「 アルフレッド・ヒッチコックの誕生日 」


「8月13日はアルフレッド・ヒッチコック (1899〜1980 ) の誕生日だ。」
「え〜と、たしか映画監督だろう?」
「うむ、イギリス人だが、のちにアメリカで多くの映画を作った。 サスペンスの神様とも称される。」
「俺はサスペンスっていうのはそれほど得意ではないが、『 鳥 』 っていうのは見たぜ! あれは凄かった!! 単なる鳥がヒッチコックの手にかかると空恐ろしい恐怖になるんだからな! 見終わったあと、ちょっと後悔したぜ、今だから言うが。 」
『 鳥 』 ……?」
「ああ、あれほど単純な題名の映画も珍しいが、あの題名以外にないだろうな、うん。  いいか、お前は見るべきじゃない、妙に論理的に考えて、現実化する可能性を考えて夜も眠れなくなるんじゃないかと心配だ。  お前は美しいものや胸がわくわくする上質な冒険ものを見てればいいんだよ、むろん、ラブロマンスがもっともお薦めだ♪ 」
「見た………」
「………え?」
『 鳥 』 なら見たと思う。」
「なにぃっっ!! いつ、どこで、お前があれをっっ??」
「そんなに口角 泡を飛ばさないでもらいたい。 私はデスマスクに誘われてあれを見たのだ。 たしか10歳くらいだったと思う。」
「10歳っ! どうしてそんな小さいお前にあんな恐い映画を見せたっっ?! ひょっとしてデスの奴、いじめかっ??!!お前の黄金聖闘士としての計り知れない潜在能力が自分を凌駕することを恐れて、やっかんだのではないのかっっ!!許せんっっ!!」
「そんなことはないと思う。 訓練のあとで、映画を見たことがあるか? と訊かれたので、まだ見たことがない、と答えると、そのまま巨蟹宮へ連れて行ってくれて、好きなのを見せてやろうと言われた。 映画好きのデスマスクはたくさんの作品を持っていて選ぶのに迷ったが、『 鳥 』 というのが一番わかりやすかったし、動物の記録映画だと思ったのだ。
「動物の記録映画………あれがか?」
「10歳では勘違いするのもしかたあるまい。 デスマスクもまだ見たことがないと言って、私と一緒に見ていた。」
「デスの奴は平気だったろうが、お前が………清らかで美しくて世の中の穢れや悪しきものをなにも知らなかったわずか10歳のお前が………ああああ〜………」
「そんなに大袈裟に言わなくても………」
「しかしだなぁ、あの映画は本当に恐いからな! ゾンビやエイリアンなら現実にはいないと論理的に考えて、映画を見終われば虚構の話だと片付けられるが、なにしろ鳥だからな、どこにでもいる。 俺は見終わったあと、しばらくは鳥を見るといい気持ちがしなかったよ。」
「私も同じだ。 そこでシベリアに…」
「なにっっ、まさか、お前……っ、シベリアには鳥がいないからと、あそこでの弟子の育成を願い出たのではあるまいなっ?!」
「それは曲解だが、いったんシベリア行きが決まった後、鳥がほとんど生息してないだろうことに思い当たって嬉しくなったのは事実だ。」
「ふう〜ん、まったく知らなかったぜ………すると、あまり聖域に帰ってこなくて、たまに来ても飛ぶように帰っていったのは、もしかしてそのせいだったりなんかして??」
「………え?」
ほんの冗談のつもりで言ったミロだが、カミュが困ったように目をそらしたのを見て真相を悟ったような気がしたものだ。
「………おい、するとなにか? 俺がお前に会いたくて、会いたくて、会いたくて、それでもお前の弟子との修行を尊重してじっと自分を抑えて、やっと聖域に帰ってきたお前と一言二言 口をきくだけで我慢して、そんなに修行のことを考えてシベリアに帰りたがるお前の邪魔をしないようにと訪問するのも間遠くして、何年間もお前の帰る日をまるでモジリアニみたいに首を長くして待っていたのは…!」
ミロの声がせり上がり、顔面が紅潮する。 怒りの小宇宙が密度を増して、危機を感じざるを得ない。
「ミロ………あの……私は……ほんとうにお前にすまないと思って………」
「デスの野郎、許せんっっ!!」
「…え?」
「まだ小さい子供に何ということをしてくれたのだっ! どんな映画かは、ジャケットを見ればわかるだろう! 責任を取れっ、俺の青春を返してもらおう!おかげで遠距離片思いだっ、それがなければ遠距離両思いになれたかもしれんのに!」
「そんなことをいまさら言っても…」
「いや、許せんな! だいたいなんでお前にだけ映画なんぞを見せたのだ? 俺は誘われた覚えはないし、お前だけだろう?そんな恐怖映画を見せられたのは!」
「いや、ムウも見ている。」
「え?……なにを?」
「あのときデスが言うには、私の前にムウを誘ってやはり映画を見せたのだそうだ。」
「ふうん、で、ムウはなにを選んだんだ?」
「たしか………『 羊たちの………静寂 』 ?」
「違うっっっ!! それを言うなら 『 羊たちの沈黙 』 だっ!!」
「ああ、そうかも知れぬ。 なにしろずいぶん前のことなので細かいことは…」
「デスの野郎っ、小さい子供になんてものを見せてくれるっっ!いくら羊がらみとはいえ、ムウもとんでもないものを……気の毒すぎる!」
「いや、ムウはなんともなかったそうだ。」
「………え?」
「感心した顔をして帰っていったので、デスマスクはその次に私にも映画を見せてやろうと考えたらしい。 だが、私がショックを受けたことを知って、その後は誰も誘わなくなったように聞いている。」
「……え? あれを見ても平気でいて、むしろ感心して??ほんとか?
『 羊たちの沈黙 』 とはどのような映画なのだ?」
「ええっと………もう、大人だからいいか………つまり猟奇的殺人者とそれを追う捜査官の話で、その捜査官に助言をするレクター博士というのがこれまた凄い犯罪者なんだよ。 どう凄いかは、俺にはとても言えん! ともかくやたらと人が殺されて流血関係の描写が多い。 映画の名誉のために言っておくが質は非常に高いと思う。 普通の恐怖映画をはるかに越える出来のよさだ。 しかしともかくものすごい迫力で、俺としては絶対お前には見せたくない!」
「流血ならムウは無頓着だろう。 聖衣の修復をする者がそんな描写で驚くとは思えぬ。」
「あ………そう…かな…………しかし、それをはるかに越える凄絶な………まあいい、そんな話はもうやめよう。今夜は少し飲まないか?」
「ん……」
「酔ったら介抱してやるから、心配ないよ♪」
「それがかえって心配だ。」
「あれっ、それはないだろう?お前、俺に介抱されたくないの?」
そう言われて返事ができずに赤くなるところなどは、どうにも可愛いではないか。
くすくす笑いながらグラスにワインをそそいでいたミロがふと顔を上げた。
「あれ、待てよ? お前が子供のころ鳥嫌いだったとすると、あんがい氷河の聖衣が好きじゃなかったりして♪」
「ああ、それで氷河に与えるまでは永久氷壁に封じておいた。」
「えっ! ほんとか??………ふふふ、まさか冗談だろ?聖衣は櫃に納めておくべきものだ。」
「ああ、そうだな。」
満足そうに笑みを浮かべたミロがカミュにグラスを渡す。
あの真面目なカミュが冗談が言えるようになったかと感慨に耽るミロには、それが本当のことだとは思いもよらないのだった。


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