「 フランツ・カフカの誕生日 」
「昨日7月3日はフランツ・カフカ ( 1883〜1924 ) の誕生日だ。」
「………カフカって、あのカフカか?」
「そうだ、あのカフカだ。 チェコの小説家で代表作は…」
「ああ、いわなくてもいい。
よくわかってる。題名を聞くだけでゾッとする。」
「なにもそこまで…」
「うう〜〜ん、俺はカフカって聞くとムンクの 『叫び 』
を連想するんだよ………どうも苦手だ。」
「えっ、あの絵を…?」
「だって、そうだろう?
ある日、目が覚めてみたら自分の身体が毒虫になっていたんだぜ! あの絵の人物みたいな気分になって当然だ! いや、待て、毒虫じゃ、そもそも叫べないんじゃないのか?
たしか、ムカデみたいな虫になっていたはずだ。 そんな状況に陥ったら 『叫び 』
どころじゃあるまい?ますますおぞましい状況だ。」
「うむ、それは確かに。」
「…あっ、恐ろしいことに気がついた!もしもだよ………毒虫は論外としても、俺がムウに飲まされた薬のせいで頭脳は大人・身体は子供じゃなくて、身体は大人・頭脳は子供になってたとしたら…!」
「なにっっ?!」
「だって、その可能性もあったりして!
というか、むしろそっちの可能性の方がはるかに高いんじゃないのか?常識的にいって、身体を幼児化させる薬物なんかあるはずがないが、知能を退行させるだけなら、それこそ脳梗塞の発生部位によっては簡単に起こりうるんだからな。これは現実問題だぜ!
肉体的には50歳でも知的レベルは3歳くらいなんてことは珍しくない筈だ。」
「うう〜む、確かに!」
「するとだ、俺があの状態で幼児化したってことは、むしろ運がいい部類に入るだろう!」
「…運がいい?
あの嘆かわしい状況が?」
「だって、考えてもみろよ。
異邦人学園高校三年のミロが外見はそのままで知能だけ5歳になったとしたら、お前だって面倒みきれんだろう?ジョアンは知性が元のままだから五歳児のふりをしてお前と可愛く付き合ってるんであって、実際に五歳児の頭脳だったら自分を取り繕う筈はないから、姿はそのままの俺は幼稚園児の行動を取っていることになる。俺は気楽だろうが、お前は絶望の淵に立つことになる。」
「姿は同じでも、知能が五歳児………それが、お前…?」
「それは五歳の俺は可愛かったろうが、身体が十七歳だったら話は違う。」
「ええと………あまりにも突拍子もない発想で把握が難しいが。」
「じゃあ、極めてわかりやすい例を。
お前、その場合に、俺の着替えとか風呂とか、世話できるか?」
「………え?」
「五歳児で髪や身体が完璧に洗えるのは、コナンかジョアン以外にはいない。それは大人の判断力と知識があってのことだ。
しかし五歳児にそれは望めないから、親が一緒に入って洗ってやるんだよ。
知能が五歳児の、しかし身体が十七歳の俺と風呂に入って、お前、洗ってくれる?」
カミュが真っ赤になってふるふると首を振った。
「だろ?
だから身体が五歳、頭脳が十七歳でよかったんだよ♪ 俺はなんだかムウに感謝したくなってきた。」
「え?それはちょっと違うのでは?
あれは迷惑な設定だ。」
「いや、それは確かに、変な薬なんか飲まないほうがいいけどさ、どうせ飲むんなら身体の幼児化の方がずっといいってこと!
俺は、お前に洗われても心がなにも感じないんじゃ嫌だね。
それよりは身体の方はともかくとして、心で感じていたいと思う。当然だろ?」
「ええと………」 (←真っ赤
)
「ピンと来ないなら、自分を例にとって考えてみればいい。お前が小さくなった 『 謎 』 は短篇で物足りないからな。
お前の入浴と着替えの描写なんか一行の半分にも満たないんだぜ、あれを長編にしてもらって、そのときのお互いの心理の掘り下げをしてだなぁ………あれっ、カミュ!カミュ〜〜〜っ!!」
※
『叫び 』 ⇒ こちら と こちら