ミロ法師  その12

手のひらに乗るミロ法師は、箸や筆くらいしか持った事のない嵯峨帝でも羽のように軽く感じられるのに、それでいて人と同じく温かい。 臣下に触れたことのない嵯峨帝にとってはその温かさは予想外のものだった。人の身体が温かいことを知ってはいたが、まさか自分の手のひらに乗るほどの小さい人にそれを教えられる日が来ようとは思いもしないことである。
あまりの珍しさに童心に返った嵯峨帝はふっくりと柔らかそうなミロ法師の頬をつんつんと優しく突いてみた。 これにはミロ法師も驚いたが、じっと我慢の子である。
「おぉ、まるで餅の様じゃな。」
と大袈裟なまでに喜んだ嵯峨帝は、
「くうるりと回ってみてはくれぬか。」
などと仰られまことに嬉しそうにしていたが、自分だけで楽しんでいるのはもったいないと思ったらしい。
「おぉ、そうだ、中宮を招きなさい。」
とおそばに控えている女房に申し付けた。

いつの世も女人の支度には時間がかかる。ましてや位の高い中宮ともなると帝のお召しに合わせて衣装替えやらお化粧直しにお付きの女房達がかかりきりになるので小半時は必要だ。
そんなことには慣れている帝は有り余る時間を優雅に過ごす術にもたけている。この場合は、初めて見るミロ法師に様々なことを尋ねたり、はたまたロス大臣に出会いの様子を語らせたりと飽きることがないのは当然だ。
「ほう!すると椀を舟代わりにして都を目指したと申すか。その小さい身体でようも無事に着いたものよのぅ。」
「いかにもさようにございます。途中で大きい蟇蛙に襲われましたときにはもうだめかと思いましたが、幸い窮地を脱することができました。」
ここでミロ法師が姫の名を出さなかったことにロス大臣はほっとする。そこまで打ち合わせてはいなかったが、高貴な姫が屋敷の外を出歩いたなどという噂が立っては立つ瀬がない。
高貴な姫の日常は、寝所としている御帳台とその隣の日常を過ごす部屋を行き来するくらいがせいぜいで、それさえも立つことは少なくて膝でいざって移動するほうが多いのである。そんな暮らしの姫君は、おのが屋敷の庭に出ることも稀であり、土の上を歩いたこともないというのがごく普通のことなのだ。
もしもこの場でミロ法師が姫が川べりまでやってきたと言おうものなら、ただでさえ虫めずる姫君という困った名で知られているのに、屋敷の外へも平気で出歩くという素行まで面白おかしく噂されることが目に見えている。
いくら都を離れた里のことだと言っても言い逃れはできぬだろう。人は口さがないものなのだ。
「それにしても小さいのぅ。その身体で食べ物はどのくらい食しておるか?髪はどのようにして結うか?」
興味を持った帝の問いにも当たり障りのないように答えるミロ法師は落ち着いていてロス大臣を安心させた。
その時、黙って見ていたシャカが口をはさんだ。
「その法師の腰には刀が見えますが、腕はいかほどのものでありましょうや?」
ミロ法師の小ささ可愛さに気を取られていた帝が掌の上の法師をよく見るとなるほど腰に一振りの刀が挿してある。
「そちは刀が使えるか?」
「は、畏れながら剣は誰にも負けはいたしませぬ。幼いころより鍛えてまいりました。」
「それはたいしたものだが、この都にはそちの相手になれる者がおらぬ。せっかくの腕を披露することはかなわぬぞ。」
「その儀でしたら、わたくしによい考えがございます。」
再びシャカが言う。
「なにか考えがあると申すか?」
「はい、この法師と同等の相手を呼びましょう。」
「面白い。見せてみよ。」
こうしてシャカは再び懐紙の人形を作り、ミロはそれと対峙することになったのだ。

このころには奥から中宮がひそやかにやってきて、御簾の向こうのそのまた奥の几帳の陰に衣ずれの音をさせながら着座した。 帝付きの女房からこれこれと事情を聞かされると息をのんで目を凝らす 。間を遮るものが多すぎてはっきり見えないのが残念でならないが、まさか御簾の向こうで身を乗り出している嵯峨帝のような真似をできるはずもない。
そうこうするうちにミロ法師と紙人形との御前試合が始まった。 嵯峨帝はじめ位の高い貴族達の注目の中、世にも珍しい一戦が幕を開けたのだ。さきほどシャカの紙人形と戦った経験があるので、ミロ法師は紙人形の攻撃を無駄のない動きでかわし、愛刀蠍火で鋭く早い突きを繰り出す。まるで剣舞を舞っているような美しいミロ法師の戦いに一同は息を飲んだ。
歌を詠み花鳥を愛でるという優雅な毎日を送っている殿上人たちは穏やかな遊びしか知らないので、このような丁々発止の剣技など見たこともない。侍溜りの武人の荒ぶる技を少しでも見聞きしようものなら眉をひそめ扇で顔を隠して大袈裟に嫌そうな顔をするのが常なのに、この小さい人の戦いには目を奪われた。
やがてミロ法師の灼熱した蠍火が紙の人形を一刺しするとぱっと炎が上がった。
「あっ!」
一同のどよめきが収まらないうちにミロ法師は早くも蠍火を鞘に納め、シャカはまだ揺らめいている紙の灰に手をかざして元の人形に戻すとなにごともなかったかのように懐にしま い込んだ。
「これは驚き入りました。じつに見事な腕前で感服いたします。」
澄ました顔でそう言ったシャカが手にした扇ではたと膝を打った。
「その腕前を見込んで頼みがあります。ぜひともこの私と一緒に百鬼夜行退治をしてもらえますまいか?」
「なんと!百鬼夜行ですと?」
シャカの言葉にロス大臣が驚いてみせるのも事前に打ち合わせておいた通りだ。
「なにしろ百鬼夜行というものはいくら退治しても尽きるということがない。十日ほど前に退治したはずが、昨夜も六条戻り橋にわらわらと現れて騒ぎを引き起こしたことは皆様 もお聞き及びのことと思います。妖怪の中には鼠ほどの輩がいてすぐに築地壁の穴に逃げ込んで捕まえるのが難しいが、このミロ法師の大きさならば追いかけるのもたやすく、捕 まえることもできましょう。ぜひとも力を貸していただきたいが、この儀、まげてご承諾いただけましょうや?」
「なるほど!そう聞けばもっともな話ですな。」
うんうんとしたり顔で頷いたロス大臣が嵯峨帝に向き直り、ミロ法師がシャカの手助けをすることの赦しを乞うと、
「善きかな。」
と、ミロ法師を気に入っていた嵯峨帝はその場で従六位下の陰陽助の官位と役職を賜ったのである。 これにはロス大臣もシャカも驚き、いま一つ意味がわからないらしいミロ法師に有り難い仰せであると説いて聞かせて、ともどもにお礼を言上したのだった。
アフロディーテ中宮は間近でミロ法師を見られないのを残念に思ったが、もとより衆人の居並ぶ中で我が儘を言うような性格ではないので几帳と御簾越しに小さな姿が折り目正し くお辞儀をしてやがてロス大臣の懐に抱かれるのを見ているしかなかったのだった。
それでも父大臣の屋敷にいるのであれば、そのうち里帰りを願い出てぜひ間近で見ようと心ひそかに思い自分を慰めた。


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