デパ地下 |
「ずいぶんな人出だが、ここはいったい何の店だ?」 「ここが昨今の日本で流行っている 『 デパ地下 』 というところだ。」 「ふうん、日本語らしくカタカナと漢字が混ざっているネーミングだな。 すると、俺の理解するところでは、 『 デパ 』 という単語と 『 地下 』 という単語の結合した語ということだ。地下のほうはわかるんだが、デパというのはなんのことだ?」 勤め帰りの買い物客で込み合っている通路を通りながらミロが首をかしげる。 「わからぬのも道理だ。 デパとは、デパートメント ストアという英語を略した言葉で、それ単独では日本語の辞書にも載っていないと思われる。 デパートメントストアとは様々な商品を陳列して販売する大規模小売店舗のなかでも高級な部類で、高品質な商品を扱っており、日本ではデパートという名称で呼ばれているのだ。」 「ああ、デパートっていうのなら、俺も聞いたことがあるぜ。 じゃあなにか? 日本人は、その言葉をさらに省略して使ってるのか? 『 デパート地下 』 じゃなぜいけないんだ?」 「さあ? そのあたりは私にもわからぬが、デパートの地下売り場といっても、靴や食器を売っている場合はデパ地下とはいわぬようだ。 デパ地下とは、 『 市場なみに活気のある、主に食品を主体とした売り場 』 のことらしい。」 「ふうん、そういえば、さっきから食べ物ばかり売っていると思ったのは、そのせいか。」 今日の二人は東京に来ているのだ。 初めて乗った地下鉄から降りて少し歩いたと思ったら、十段ほどの階段を登っただけで、いつの間にかにぎやかな店舗の人込みに紛れ込んでいた。 「地上へ出ると思ったのだが、どうやら道を間違えたようだ。」 「いいじゃないか。 これもなにかの縁だから、どんなものを売ってるのか見てみようぜ!」 戻ろうとするカミュを引き止めて歩き始めたデパ地下の繁盛ぶりは、二人を唸らせた。 「よくもまあ、こんなにたくさんあるものだ! 閉店までに全部売れるのか、他人事ながら気になるな。」 「うむ、日本人は自国の食品だけでなく、世界各国の食材・料理を自家薬籠中のものにしている他に類をみない民族だ。 そのため食品売り場の占有面積も広くならざるを得ないのだろう。」 そんなことを話しながらチーズ売り場を通っていた二人にさっと盆が差し出された。 「いかがですか? お一つお試しください!」 「……えっ?」 「どうやら試食の品のようだ。 味見をして、気持ちに叶えば購入するということなのではないのか?」 「ふうん、そういえば、あちこちの売り場でもやっているな。」 立ち止まってあたりを見回したミロは、いろいろな売り場で盆が利用され、それに悪びれもせず手を伸ばしている日本人の姿に遅まきながら気が付いた。 こんなときには、標準的日本人よりはるかに背の高いことが有利に働くのである。 「そういうことなら、食べてみようぜ♪」 「え? 私たちは買うつもりはないし、それはちょっと………」 「いや、大丈夫だ! 少し観察したが、ほとんどの日本人は通りすがりに手を伸ばして食べるだけで、店の人間も気にしているようには見えん! 郷に入っては郷に従えっていうじゃないか、日本のチーズの味を知ることも大事だぜ♪」 楊枝に刺した、どうやらカマンベールらしい一切れに手を伸ばしたミロがパクッと食べてみる。 「おいしい! ありがとう!」 これだけはしっかり覚えたミロがにっこり笑ってそう言うと、真っ赤になった若い売り子が別の種類のチーズを指し示し、こちらもどうぞ、というように勧めてくれた。 「そいつはエメンタールかな? 今度はお前の番だぜ、せっかくの好意を無にするべきじゃなかろう?」 ちょっと当惑しながら小さめのを食べたカミュが同じように礼を言うと、若い売り子がますます赤くなったようだった。 もう一度 「ありがとう 」 と言ってその場を離れると、売り子の方が深々とお辞儀をしてくれたのが、なんだか愉快である。 続くワイン売り場でも差し出されたグラスに遠慮なく手を伸ばすミロは、終始ご機嫌なのだ。 「日本人は驚くほど気が利いているな! ワインとチーズ、これは世間で言う 『 ミロとカミュ 』 に匹敵する完璧な組み合わせと言えるな♪ いや、これは冗談だが。」 満面に笑みをたたえたミロは、カミュのとがめるような視線に合って慌てて前言を撤回する。 今さら遅いのだが、形だけでもいうことを聞いておいたほうが利口というものだ。 「あそこはまた、すごい混雑だな!行ってみようぜ♪」 できることなら混雑は避けたそうなカミュにかまわず近寄っていったミロが目をみはる。 「おい、信じられるか??このあたり一帯が全部チョコレート売り場だぜ!驚いたな!」 「これは2月14日のバレンタインデーのためのチョコレート売り場のようだ。」 渋々あとについてきたカミュが、それでも掲示物に目をやって答えてくれた。 英語の好きな日本人のおかげで、わざわざ質問しなくても情報を手に入れられることが多々あるのだった。 「ほほぅ♪ そういえば、やたらハートの形が目につくじゃないか!」 若い女の子たちが熱心に覗き込むショーケースをミロがうしろから見ようとすると、それと察した何人かが場所を空けてくれた。 礼を言いながらカミュも引っ張り込むとミロがさっそく品定めを始める。 「ほぅ!見てみろよ、品のいいのがたくさんあるぜ、包装も洒落てるし! お前、今年はどんなのを俺にくれるの?」 「ば、ばかものっ! そんな大きな声でっっ!!!!」 「平気だよ、誰もギリシャ語なんかわからんさ。 万が一いても、みんな自分のことに夢中なんだから♪」 日本人に混じってケースの中を検分するミロは心底楽しそうで、それに気がついた日本人たちが肘をつつきあいながら注目し始めたようだ。 「ミロ、目立ちすぎている……私たちだけが外人なので、珍しがられているようだ。 それに男は他に誰もいないではないか。」 少し頬を染めたカミュが小声で言うと、ミロがにやりと笑う。 「もしかして……俺が日本人の女の子からチョコレートをもらったら、カミュ、お前、嫉妬してくれる?」 「そ、そんなこと………私は知らぬっっ!」 「いや、現実にありうる話だからな。 日本にこれだけ長く滞在していれば、宿でも牧場でも日本女性に接する機会は多い。 俺の魅力がチョコを呼び寄せるかもしれんぞ♪」 「知らぬといったら知らぬっ!」 顔を寄せてささやいてやると、押し殺した声を投げつけたカミュが、耳まで赤くしてその場を離れてゆく。 そんなことより、お前がどれだけチョコをもらうのか、そのほうが気になるんだよ いったい、日本人の目には、お前はどんなふうに映るんだろう? 差し出される盆に見向きもせずカミュに続いて急ぎ足で通るデパ地下は、さっきより混雑してきているようだ。 二人の後ろ姿に向けられる賛嘆のまなざしにも気付かないミロのささやかな疑問は、まだまだ解決しそうにもないのだった。 この頃のデパ地下には目を奪われます。 お惣菜が販売側の力の入れどころかもしれないけれど、 やはり華やかな洋菓子売り場が目の保養、いや、目の毒かも? 食べっぷりのよさそうなミロ様に、日本のデパ地下はどう映ったでしょうか? 「テリーヌやワインの素晴らしいことは文句のつけようがない! しかし、それらの全てを凌駕するカミュの素晴らしさを俺は力説したいっ!」 あのぅ、誰もそんなことは聞いてないです、ミロ様………… |
、