この宿は本館に食堂・娯楽室・事務部などがあり、宿泊客はそれぞれ独立した 『 離れ 』 という建物に泊まるようになっている。 離れと本館は屋根付の回廊で結ばれており、なかなかに贅沢な造りといえるようだ。
荷物を持った従業員に先導されて離れまで行く途中の庭は手入れが行き届き、今までに見たことのない様式で石や木が配置されている。 これが東洋的というものだろうか。

慣れないスリッパを履いて、足先の遊びを気にしながら歩いていくと、回廊の床のところどころに小振りの籠のようなものがあって、その中にごく控え目に花と葉が飾られている。
アフロディーテのバラを見慣れている目には極端にささやかに見えるのだが、カミュはずいぶんと気に入ったようだ。
「ほう! 日本の植生は我々の暮らす欧州とはかなり異なっているとは聞いていたが、なるほど確かなようだ。 野山の草木も東洋的な穏やかさを有しているが、それを反映して装飾の手法も我々の発想にはないものだ。 ミロ、お前はどう思う?」
「どうって………俺の目には、そこらの雑草や木の枝を適当に取ってきて投げ入れたように見えるがな。」

それを聞いたときのカミュは不満そうだったが、そう見えるものはしかたあるまい。
もっとも、長く滞在しているうちに、俺にもこの植物の飾り方が納得できた。 自然なものを自然なままに、というのが日本のコンセプトのようで、仲居の美穂から、生け花のことを聞いたカミュが 「 投げ入れ 」 という手法を教えてくれたのだ。
ふうむ、すると、おれが最初に感じた印象は当たっていたではないか! スコーピオンのミロを侮ってもらいたくはないものだ。

さて、俺たちの泊まる離れに着くと従業員が鍵を開けてくれた。 この離れの中も、二段ばかりの段を上がっていく造りになっている。
俺とカミュが上がったところで、英語のできる従業員が慌てた様子でカミュに話しかけた。
不審そうにしたカミュがなにか聞き返すと、従業員は床を指し示しながらなにか説明している。
やがて顔を赤らめたカミュが、こう言ったではないか。
「………ミロ……ここの中ではスリッパを脱がなければならぬそうだ。」
「なにっっっ!!!」
靴を脱いだときでさえあれほどドキドキしたのに、それの冷めやらぬうちに今度は室内履きまで脱ぐというのか!!!!
「なっ、なぜだっ!!!!」
つい声がうわずり、舌がもつれてしまったではないか! 聖域に冠たる黄金聖闘士ともあろう者が、なんたる醜態!
しかし、俺の脳裏には、カミュとの親密な有様が光速で浮かび、払いのけようとしてもどうなるものでもないのだ。
「ここの床は 『 畳 』 といって、イグサという植物の茎で編まれている。 日本では400年ほど前から使われるようになってきたものだ。畳の上では素足もしくは靴下のみで過ごすのが常識で、そのほうが畳の感触を楽しめるそうだ。」
足元の畳を見ながら説明するカミュは俺を見ようとしない。 それはそうだろう、カミュの脳裏にも俺と似たような画像が展開されているに違いないのだからな。
「……あ、ああ……わかった……」
俺は言葉少なにスリッパを脱いだ。 カミュもそれに倣い、俺たちは黙りこくって奥の部屋に進んだのだった。

慣れてくれば畳の上での生活は快適だったといえる。 足先のさらさらした自由な感覚は心地よかった。
しかし、お互いがこの状況に慣れるまでには何日もかかり、いや、実にもう、たいへんだったのだ。
なにしろ、乗馬の訓練から帰って離れに上がるとさっそくドキドキが始まる。

   俺が 『 ああいうこと 』 を考えてるって、カミュは思ってるんじゃないのか?
   いくら俺でも、明るい日中からそんなことをしやしないが……まだフトンも敷いてないしな……
   とはいえ、畳ってやつはちょっと固めなだけで、ほとんどフトンと変わらんのじゃないのか?
   靴で上がらないんだから清潔だしな……するとこの上にカミュを………
   いかんいかんっっ! そんなことを考えてると悟られたらろくなことはないっ!
   精神統一をするのだ、スコーピオンのミロ!!!!

俺が宝瓶宮にいるのと同じ調子でカミュと親密に過ごせるようになるまでには数日を要した。