆくと、甘いささやきがまた始まったようだ。
「なにかあったのか? 言ってみろよ!」
「言うほどのことではない。」
「冷たいんだな、せっかく心配してやってるのに!」
「私は別に心配されなくても…」
「カミュ!」
ミロがカミュの手をつかんで引き止めた。 きつくはないのだが、話を聞かせてくれなければ放さない、という意思が込められているようでとうとうカミュも観念したようだ。
「たいしたことではない、いつものことだ……」
「また、おまえのことを……?」
抑えた溜め息と無言の返答がそれを肯定した。
「どこのどいつだ! 今日こそは俺が許さん! 叩っ切ってやる!!」
声こそ低く抑えているがミロの怒りは本物だ。 豊かな金髪を揺すりたて、腰の剣に手をかけて今にも宮殿の方に戻ろうとするミロを今度はカミュが引き止めた。
「かまわぬ! どうせもう退出したに決まっているし、私のためにミロが決闘をして命を失うようなことがあっては困る!」
「そいつは、ちょっと心外だな!俺は腕には自信があるから倒れるのは相手のほうだ。」
「それはそうだろうが………ミロが勝っても決闘禁止令があるのだぞ! 決闘をすれば王の御名において罰せられる!」
蒼ざめたカミュの説得にもミロはどこ吹く風である。
「それも平気だよ、禁止令が何度出されても決闘はなくならないし、そのたびにまともに処罰していたら王は支持者である貴族を失うことになる。 結局、恩赦が与えられることはお前もよく知っているだろう。」
「それは……」
唇を噛んだカミュだが、思い直したようにきっと顔を上げた。
「やはりだめだ! いくら腕に自信があっても万が一ということがある。 ミロがもし……死んだら………私には友人が一人も居なくなってしまう………」
追い詰められたような眼差しに見られたミロが息を飲んだ。

   なんて………なんてきれいな目なのだろう!
   透き通って煌めいて、燃えるように美しい………!

眼の紅さを気にするカミュが、たとえ相手がミロといえどもまっすぐに視線を向けてくることはまずないと言っていいだろう。 呆けたような表情のミロにはっと気付いたらしいカミュが慌てたように顔をそむけた。
「カミュ………俺はお前を…」
「言うな! ミロはトレヴィル家を継ぐ身ではないか! 私などにかかわってはならぬ!」
それでも、くるりときびすを返して歩いてゆくカミュに追いすがりながらミロは気付いてしまったのだ。 艶やかな黒髪から覗く形の良い耳朶が真っ赤に染まっていることを。
「待てよ、カミュ!」
久しぶりに見つめられて頭に血が上ったミロが決闘のことを忘れ果てていることは、酒場で女の腰を抱きながらワインを飲み始めた例の二人には幸いであった。


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はい、黒い騎士・カミュ篇です。
                  なんだか先の展開が読めますね、行き当たりばったりで書いていったらこんなことに。
                  ポリニャック伯夫人とか出てきちゃったらどうしようかしら?
                  いっそのこと、マリー・アントワネットと謁見させますか?