「 ディスカバー・ジャパン 」


「君が来たいというのなら、連れて行ってやってもいいのだが。」
「は?」
聖衣の修復に汗を流していると、突然やってきたシャカがそう言った。
「それはなんのことです?さっぱり分かりませんが。」
いったん金槌と鑿を使い始めたら手を止めることはかなわない。隣の部屋で休んでいるミロが身体を流れる血の半分を提供してくれたのは5分前で、その血の暖かさが失せないうちに寸暇を惜しんで鑿を振るわないと満足な修復は覚束ないのだ。
「今手を止めるわけにはいきません。分かりやすく説明していただけますか?」
本当のところは邪魔だから出て行ってほしいのだが、そんなことを言おうものなら、「そうか、分かった。」 とか言って半年以上も白羊宮に足を向けてくれないだろうことは分かりきっている。貴鬼にも、誰も通さぬように、と言っておいたのだが、どうせ 「君は私の言うことが聞けないのかね。」 とか言って我侭を通したのだろうと予想がついた。
「日本へ行くことになった。君が来たいというのなら連れて行ってやってもよいと言っているのだ。」
目的地だけは分かったが、理由のほうはさっぱりだ。任意の同行を求めているのだから任務ではあるまい。といってシャカが物見遊山というのも妙な話だ。
「目的は何です?」
「日本における仏教の現状調査だ。来たくないのなら私は帰る。」
「待ってください!行きますから!で、出発はいつです?」
これは旅行といってもいいだろう。なにかと人目があってなかなか思うようにシャカを抱けない私としては、この機会を逃す手はない。
「明日だ。」
「ずいぶん急ですね。」
「鉄は熱いうちに打てというのを知らないのかね?」
「もちろんそのくらいは知ってます。白羊宮では、血が熱いうちに打てというのがデフォルトですが。」
「そうかね。」
せっかくのミロの血がどんどん熱を失ってゆくのが気がかりで邪魔をされたことに対する皮肉を言ってみたのだが、案の定シャカには通じない。
「ではせっかくだから、君にこのミッションの経理と旅程の調整を任せてやろう。私は仏教の教義の追究に傾注するが、異議を申して立てるというなら聞いてやってもよい。」
勝手な物言いにむっとしたが、今は聖衣の修復が最優先だ。もしもこの血が無駄になったら次の提供者から新たに血をもらわなくてはならないが、リストの次にいるのは………カミュだ。!

   まずい!
   そんな不手際をやったら、カミュに声をかけた時点でミロにスカニーを14発までお見舞いされるのは確実だ
   今はふらふらになって隣で横になっているが、そういうときにはミロは必ず起きてくる

「貴様、俺の血だけでは飽き足らず、大事なカミュの血まで取ろうというのかっ!この吸血鬼!人非人!たまには自分の血でまかなうがいい!」
「それはシャカが邪魔をして…!」
などという言い訳が怒り狂った蠍に通用するはずもない。私だって命は惜しい。
「異議など申し立てませんから、仕事を続けさせてもらえますか?急がないと困るんですが。秘書でも添乗員でもなんでもやりますから。」
口早にそう言うと、頷いたシャカは帰っていった。ほんとに疲れる。
私は再び鑿を振り上げた。

飛行機のチケットと宿泊先、そしてシャカが視察に行く仏教寺院には話を通してあるとのことでそこだけは安心したが、現地での食事や交通機関のスケジュールなどの一切が私の双肩にかかっていることを知ったのは航空機の中だ。
「どうしてもっと早く決めておかないんです?」
「シオンに言われたのは先月だが、瞑想しているうちに忘却していたのだ。しかたあるまい。そもそも旅は無一物でおのれの影だけを供にするものと相場が決まっている。事前の準備などわずらわしい。」
そう言ったきりシャカは瞑想に入り、私はしかたなく日本について学習を始めた。昨夜は聖衣の微調整に時間がかかり、予習することができなかったのだ。
ガイドブックが手元にはなかったのでシオン様に相談すると、
「それは困るだろう。ちょうど読み終わったよい本がある。これを読めば日本人の宗教観を知る一助になるのは確実だ。」
と何冊かの書籍を下さった。

   「聖☆おにいさん」

シオン様によれば、日本の日常生活の特徴がよく分かるということだ。そして、ちょうどそのとき居合わせたデスマスクが、
「俺のところにもいい本があるぜ。」
と、あとで持ってきてくれたのが、

   「テルマエ・ロマエ」

デスマスクによると、日本人の生活習慣の一端がとてもよく描けているらしい。
「絵が多用されていて分かりやすいぜ。サガなんか喜んでたな。」
「サガも読んだのですか。」
「ああ、あいつには一番に貸した。興味がありそうだったからな。イタリアにも関係あるグローバルな内容だ。」
あのサガが感心したのだから、優れた内容なのだろう。
こうして日本に着くまでにシャカは瞑想を、私は日本研究に時間を費やした。

「………ここですか?」
「ここは寺の宿坊だ。昔の風情を今に残す登録有形文化財に指定されている。むろん君にも異存はないだろう。」
「異存って………だって、ベッドは?床にカーペットは?それに照明器具や洗面台はどこにあるんです?」
「そんな惰弱なものはない。ここは修行僧が三十日間参篭し、一心に経を唱えて自己研鑽をはかる特別な部屋だ。部外者には原則として貸さないのだが、アテナを通じて特別に願い出てやっと許可が下りたのだ。喜ぶがいい。」
「はぁ?」
そこは日本の言い方で言えば六畳間ほどの黒光りする板敷きで、およそ現代的なものは何一つない。ただ床と壁と天井と明り取りの小さい窓があるだけだ。もしかして片隅にたたんで積み重ねてあるのが噂に聞くフトンだろうか?
「でも、私がミロから聞いたところによると、日本のフトンはこのうえないほどふかふかで、まるで雲の上で寝ているような最高の気分だそうですが、それにしては、これは薄すぎませんか?」

そのほかにもミロは、
「大きな声では言えないがそのフトンでカミュを抱くと………ふっふっふっ、わかるだろ。」 
などと言って私をつついたのだ。 
「雲の上からさらに天国に行けるぜ。まあ、せいぜいシャカと日本のフトンを楽しんできてくれ。」 
血を半分取られてぐったりと横たわっていたミロは、シャカが私を日本行きに誘う話が聞こえてきて、去年カミュと一緒に日本に視察に行ったときのことをいろいろと思い出したらしい。半ば回復して天蠍宮に帰る前に私にたっぷりと日本の話を聞かせてくれた。
「町並みも綺麗だし、日本人は礼儀正しい。食べ物も旨いし酒もいい。一皿ごとに違うデザインの器がすばらしく凝っていて金泥で彩られた花鳥風月が美しく描かれてる。盛り付けも芸術の域に達してるな、あれは。カミュが感心しちゃって機嫌がよくて。そのおかげで夜のほうの首尾も………ふふふ、わかるだろ。素直に羨ましいって言ってくれてもいいんだぜ。そして、なんといっても温泉がいい。」
「温泉?」
そしてミロは温泉のすばらしさを口を極めて礼賛し、私に入浴のノウハウを摺り込んだ。
「いいか、シャカと一緒に入れよ。日本じゃ、みんなが裸になって入浴するのがデフォルトだからな。シャカが断りかけたら、仏の前では人間はみな等しい存在だ、裸の付き合いを実践することは仏の教えにかなうとかなんとか言って、なにがなんでも連れ込めばいい。温泉はいいぜ、なんといっても明るいところで裸の見放題だからな。日本じゃそれが当たり前なんだよ。」
「すると、あなたもカミュと……?」
「ふふふ、当然だろ。なにしろ日本じゃみんながやっている。ゆっくり堪能させてもらった。それどころか自分では手の届かない背中をお互いに流すのが礼儀だ。日本人はそうやって親しみを深めるんだよ。」
「ほう!背中を!」
「むろん、背中だけで終わらせる気はなかったな。もっと親しみを深めるために………ふふふ、わかるだろ。」
そう言って私の背中をどんと叩いたミロはふらつく足取りで帰っていった。今日だけでも安静にしていたほうがいいのだが、あの様子ではカミュを寝かせないような気もする。

さて、それよりなにより、日本での第一夜のフトンが問題だ。薄すぎるフトンに疑念を呈した私にシャカはこう言った。
「修行僧が分厚いフトンに寝ていては悟るものも悟れない。だいいち、参篭しているときは横になって寝たりしないものだ。」
「えっ!ではどうするんです?」
思わず声が裏返る。今シャカはなんと言っただろう?
「不眠不休で一心不乱に経を唱えてこそ、仏の道に近づける。修行中に横になるなど堕落への第一歩だ。」
「でも、私が読んだ 聖☆おにいさん にはそんなことは描いてありませんでしたよ。」
「解脱したブッダはその限りではない。凡俗のわれわれはまだまだ修行が足りないというのを君は知らないのかね?」
私は仏教徒ではないんですが。

そして、楽しみにしていた食事は極めて簡素だった。
「これが日本食ですか?」
目の前にあるのは大小の黒い塗り物の丸いお椀に盛られた煮物や汁物だ。ミロが言っていたのとはずいぶん違う。ミロはどこの日本に行ってきたのだろう? ことによると血を半分取られたため、妄想にかられていたのか?
「これは精進料理だ。修行の身では魚肉は食さない。三厭五葷 (さんえんごぐん) を避けて、野菜と豆腐と粥が中心となることを君は知らないのかね?」
そんなこと知りませんっ!だいたいトーフってなんです?
「三厭五葷の三厭とは、肉・鳥・魚。五葷とはニンニク・ニラ・ラッキョウ・ネギ・アサツキのことを指す。これらを食べずに穀類などの清らかな食事を摂ることが肝要だ。」
想像を絶するほどヘルシーで、ダイエットには向いているだろうが今の私にふさわしいとは思えない。それに、こんなに油っけのない質素なものを食べていては、夜の営みにおおいに支障が出るのではないかとそっちのほうが気にかかる。
しかし、その心配は杞憂だった。
「シャカ、ほんとに寝ないんですか?」
「何のために来たと思っているのかね?これから大般若経・六百巻を通しで唱えるのだから寝ている暇などありはしない。君は寝たかったら寝てもよいのだぞ。ただ邪魔だけはしないでくれたまえ。」
「もちろん寝ますっ!」
寝る気のなさそうなシャカの分までフトンを重ねて横になったが、それでも板敷きの床が身体に痛い。蝋燭ひとつの明かりのもとで朗々と経を唱えるシャカの背中が恨めしかった。

こうなったら温泉だけでも楽しみたい。
あまりにも狭くてどうあがいても二人では入りようのない宿坊の風呂場に見切りをつけた私は、参篭も明日で終わるという夕方にシャカをうまく言いくるめて近場の温泉旅館の日帰り入浴というのに行くことにした。
むろん、ミロ直伝の 「仏の前では人間はみな等しい存在だ、裸の付き合いを実践することは仏の教えにかなう」 という台詞をとことん利用した。それだけでなく、野外の露天風呂の写真を見せて、清浄な蓮池で沐浴をするのと同じだ、と付け加えたのでシャカも心が動いたらしい。聖☆おにいさんを読んだのは伊達ではない。
その旅館は実に近代的で、こういうところにミロとカミュは泊まったのかもしれないと思うと、築百二十年の登録有形文化財に寝泊りしているわが身の不幸が思われる。一切の利便性を追求していない寺の宿坊は由緒がありすぎて、江戸時代そのままの風情だといえば分かってもらえると思う。
「ここに泊まればよかったですね。」
「惰弱だ。」
その一言で片付けたシャカがすたすたと中に入って行った。 その簡潔にしてシビアな台詞は青銅の一輝あたりから仕入れたんですか??

私がフロントで料金や利用時間のことを確認していると待ちきれなくなったらしいシャカが案内役の従業員をせかして先に浴室の方に行ってしまった。 気が変わって 「帰る」 などと言い出されるよりはよっぽどましなので好きにさせておくことにしよう。
ここの浴室はいくつもあって、男湯、女湯、それぞれに付属した露天風呂、混浴の大浴場、家族風呂、サウナ、ミストサウナ、ジェットバスなどと説明を一度聞いただけではとても覚えきれないほどのバリエーションを誇っている。
テルマエ・ロマエにも描いてあったが、日本人が風呂好きというのは本当らしい。大浴場の名前が ”ローマ風呂” というのはテルマエ・ロマエの影響だろうか?
混浴という概念も画期的すぎて、ミロから聞いてはいたものの、耳を疑ってしまう。 仏の前では人間はみな等しい存在だ、というのを拡大解釈しすぎているのではないだろうか?日本ほど平等思想が広く一般にいきわたっている国を私は知らない。
「シャカ?どこです?」
不思議なことに男湯にはいない。付属しているサウナにもいないし、さっぱりわけが分からない。ほかの場所を探してみようといったん廊下に出ると、突き当りの暖簾の向こうから人声が聞こえてきた。
「ねぇねぇ、中を覗いてみたらすっごく素敵な男の人が一人で入ってるんだけど、どうするぅ〜?」
「えっ………どれどれ?やだぁ、うっそ〜!ものすごく美形だと思わない?混浴の大浴場なんて、鼻の下を長くしたおじさんばかりだと思ったのに信じられない〜!」
「きゃぁぁっ、素敵過ぎ!!このチャンスを逃す手はないわよっ、私、入るっ!これも旅の醍醐味よ!今日のブログにも書けるし!」
「あっ!それいい!あんなに綺麗な人だったら見られてもかまわないわ。むしろ本望かも!ボディには自信あるのよね〜。」
「外人さんと入るなんて、外国のスパみたい!それも超美形よっ、超美形っ!」

   すっごく いやな予感がするんですけどっ!

恐る恐る大浴場の暖簾をくぐると左右がそれぞれ男女の脱衣室に別れているようで、壁の見取り図によるとその先は一つの浴室になっている構造らしい。混浴の説明はフロントで聞いていたが、ほんとにほんとなのか? これが日本式??
若い女性たちのかしましい声が聞こえていたのがやがて聞こえなくなったところを見ると、すでに浴室に入ったということなのだろうか。動転しながら男性の脱衣室に入ると一人分の籠が使われている。シャカの服だ!
気が遠くなりそうなのを必死で押さえ込んで浴室へのガラス戸に近づいた。女性の声に混じって湯の音と一緒に聞こえてくるのは明らかにシャカの声に違いなかった。
「どちらからおいでになったんですか?」
「ギリシャだ。」
「きゃあ、ますます素敵!」
「ギリシャって、パルテノン神殿よ!スニオン岬よっ!」
「あの………失礼ですが、お目がお悪いんですか?
「いや、修行のためにいつも目を閉じている。」
「まぁ〜、それってストイック!」
「素敵ぃ〜!」
「じゃあ、私たちのこと、見えないんですね。う〜ん、ちょっと残念だったりして〜。タオル、はずしちゃおうかなぁ〜」
「あら、みゆきちゃんたら大胆〜〜っ!って、あたしもちょっと見てほしかったなぁ〜。」
「きゃぁ、いやぁぁぁ〜!」
いっせいに女性たちの嬌声が聞こえてきて私はわなわなと震えるのを我慢できなかった。
たしかに混浴と書いてあるのだから、彼女たちもシャカもなにもいけないことはしていない。してはいないのだが、だからといってこれが許せる事態だろうか?

   どうして見知らぬ女性が私のシャカの裸を見なければならないんですっ!
   だいいちシャカは目を閉じていても周りが見えるんですよっ、ああ、私のシャカが女性の裸を〜〜〜っ!
   それも同じ湯に浸かっているなんて!
   冒涜です! 不敬罪です! 規範の逸脱です!
   黄金聖闘士の権威はどこにいったんです?
   恐るべし、ジャパニーズ・温泉!

混乱の極地にいるとドアが開いて、何人もの日本人の男性客が入ってきた。 ほんものの平たい顔族だ!
「あれぇ〜、外人さんがいるべよ〜」
「んだなぁ、この温泉も有名になったべや。こないだテレビに出たかんなぁ。」
「ほれ、孫に読ませられたテルマエなんとかっちゅう漫画と同じだなや。」
「んだんだ。」
どきっとしていると、がやがや言いながら服を脱ぎだした平たい顔族の一人が、
「入んないのけ?混浴は恥ずかしいっちゅうんじゃ、あんめぇな?」
「さあ、脱いだ脱いだ。せっかく日本に来なすったんだから、いい思いをしてもらわねぇと帰されねえし。」
空いている籠を示された。とんでもないと断ろうとしていたら中からシャカの声がした。
「いや、日本には一人で来たのではない。連れがもうすぐ来ると思うのだが。」
「え〜、そうなんですか!いやぁん、どうしよう〜、やっぱり美形の外人さんですかぁ?見たいわぁ!」

   聞くなっ!
   そんな恐ろしいことを聞かなくていいから!

「美形とはなんだね?彼はアリエスだ。」
「え?アリエスって何ですか?」
「アリエスっておひつじ座よ、おひつじ座!きゃあ、それってロマンチック〜!」
「きっと素敵な人よ!アリエスですもの!私、ときめいちゃったらどうしよう〜!」
よりにもよって黄金聖闘士の守護星座を素敵と言われて気が遠くなる。さそり座やかに座も素敵と言われる対象なのだろうか?掛け値なしに長身美形で知られるサガとカノンが来たら、彼女たちはどんな反応を示すのだろう?
そのとき後ろから声をかけられた。
「今日はおなご衆も来てるだなぁ、わしらも行儀よくしねぇと嫌われっど。気ぃつけっぺ。」
「外人さんも一緒に入んべぇよ〜。」
「あんりゃぁ、先にもう一人入ってるべさ。おなごみたいにきれいだぁなぁ。」
がらっと戸を開けてどやどやと入っていった平たい顔族がシャカを見たらしい。シャカも私の存在を察知した。
「ムウよ、アリエスのムウよ。君も入りたまえ。」
「いえ、私は遠慮させていただきます。」
ドアの横の壁に張り付いて真っ赤な顔でそう言うと、あろうことか、シャカがとんでもないことを言い出した。
「人間はみな等しい存在だ、裸の付き合いを実践することは仏の教えにかなう、と言ったのは君ではなかったのかね。来ないというなら私が迎えに行ってもよいのだが。」
「待ってください!今すぐ入りますから!」
シャカがすぐにも立ちあがりかねない気配に慌てた私は乾坤一擲の勇気を振り絞った。不幸中の幸いで、ここの湯は白く濁っているが、シャカが立ち上がったらおしまいだ。これ以上 若い女性の嬌声があがる状況を手をこまねいて見ているわけにはいかなかった。
「外人さんの腰にタオルを巻いてやんべえよ。素っ裸じゃ、こっぱずかしいべ。」
「それがよかんべぇ。テレビに出てくる外人さんはみんなタオルを巻いてっと。今日は若いおなごもいるだで、用心したほうがええだ。」

   用心って、なんの用心ですっ?

平たい顔族のうちの一人が備え付けの白いタオルをくれた。
「ほれ、こんな風に巻いたらよかんべえ。今日は若いおなごがいるからおにいさんには必要だんべなぁ。」
「んだんだ。おらたちはもう役立たずだけんども、若けぇもんはうらやましいのぉ。」
「外人さんよぉ、その気を起こしちゃなんねぇぞ。そったらことしたら、どえらい騒ぎになるかんなぁ。」
そんなことはないですからっ!私はシャカにしかときめかないし、こんな公衆の面前ではそのシャカさえも野の石仏と等しく見えます!

「きゃあっ、綺麗な外人さん〜!」
「あたしたちってラッキー!」
「やっぱり思い切ってこっちに入ってよかったぁ!一生の思い出よ!」
いいえ、一生の不覚ですっ!

こうしてうつ向いた私は入浴中のシャカと女性たちのほうは一度も見ないで平たい顔族の年配者と並んで身体を洗い、あまつさえ背中を流してもらう羽目になった。
「外人さんよぉ、背中を流してやんべぇ。国に帰ったらいい思い出になるだでなぁ。」
「おらの背中も流してもらうべぇかなぁ。若けぇもんは力があるから加減してもらわねえと、背中の皮がすりむけちまうかもしれねえだな。」
どう考えても浴槽に浸かっている女性たちから見られているに違いなかったが、どうすることもできはしない。衆人環視の中で平たい顔族と私が背中を流し合っていたとき、後ろから 「あっ!」 と小さな声がした。
「いやぁん、綺麗〜!」
「すっごく素敵ぃ〜!長髪美形って憧れだったのよ〜、それも金髪だしぃ〜」
「直さないでそのままでいてください!人魚姫みたいですよ〜!」
え?と思って壁の鏡を恐る恐る見ると、なんと、シャカが髪をまとめていたタオルが解けて、透けるような美しい金髪が肩を覆って湯の中に散っている。
「外人さんよぉ、えらく別嬪になったもんだなぁ。どっちがおなごか、わかんねえべさ。」
「女の私たちより綺麗ですよ〜。男の人なのに、どうして髪をそんなに長く伸ばしてるんですか?」
「切る理由がないからだ。」
なにを言われてもシャカは動じない。いつものことだが、この場では浮いている。いや、浮世離れしすぎていて、それが女性たちには魅力に映るらしかった。
「きゃあ、クール!」
「きっとアーティストよ、アーティスト!かっこいいわ!あたし、応援しちゃう!」
「もしかしてミュージシャンとか?」
「ギリシャの人魚姫と一緒にお風呂に入るなんて、もう最高っ!ローマ風呂じゃなくてギリシャ風呂よ!」
「そうかね?」
シャカ、あなたという人はそれしか思わないんですかっ?

そのあと平たい顔族に誘われて、私は渋々大きい浴槽に身を移した。彼女たちがこちらを見ているのがありありとわかり、とてもではないが顔を上げられない。
「お友達のアリエスさんは恥ずかしがり屋さんなんですね〜。」
するとシャカがとんでもないことを言った。
「普段はそんなことはないが、今日は羊の皮をかぶっているのだろう。」
「きゃあっ、それってデンジャラスぅ〜!」
「もしかして狼にもなったりして?いやあ〜ん、外人さんって、すっご〜い!」
きゃあきゃあ騒ぐ声の只中で私はシャカの冗談を思いっきり呪った。こともあろうに羊の皮をかぶっているという言い草は何です??
いや、あのシャカが冗談を言うはずはないから、単に私がおひつじ座だということを言いたかっただけなのだろう。
でも、それを言うならせめて ”猫をかぶっている” と言うべきなのでは?羊の皮をかぶっているなんて、まるで私が飢えた狼みたいじゃありませんか!それはたしかにシャカのあまりの無用心さとか無関心さに触発されて強引にことに及ぶこともありますけれど、みんな貴方も承知の上ですし。それにあなたが喜んでいるように見えるのが私の気のせいだとは言わせませんよ。
煩悶する私を平たい顔族がつつく。
「外人さんよぉ、上がったら向こうでフルーツ牛乳を飲むとよかんべぇよ。のどが乾くべ?」
「国際交流ってやつだなぁ。あっちの外人さんにもおごってやるべ。」
「きっと喜ぶべさ。ほれ、テルマエなんとかの外人さんも感心してたかんなぁ。」
「あたしたちも飲みたいで〜す!」
聞き付けた女性たちが異口同音に飲み物をねだる。
「よっしゃぁ、みんなで飲むべよ。今日は年金も下りたから、外人さんとおなご衆に大サービスするだよぉ。」
「きゃあっ、ありがとうございます!嬉しい〜!」
平たい顔族が気がいいのは確かなようで、大勢が入った浴槽の中は私とシャカを除いておおいに盛り上がった。

その後でやっとロビーに安息の場所を見出した私は、平椅子で瞑想に耽っているシャカをほうっておいてミロに電話をかけた。
「………こんな時間になんの用だ?」
明らかに不機嫌そうな声に時計を見ると、ギリシャでは夜の11時ごろだ。そんな時間にミロがなにをしているかというと………
「貴方が日本で泊まった宿を教えてください。経験のために私たちも泊まってみたいと思いましてね。」
「あ〜、宿ね………京都の柊屋だけど、あそこはいつも予約でいっぱいだからすぐには泊まれないと思うぜ。」
「いいんですよ、アテナから頼んでもらいますから。もしも柊屋が無理だったら同等の宿を紹介してもらいますし。」
「ふ〜ん………まあ、がんばってくれ。俺も忙しいから、もう切らせてもらう。じゃあな。」
ミロが通話を終える直前にカミュの声で 「ミロ、早く…」 と聞こえたのは気のせいだろうか?
シャカの参籠のおかげで一指も触れられない旅行が恨めしい。この仇は柊屋で取らせてもらう!

その後、奇跡的に予約のキャンセルがあった柊屋の部屋が取れて、私とシャカは今度こそ最高の日本の宿を味わった。
まるで雲の上に乗っているかのようなふかふかのフトン、芸術と見まごうばかりの美しい料理の数々。どこまでも上品に、しかし贅を尽くした部屋の意匠。かゆいところに手が届くような心遣いにあふれたサービス。
そして極めつけは貸切の露天風呂だった。エキゾチックな庭の中にあり、遠くの山並みが見えて満天の星が美しい。篝火の火の粉がはぜて暗い夜空に舞い上がり、風の音、虫の声、さらさらと流れる湯の音が静けさを際立たせて心が休まるのを覚える。
「どうです?シャカ。こんな宿もいいとは思いませんか?」
「修行中の身には分不相応だな。」
「いいえ、貴方は黄金ですから身分相応だと思いますよ。」
「そういうものか?まあ、君がよいというのなら私は別にかまわない。」
でもシャカも満更でもなかったようで、その夜はたいそうよかった、とだけ付け加えておこう。
え?詳しく聞きたいですか?

『 待ちたまえ。君は個人情報保護法を知らないのかね?』
ここまで書き綴っていたら、シャカが思念で呼びかけてきた。
『もちろん知っていますとも。誰が貴方との大事な恋路を漏らすものですか。』
『それならよいのだが。』
『安心してください。貴方が私に組み敷かれて、あ〜んなことやこ〜んなことや、、そのほかありとあらゆる恥ずかしいことをされてどんなに喜んだかなんて、一言も漏らすものですか。もちろんブログにも書きませんし、動画投稿も控えます。』
『………』
次の旅行が楽しみだ。